表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
208/281

惣無事令




禎兆五年(1585年)    八月下旬      河内国讃良郡北条村 飯盛山城     朽木基綱




「目出度いな、孫六郎殿」

「有難うございまする」

元服して三好孫六郎長継と名乗った千熊丸が深々と頭を下げた。長継の長は養祖父の三好長慶から、継は父親の義継から取った。三好家の当主に相応しい名前だろう。


「凛々しい若者だ。弾正、備前守、亡き左京大夫殿も泉下でお慶びであろう。これまで御苦労だったな」

労うと松永弾正、内藤備前守が“有難うございまする”と言って頭を下げた。世辞を言ったつもりは無い。元服した三好孫六郎長継は中々の美男子だ。これから先三、四年は背も伸びるだろう。そうなれば美丈夫と呼ばれるようになるのは間違いない。百合も喜ぶだろう。もっとも百合は未だ十一歳だ、遊び相手だな。


挨拶もしっかりしているから将来は明るい。弾正と備前守は厳しく育てたようだ。この少年がしっかりした人物になってくれれば河内、和泉、大和が安定する。そうなれば畿内の安定度も一段と上がるだろう。三好、松永、内藤とは婚姻で関係強化を図って行く。次は松永、内藤だな。でも俺の娘は百合の下は未だ七歳の幸と福だ。今は新当流の剣術に夢中で棒切れ振り回して遊んでいる。婚姻政策の先行きは明るくない。焦らずゆっくり行こう。


「約束通り、年内に孫六郎殿と百合の婚儀を執り行う」

“有難うございまする”と弾正、備前守が頭を下げた。

「有難うございまする。相国様の婿として恥ずかしくないよう、努める所存にございまする」

孫六郎の頬が紅潮している。可愛いわ。思わず楽しくなって笑い声を上げてしまった。

「頼もしい言葉だ、期待している。だが余り気負うなよ」

「はい」


「百合は未だ十一歳、子供だ。頼むぞ」

「はい」

「弾正、備前守。婚儀が済んだら直ぐにとは言わぬが俺の相談役として近江に来ないか? 大体四、五年後かな?」

その頃には孫六郎と百合の二人は名実ともに夫婦になっている筈だ。そして孫六郎は今以上に頼もしくなっているだろう。二人が顔を見合わせた。

「その気にはなれぬか?」


二人が困惑を見せている。多分ずっと孫六郎の傍にいるつもりなのだろう。この二人は三好の忠臣なのだと思った。この男達にそこまで忠誠心を持たせた三好長慶、その大きさに感心した。実際長慶が生きている時、俺は何も出来なかった。北近江で長慶の影に怯えてびくびくしていた。


「良いお話ではないか。弾正、備前守」

「それは」

「ですが」

戸惑う二人に孫六郎が笑いかけた。

「私の心配は無用だ。何時までも子供ではない。折角のお誘いなのだ。お受けしては如何か?」

未だ十二歳なのにエライものだ。素直に感心した。


「ではこうしよう。備前守はこれまで通り孫六郎殿の傍にいる。そして弾正は再来年から近江で俺に仕える。如何かな? 孫六郎殿のためにもその方が良くはないかな?」

“なるほど”、“確かに”と二人が同意した。そうだろう? 今後は一人前の大名として遇されるのだ。中央との結び付きは強い方が良い。


「良し、では決まりだな。頼むぞ、弾正」

「はっ。何処まで御役に立てるかは分かりませぬが懸命に努めまする」

弾正が頭を下げる。それを孫六郎がニコニコと笑みを浮かべて見ていた。大したものだ、百合は良い婿を得たらしい。大樹にとっても頼れる義弟になるだろう。久し振りに文でも書くか。




禎兆五年(1585年)    九月下旬      駿河国安倍郡  府中 駿府城  甘利信康




大樹が大殿からの文を読んでいる。時々眉を寄せる事も有れば笑みを浮かべる事も有る。眉を寄せるのは筆跡の所為かもしれない。大殿は癖の有る右肩上がりの文字を書かれるので有名だ。笑みを浮かべているから文の内容は悪い報せではないのだろう。


「良き報せにございますか?」

半兵衛殿が訊ねると大樹が笑みを浮かべて頷かれた。

「三好家の千熊丸殿が元服された。三好孫六郎長継と名乗ったようだ。なかなかしっかりしている。いずれは私の良い協力者になるだろうと書いて有る」

“おお”、“それは目出度い”と声が上がった。浅利彦次郎殿、山口新太郎殿、柴田権六殿、池田勝三郎殿だ。


「では百合姫様は?」

半兵衛殿が訊ねると大樹が“うむ”と頷かれた。

「年内に嫁ぐ事になる。今年は百合、来年は次郎右衛門、慶事が続くがそれだけに忙しくなるな」

「ですがこれで三好家、毛利家との結び付きが強まりましょう」

新太郎殿の言葉に皆が頷いた。大殿の天下がまた一つ強固になる。


「父上は着々と手を打っておられるな。羨ましい事だ。それに比べて関東は……」

大樹が溜息を吐いた。

「そう申されますな。相模から武蔵、上野の国人衆はいずれも朽木の権威を認めております」

柴田殿が大樹を慰めた。相模、武蔵は大樹が自ら征し上野は上杉の勢力下に有る。


「下野、常陸、下総、上総、安房の大名、国人衆も朽木に逆らおうとはしませぬ。ただあの者達は自らの争いを止めようとはせぬだけにございます。おそらくは意地でございましょう」

「だがそれこそが朽木の権威を認めぬという事であろう。違うか、権六」

大樹の言葉に柴田殿が困った様な顔をした。鍾馗様が困っている。似合わぬ表情だ。だが大樹も困っているのだ。服属したと言いながら争っている。だが朽木に抗うわけではない。これを如何すべきか……。一人や二人ではない、関東の彼方此方で騒乱が続いている。


「下野では結城、小山、宇都宮ですな。其処に常陸の佐竹が加わります。そして常陸では佐竹、江戸、鹿島、大掾。上総、下総では里見、土岐、千葉、原。群雄割拠ですな、厄介な事ではあります」

半兵衛殿がおっとりとした口調で笑いながら言った。


「半兵衛殿、群雄割拠と言えば聞こえは良いが内実は大きくなろうとしてなれずにいるだけであろう」

「これは手厳しい。いや身も蓋もないかな」

前田殿と半兵衛殿の遣り取りに彼方此方から苦笑が漏れた。前田殿も“半兵衛殿には敵わぬ”と苦笑いをしている。


「どうも関東は尾張や美濃とは違うな。尾張は織田、美濃は一色と大名が居た。国人衆はその下で勢力を保ったが大名の支配下に有った。勝手に争うなどという事は許されなかった。そうであろう?」

池田殿の言葉に皆が頷いた。その通りだ、それは甲斐も同じであった。


「だが関東には大きな勢力が無い。上杉の影響力は大きいが支配しているのは上州だけだ。他は小さい勢力が争い続けている。相模、武蔵の国人衆は大人しくこちらに従っているがそれは北条の支配を受け入れた所為ではないかな。支配を受け入れた以上逆らえば潰される。その経験の有無の差ではないかと思うのだが……」

かもしれぬ。皆も考えながら頷いている。


「では潰しますか」

皆が半兵衛殿の顔を見た。にこやかに笑みを浮かべている。

「先ずは下総の千葉ですな。幸い家中が治まっておらぬとも聞きます。此処を潰し南へと下ります。真里谷、庁南の両武田を攻め土岐、里見を攻めるのです。さすれば残りの国人衆も大人しくなりましょう」

「……」


「大樹、関東の者共に厳しい姿を御見せなされませ。朽木の威を関東で立てるにはそれしかありませぬぞ。大殿もそれをお望みの筈」

もう笑ってはいない。じっと大樹を見詰めている。

「分かった。そうしよう。先ずは国人衆に争いを止めるようにと通達を出す。もう直ぐ獲り入れの時期だ。一旦はそれを口実に戦を止めるだろう。だが直ぐに始める筈だ。それを咎めて攻め滅ぼす」

大樹の言葉に半兵衛殿が“良き御思案”と言って満足そうに頷いた。




禎兆五年(1585年)    十月上旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




「雪乃、越後から文が届いたぞ」

雪乃がパッと顔を輝かせた。

「竹からでございますか?」

「ああ、そうだ」

懐から文を取りだし雪乃に渡すと貪るように読み出した。俺が隣に腰を下ろしても全く無視だ。幼い時に遠くに手放したからな、心配なのだろう。


「まあ、弾正少弼様が竹を臈長けたと」

雪乃が楽しそうに笑い出した。娘が褒められて嬉しいらしい。まあ俺も嬉しい。あの上杉弾正少弼景勝が妻を臈長けたと褒めた? 趣味は刀剣集めの武骨者がどんな顔で竹に臈長けたと言ったのやら。想像するだけで楽しくなる。もう十七歳か。手放してから十年になるのだな。景勝が褒める程に美しくなったのだろう。


「子を産んで一気に大人びたのかもしれぬな」

「左様でございますね。……私は如何でございました?」

雪乃が俺の顔をじっと見詰めてきた。竹に張り合っているのか? 迂闊な返事は出来んな。

「そなたは変わらなかったと思うぞ。何と言っても竹を産む前から美しかったからな」

「まあ、御上手な」

「真の事だ」

雪乃が一瞬だけ俺を睨んで直ぐにコロコロと笑い出した。取り敢えず及第点は頂いたようだ。女達の間で直ぐに広まるだろうな。色々と言わされるに違いない。


「大殿」

「如何した?」

雪乃が不安そうな顔をしている。理由は分かる。だが敢えて気付かない振りをした。

「上杉家で関を廃すると」

「うむ、そのようだな」

不安そうな表情は変わらない。


「大丈夫でしょうか? 混乱は致しませぬか?」

「分からんとしか言いようがないな」

「……何故関を?」

雪乃が問い掛けてきた。

「そうだな、朽木家と上杉家、それに織田家は枡を統一する事で商いの利便を図った。朽木家と織田家は元々関を廃していたが上杉家は廃さなかった。越後上布、金、それに領内の湊からの収益で十分に裕福だったのだ。謙信公は関を廃する事で得る利よりも関を廃する事で起きる国人衆の反発の方が危険だと思ったのだろう。あの当時、武田家、北条家は勢いを喪失していたとはいえ健在だった。それに越中も不安定だったからな」

雪乃が頷いた。


「その当時はそれで良かったのだ。上杉は越後、信濃、上野、朽木が近江、越前、加賀、若狭、そんなものだったろう。織田が美濃、尾張から三河だ。天下を見回してみれば関を廃している勢力よりも関を維持している勢力の方が大きかった。上杉家も左程に影響を受ける事は無かったと言える」

「なるほど、左様でございますね」

考えて見ると朽木家って不思議な家だな。この手の話を側室とするんだから。妙に経済観念が発達しているような気がする。


「だが状況が変わった。朽木家が天下の大部分を制した。それによって関を維持しているのは関東、奥州、それに九州の一部だけになった。関が有るのと無いのでは物の動き、値段が全然違う。徐々に越後の産物は売れる場所が少なくなり越後には物が入って来なくなりつつ有るのだろう。つまり越後は商人にとって魅力のある土地では無くなりつつあるという事だ。このままでは商人が越後から消えかねん。婿殿はそれに気付いたのだと思う」

雪乃が深刻そうな表情で頷いた。


規制の強い場所と規制の緩い場所のどちらが企業に喜ばれるか? 当然だが規制の緩い場所に決まっている。となるとだ、企業、商品は規制の緩い場所に集まり規制の強い場所には企業、商品は集まらないという状況が発生する事になる。ごく自然にだが一種の経済封鎖が発生するわけだ。経済封鎖を受けた国は徐々に体力が失われていく。


「それで関を廃そうとされているわけですね」

「そうだ」

「上手く行きましょうか?」

「分からんとしか言いようがない。だが弾正少弼殿は竹とは十三違いだから今年で三十になる。上杉家の当主として十分過ぎる程に実績を積んできた。それに世継ぎを得た事でその地位は更に強まったと言える。やるなら今だろう」

ホウっと雪乃が息を吐いた。


「案ずるな、雪乃」

「……」

「上杉家は義に厚い家と言われているがな、昔から利には煩いのだ。おそらく謙信公も関を廃する事には賛成するだろう」

「謙信公もですか?」

雪乃が小首を傾げた。


「そうだ。そうなれば国人衆達も反対は出来まい。大体今では北条も武田も無いのだ。上杉に反旗を翻そうにも後ろ盾が無ければどうにもならん。そして上杉には朽木が付いている」

蘆名は当主が幼く頼りにならん。半兵衛からは大樹が関東制圧に乗り出すと文が届いた。多少尻を叩いたらしい。関東制圧が終われば関が残るのは奥州と九州の一部になる。上杉にとって状況は益々悪くなるのだ。やるなら今だ。躊躇っている余裕は無い。


悪くないな。上杉が関を廃するという事は朽木の経済政策を受け入れ朽木の経済圏に加わるという事だ。政治面だけではなく経済面でもより密接に繋がる事になる。武家や公家はその意味に気付かないかもしれないが商人は気付く筈だ。上杉の朽木への従属度は更に強まった。


関東の国人衆にも関を廃するようにと大樹に命じさせよう。関東では常陸、下野、下総、上総、安房の国人衆が朽木に従属を表明しながらも争う事を止めないらしい。要するに朽木を舐めているのだ。大樹は半兵衛の進言を受け入れて下総から制圧にかかる事を決めた。面白いのは戦を止めるようにと命じた事だな。大樹の考えだがまるで秀吉の惣無事令だ。支配者というのは考える事は同じらしい。大樹も支配者らしくなってきたという事なのだろう。


惣無事令と関の廃止は朽木に従うか如何かの踏み絵だ。朽木を舐めている連中が従うとは思えない。多分反旗を翻すだろう。関東の大掃除だな。下総、上総、安房を制した後、北上する。手強いのは佐竹だろう。場合によっては蘆名と連合して朽木に抵抗する事も考えられる。その時は上杉との共同作戦も視野に入れるべきだろう。


手強くはないが厄介な存在も有る。常陸の鹿島郡、行方郡に存在する南方三十三館衆だ。別に三十三人の国人衆が居るというわけではない。三十三というのは多数という意味の様だ。一応あの辺りで大きな勢力を持つのは大掾氏(だいじょうし)、そしてその支族の鹿島氏らしいがこの両者がパッとしない。その所為で鹿島郡、行方郡では大きな勢力が存在しないらしい。家柄は良いんだけどな。大掾氏は坂東平氏国香流だから平将門と争った家で常陸平氏の嫡流でもある。平家で有名な伊勢平氏も国香流だから武家では名流と言える。伊勢氏、北条氏もこの流れだ。大元は桓武天皇に行きつくから朽木よりも早く臣籍に下った事になる。


パッとしない理由としては一つには三十三館衆の自立心が強いという事が有るのだろう。だが大掾氏、鹿島氏にも問題が有るようだ。鹿島氏は内紛が絶えず、その事で力を弱めている。大掾氏も過去に上杉禅秀の乱に加わった事で勢力を失い回復できずにいる。つまり旗頭になりそうな家が力を失っているのだ。その事で鹿島郡、行方郡の三十三館衆は力を結集出来ないのだろう。


という事で鹿島郡、行方郡は他の勢力から見れば美味しそうな肉にしか見えないという困った状況にある。この肉を狙っているのが常陸の中央に蟠踞する江戸氏だ。そしてこの江戸氏を佐竹氏が狙っている。これでは紛争は収まらない、収まる筈が無い。


更に困った事はこの三十三館衆の中に塚原氏が居る事だ。朽木は塚原とは縁が有るからな。こいつは無視出来ない。半兵衛が下総から南下しようと言ったのもその辺りを考えての事だろう。縁とか(しがらみ)とか、人間が生きていればどうしても生じる。厄介な話だわ。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ