共同作業
禎兆五年(1585年) 六月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 児玉周
「周、大殿に御茶を」
「はい」
相国様が京より戻られました。皆様からの挨拶を受け終えてから御台所様の元をお訪ねになられています。相国様が私がお出しした御茶を美味しそうにお飲みになりました。ホウッと息をお吐きになります。
「ようやく一息ついたな」
相国様の言葉に御台所様がコロコロと御笑いになられました。
「それは宜しゅうございました」
「京に行くと肩が凝って仕方が無い。太政大臣というのは荷が重いようだ。それとも田舎者の所為かな?」
また御台所様がコロコロと御笑いになられました。
「肩をお揉みしましょうか?」
「そうだな、頼もうか」
「宜しければ私が……」
“お揉みしましょう”と言おうとすると相国様が勢いよく首を横に振られました。
「とんでもない、三郎右衛門に知られたら何とする? そなたの父御は余程にそなたの事が可愛いと見える。そなたの事になると顔付が変わるからな。俺は鬼瓦になった三郎右衛門を見たくはないぞ」
相国様が御笑いになられ御台所様も御笑いになられました。少し恥ずかしいです、でも父が鬼瓦?
御台所様が相国様の後ろに回られ肩を揉み始めました。相国様が時折“うむ”、“うむ”と唸られます。眼を閉じていますから気持ちが良いのでしょう。こうして見ているとごく普通の仲の良い御夫婦です。相国様、御台所様と尊称される御二方には見えません。
相国様は今年で三十七歳に御成りですが髭が薄い所為か少し御若く見えます。中肉中背、太っていない事も御若く見える理由かもしれません。それ以外は特に目立つ特徴は有りません。国に居る頃は恐ろしい御方と聞いていましたが実際に御会いすればそのような事は有りません。快活で冗談のお好きな親しみ易い御方です。
「小夜、もう良いぞ」
「宜しいのでございますか?」
「ああ、大分楽になった」
相国様が満足そうに肩を回しています。それを見て御台所様が席に御戻りになられました。御台所様はお優しい方です。私の事を何かと気遣ってくれます。目元の笑みが印象的な方です。
「周、近江での暮らしに慣れたかな?」
「はい、慣れましてございます」
相国様が頷かれました。
「安芸や周防、長門に比べると近江は寒かろう」
「はい、此処に来た当時は驚きました」
寒さにも驚きましたが湖にも驚きました。聞いてはいましたがとても大きい。それに多くの船が動いています。湖では無く海なのでないかと何度も思いました。
「これから暑くなる。夏になれば祭りも有る。花火も打ち上げる筈だ。大津、敦賀が有名だな。三郎右衛門に連れて行って貰うと良かろう」
「はい」
大津、敦賀の花火は有名です。此処からなら近いのは大津、京のやんごとなき公家の方々も見物に来るほどだとか。
「なんなら好きな男とでも良いぞ」
「そのような殿方は居りませぬ」
「何だ、居ないのか、困ったものだ」
え、冗談ではないの? 相国様は大真面目です。
「三郎右衛門からも良い相手がいないかと頼まれている。そなたに好きな相手が居ればその相手をと思ったのだが……」
「……」
そのような御方は居ません。先日の騒動以来、誰にも言っていませんが私は嫁がぬ方が良いのではないかと考えています。私が嫁げば右馬頭様の御不快が児玉の家に降りかかるかもしれません。児玉の家を粗略に扱わぬと起請文を取り交わしていますがそれでも不安です。本当は側室になった方が良いのでしょうが父は頑としてそれは許しません。
「右馬頭殿を憚っての事か? それなら無用の事だ」
「そうですよ、周。三郎右衛門殿も心配しています」
御二方が私を気遣ってくれます。有り難い事です。本来毛利家の人間である私の事など放り捨てても良いのに……。
「お気遣い、有難うございます」
声が震えていました。
「やれやれ、困ったものだ。……さて、俺は琉球の使者達と会わねばならぬ。小夜、後は頼むぞ」
「はい」
相国様がすっと立ち上がりました。そして“周、余り気に病むなよ”と仰られて部屋を出て行かれました。
「周」
「はい」
御台所様が私をジッと見ています。目元に笑みは有りません。
「大殿の申される通りです。気に病んではなりませぬよ」
「……」
答えようがなくて黙っていると御台所様がホウッと息を吐かれました。
「そなたを見ていると昔の私を思い出します」
「……」
「私は朽木家に嫁ぐ前に浅井という家に嫁ぎ離縁されました」
「まあ」
驚いていると御台所様が嘘では無いと言う様に頷かれました。
「今のそなたぐらいの年頃の事です。その事が辛く私は部屋に閉じこもっていました。父や母、兄に心配をかけたと思います」
とても信じられません。本当にそんな事が?
「或る御方から側室にという話も有りました。私の事を想っての事では有りません。もう嫁ぎ先は有るまい、それなら自分が貰ってやろう、そんなお話でした。それを聞いて自分はもう幸せには成れないのだと思いました。そんな時に朽木家との縁談が起こったのです。躊躇う私に父がこのままでは萎れてしまうと言った事を憶えています」
「……」
「そなた、自分が幸せになる事を諦めてはいませぬか? それでは萎れてしまいますよ」
……萎れてしまう。そう、このままなら萎れてしまうかもしれない。でもどうすれば……。
禎兆五年(1585年) 六月中旬 越後国頸城郡春日村 春日山城 上杉景勝
「虎千代様、さあこちらへ」
母が手を差し伸べると虎千代がゆっくりと這いながら母の元に向かった。虎千代が母の膝に手をかけると母が嬉しそうに虎千代を抱き上げた。傍で父が満足そうにそれを見ている。母は暇さえあれば虎千代を抱き上げている。抱き癖が付かぬかと心配だ。
「綾、虎千代様が歩くようになるのは何時頃かな?」
「大体生後一年と言われていますからあと半年はかかりましょう」
「では年を明けるか?」
「かもしれませぬ。遅い子は歩くまでに一年半は掛かると言います」
「なるほど」
父が頷いた。虎千代、祖母様の顔を叩いてはならぬぞ。大人しくしていろ。
「立ち上がる様になれば早うございますよ。あっという間に歩き始めますから、ね?」
母が虎千代に話しかけると虎千代が“ばあ”と言った。母の顔が綻んだ。
「そうだな、待ち遠しいものよ」
これで二度目だ、虎千代が這い歩きを始めた時も似た様な会話をしていた。一カ月ほど前の事だったな。虎千代がもぞもぞと動いた。母がもう一度抱き上げ直した。
「竹姫様、御手柄でございました」
「有難うございます、義母上」
母の賛辞に竹姫、いや竹が笑みを浮かべた。子まで生したのに姫は無いな。それにしても皆が竹を褒める。しかし俺を褒める言葉は無い。何故だ? 確かに虎千代を生んだのは竹だが子作りは夫婦の共同作業だろう。俺もそれなりに努力したのだが……。楽しんだだけと思われているのかもしれぬ。それは不本意だな。
「虎千代様も御一人では寂しゅうございましょう、ね?」
母がまた虎千代に話しかけた。気が変わった。虎千代、遠慮せずに祖母様を一発叩いても良いぞ。
「そうだな、虎千代様を助ける弟君、妹姫が欲しいものよ。朽木家では大樹公を助ける弟妹が大勢居られる。心強かろう」
二人が俺を見ている。視線は厳しい。ボヤボヤせずに二人目を作れと言っている。不本意だ、何故責められるのは俺なのだ? 子作りは夫婦の共同作業だろう。責められるのなら竹も一緒だと思うのだが……。
大体この二人は竹に甘いのだ。幼い時に越後に来たからな、息子の嫁というよりも娘のように思っているところが有る。特に母にその傾向が強い。御隠居様が娘のように可愛がっているというのも有るだろう。母にとっては娘、或いは姪のように思えるのかもしれん。父も華と奈津が嫁いでからは寂しいのか竹の事を何かと気遣っている。何時の間にか俺は息子から務めを果たさない不届きな婿になってしまった。肩身が狭いわ。
「先日、舅殿から文が届きました。今舅殿の元に琉球から使者が来ているそうです」
「まあ、琉球からの使者が」
両親が顔を見合わせ竹が声を弾ませた。湊の賑わい、海の向こうの事が大好きだからな、気になるのだろう。……虎千代を生んでから急に臈長けてきたな、綺麗になった。二人目か、頑張らなくてはならぬ。上杉家の繁栄のためにはもっと子が必要だ。
「琉球は日本に服属するのか? 相国様はそれを望んでいる、要求していると以前に聞いたが」
「そう簡単には行かぬようです。探りを入れてきたようだと書かれてありました。こちらを窺っているのでしょう」
「他には何が?」
「舅殿の文には琉球の使者は北の産物にかなり関心を持っていると書かれてありました」
“なるほど”と言って父が頷いた。母も頷いている。
「ではこれからも畿内と蝦夷地を結ぶ船が越後にやってくるという事だな」
父が満足そうにしている。畿内と蝦夷地を結ぶ船は途中で越後にも寄港する。越後は南北に長い。直江津、柏崎湊、新潟津、蒲原津、沼垂湊の各湊で船は取引をしていく。其処から得る利益は決して小さい物ではない。上杉家にとっては大きな財源だ。父が“儂にも抱かせよ”と言って母から虎千代を奪い取った。母は幾分不満そうだ。やはりもう一人必要だ。娘が良い、父は娘には甘いからな。
蝦夷地から琉球までの交易の道。元々は畿内と蝦夷地を結ぶ交易の道だった。だが朽木家が畿内を制し土佐から琉球へと船を出す事で琉球から蝦夷地まで繋がる道になった。この道には明、南蛮との交易で得た文物も運ばれてくる。日本を南北に貫く大きな道だ。直江津の湊もその道に属する事で以前にも増して繁栄するようになった。今では直江津の湊に南蛮鎧を扱う店が有る。俺が子供のころにはそんな物は無かった。
「上杉領内において関を廃そうと思っています」
皆が俺を見た。
「また唐突に。反発が多いぞ」
「分かっております。しかし関東に東海道から朽木の産物がかなり流れているようです」
父の顔が厳しくなった。いや父だけではない、母も竹も厳しい表情をしている。厄介な事になっただろうか、或いは来るべきものが来たか……。
「与六が調べました。間違いは無いと思います。元々は父親の惣右衛門尉から与六に疑念が伝えられた事が始まりです。事の真偽を確かめるために与六が動きました」
皆が渋い表情をしている。気持ちは分かる。このままでは上杉は利を失うだろう。
これまで関東には越後から様々な産物が流れた。越後上布、綿布、絹、塩、砂糖、唐物、南蛮物、昆布等だ。越後の特産物も有れば上方、蝦夷地の特産物も有る。それらが越後から上野へ、上野から下野、武蔵へと流れ関東一円に広まっていった。越後の商人は関東で利を得ていたのだ。
近年越後の商人は大きく活動の場を広げている。越中、飛騨、信濃、甲斐、関東、奥州。これらの中でもっとも大きく活躍しているのは関東と奥州だ。理由は朽木の勢力から距離が有るから。だが朽木が相模から武蔵へと勢力を伸ばした。朽木は関を廃し街道を整備している。上方の安い産物が相模、武蔵から関東に流れつつある。越後の商人は押されつつあるのだ。こら虎千代、むずかるな。祖父様の腕の中で大人しくしていろ。今大事な話の最中だ。
「義父上、私が預かりましょう」
「う、そうか」
父が幾分残念そうに虎千代を竹に渡した。虎千代は竹に抱かれて大人しくしている。やはり母親の腕の中が一番居心地が良いらしい。竹も愛おしそうに虎千代を見ている。……俺に向ける視線とはちょっと違うな。
「既に甲斐、信濃、越中、飛騨では越後の商人は一部の産物を除けば上方の商人に太刀打ち出来なくなっております」
俺の言葉に父が溜息を吐いた。
「それと同じ事が関東でも起きるというのだな?」
「いずれは奥州でも起きましょう。そうなれば越後の商人は活動の場を失う事に成ります。越後の湊も寂れる事になる。惣右衛門尉と与六はそう考えています」
一番拙いのは越後の産物が衰退する事だ。売れなくなれば作らなくなるのは道理、有り得ぬとは言えぬ。次に拙いのは商人達が利を求めて拠点を越後の外に移す事だ。産物が減り越後から商人が去れば越後領内でも深刻な問題になるだろうとあの二人は提起している。
伏嗅からも報せが入っている。毛利は朽木に服従して以降、徐々に領内を整えつつあると。街道を整備し銭で雇う兵を増やしつつある。そして毛利も朽木家と縁を結ぶ事になった。安閑とはしておれぬ。毛利は着々と足元を固めつつあるのだ。今のままでは虎千代の代には上杉と毛利の立場はひっくり返っているかもしれぬ。
「朽木同様に関を廃し街道を整備しなければなりませぬ。そうなれば越後の商人は関東だけでなく甲斐、信濃、越中、飛騨でも十分に戦えましょう。その事が越後という国を、上杉をより強く豊かにする事になります。いずれは百姓を兵にする事も止めなければ……」
「それは分かるが……。しかし、良いのか? 蘆名との戦の最中だぞ、混乱せぬか?」
父の言葉に母が頷いた。竹は気遣わしげにこちらを見ている。
「分かっております。ですがやらねばなりませぬ。今やらねば悔いを千載に残しましょう」
父が溜息を吐いた。蘆名との戦はこちらが有利に進めている。戦は会津郡で行われているがもう越後に攻め込んでくる事は有るまい。昨年、蘆名左京亮が家臣に殺された。跡継ぎの亀王丸は未だ二歳、向こうは攻勢に出られぬ状況だ。当分守勢が続くだろう。
本来ならば蘆名攻めに総力を上げたい。だがそれをやれば手遅れになりかねぬ。もはや戦の強弱を競うだけの時代ではなくなった。一息吐ける様になった今こそ上杉の内部を固めねばならぬ。関を廃し街道を整備し百姓を使わぬようにする。そうする事で毛利を抑え朽木に伍していけるようになる。幸い甲斐、信濃、越中、飛騨は敵と領地を接しているわけではない。少しずつ切り替えて行こう。それと子作りだ。二人目、三人目を作る。戦をしている暇は無いな、忙しい事よ……。




