朝堂院
禎兆五年(1585年) 五月下旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 九条兼孝
「ところで謁見の事でございますが」
相国が我等に問い掛けてきた。太閤殿下に視線を向けたが殿下は無言だ。左府も口を開かない。やはり此処は関白である私が言わねばならぬか。
「帝が異国の者に会う事には異論が多い。無理に強行すれば朝廷が混乱しかねぬ……」
相国の視線が強くなるにつれ語尾が弱くなった。我ながら情けない事では有るな。
「異論とは?」
「単純に異国の者を帝に接しさせるなど畏れ多いという者も居るが服属すると決まったわけでもないのに謁見の必要が有るのかという者もいる。この者達は琉球が服属しなかった場合、帝の御名に傷が付くと主張するのだ。全く無視するわけにもいかぬ」
相国は無言だ。納得はしていない、視線の強さは変わらないし口元も厳しく引き結ばれている。
「明確に謁見には反対していないが内裏に異国の者を入れるのは如何なものかという者も居る」
一条左府の言葉に相国が息を吐いた。呆れているのであろう。口では謁見に反対していないが内裏に異国の者を入れるなという事は謁見その物に反対しているという事に等しい。明確に謁見に反対すると言わないのは相国を怖れての事だ。
「使者が来るという事は相手が此方に関心が有るという事、喜ばしい事なのですぞ。それに古には隋、唐、百済、新羅、高句麗、渤海等から使者が来た筈。謁見も行ったのでは有りませぬか? 反対意見には根拠が無い。違いましょうか?」
相国の言う通りだ。皆が押し黙っている。
「今では南蛮からも商人が来ます。いずれは南蛮の国々からも使者が来るようになりましょう。南蛮は天竺よりも遠いのですぞ、それを無視なさると?」
「あの者達にも謁見せよと? 髪は赤く目は青いのであろう? そのような異形の者を帝の御目に触れさせるなど」
西園寺権大納言の言葉を相国が“権大納言殿”と言って遮った。
「確かに見た目は我等と違います。しかし人で有る事には違いが無い。我らの言葉を憶え、我等と同じように話す者も居るのです。外見だけで判断するのは危険でしょう。彼らを信じよとは言いませぬ。しかし最低限の礼は示さねば……」
皆が押し黙った。礼か、言っている事は分かる。しかしあのような者達にまで礼を示すのか?
「相国、そなたでは駄目なのか?」
太閤殿下の言葉に相国が首を横に振った。
「殿下、某は太政大臣、臣下でございますぞ。この国の顔は帝でございましょう。交渉は某が行いますがこの国の顔として使者を労うのは帝にお願いしたいと思いまする」
「……」
皆が無言でいると相国が大きく息を吐いた。
「全てを某が執り行えば某がこの国の顔になりますぞ。そうなれば帝の御立場、朝廷の存在する意味が希薄なものになる。それで宜しいのでございますか? 某は帝の御立場、朝廷の事を思って御願いしているのです」
思わず息を吐いた。私だけではない、他にも吐いている者が居る。相国の言い分は正論では有る。確かにこの国の顔は帝でなければならぬ。そうでなければ帝は、朝廷はその存続する意味を失いかねぬ。
「帝は、院は如何御思いなのです?」
相国の問いに皆の視線が飛鳥井准大臣、西園寺権大納言に向かった。
「院は謁見には反対しておらぬ。相国の意図を良く理解しておられる。だが困惑しておいでだ。どのように接すれば良いのか分からぬと仰せられた」
准大臣の言葉に西園寺権大納言が“帝も同じ事を仰せられた”と言った。
朝廷での反対論もその困惑が元になっている面が有る。院に、帝に負担をかけるべきではないというのだ。
「難しく考える事は有りませぬ。日本は島国です、四方を海に囲まれている。此処に来るには船を使わねばなりませぬ。航海は安全であったか、苦労はしなかったか等で構いませぬ。或いはこの国の食事には慣れたか、でも良いのです。興味が御有りなら琉球の事を訊ねても良いでしょう。暑いのか、雨は多いのか……。この国の頂点に立つ方が自分に関心を持っている。そう思う事で相手もこちらに好意を持つのです」
なるほど、挨拶で良いという事か。交渉等の実務は相国が行う、では帝は何を行うのかと疑問だったがそういう事か。あくまで儀礼という事か。皆も納得したのだろう、頷いている。
「下らぬ事、詰まらぬ事に見えましょうが国と国が付き合う以上儀礼は欠かせませぬ。大陸や半島では革命が起き幾つもの国が亡びましたがこの日本では二千年以上に亘って帝の下、政が為されてきたのです。何処の国に対しても誇ってよい事にございますぞ。勿論、南蛮の国々に対してもです」
皆が頷いた。嬉しげにしている。
「相国の言う事は分かった。道理と思う。だが問題は今一つある」
「と言いますと?」
「謁見を何処で行うのかという問題じゃ」
太閤殿下の発言に相国が眉を寄せた。意味が分からないらしい。
「記録を調べたのでおじゃるが昔は大極殿で使者に会っていたらしい。だがのう……」
「大極殿では拙いので?」
相国が問うと太閤殿下が困ったように笑みを漏らされた。
「無いのじゃよ、相国」
「はあ?」
相国の間の抜けた発言に今日初めて皆が笑い声を上げた。
「大極殿は安元に起きた太郎焼亡の大火事で焼失しての、それ以来再建されておらぬ」
「なるほど……。その安元と言いますと?」
「されば四百年程前の事になるか」
「四百年……」
相国が呆然としている。それを見て太閤殿下がまた困った様な笑みを浮かべ我等をチラッと見た。
「いや、元々は大極殿、朝堂で朝政が行われていたのじゃ。異国の使者とも会っていた。だが異国との交流が途絶え徐々に政が紫宸殿で行われるようになった。そなたは武家ゆえ分からぬかもしれぬがこれは全く違う。紫宸殿は内裏、つまり帝の私的な居場所に有る。大極殿、朝堂は朝堂院にありこれは朝廷の正規の庁なのじゃ」
「……」
「分かるかな? 公家達が謁見に渋るのも其処にある。謁見を行うとすれば紫宸殿であろう、となれば内裏に異国の者を入れる事になる。下世話な言い方をすれば帝の寝所に余所者を入れる様なものでおじゃるの」
相国が“なるほど”と言って頷いた。
「では再建致しましょう」
思わず声が上がった。本気か?
「異国の使者を謁見する以上、そのための建物が要るのは道理にございます。知らなかったとは言えこれは某の落ち度、大極殿を再建致しましょう。使者は十一月に琉球に戻ります。帰国の挨拶に間に合えばと思いまする」
「出来れば朝堂、朝集殿も頼めるか。本来は大極殿を含めてその三つが朝堂院、朝廷の正庁なのじゃ」
太閤殿下の言葉に皆が驚いた。“それは”、“殿下”という声を相国の言葉が遮った。
「宜しゅうございます、整えましょう。但し、図面等の協力はしていただきますぞ」
相国が我等を見渡した。眼が座っている。嫌とは言えぬ。
「勿論じゃ、後白河院の年中行事絵巻が有る。それを見れば大凡の所は分かる筈」
太閤殿下が嬉しそうに答えた。妙な事になった。朝堂院が再建されるらしい。という事は今後は朝儀は朝堂で行われるという事になるのかもしれん。これは良い事なのだろうが……。
禎兆五年(1585年) 五月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱
近衛邸から槙島城に戻ると直ぐに伊勢兵庫頭がやってきた。会談の結果を余程に心配していたのだろう。表情は気遣わしげだ。
「如何でございましたか?」
「なんとか説得してきた」
「それは宜しゅうございました」
伊勢兵庫頭が顔を綻ばせた。謁見には反対する勢力が有るとは兵庫頭から聞いてはいた。もっと手古摺るかと思ったが思いの外に上手く行った、そう考えて良いんだよな?
「院と帝はこちらの考えを理解して下さるようだ。もしお二方が反対されていれば上手く行かなかっただろうな」
兵庫頭が“真に”と言って頷いた。
「だが直ぐに謁見とは行かぬ。準備が要る」
「と言いますと?」
あ、眉が寄っている。厄介事だと思っているな。その通りだ、兵庫頭。
「朝堂院を建てて欲しいと言われた」
「何と!」
流石、伊勢氏だな。朝堂院というだけで分かるらしい。俺なんか会談が終わった後太閤殿下に確認してようやく分かったわ。内裏と大内裏の違い、朝堂院とは何なのか。一回じゃ分からず三回聞いてようやく理解した。とんでもない約束をしたと分かったよ。太閤に上手く嵌められたな。
大内裏とは平安京の宮城全てを指すらしい。そして内裏とは天皇の私的な居場所をいう。要するに内裏とは奥なのだ。そして表に当たるのが朝堂院だ。朝堂院は大極殿、朝堂、朝集殿から成り立つ。大極殿は即位の大礼や国家的儀式が行われた。異国の使者と会うのもここだ。
朝堂は帝が政務を執る場所だ。饗宴などもここで行われた。だが実際に朝堂が政治の場だったのはかなり前の事で平安京では殆ど儀式の場として使われたようだ。代わって政治の場になったのが内裏の中にある紫宸殿だった。そして朝集殿は控室だ。臣下達が大極殿、朝堂の門が開くまで待機した。
「宜しいのでございますか?」
兵庫頭が心配そうな表情をしている。
「已むを得ないな。異国の使者が来る以上謁見の場が必要というのは当然の事だ。それを用意すれば朝廷も謁見を嫌とは言えぬ」
面倒だし手間もかかる、銭もだ。しかし形を整えるのも大事な事だ。特に儀式はな。
政治の場が内裏の中にある紫宸殿になるにつれて朝堂院の重要性は薄れた。つまり大内裏よりも内裏が重要視されていく。そういう中で火事が何度か起こり朝堂院を始めとする大内裏は焼失し再建される事は無かった。つまり内裏が朝廷の全てになった訳だ。以後は儀式も内裏で行われる事に成った。
朝堂院、大内裏が再建されなかった時期は平安末期から鎌倉初期の時代らしい。つまり朝廷の力が低下し武家の力が上昇した時期に当たる。朝堂院、大内裏が再建されなかった理由はその辺りにもあるのかもしれない。朝廷の力が低下するにつれ平安京の持つ機能も縮小したのだろう。
「琉球の使者が帰るまでに間に合うかどうか……」
「大極殿を最優先で造る。朝堂、朝集殿は後で良い」
「なるほど、先ずは謁見ですな」
「そうだ。出来れば帰国の挨拶で使いたい。それと異国の使節が宿泊する建物も要る。何時までも八幡城では拙かろう」
現代の迎賓館だな。こいつは和洋両方要るな。
「となると土地の確保が必要ですな」
「うむ、北野社から取り上げねばなるまい」
大内裏の大部分が焼失した後は北野社がその土地を占拠し農地になっているらしい。酷い話だ。
「宜しいので?」
「構わぬ。嫌なら焼くと言え。大内裏の土地を勝手に占拠し農地にするとは不届きであろう」
兵庫頭が気遣わしげな表情をしている。気持ちは分かる。北野社、つまり天神様、菅原道真を祭っているところだ。藤原氏は道真を怖がっているからな。それも有って強い事は言えないんだろう。だがな、俺には関係ない。遠慮などしない。
予想外の出費だがやるだけの意味は有る。朝廷には俺が太政大臣になった事に対して不満を持つ者も居る。相国府に反感を持つ者もだ。今回の異国の使者への謁見に反対するのも大本にはそれが有るのだろう。だが俺が朝堂院を再建すれば文句は言えない。朽木は朝廷を蔑にはしていない、尊崇していると判断、いや自らを納得させる事は難しくない。
人間、何が不満かと言えば無視される事、自分が不要の存在なのではないかと思わされる事だ。必要とされている、大事にされていると分かれば不満は解消される。それに建築物は形として残る。後々まで俺が朝廷を大事にした証拠として残るだろう。これは大きい。
関白達も分かって来ただろう。権力はこちらが持つ、権威は朝廷が持つ。つまり政は朽木が行い朝廷は儀式を執り行うという事だ。現代風に言えば相国府は内閣で朝廷は宮内庁になる。今回の琉球の来聘で大凡の筋道を付けよう。大丈夫、上手く行く。あの連中は儀式が大好きだからな。
禎兆五年(1585年) 五月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 伊勢貞良
大殿が満足そうに笑みを浮かべておられる。今回の朝堂院の再建、厄介事とは思っておられぬようだ。謁見の方が大事と見ておられる。
「朝堂院の再建には太閤殿下が全面的に協力して下さる。兵庫頭、太閤殿下にお会いして絵図面を入手してくれ。外見はそれで分かる筈だ。内部については近衛家に伝わる日記を基に確認するほかない。太閤殿下にはその件も御願いしてある」
“はっ”と答えると大殿が満足そうに頷かれた。
「帰国の挨拶で大極殿を使うとの事でしたが少々……」
「難しいか?」
「土地の接収から絵図面の作成を考えますと……」
「無理なら仕方が無い。異国からの使者はこれからも来る筈だ。その時に使えば良い」
ホッとした。残り半年も無い、この状況で土地の接収から図面の確認を行うのでは間に合うとは思えない。
「使者には朽木領内の見物をさせるつもりだ。先ずは敦賀、次に京、そして堺。こちらは右近大夫将監に差配させる。だが京の事では兵庫頭の手を借りるかもしれぬ。その時は助けてやってくれ」
「はっ」
「連中、敦賀の湊に行きたがっていてな。大分北の海に関心が有るらしい。琉球にも敦賀の名は伝わっているようだ」
大殿が上機嫌で御笑いになった。敦賀の湊は朽木領になってから大きく発展した。嬉しいのであろう。
「だがな、兵庫頭。財だけでは連中の心を捉える事は出来ぬ。連中の心を引き付けるには力の誇示も必要だ」
「はい」
「先日、鉄砲隊の調練を見せた。大分驚いていたな。琉球にも鉄砲は有るようだが数は我等に及ばぬ」
鉄砲は数だ。少数では効果は出ない。その事は大殿の戦が示している。
「……琉球には一体如何程の兵が?」
大殿が首を傾げられた。
「大凡三千から四千程らしい。上を見ても五千には届くまい」
「思ったよりも少のうございますな」
「そうだな、独立した一つの国としては小さい。だからこそ庇護が要るし我が国を警戒している」
大体十万石から十五万石程の身代か。大きいとは言えぬ。今少し島津に時が有れば琉球へ攻め込む事も有ったかもしれぬ。
「北野社が抵抗してくれればよいのだがな」
「……御焼き成されるので?」
恐る恐る問い返すと大殿が薄くお笑いになられた。
「兵は三万程出そう。即座に兵を出すところを見れば琉球の使者達も少しは考えるだろう」
なんと、この御方は琉球を服属させるために北野天満宮を御焼き成される御積もりか……。




