首都
禎兆五年(1585年) 三月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城
安国寺恵瓊
「恵瓊、久しいな。元気だったか?」
「有り難い事に風邪一つ引きませぬ。相国様におかれましても御壮健の御様子、恵瓊、嬉しく思いまする」
頭を下げると相国様が軽やかに御笑いになられた。御元気そうだ、嘘では無い。世鬼の調べでも相国様は健康に不安無しと報告が上がっている。
「そう言って貰えると嬉しいな。もっとも坊主は口が上手いからな、油断は出来ぬ。そうであろう?」
「畏れ入りまする」
口調に毒は無い、こちらを信頼しているのであろう。……妙な御方よ、我等とは厳しい戦をした。和睦の条件も決して優しい物では無かった。交渉は厳しかった。だがこの御方は毛利に対して悪感情は持っていない。
「右馬頭殿、駿河守殿、左衛門佐殿も変わりは無いかな?」
「はい、変わりありませぬ」
「それは重畳。それで婚儀の件だが如何かな?」
「願っても無い事にございます。こちらは毛利一族の中から毛利伊予守元清が娘、弓姫を右馬頭の養女に致しました。弓姫は右馬頭の従妹に当たります」
相国様が顔を綻ばせた。
「弓姫は幾つかな?」
「十歳にございまする。毛利家には他に次郎右衛門様に似合う娘が無く……」
相国様が首を横に振った。
「気にしなくて良い、後三、四年もすれば似合いの夫婦になる。では改めて使者を毛利家に送る事にしよう。弓姫を次郎右衛門の嫁に頂きたいと。それで良いな?」
「はっ」
相国様が満足そうに頷かれた。左右に控える重臣達も満足そうではある。上杉、三好、毛利、婚姻によって着々と朽木の天下が固まりつつあると思っているのだろう。
「縁談は纏まったが次郎右衛門が弓姫を妻に迎えるのは三年から四年後という事かな?」
「そうなりましょう」
未だ十歳なのだ、已むを得ない。三年から四年後、場合によっては五年後という事も有り得よう。
「だが式だけは来年あたりに行いたいと思うが如何か?」
「異存有りませぬ。場所は近江という事に成りましょうか?」
「そうだな、そういう事に成ろう。或いは京でも良い」
京か、京で朽木と毛利の婚儀が執り行われる。悪くない、毛利を朝廷にも印象付けられるだろう。
「ところで恵瓊、牙符の事だが宗氏から取り返したそうだな」
御存知であられたか、これだからこの御方は油断が出来ぬ。
「我等毛利の者もまさか宗氏が朝鮮に服属しているとは思わず……」
相国様が“恵瓊”と名を呼んで遮った。
「遠慮するな、宗氏に渡して使えば良いではないか」
「はあ?」
相国様が悪戯な笑みを浮かべている。重臣達は呆れた様な表情だ。
「朝鮮と対馬の関係を整理するのは未だ先の事だ。それまでは遠慮せずに使って儲けては如何かと言っている」
「……宜しいのでございますか?」
恐る恐る問うと声を上げて御笑いになった。
「構わん。宗氏も困るだろうからな、貸してやれ」
「はあ」
どうもこの御方は分からん所が有るな。宗氏には結構厳しく当たったと見えたのだが……。
「俺としては朝鮮と宗氏の関係を正し、日本と朝鮮の関係をもっと開いたものにしたいと考えている。宗氏を潰そうとか交易を制限しようとかは考えておらぬ。交易を制限すれば宗氏が立ち行かぬ事も理解しているつもりだ。だからな、取り敢えず今は現状を認める。その事、宗讃岐守に伝えてくれ」
「必ずや」
要するに天下統一までは黙認するという事か。宗氏に対しても立場は理解している、潰さぬから安堵しろ、その代り自分に従えという事だな。しかし朝鮮との交渉、上手く行くだろうか……。
禎兆五年(1585年) 三月中旬 近江国蒲生郡八幡町 児玉元良邸 児玉元良
「相国様の御機嫌は如何でしたかな、恵瓊殿」
「なかなかの上機嫌でございました」
「それはそれは」
恵瓊が顔を綻ばせた。書院にて茶を飲みながらの会話。三月とはいえ近江は未だ寒い日が続く。熱い茶が美味い。恵瓊も茶に息を吹きかけながら美味そうに飲んでいる。
「弓姫様と次郎右衛門様の婚儀の件、正式に相国様より毛利家に申し入れが有りましょう」
「先ずは目出たい。御家の安泰も一層確かなものになる」
相国様もやるものよ。九州の大友、龍造寺が信用出来ぬ今、毛利をしっかりと捕まえようというのであろう。
「御輿入れは三年か四年後の事となりましょうが式は来年あたりに行いたいと御言葉が有りました。場所はこの近江か京をと相国様は考えておいでです。後の事は三郎右衛門殿にお話しが有りましょう」
「承知した」
式は来年か、京で行うなら槙島城か、或いは京都奉行所という事になろう。
「或いは九州再征への布石かもしれませぬ」
恵瓊が眉を寄せている。大友、龍造寺征伐の前に毛利との関係を密にする。十分に有り得る事だ。恵瓊が茶を置いた。
「三郎右衛門殿、もう直ぐ琉球から使者が参りますな」
「如何にも」
「相国様との間で何が話され何が決まったのか、油断無く見届けて頂きとうござる」
「……」
恵瓊に先程まで有った笑みは無い。琉球の件を重視している。確かに琉球から使者が来るのは大事では有るが……。
「相国様は牙符の件、御存知であられた」
「なんと!」
声を上げたが恵瓊が“大事はござらぬ”と言って首を横に振った。
「御咎めはござらぬ。むしろ宗氏に牙符を貸し出せと相国様は申されましたぞ、三郎右衛門殿」
「なんと……」
絶句していると恵瓊が可笑しそうに笑い声を上げた。
「驚かれるのは無理も無い、愚僧も驚き申した。……朝鮮と日本の間でもっと自由に交易出来るようにしたいというのが相国様の御考えにござる。宗氏を押さえ付ける事が眼目ではない。牙符を貸し出せとのお言葉にはその辺りを宗氏に理解させる狙いが有りましょうな。愚僧に宗讃岐守に伝えよと御言葉が有り申した」
「なるほど」
恵瓊が含み笑いを漏らした。はて……。
「三郎右衛門殿、当家にも儲けろとのお言葉が有り申したぞ」
「それはそれは……」
何と言って良いか分からぬ。だが毛利家は危険視されていないという事は分かった。安堵したが少し悔しくも有った。恵瓊の含み笑いも遣る瀬無さの表れかもしれぬ。
「相国様は朝鮮との交渉を始めるのは二つの前提条件が整ってからだと申されております」
「二つの前提条件」
「如何にも。一つは天下統一、もう一つは琉球の服属」
「琉球の服属?」
はて、天下統一は分かる。だが琉球の服属とは如何いう事であろう。疑問に思っていると恵瓊がぐっと顔を近づけてきた。
「琉球を使って明との間に繋ぎを付ける。朝鮮との交渉には明の力も利用しようとの御考えにござる」
「……」
「朝鮮は明に服属しておりますからな。武力で脅す、その上で明から日本と交易しろと命じて貰う。朝鮮としても明の命令ならばと自らを納得させ易かろうと」
なるほど、琉球との交渉が重要というのはそれが理由か。つまりそれだけ朝鮮との交渉は難しいという事か。
「上手く行きますかな?」
首を傾げると恵瓊が頷いた。
「さて、どうなるかは分かりませぬ。相国様も簡単には行かぬだろうと御考えのようです」
ふむ、恵瓊は相国様と親しいようだが心酔はしておらぬようだ。あくまで毛利の為に親しんでいるという事だろう。
「ところで三郎右衛門殿の事、相国様は相当に訝しんでおいででしたぞ」
「……」
「毛利の重臣中の重臣が国元を離れる。本来なら右馬頭様の傍に居るべきではないかと」
「左様か、それで」
恵瓊が首を横に振った。
「愚僧からは何も。他にも人が居ましたからな。人払いを願えば訝しまれましょう」
「御迷惑をお掛けする」
頭を下げた。全く、迷惑な話よ。右馬頭様は自らの御立場を何も考えておらぬ。家臣の娘を見たさに頻繁に屋敷に遊びに来るなど何を考えているのか。毛利の太守に相応しからぬ行いよ。
「どなたかに取次ぎを願った上で内密に御話しされては如何? いずれ御息女を朽木家中に嫁がせる御積もりなら早い方が宜しかろう」
「……」
「朽木家中に嫁がせる事に御不満かな? だが毛利家中では相手を見つける事は難しゅうござろう。それに後々の事を考えれば朽木家に嫁がせる事は毛利家、児玉家にとっても悪くは無い」
確かにその通りだ。
「不満はござらぬ。だがどなたに取次ぎを願えばよいか……。恵瓊殿には心当たりがお有りかな?」
口の軽い方、毛利に悪意のある方では右馬頭様の悪評が立ちかねぬ。それでは我等児玉家は毛利に戻れなくなる。恵瓊が首を傾げた。そうしていると大きな頭が転げ落ちそうだ。
「さて、……いっそ御台所様にお頼みしては如何?」
「御台所様?」
「左様」
「しかし相国様は女人の政への口出しは許さぬと聞きますぞ、恵瓊殿」
数多くの側室を抱えておいでだがその辺りは厳しい。相国様は女人に狎れる事を許さぬと評判だ。恵瓊が笑い出した。
「三郎右衛門殿、この問題は政の問題では有りますまい」
「なるほど、確かに」
言われてみればその通りではある。政ではない、色恋の問題だった。儂も笑った。
「妙な方を頼んでは周殿を相国様の側室にという事にもなりかねませぬ。それはそれでまた問題になる。御台所様ならその辺りは大丈夫でござろう」
「なるほど」
周が相国様の側室? 冗談ではない、相国様の子など産まれては可愛がることも出来ぬ。それに児玉家は毛利の家で微妙な立場になりかねぬ。
「御台所様と相国様の御仲は至って円満と聞きます。御台所様なら上手く取り計らってくれましょう」
「しかし、その御台所様への伝手が無い」
簡単には会って貰えまい。ここでも取り次いでくれる人が要る。
「朽木家の奥向きに真田弾正忠の未亡人が居ります。相国様、御台所様の信頼も厚いとか。それを頼られればよい。心配は要りますまい。毛利家は次郎右衛門様と縁を結ぶのでござる。次郎右衛門様は御台所様の御腹の子、頼れば無碍な扱いはせぬでしょう」
「そうかもしれませぬな」
頼ってみるか。上手く行けばそこから御台所様の実家の平井家、或いは真田家との繋がりが出来るやもしれぬ。その事を言うと恵瓊が頷いた。
「それに真田の未亡人は武田、北条、今川の遺族とも親しい。武田の姫は婿を取って武田の名跡を立てておりますが婿は伊勢兵庫頭の次男の筈」
「なるほど」
京の施政の責任者か。相国様の信頼も厚く評定衆の一人でもある。本丸を攻めるよりも竈に媚びるのも人脈作りの一つか。慣れぬ事では有るが遣らざるを得まい……。
禎兆五年(1585年) 三月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城
朽木基綱
三好孫七郎、孫八郎から文が来た。孫七郎には三好郡で、孫八郎には伊予でそれぞれ三万石を与えている。これまでは父親が居たが今は自分が当主だ。色々と苦労している様だ。何時でも相談にのるから遠慮せずに文を寄越せと返事を書いてやった。苦労しているのは再興された平島公方家も同じだろう。殺された足利義助の息子、義種が元服して平島公方家を継いでいるが未だ十二歳だ。当分は叔父の義任が後見する様だ。
義種に氏姫を娶らせるのは如何だろう? 氏姫も今年十二歳、そろそろ嫁ぎ先を考えてくれと北条の女達に言われている。第十四代将軍足利義助の息子と古河公方足利義氏の娘の結婚。悪くないんじゃないかな。氏姫は俺の養女としても良い。平島公方家も俺との縁を結ぶ事が出来ると喜ぶ筈だ。北条の女達に相談してみよう。義任に話すのはその後だな。平島公方家は阿波では尊崇されている。特に義助に対する評価は高い。平島公方家を厚遇し関係を結ぶ事は四国を安定させるためにも必要だ。
讃岐の安富筑前守は阿波の一宮に移した。内陸で嫌がるかな、と思ったが大喜びで移った。一宮城は堅城で有名だ。それが嬉しかったらしい。もう戦国は終わるんだけどな。まあ鮎喰川、船戸川、園瀬川が有るから水利は悪くない。頑張れ。反目していた寒川丹後守はホッとしただろう。安富筑前守が讃岐で持っていた領地は朽木の直轄領にした。
西讃岐には真田徳次郎を入れた。多度郡、三野郡が領地だ。海に面しているから喜んでもらえるだろう。他にも四国には伊予で沼田上野之助、長左兵衛。阿波には朽木の譜代からは荒川平四郎、長沼陣八郎、秋葉九兵衛、葛西千四郎を入れた。四国は島だ、朽木の色を強めに入れておく必要がある。それと明智十兵衛に伊予で二万石を加増した。九州遠征では苦労をさせたからな。多分二男の十次郎に継がせるのだろう。
壺を磨く。織田焼、珠洲焼、丹波焼きの壺、良い具合に艶が出てきた。綺麗な壺ではないが味の有る壺だな。悩んだ時は壺を磨く、しかし分からん。如何すれば良いのだろう。このまま近江を政の中心にして良いのかな……。それともどこかに遷都するべきか……。大坂、江戸……。
政の中心地が持つべき条件の一つとして交通の便の良さが有る。大坂、これは大阪湾に面し西日本の交通の要である瀬戸内海の東端に位置している。山陽道、東海道も使える事を考えれば海路、陸路共に問題は無い。京にも近い。難点が有るとすれば幾分重心が西に寄っているという事だろう。大坂は西日本、北陸、東海の中心地だ。関東、東北から見るとちょっと遠いな。
江戸は東京湾に面している。そして陸路は多少の整備は必要だが東海道、東山道が使える。北は如何かな? 関東から東北も街道を整備するのは難しくないだろう。大坂に比べると当たり前の事だが東寄りだ。ついでに言うと未開と言って良い。ここを首都にすればインフラ整備は大変だろう。
近江は海には面していない、しかし湖に面している。そして敦賀、小浜、伊勢、大坂の海が使える事を考えれば十分に立地条件は良い。陸路も問題無い。東西両方に通じている。日本の首都としても問題は無いだろう。だがなあ、このままだと関東を中心とした東日本の発展が遅くなるな。
関東が発展したのは何と言っても徳川が関東に入府してからだ。特に東京が日本の首都になったのは徳川の御蔭と言って良い。低湿地帯だった江戸を河川を整備し土を入れて整地をする事で現代の東京が出来た。二百五十年以上かけて大都市東京の基礎が作られたと言える。
徳川が江戸を政の府としたから大都市東京が出来たのであってそうでなければ僻地のままだっただろう。その事は明治の東京遷都が示している。東京遷都の実現には前島密の働きが大きかった。前島は郵便制度を造った事で有名だが本当の功績は東京遷都を時の実力者大久保利通に理解させた事だと思う。
その東京遷都論の中で前島は江戸は帝都にしなければ市民が離散して寂れてしまうと言っている。江戸は政治都市であり経済都市では無かったのだ。自然に経済活動によって発展したのではなく政治の力で発展した。つまり近江を首都にしたのでは東京は誕生しない。それによる東日本の発展は望めない……。
そして江戸にはもう一つ魅力が有る。関東平野を扇に例えると江戸は扇の要なのだ。ここを押さえれば日本最大の平野を押さえる事が出来る。江戸を中心に放射線状に繁栄していくだろう。これは大坂、近江には無い魅力だ。現状はともかく将来的には江戸の方が首都には相応しい。……分からんなあ、分からん。壺を磨く手も止まりがちだ。どうしたものだろう。
厄介なのは現状では関東は国人領主の群雄割拠だという事だ。史実では北条が取り纏めそれを潰して徳川が入った。つまり徳川は関東経略においてかなり自由に出来ただろう。だがこちらはそうは行かない。服属した国人衆に対する配慮が要る。自由度は低い。
江戸だけでも朽木の直轄領にするか? 太田氏が押さえているが何処かに移す事は可能だろう。相模から南武蔵を朽木の直轄領に発展させる。意味が有るのかな? 関東を発展させる、その中で江戸を発展させる、そう見るべきじゃないのかな。少なくとも徳川はそう考えただろう。利根川の東遷はその例だと思う。
やはり関東を一つの行政単位として扱った方が良いな。関東の行政府を作ってそこで関東全体の内政を執り行う。街道、河川の整備、土地整備、農地開発だ。これは朽木の直轄領だけじゃない。大名、国人領主の領地も含む。そうして一元的に開発を進める事で現状はともかく将来的には日本の首都になるだけのインフラを整備する。
兵糧方と被る部分が有るが其処は調整しよう。司法権も持たせるか。領民達が国人領主の政に納得出来なければ訴える権利を認める。それを行政府が取り扱う。控訴権も認めよう、行政府の判断に納得がいかなければ相国府が最終的に判断を下す。監察権も与えよう。国人領主を潰すんじゃない、指導する権利を与える。
行政府に与えるのはあくまで関東全域の行政権だ。軍事指揮権は与えない。それと俺の息子を行政府の長にするのは止めよう。関東公方の二の舞になりかねん。行政府の長は相国府から派遣する。そして行政府の役人は相国府と関東の大名、国人衆、その家臣からという事にしよう。人事異動は相国府と関東で積極的に行おう。関東から相国府へ、相国府から関東へだ。変な閥は作らせるわけには行かない。そうだな、関東から相国府へ、そして行政府の長として送り返す。それも有りだな。関東の人間も励みになるだろう。
行政府は関東だけじゃないな、九州、中国、四国、北陸、東海、奥州にも置こう。そしてそれらは相国府の下部組織とする。畿内は如何する? 畿内にも行政府を置くか? それとも相国府が直接統治するか? 行政府を置くか。そして相国が兼任する。或いは大樹に任せる。要検討事項だな。
上手く行くかな? 大名、国人領主は面食らうかもしれん。しかし史実とは違い大名が全てを自分で行う事は無くなる。行政府を利用して領地を富ませられるのだ。その辺りを理解させられれば上手く行く、と言うより朽木の天下は長続きするだろう。
うん、壺も綺麗になった。満足満足。久し振りに小鼓でも打つか。




