牙符
禎兆五年(1585年) 一月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
年が明けた。昨年の暮れからやたらと忙しかった。鶴の婚儀、雪乃、桂、藤の出産、そして竹が子を産んだと報せが有った。慶事が続いたのだが目の回る様な忙しさだった。四国で戦争していた方が楽だったな。亭主元気で留守が良いというのは亭主側からも言える事だろう。
鶴と近衛前基の婚儀は近年行われた公家の婚儀としては結構豪儀なものになった。輿入れには兵五千が供奉した。竹の三万に比べれば少ないがあれは朽木の兵力、財力を上杉家中に見せ付ける目的も有った。今回はそんな物は無い。というより余り大勢だと宮中でも不安に思う人間が出るかもしれない。五千で十分だ。それと鶴には化粧料として千石を与えた。近衛家の石高は三千石に少し足りないくらいだ。千石の化粧料は結構大きい。西園寺家に嫁いだ永尊内親王が千五百石の化粧料だ。問題は無いだろう。
少しは寂しがるかと思ったが鶴は意外にあっさりと嫁いで行ったな。京の近衛家だから何時でも会えると思ったのかもしれん。なんか拍子抜けした。そんなものかなあと思って小夜と雪乃に聞いたら二人ともそんなものだと言った。そうだな、二人とも親元を離れて俺の所に来たんだ。そんなものなのだろう。親が思うほどには子は不安に思ったり寂しがったりはしないようだ。
雪乃と藤が男子を生んだ。桂は女子だ。雪乃の子には匡千代、藤の子には吉千代と名付けた。桂の子には絹と名付けた。先に生まれたのが吉千代で兄、後から生まれたのが匡千代で弟だ。その後に絹が生まれた。吉千代の吉は吉法師の吉だ。藤にとって信長は余り馴染みの無い父親だったようだ。戦続きで家族団欒なんて出来なかったのだろう。その分だけ藤は信長の事を偉い人なのだと思う事で我慢した。その父親の幼名から一字貰った、藤は泣いて喜んでいたな。俺が信長の幼名を知っていた事が嬉しかったらしい。織田の旧臣達も大喜びだ。
雪乃が御褥辞退をと言ってきた。雪乃ももう三十を越えた。この時代では高齢出産になる。随分一緒に居たなあ。御褥辞退は認めない、子作りはしない、小夜と同じ扱いにすると言った。本人も納得していたがどうなるだろう? 先日、小夜とやってしまった。小夜は“なりませぬ”とか言っていたけどかえって興奮した。妻を手籠めにするって鬼畜の所業かもしれないが小夜も抗っていたのは最初だけだったな。新しいプレイを開発したと思おう。雪乃ともそうなりそうな感じがする。まあ避妊に気を付ければ大丈夫だ。
竹の産んだ子は男子だった。名は虎千代と付けられた。上杉家の跡取りに相応しい名前だろう、謙信の幼名を付けられたのだから。いずれ近衛家でも子が生まれれば朽木、上杉、近衛の三家の当主はそれぞれ従兄弟同士で最も親しい家になるだろう。後は西の毛利だ。ここと縁を結べば朽木の重みは一段と増す。六角家は縁を結んだところは殆どこけた。細川、畠山、武田、北畠、土岐。いずれも名門守護大名だが乱世は生き残れなかった。縁組は慎重に行かなければならん。
その毛利家だが俺の留守中に家臣を近江に常駐させたいと言ってきた。要するに大使、昔風に言えば留守居役だ。舅殿と留守を守っていた連中で許可を出した。それは良いんだが来たのが児玉三郎右衛門元良だった。毛利家でも重臣中の重臣だ。それだけ朽木の動向を重く見ているという事なんだろうが本人だけじゃなく一家揃って近江に来ている。倅が三人居るが三郎右衛門は息子共を外交官として鍛えようとしているのかな? 安国寺との関係はどうなるのか今一つ分からん。後で確認してみよう。
今年は亀千代を元服させなければならん。それと三好千熊丸の元服と百合との婚儀が有る。徳川の小太郎も元服させなければならんし北条の駒姫の婚儀も有る。なんか成人式と結婚式のオンパレードだな。それと琉球から来聘の使者が来る。如何いう風に迎えるか、その辺りを朝廷と調整しなければならん。派手にやるのも必要だが武威を示すのも必要だ。使者が来るのは五月、時間が無い、急がなければならん。
先ず近江で俺が会って琉球と日本の関係を如何するかを話す。安全保障の面から言えば琉球は日本に頼るべきだ。琉球を日本の庇護下に置くべきだろう。その辺りを理解させて日本に服属させる。経済的に見ても日本との関係は断てない筈だ。少しずつ納得させていくしかないな。
先日、伊賀の藤林長門守が忍んで来た。九州の菱刈、串木野で金山が見つかった。俺の見た夢は正夢だったと言って興奮していた。忍者が興奮している、可笑しかったな。採掘には時間がかかるだろうがこれで朽木は金を得た。駿河や伊豆からも得ていたがずっと規模は大きい筈だ。安定供給してくれるだろう。後は或る程度金を保有したら金貨、銀貨を造って国内に流通させよう。ようやくだ、構想してから十年だな。荒川平九郎、川勝彦次郎も朽木が銭を造るのだと喜んでいたし興奮もしていた。
金山発見を面白くなく思っている人間もいる。龍造寺だ、もしかすると大友も面白くなく思っているかもしれない。龍造寺の隠居は金山が発見されたと聞くと盃を報告した人間に投げつけたらしい。報告者に罪は無いのにな。酔っていたせいも有るだろうが自制心が無くなりつつあるのだろう。
龍造寺の隠居は琉球から来聘の使者が来る事にも大分不満を漏らしているらしい。朽木の天下人の実が着実に大きくなりつつある。その事が面白くないのだ。龍造寺領内での街道の整備、関の廃止にも文句を言ってきた。ふざけるな! 毛利も街道の整備と関の廃止は受け入れているのだ。
国人領主が納得しない? 馬鹿か? 領内を開発して新しい財源を作れ! それを商人に売れ! そのために商人が活動し易い環境を整える、それが領主の仕事だろうが! 大友も似た様な事を言ってきたが嫌なら城に籠って戦の準備でもしろと言ってやった。龍造寺も大友も嫌々だが受け入れたな。
あの連中の頭の中は未だ乱世なのだな。乱世が終わったとは考えていない。何処かでチャンスがあると考えているのだろう。朽木の天下を認めていないのだ。だから街道の整備は敵の進撃をし易くする、出来るだけ避けるべきだと考えている。龍造寺も大友も機会を窺っているのだ。ついでに言えば朽木の事を危険視している。そういう思いが出たのだろう。まあ実際に潰そうと考えているのだから非難は出来ないか。薩摩の小山田左兵衛尉には油断するなと文を送った。
九州攻めは早くとも今年の後半だな。前半には結婚と元服、琉球の件を片付けよう。問題はきっかけだ。伊賀衆にそろそろ火種を植え付けさせよう。
禎兆五年(1585年) 一月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「小兵衛にございます」
闇の中、小兵衛の声が聞こえた。こうして闇の中で話すのは何度目だろう?
「待っていたぞ、小兵衛。対馬の事、何か分かったか?」
「はい、いささか面妖な事が。大殿は牙符を御存知でございましょうか?」
「知っている。割符であろう」
「はい、それ無しでは朝鮮との交易は叶いませぬ」
明との交易で必要とされるのが勘合符だ。倭寇に悩んだ明は日本に倭寇の取り締まりを依頼した。一方日本は明との交易を望んだ。両者は協力した。日本は倭寇を取り締まり明は日本との交易を認めた。勿論、明に服属するという形を取っての朝貢貿易だ、自由貿易じゃない。日本政府が認めた交易船である証拠を示すために勘合符が用いられた。牙符はその日朝貿易版だ。象牙で作られていると聞いた事が有る。
「では牙符が何故作られたかは御存知で?」
「私貿易を防ぐためであろう」
「正確にはそうではございませぬ。偽使、つまり偽の使いを防ぐためでございます」
「……」
「牙符による交易の制度を定められたのが東山殿でございました」
「うむ」
東山殿というのは足利義政の事だ。応仁の乱を引き起こした阿呆、銀閣寺を造った道楽者というのが世間一般の評価だがそれだけでは無かったらしい。小兵衛の話からは義政が明や朝鮮との交易には熱心だったという姿が見えてくる。足利幕府は領地が少ないから土地からの税収に頼れない。海外との交易に活路を見出したのだろう。もっとも儲けの使い先は道楽だと思うと評価は出来ないが。
日朝貿易も日明貿易と同じ様に朝貢貿易だ。朝鮮王朝から通交許可を得た外交使節の往来に付随する形で貿易が行われていた。問題は初期の日朝貿易ではこの外交使節が本物かどうかを見極める術が無かった事だ。室町幕府が正式に派遣した日本国王使、有力守護大名が派遣した王城大臣使は自由な通交が認められていた。此処に眼を付けたのが宗氏、そして博多の商人達だ。彼らは偽の王城大臣使を派遣して交易する事を考えた。これが偽使だ。
朝鮮側は怪しみはしたが確認する術が無い。黙認せざるを得なかったようだ。そういう所に義政が割符による身元確認を行おうと朝鮮側に提示した。もしかすると名前を使われた有力守護大名が義政に訴えたのかもしれない。細川氏、斯波氏、畠山氏等の三管領を中心とした幕府有力守護大名が名前を勝手に使われて怒った可能性は有る。義政も放置は出来ないと考えたのだろう。朝鮮側は喜んでそれに乗った。牙符は十枚造られたらしい。
但し、此処で身元確認がされるようになったのは日本国王使と王城大臣使だ。既に朝鮮王朝から独自の通交権を得ていた大内氏や宗氏などは統制の対象外だった。つまり義政は既得権益は認めた事になる。詐称を止めろと言ったわけだ。だが日本国王使と王城大臣使の待遇は大内氏や宗氏が派遣した使節の待遇よりも良かった。つまり交易面でも待遇が良かったのだ。牙符制の導入は大内氏や宗氏、博多の商人にとっては大きな打撃になった。
「東山殿はこの牙符を、朝鮮との貿易を重視しました。牙符を秘蔵し有力守護大名による王城大臣使を認めておりませぬ」
「なるほど、利益の独り占めも有ろうが有力守護大名の財源を断ったか。なかなかやるな。守護大名達も以前の方がましだったであろう」
「真に」
小兵衛の声が笑いを含んでいる。俺も笑い出しそうだ。牙符が無ければ使者は出せない。足利義政、兵糧攻めとはやるじゃないか。道楽者かもしれないがただの阿呆ではなかったか。なんか好きになりそうだな。
禎兆五年(1585年) 一月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 黒野影昌
大殿がクスクスと御笑いになっている。
「東山殿の代は問題は有りませんでした。問題はその後にございます。明応の政変により将軍家が分裂致しました」
「うむ」
「牙符は有力守護を味方に付ける道具になったのでございます」
「……なるほど、牙符があれば朝鮮との交易が自由に出来るか。守護達を釣り上げる餌としては十分だな」
「はい」
大殿が“待てよ”と仰せられた。
「小兵衛、義輝公が朽木に滞在された頃、牙符の話は聞かなかった」
「その頃には将軍家には牙符は無かったのかもしれませぬ」
「そうか、……今牙符はどうなっているのだ?」
「分かりませぬ。大友家に二枚、毛利家に一枚有る事は分かっております」
「毛利か、大内家から引き継いだのだな」
「はい」
残り七枚の牙符は行方が分からぬ。おそらく守護大名に流れその没落と共に紛失したのであろう。日朝貿易の旨味を知る者、そして没落した者……。細川、一色、京極……、幾らでも居る。有力守護大名で残っている者など大友ぐらいしかないのだ。
「その三枚でございますが宗氏に貸し出されておりました」
「……宗氏はそれを使って偽使を出していたのだな?」
「はっ」
「偽使を出す、服属する。あの家は交易の為なら何でもやるな。というよりそうでなければ生きていけぬのであろうが」
大殿が嘆息を漏らした。
「対馬は土地が痩せて米が収穫出来ませぬ。朝鮮との交易の権利を掌握し知行として家臣に分配する事で家臣を掌握しております。交易が出来ぬとなれば家臣の掌握も儘なりませぬ。正に死活問題にございます」
宗氏を責める事は簡単だが他の家と同一には考えられぬ事情が有る。だが現状の放置も拙い。
「ところで、毛利でございますが」
「うむ」
「牙符を宗氏から返還させました」
「……とばっちりを喰いたくないという事か」
「おそらくは」
大殿が御笑いになられた。
「宗氏はごねたであろう」
「大分」
「大友はそのままか」
「はい」
「可愛げが無いな」
声に笑みが有る。余り御怒りではない。
「小兵衛、報告書に纏めてくれるか」
「はっ」
「それとな、博多、堺を調べてくれ。朝鮮、宗氏との拘わりをな。いずれ朝鮮と交渉、或いは事を構えた時に誰が敵に回るかを押さえておきたい」
「商人が敵に回ると御考えで?」
大殿が“小兵衛、小兵衛”と御笑いになられた。
「商人は利を失う事を何よりも嫌がる。利が大きければ大きい程な。銭の怖さは八門も分かっているだろう」
「はっ」
その通りだ。銭に転ぶ人間は幾らでも居る。銭を得るために道から外れる人間も。牙符の導入にもっとも反対したのは宗氏と博多の商人であった。油断は出来ぬか。
禎兆五年(1585年) 二月中旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 朽木基綱
「では相国が最初に琉球の使者に会うと?」
「そのように考えております」
俺が答えると関白九条兼孝はちょっと不満そうな表情を見せた。一条左大臣はそれ程でもない。二条右大臣は俺と関白の顔を窺っている。太閤近衛前久は面白そうに、息子の内大臣は神妙な表情だ。そして今回は新たに権大納言鷹司晴房が参加している。二条三兄弟、揃い踏みだな。
「朝廷での謁見の前に某が使節に会う事に違和感が有るやもしれませぬ。しかし今回の使節の目的、それと琉球がこれからの日本との関係を如何様にしたいと考えているのかを確認しておく必要が有ると考えております。謁見の場では院、帝から使節への御言葉も頂きたいと思います。その為にも先ずは某が会うべきかと。その上で皆様に相談し謁見の手順を整える、そのように考えております」
“なるほど”と関白が頷いた。嫌な感じがする。院、帝から御言葉を頂きたいと言った時、皆が顔を顰めた。
「院、帝への謁見、問題は有りませぬか?」
俺が問い掛けると皆が顔を見合わせた。
「何とも言えぬ。この件は公になっておらぬ。院、帝の御意志を確認した上で皆に知らせる事に成ろう」
関白の言葉に皆が頷いた。消極的だな、多分反対意見が多いと見ている。或いは院、帝が反対すると見ているのか。この連中も乗り気じゃない。誰でも良い。大丈夫だ、俺に任せろと言ってくれないかな。なんか頼りない。
「相国、此度の使節の目的は何であろう?」
一条左大臣が問い掛けてきた。
「正直に申し上げますと分かりませぬ。ですが九州遠征によって島津が滅びました。琉球が日本と交易するならば朽木を無視する事は出来なくなったという事でございます」
皆が頷いた。
「そして某は以前から琉球に対して交易の面で明に服属しても国を守るのであれば日本を頼むべきだと伝えております。九州遠征後、薩摩には二万の兵がおります。それも琉球には分かっておりましょう。その辺りを如何見るか……」
「恫喝か」
関白がちょっと非難するような視線を向けてきた。武家は野蛮とでも思っているのかな。心外な、こんなのは対外交渉の常道だろう。
「様子見という事も有ろうの」
太閤の言葉に同意の声が上がった。俺もそれには同意する。今回の使節は様子見の可能性が高い。表向きは交易の事を言って来るだろう。今後の交易の継続の保証と交易量の拡大の要求、そんなところだ。窓口が一本化した以上、確認は必要だ。
だがその裏でこちらの状況を偵察するという任務も持っている筈だ。朽木が力を持っているというがどの程度の物なのか? 乱世が終わりつつあるというが本当なのか? 統一は何時頃になるのか? 琉球への侵略の意志は有るのか? 等だ。特に重視するのが朽木の力と統一の時期だろう。
足利は弱かったから国外には出なかった。では朽木は如何なのか? この場合、意志の有無は関係ない。力さえあれば意志は何時でも持てるのだ。代替わりによって対外政策が変わる事は珍しくない。そして代替わりと同じくらい可能性が高いのは国内が統一された時だ。国内に敵がいなくなった時、国外に敵を求めるのは十分に有り得る事だ。
国内統一は後五年程で可能だろう。力も有る。琉球からの使節にはそれをしっかりと認識させなければならん。それと来年以降も使節を寄越せというべきだな。それによってこちらの統一の進み具合を確認させる。その方が圧力になる筈だ。




