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吉野川の戦い




禎兆四年(1584年)   八月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  真田 恭




「今年の内に鶴姫様が近衛様に嫁ぎ亀千代様が御元服、来年には百合姫様と三好様の婚儀となれば忙しゅうございますね」

「まるで夢の様な……」

「夢でございますか?」

問い掛けると御裏方様、いえ御台所様が頷かれた。


「朽木家に嫁いで二十年以上が過ぎていました。あっという間です。自分が嫁いできたのがつい昨日の事のように思われるのに何時の間に娘が嫁ぐようになったのかと……」

御台所様がホウッと息を吐かれた。


「真、月日の流れるのは早うございます。真田の者が朽木家に仕えて今年で二十年、夢の様な……」

「二十年、そんなになりますか」

御台所様が眼を(みは)られた。

「はい、御仕えした頃は大殿は未だ北近江四郡、敦賀一郡の御殿様でございました」

「まあ」

御台所様が声を上げて御笑いになられた。真、夢の様な。この二十年で朽木家は天下の半ばを制している。


「恭、私の勝ちです。私が嫁いできた時は未だ十万石程の身代でした。もっと小さい」

「左様でした、何とも不思議な」

二人で声を合わせて笑った。元は八千石の国人領主、今は天下人。

「本当に不思議な事です」

御台所様が感慨深そうに頷かれた。この御方にとって大殿はどのように見えるのだろう。十万石の領主から天下の主……。


「大殿は、……御変わりになられましたか?」

御台所様が首を横に振られた。

「少しも変わらない様に思えます。二十年前の大殿を此処に連れてきてもそのまま天下を治めそうな……。でもぼやくかもしれませぬ、また面倒な事をと仰られて」

「左様でございますね」

私から見ても大殿は変わらないように見える。闊達で優しく、ちょっと面倒臭がりな困った御方。


「四国は順調に攻略が進んでいると聞きましたが?」

御台所様が頷かれた。

「大殿は西讃岐で抵抗していた香西氏、香川氏を降し讃岐を平定しました。明智十兵衛殿は伊予を平定しています。敵は阿波に侵攻しようとした土佐の一条氏の動きを先ず止めようとしたようですが上手く行かずに苦戦しているようです。一条右京大夫様は細川の軍勢を引き付け身動きが取れぬ様にしておいでだとか」


「長宗我部様も大分御働きと聞いております」

また御台所様が頷かれた。

「ええ、日和佐城を攻略したようです。日和佐城は細川様が信頼する武将、日和佐肥前守の居城、敵に与える影響は大きいだろうと大殿の文には書いて有りました」

長宗我部、一条の両家が朽木家の為に働いている。大殿の影響力が強まっているという事、その意味する所は大きい。


「では後は関東でございますね?」

「ええ、そればかりが心配で……」

御台所様がホウッと息を吐かれた。関東では御屋形様が次郎右衛門様と共に武蔵に攻め込まれた。


「ご案じなされますな。御屋形様も今では立派な御大将にございます。三田、成田、藤田、太田等の有力国人が傘下に入ったと聞きました。私は信濃、上野に居りました故彼らの事は良く分かっております」

「そうですね、心配はいらないのでしょう。でも……」

御台所様が息を吐かれた。真、親とは心配の絶えぬもの……。




禎兆四年(1584年)   九月中旬      阿波国三好郡池田村  白地城  朽木基綱




目の前に白地城が有る。大西城、田尾城、田ノ岡城、東山城、八ツ石城、既に周辺にある城は全て降伏、開城させた。白地城に籠る細川掃部頭に援軍は無い。援軍の無い籠城に勝機は無い。城に籠って居る兵は一万程にまで減っているだろう。大勢の者が掃部頭を見限って逃げた。抜け出そうとして殺された者も居るようだ。


逃亡者が続出した理由の一つに兵糧の不安が有るらしい。獲り入れ前だ、十分に兵糧を集められなかったようだ。白地城を拠点に定め積極的に土佐方面に打って出たのも籠城戦では勝てない、打って出て活路を開くしかないとの認識が掃部頭に有ったからのようだ。先ず一番弱い一条を叩く事で南の安全を確保し士気を上げる。その後は伊予方面、次に讃岐方面……。


残念だがその目論見は一条右京大夫と明智十兵衛に潰された。右京大夫は掃部頭と戦わなかった。戦えば兵力差で負けると分かっている。戦わずに焦らしていれば掃部頭は本拠地を奪われるのを恐れて後退する事も分かっている。無理をせずに時間稼ぎをした。そして伊予方面が十兵衛によって平定されるのが確実になると掃部頭は兵を退いた。掃部頭は白地城に籠り朽木軍八万が城を囲んでいる。此処に居ないのは勝端城を囲んでいる長宗我部弥三郎だけだ。一条右京大夫も合流した……。


力攻めでは簡単には落ちないな。吉野川が大きく向きを変える地点の手前の高さ五十メートルほどの河岸段丘の上に白地城は築かれていた。川に臨んだ部分は切り立った崖のような地形、城の反対側は山だ。城はさほどの加工をほどこさなくても要害の地形にある。守り易く攻め辛い場所だ。事実、朽木軍の本隊は川を挟んで城と睨み合う様な形で布陣している。十兵衛率いる三万が川を渡って城の北に布陣。左門が二万の兵を率いて反対側の南に居る。攻略が目的ではない、包囲持久戦で敵の士気を挫くのが目的の布陣だ。兵糧が無くなる前に降伏するだろう。


掃部頭が降伏するまで何もする事が無い。暇だ。という事で俺は毎日文を書いている。小夜や側室達、子供達、そして家臣達、その家族にだ。小夜や側室達には四国が暑い事、でも生水を飲むのは避け沸かした湯を飲んでいる。その方達も出来るだけ生水を飲むのは避けるようにとか健康面での注意が多い。子供達にはお母さんのいう事を聞いて勉強しなさいとか風邪を引くなとかだ。単身赴任の父親そのものだな。


家臣達の家族だが実際に父親、夫、子供がここに来ている者も居る。そういう者には夫、子供が暑い中頑張っている。良くやっている、もう直ぐ戻れるだろうから楽しみに待っているようにと書いている。きっと文を貰ったら喜んでくれるだろう。そして夫や子供達が戻ったら戦の話を聞きたがるに違いない。多少鬱陶しく思いながら今回の遠征の事を話すだろう。無関心よりはずっとましな筈だ。


「大殿」

主税と源五郎が目の前に居た。顔付がおかしい。

「何だ、敵が降伏したか? そうではないようだな」

「敵が城中で気勢を上げております。打って出るのではないかと」

聞こえなかったな。本陣は後ろだ、そういう事も有るか。


「降伏する気はないか。活路を開くなら南だろう、華々しく討ち死にする方を選ぶなら川を渡ってくる。貝を吹け! 川を渡って来るなら迎え撃つ! 南なら追うぞ! 急げ!」

主税と源五郎が下がった。どちらだ? 南か? こちらか? 貝が鳴った! ざわめく、武者が走る事で鎧の音が激しく鳴った。


「前へ出るぞ!」

小姓達を引き連れて陣幕を出た。城が見える、主税、源五郎が軽く頭を下げて俺を迎えた。

「鉄砲隊は何処に?」

「本陣の斜め前に」

源五郎が答えた。正面には置かない、斜め前に置く。酷い奴だ、俺を囮にして敵を引き寄せようとしている。鉄砲隊が側面を叩く。いや、逃げる敵を追うために前を開けたのかもしれんな。


「良いだろう、正面は誰が防ぐ?」

「酒井左衛門尉、石川伯耆守、本多平八郎、榊原小平太、大久保新十郎、大久保治右衛門、松平又八郎」

徳川の旧臣か、側面を鉄砲隊が叩けば勢いは落ちる。十分だろう、裏切らなければな。ここで試しておこう。大丈夫、味方は優勢なのだ。ここで裏切る事に意味は無い。


「分かった、俺は笠山敬三郎、笠山敬四郎、多賀新之助、鈴村八郎衛門、秋葉市兵衛と本陣に居る。逃げる様なら追えば良い。こちらに向かって来た時は主税、その方は立花道雪、高橋紹運と共に機を見て敵の側面を突け。鉄砲隊とは反対側だぞ。左門には城を押さえさせろ、十兵衛には敵の背後を突かせるのだ。源五郎、その方は俺の側に」

「はっ」

小姓達の頬が紅潮している。興奮するな、落ち着けと注意を与えて後方に下がった。




禎兆四年(1584年)   九月中旬      阿波国三好郡池田村  白地城  真田昌幸




「某も兵を率いて戦いとうございました」

三好孫八郎の言葉に大殿が首を横に振られた。

「駄目だ。無茶をしかねんからな、許す事は出来ぬ」

納得しかねる様な孫八郎を見て大殿が苦笑を浮かべられた。陣幕の中には大殿、俺、三好兄弟、そして小姓達が控えていた。笠山敬三郎、笠山敬四郎、多賀新之助、鈴村八郎衛門、秋葉市兵衛は本陣の裏手で兵を纏めている。


「料簡せよ。この戦が終わったら孫七郎には三好郡で、孫八郎には伊予で領地を与える」

「はっ」

三好孫七郎、孫八郎の兄弟が驚きを表しながら畏まった。


「石高はそれぞれ三万石程になろう。嘗ての十万石に比べれば少ないが三好家は新参、それにその方達には実績が無い。許せよ」

「そのような、……過分な扱い、畏れ入りまする」

「有難うございまする」

二人が感謝の言葉を述べると大殿が頷かれた。


「真田の者にも領地を与えねばな。そなたも徳次郎も何時までも禄では詰まらなかろう」

俺と徳次郎兄にも領地か……。

「そのような事は」

「遠慮するな、その方も親父殿同様海の傍が良いのか?」

大殿がグイっと覗き込んできた。悪戯な笑みを浮かべている。


「出来ますれば」

「真田の者は喰い物に煩いな」

大殿が声を上げて笑われた。その通りだ、敦賀の蟹、伊勢の海老、どちらも美味い。そして喰い物も良いが海の傍の方が発展し易いという利点が有る。伊勢の本家もすぐ傍に大湊、安濃津が有る事で十分に潤っている。天下統一も間近、これからは堅固な土地よりも発展し易い土地を貰うべきだ。良い湊が有る場所か、街道が交わる場所。両方あればもっと良いだろう。


「この戦の後か、或いは九州再征後だな、徳次郎と共に楽しみにしているが良い」

「はっ」

四国と九州で領地を頂くか。徳次郎兄が四国で俺が九州かな。そうなれば兄弟三人が揃う事も難しくなるだろう。母が寂しがるかもしれぬな。


喚声が聞こえる。

「始まったな」

大殿の言葉に皆が頷いた。使番が駆け込んできた。

「申し上げます!」

「何事か」

「敵、城より打って出ました! その数、約一万! 先頭は川を渡りこちらへ向かっております!」

「うむ、御苦労!」

使番が本陣を出ると同時に鉄砲の音が響いた。悲鳴、怒号、喚声……。


「こちらに来たか」

「細川掃部頭、死ぬ気のようで」

大殿が御笑いになった。

「俺の首を獲って勝つ気かもしれぬぞ」

「味方の声は落ち着いております」

「そうだな、源五郎。それに声が近付いてこない」


声が近付いてこない、つまり戦闘は遠くで行われている。敵は押していないという事だ。分かっていた事だが味方が優勢だ。徳川の旧臣達、流石に戦慣れしている。頼りになる。小姓達が感心して俺と大殿の会話を聞いていた。良く覚えておけ、戦場を見ずとも情勢を判断せねばならぬ時も有るのだ。例えば夜襲だ。また鉄砲の音がした。


「二射か、側面を撃たれている以上兵に勢いは有るまい。川から上がれたかな? 声の様子からすると川で戦っているのかもしれぬ」

「左様でございますな。後は主税様がどの時点で敵の側面を突きに出るかでございましょう」

「十兵衛が後ろを突くのを待っていよう。それに合わせる筈だ。或いは左門が城を押さえた時か」

敵は三方から攻撃される。唯一逃げられる方向には鉄砲隊が居る。鉄砲! 三射目だ。


「声が上がっているな」

「はい、勇んでおります」

本陣に聞こえる声は勇んでいる。味方が優勢である証拠だ。一際大きくどよめきが起こった。大殿が大きく頷く! どちらだ? 使番が飛び込んできた!

「申し上げます! 明智十兵衛様が敵の背後を、朽木主税様が側面を突きました! 敵は総崩れにございます!」

もう一度大きく大殿が頷かれた。


「御苦労!」

使番が下がると大殿が起ち上がった。

「源五郎、本陣を前に出そう。士気も一層上がるだろう」

「はっ」

後は細川の残党をわらわらと掃き清めるだけだ。三好、細川の一党は今回の四国騒乱で完全に没落した。四国は大殿の物だ。




禎兆四年(1584年)   十月中旬      阿波国三好郡池田村  白地城  朽木基綱




吉野川の戦いにおいて細川掃部頭真之は討死した。鉄砲で撃たれて死んだ。子共の細川六郎隆之、細川七郎允之も死んだ。阿波守護の細川家は滅んだ。掃部頭と行動を共にしていた日和佐肥前守祐安、権頭祐雅親子も討死した。逃げても居城の日和佐城は長宗我部によって押さえられている。戦う事よりも死ぬ事が目的だったかもしれない。


戦場を逃れた者も居る。多田筑後守元次、与四郎元平親子、伊沢藤四郎頼俊、小笠原長門守成助、新開遠江守実綱、福良出羽守連経、一族の福良佐渡守吉武。だがいずれも死んだ。多田筑後守元次、与四郎元平親子は落ち武者狩りに遭って死んだ。首を持参した百姓には銭を渡した。喜んでいたな。多分剥ぎ取った鎧や太刀は売るのだろう。臨時の収入という事だ。戦国時代は百姓も気が荒いわ。


伊沢藤四郎頼俊は前途を悲観して腹を切った。首を誰にも渡すな、隠せと一緒に居た家臣に言ったらしいが家臣はその首を手土産に出頭してきた。そして隠したのでは弔えなくなる。主の首を弔わせて欲しいと言ってきた。もしかすると一緒に逃げるのが嫌になって殺したのかもしれない。


或いは無理矢理腹を切らせたか。まあどっちでも良い、大事なのは伊沢藤四郎頼俊が死んだと確認出来た事だ。上機嫌で許してやった。小笠原長門守成助、新開遠江守実綱、福良出羽守連経、佐渡守吉武はそれぞれ潜伏しているところを捜し出されて首を刎ねられた。


後は四国の仕置きだ。長宗我部と一条には加増しなくてはならん。今回は良く働いてくれたからな。それと四国に朽木の人間を入れなければ……。徳川の旧臣は良く働いてくれた。これまではどうも違和感が有って積極的に使えなかったが吉野川の戦いでその違和感も消えた。これからは十二分に使って登用して行こう。











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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白くて、一気に読んでしまいます~♪ [気になる点] 四国の窪川興津が郷里ですので、ふと気になりましたのが、米の刈り入れがお盆に済ませていた事です。 子供の頃、お婆ちゃんの家から海水浴に…
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