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四国侵攻




禎兆四年(1584年)   七月上旬      淡路国津名郡由良浦  由良城  朽木基綱




由良浦では安宅甚太郎信康、甚五郎清康が朽木軍を出迎えてくれた。

「安宅甚太郎信康にございまする。相国様には来援忝く、心より御礼申し上げまする」

片膝を着いた甚太郎が深々と頭を下げた。

「うむ、出迎え大義だな」

「はっ、後ろに控えまするは弟の甚五郎清康にございまする」

紹介された甚五郎が深々と頭を下げた。安宅甚太郎、甚五郎の兄弟は安宅水軍の長とは思えない程に色白で整った顔立ちをしていた。


「四国の事、色々と聞きたい。先ずは由良城へ案内してくれるか。軍議を開きたい」

二人がもう一度頭を下げてから立ち上がり先導してくれた。上背も結構有るのが分かった。美丈夫と言って良い兄弟だ。


「甚太郎、あれは成ヶ島だな?」

「はい、……何か?」

「いや、何でもない」

甚太郎は妙な顔をしたが直ぐに前を向いて歩き出した。その後を甚五郎、俺が続き、その後を主税、左門、源五郎、宮内少輔、曽衣、重蔵等の朽木の軍首脳が続く。


現代では由良城と言えばこれから案内してくれる城の事を指さない。この後に成ヶ島で造られる城の事を言う。そしてこれから案内される城は由良古城と呼ばれている。観光旅行で行った時にガイドさんが教えてくれた。現代ではどちらも城なんて無い。だが今は由良古城が存在し由良城は存在しない。不思議な気分だ。


由良は淡路島の南東に有る。紀淡海峡、つまり紀伊半島と淡路島の間の海峡を押さえるには絶好の場所に有ると言える。この淡路島は紀淡海峡だけじゃない、北は明石海峡、西南は鳴門海峡とも接している。要するに和泉灘、これは大阪湾の事だがここから海を使おうとすると嫌でも淡路島の目の前を通る事になる。逆も同じで和泉灘を目指す船、つまり畿内を目指す船はどうしても淡路島の目の前を通る。


この時代の物流は陸路よりも海、川を使った船の方が容易で便利だ。畿内から見て西の大動脈が瀬戸内なら東の大動脈は琵琶湖と淀川水系だろう。それらの事を考えて行くと淡路島の戦略的重要性、この小さな島が一つの国として扱われてきた理由が見えてくる。物流の面から言えばこの島は中継基地であり集積所でもあるのだ。


言わば中世のハブだ。となれば運送会社である水軍が栄えたのも道理と言える。古代人にとってもこの島は無視出来ない重要な存在だったのだろう。国生みの神話でも最初に造られるのが淡路島だ。現代でも由良には海上自衛隊の仮屋磁気測定所がある。磁気測定所は掃海隊群のための施設だ。掃海艦の消磁を行う。ここで消磁を行ってから目指す海域で作戦行動に入るのだろう。海上交通の要所である事は今でも変わらない。


そして軍事的には畿内攻略への最前線拠点であると共に四国攻略の最前線拠点でもある。いざとなれば畿内への物流も止める事が出来る島なのだ。古代から中世にかけて人々がこの淡路島を重視したのは当然だ。そして当然だが三好長慶も重視した。長慶は弟の冬康を安宅氏に養子に送り込んで淡路を掌握する事に成功した。


四国をバックに畿内へ進出するには淡路島と水軍を押さえる事は必要不可欠だったのだ。三好一族にとって淡路島は畿内への橋だった。今、三好一族は四国を失い滅亡に瀕している。その一族が残っているのが淡路島だ。それを思うと淡路島には退避地としての役割も有るのだろう。十分な水軍さえ有ればこの島を守るのは決して難しくない。但し、周囲に味方が居ないとなれば圧迫感は有るだろう。


……欲しいな、この島。朽木の直轄領にしたいと思う。畿内に政権を造るなら淡路島は欲しい。代官所を造り船の出入りを監視させる。……止めておこう、何でも欲しがるのは良くない。安宅家は今回朽木に下った。そして四国は朽木の物になる、それで十分だと思おう。


軍議の場では改めて四国の状況を安宅兄弟に確認した。どうやらこちらが攻めてきた事で細川勢は揺らいでいるらしい。掃部頭は一向門徒を片付けた事で俺との関係は改善すると周囲に言っていたようだ。阿波、讃岐は細川氏の領国になるとも言っていたらしい。俺は何の約束もしていないぞ。後で嘘吐きとか騒ぐなよ。


まあ歴史的に見れば掃部頭の細川家は阿波讃岐細川家と呼ばれて阿波、讃岐の守護であった家だ。領国として貰ってもおかしくはないと掃部頭は思ったのだろう。当然掃部頭の周囲もそう思った。だが俺が兵を起こした事で様子が変わった。細川勢の中には強固な親細川派もいるが三好阿波守に愛想を尽かして掃部頭に付いた者もいる。


そういう人間が密かに甚太郎に寝返りの打診をしているらしい。讃岐では雨滝城の安富筑前守盛定、由佐城の由佐平右衛門秀武、虎丸城の寒川丹後守元隣、阿波では矢上城の矢野伯耆守虎村、七条城主の七条孫次郎兼仲、伊予では金子城の金子備後守元宅、高峠城の石川刑部勝重、船形横山城の近藤長門守尚盛等だ。


今回は四国に調略を掛けなかった。潰せるものは潰したかったからだ。四国は島だ、如何しても中央からの統制は甘くなる。土着の国人衆は少ない方が良い、そう思ったのだ。だが甘かったかな? 積極的に寝返らせた方が良かったか。気が付けば何時の間にか安宅甚太郎が纏め役になっている。三好のブランド名は思ったよりも強いのだと思った。


「細川掃部頭は白地城(はくちじょう)に居ると聞いたが?」

「はっ」

問い掛けると甚太郎が頷いた。白地城は四国では要衝中の要衝の地だ。西の境目峠を越えると伊予に出る。その傍に有る曼陀峠を使えば伊予、讃岐の両方に出られるだろう。北の猪ノ鼻峠を越えると讃岐だ。吉野川を東に降れば徳島平野、南に(さかのぼ)れば土佐に出る。四国制圧のために有る様な城だ。確か史実では長宗我部元親もこの城を重要視した筈だ。


「兵は如何程か?」

「二万程が白地城におります」

「多いな」

俺の言葉に皆が頷いた。讃岐、伊予、阿波の三国で七十万石を少し越えるだろう。白地城だけで二万? 掃部頭はかなり無理をして集めている。早めに終わらせないと秋の取り入れにも影響するな。


兵は集めた様だが無駄だろう。朽木軍は畿内から五万が讃岐に、中国方面からは十兵衛率いる三万が伊予に攻め込む。この三万には龍造寺、大友の軍勢も入っている。龍造寺は鍋島の二千、大友は田原紹忍が二千だ。龍造寺が出兵を決めると大友も直ぐに兵を出した。鍋島は生き残るためだろう。大友は俺への忠誠じゃない、龍造寺への対抗心からだな。


そして土佐からは長宗我部が東阿波に、一条が西阿波にそれぞれ三千の兵で攻め込む。長宗我部と一条には無理をするなと言ってある。多少兵を引き付けてくれれば良いのだ。そして守りの薄い城を攻め落としてくれれば良い。掃部頭が勝てる可能性は無い。長宗我部と一条を打ち破っても俺と十兵衛の兵に圧し潰されるだけだ。四国は島だ、逃げ場は無い。


「国人衆にも出来るだけ白地城に集まれと命じております」

信用していないのだ。国人衆が裏切るのではないかと掃部頭は恐れている。親細川では無く反三好から自分に付いた者も居ると理解している。その事を言うと皆が頷いた。

「掃部頭、誤りましたな」

源五郎が言い終えてうっすらと笑みを浮かべた。


「まあそうだな。攻めに出るなら白地城は申し分ない城だ。だが今の掃部頭は攻めに出られまい。白地城に居ては周囲から包囲されるだけだ。逃げ出す者が続出するぞ。いずれは掃部頭自身が耐えられずに逃げ出す」

「攻めに出る事は有りませぬか?」

曽衣が問い掛けてきた。やはり公家なのかな、この辺りは鈍い。


「自ら城を出れば城に残った者が朽木勢を引き入れかねないと不安になるだろう。自らは城に残り、迎撃に信用出来ない国人衆を出せるか? 寝返りを恐れるだろうな。信用出来る者を外に出せば当然だが城中には信用出来ない者が残る。首を獲られかねんぞ。そんな怖い事が出来るか? 無理だな」

俺の答えに曽衣が頷いた。


人数を集めれば良いというものじゃない。統率の取れない烏合の衆では意味が無い。特に籠城戦ではそれが顕著に出る。……籠城か、待てよ。

「白地城の兵糧はどうなっている?」

問い掛けたが甚太郎も甚五郎も答えられない。兵糧に不安があるなら籠城は無い。十分に有るのか? 分からん、長宗我部と一条にもう一度使者を出そう。特に危ないのは一条だ。


兵糧が有るのなら、外に出られないなら要害の地に籠るべきだった。勝瑞城とその支城を使って籠城戦の方がまだましだろう。だが掃部頭は白地城を選んだ。逃げるなよ、逃げれば惨めな最後になりかねない。この世界では起きていないが武田勝頼の様になるぞ。皆に逃げられ最後は僅かな供回りと共に死ぬ事に成る。最上の選択肢は籠城の後で直ぐに降伏する事だ、裏切られる前にな。本人は許す事は出来ないから切腹だ。だが子供には細川の名跡を取らせる事は出来るだろう。




禎兆四年(1584年)   七月上旬      土佐国長岡郡八幡村  岡豊城  長宗我部綱親




「叔父上、先ずは海部城だな」

出陣式を控えた一時、問い掛けると叔父、香宗我部安芸守が“はっ”と畏まった。

「その後は吉田城を」

「うむ」

「殿、城を守る兵は少ないようですが油断は出来ませぬぞ」

有難い事だ。叔父は若い私を“殿”と呼んで盛り立ててくれる。


「楽に落とせる城ではない事は分かっている。海部城と吉田城が協力する可能性も有る。油断はするまい」

叔父が満足そうに頷いた。周囲の者も頷いている。

「その後は日和佐城から勝瑞城へ」

「うむ」

日和佐城は日和佐肥前守の城だ。日和佐肥前守は細川掃部頭の信頼厚い男。この城は何としても落とさなければならぬ。


「しかし悔しいな、出来れば白地城へ向かいたかった」

叔父が頬に笑みを浮かべた。

「そちらは一条に任せましょう。我らは海岸沿いに阿波を北上する。敵の逃げ場を奪うというのも大事な事ですぞ」

「うむ、そうだな」


朽木軍は相国様が淡路から讃岐へと攻め込む。そして中国方面から明智軍が伊予に、西土佐からは一条が攻め込む。白地城は北、西、南の三方から攻め込まれるのだ。細川掃部頭が逃げられる場所は東しかない。吉野川を下って勝端城へ籠るしかないのだ。その逃げ道を断つ。


「間に合うかな? 叔父上」

叔父が首を横に振った。

「分かりませぬな。掃部頭の逃げるのが早い様だと我らが勝瑞城に辿り着く前に逃げ込んでいるという事も有り得ましょう」

「そうだな」

愚かな事を言った。当たり前の事を問うなど……。叔父上だから答えてくれたが気難しい家臣なら無視しただろう。実際家臣の中には唇を曲げている者も居る。


気張らねばならぬ。此度(こたび)の戦で長宗我部家は良くやっていると相国様に言われるだけの働きを見せねばならぬのだ。長宗我部家は永らく相国様を煩わせる存在でしかなかった。滅ぼされてもおかしくは無かったが父の隠居でなんとか家を保つ事は出来た。


今では父も相国様の相談役として御役に立っている。それもこれも長宗我部の家を保つ為だ。その事を忘れてはならぬ。そして家臣達に私の力量を認めさせなければならぬ、当主としての私を。おそらくは一条家も同様だろう。右京大夫殿も気負っている筈だ。


女達が膳を運んできた。膳には昆布、勝栗、打ち鮑、そして大中小のかわらけが乗っている。式三献が終われば出陣だ。身体が引き締まった。




禎兆四年(1584年)   七月中旬      讃岐国大内郡与田山村  虎丸城  朽木基綱




引田湊に上陸した後、与田山村に向かった。与田山村の虎丸城では寒川丹後守が出迎えてくれた。寒川氏は大内、寒川の二郡を中心に東讃岐で力を振るっている一族だ。引田湊にも引田城という寒川氏の城がある。居城の虎丸城は結構大きな城だ。寒川氏の威勢が分かる。奇妙な名前だが寅年に築城されたから虎丸城と呼ぶらしい。築城が翌年にずれ込んでいたら兎丸城か? あっという間に落ちそうだな。


「寒川丹後守にございまする」

寒川丹後守は実直そうな男だった。

「城に御寄りになりますか?」

「いや、先を急ぐ。六車城までの案内を頼みたい」

丹後守が頷いた。六車城は安富筑前守の家臣が城将として押さえている城だ。虎丸城からは二里半程離れている。


「安富筑前守殿は相国様の御味方に付くと言っているそうですが」

「うむ、そうだが」

「……」

「何か有るのかな?」

言い辛そうにしている。“遠慮は要らぬ”と言うと話し始めた。


「安富筑前守殿には油断なされませぬように」

「と言うと?」

「三好阿波守の非道は細川掃部頭が唆した所為では有りますがそれには筑前守殿も関わっております」

「……」


「嘘では有りませぬ、阿波守を唆して我が領地を狙ったのですから。それに安富家は元々は細川四天王と言われた家でございます」

俺が黙っていると信じていないと思ったのだろう。更に言い募った。

「分かった、良く教えてくれたな、気を付けよう。但しこの事、他言は無用にな」

「はっ」

丹後守が頭を下げた。忠告には素直に感謝しよう。そうじゃないと次から忠告してくれなくなる。


「案ずるな、丹後守。俺の下ではそのような事は許さぬ。俺が寒川家を粗略に扱う事は無い」

「はっ」

安心した様な、満足そうな表情だ。頼りになると思ってくれたかな? そうなら良いんだが。


安富筑前守が寒川丹後守の領地を狙った。有り得ない事じゃないな。それに丹後守は最初話すのを躊躇っていた。筑前守を誣告するようで気が進まなかったのだろう。余程に思い余って言ったのだ。安富氏については宮内少輔と曽衣から聞いている。安富氏は嘗ては細川四天王と言われ東讃守護代を世襲していたが西讃守護代を務めた香川氏に比べれば力が弱かったらしい。守護代としての実権は殆ど無かった様だ。


その理由の一つが東讃の国人である寒川氏の存在だった。寒川氏が大きな勢力を持っている事も有るが安富氏の所領の一部は寒川氏から分譲されたものらしい。その所為で寒川、安富の間では紛争が絶えなかった。これでは東讃を纏める事は到底出来ない。安富氏にとって寒川氏は目障りな存在以外の何物でもなかった。安富筑前守の暗躍は十分有り得るし寒川丹後守の安富筑前守への警戒も十分に根拠が有る。


安富筑前守は結構世渡りが上手いらしい。筑前守の正妻は三好家の重臣、篠原長房の娘だ。三好家に食い込もうとしたのだろう。そして寒川氏を蹴落とそうとした。だが上手く行かなかった。長房は筑前守の唆しには乗らなかったのだろうな。だから掃部頭と一緒になって阿波守を唆した。そんなところの筈だ。寒川氏にとって幸いだったのは阿波守が早々にこの世から退場した事だろう。


いずれ領地争いの訴訟が持ち込まれるかもしれない。面倒だな、領地争いの裁定って面倒なんだよ。不利な裁定を受け入れるのは難しいしこっちまで恨まれかねない。一番良いのは安富、寒川を切り離す事だ。どちらかを移動させる。移動させるのなら安富だな。左遷と思われないように旨味の有る土地を用意しなければならん。面倒な話だ……。







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