表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
196/267

養女




禎兆四年(1584年)   四月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




大紋を纏った若い武士に烏帽子を付けた。顎の所で紐を結ぶ。

「凛々しいぞ、龍王丸」

声をかけると少し恥ずかしそうな表情を見せた。良いなあ、初々しいわ。控えていた日置又八郎に声をかけると又八郎が紙を取り出し掲げた。座がざわめく。紙には“氏幸”と記してある。


「龍王丸、本日から五郎氏幸と名乗るが良い。今川氏の嫡男は五郎を名乗ると聞いている。今川五郎氏幸、そなたの力で今川氏に幸をもたらすが良い」

「有難うございまする。名を(けが)さぬよう懸命に努めまする」

「うむ。ま、余り肩に力を入れるなよ」

「はい」

彼方此方から笑い声が上がった。結構背は大きい、色は白いが五郎は偉丈夫になるかもしれない。そう言えば熱心に新当流を学んでいると聞いた。将来が楽しみでは有る。


「春殿、目出度いな。立派な若者が誕生した」

「有難うございまする、相国様。なんと御礼を申し上げれば良いか……」

春姫が目元を押さえた。嬉しいのだろうな、ようやく息子が元服したのだから。今川家は男子が幼いのだ。春姫は四十半ば、息子は嫡男の五郎氏幸が十五歳、その下の芳菊丸、竹王丸は未だ十歳にならない。弟二人は無邪気に兄を見て喜んでいる。


「大殿、有難うございまする」

夕姫がやはり目に涙を浮かべながら礼を言った。その傍で嶺松院、園姫が頭を下げている。苦労してるよな、女達が身体を張って何とか今川家を再興させようとしているんだ。まあ園は失敗したけど。後は夕姫が俺の子を産めば、皆そう思っているだろう。頑張らないと……。


「五郎には俺の小姓として仕えて貰う。良く学ぶが良い」

「はい」

「明日からでよいぞ、今日は家族とゆっくり過ごせ。明日からは遠くに行く事も有るからな」

「はい、お気遣い有難うございます」

屈託無く答えた。今川家は一度滅んだのだがそういう暗さは感じさせない若者だ。育ちが良いのかな。


部屋に戻ると直ぐに小夜がやってきた。

「如何でございました?」

「うむ、皆喜んでいた」

小夜が顔を綻ばせた。

「それは宜しゅうございました」

「そうだな」

単純には喜べない。五郎は未だ十五歳、これからどうなるかは未知数だ……。


「ところで北条家の駒姫の事ですが……」

「そうだな、決めねばならんな」

駒姫は北条氏政と武田信玄の娘との間に生まれた娘だ。今年十五歳、北条と武田の血を引いている以上いい加減な所にはやれない。


「如何なさいます?」

「悩ましい所だ」

九州遠征前に小夜に駒姫の嫁ぎ先を幾つか選んでくれと頼んだ。小夜が選んだのは三家。公家からは正五位上右中弁葉室頼宣、武家からは日置又八郎雅昭、それと朽木次郎右衛門佐綱。


次郎右衛門は俺の息子だ。そして又八郎は二代目白ゲジゲジ日置左門の孫、初代白ゲジゲジ五郎衛門の曾孫に当たる。日置家は朽木家では宮川家と並んで譜代重臣の筆頭格の家だ。徳川で言えば酒井、本多、大久保みたいなものと言える。そして又八郎も父親には似ず見事なゲジゲジ眉毛で将来性豊かな若者だ。いずれは三代目白ゲジゲジを襲名する事になるだろう。娘を嫁にと思っている家は多い筈だ。


「次郎右衛門になさいますか?」

次郎右衛門も嫁を迎えてもおかしくは無い年齢だ。次郎右衛門は美男子だし性格も明るい、そのため若い娘に人気が有るらしい。小夜は息子に悪い虫が付くのではないかと不安の様だ。羨ましいよな、俺なんかそんな心配はされた事が無い。駒姫は明るい性格の娘で器量も悪くない、小夜は似合いの組み合わせだと見ている。


「小夜、出来ればな、次郎右衛門には毛利辺りから嫁をと考えている」

「まあ」

小夜が目を丸くした。驚くだろうな、そんな事を相談した事は無かったのだから。だが小夜が次郎右衛門を駒姫の婿にと考えた事で俺も少し考えた。出来れば朽木の天下の為に役立てたいと。


「当主の右馬頭には子が無い、叔父の吉川、小早川にも適当な娘はいない。だが亡き陸奥守元就殿は子沢山でな、吉川、小早川の他にも陸奥守殿の血を引く男子は居る。その者達が娘を(もう)けていれば右馬頭の養女として次郎右衛門の嫁にと思っているのだ」

小夜が頷いた。小夜自身六角家の養女として朽木に嫁いだ。俺は小夜を娶る事で六角家では別格の扱いを受けたし六角家は朽木家を味方に付ける事が出来た。養女を使っての婚姻は馬鹿には出来ない。


「次郎右衛門が駄目ならば葉室右中弁様か、日置又八郎になります。家柄で言えば葉室右中弁様でございますね」

「そうだな」

小夜の言う家柄には二つの意味が有る。一つは宮中での位階、そしてもう一つは朽木家との関わりだ。そのどちらも葉室家は問題が無い。


葉室家と朽木家は縁戚関係にあるのだ。御爺が葉室家から嫁を娶っている。つまり俺の祖母は葉室家の女性だ。葉室右中弁は御爺と祖母にとっては甥、おれの父親からみれば従兄弟に当たる。そして葉室家は或る事情から朽木家との縁を強化したいと考えている。小夜が選んだというよりも向こうが新たに縁を結びたいと申し入れてきたというのが正しい。


葉室家は先々代権中納言葉室頼房が御爺の義理の弟だった。頼房の後は息子の定藤が継いだのだが定藤は四年前に死に跡を継いだのは養子となっていた弟の頼宜だった。葉室頼房の晩年の子で歳は十五歳、父親の頼房も死んでいるから葉室家は極めて不安定な状況になっている。


この状況を憂いだのが権中納言山科言経だ。言経の母親は頼房の姉、つまり言経と頼宜は従兄弟という事になる。若い頼宜を後見しているのだがそろそろ嫁をという段階になって俺と縁を結ばせようという事になったようだ。この辺で朽木と縁を結んでおけば将来は安泰という事だろう。


いずれは自分の息子にも朽木から娘を、そんな事を考えている筈だ。葉室家に嫁ぐのなら駒姫は俺の養女として嫁ぐ事になるだろう。北条からは駒姫の叔母、桂姫が俺の側室になり男子を産んでいる。養女にしても不自然ではないし葉室家でも山科家でも文句は言わない筈だ。


「宮中に味方が出来るのは大きい。飛鳥井の縁では無く朽木の縁という意味でもな」

小夜が頷いた。近衛との婚姻を決め相国となった今、朽木家と縁を結びたがっている公家は数多く有る。だが俺の娘は幼い、養女を使ってネットワークを作っていくしかない。その事は良いのだが問題が有る。


「となりますと身代が……」

小夜が遠慮がちに訊いて来た。そうなんだ、問題は身代なんだ。葉室家の家禄は二百石程でしかない。まあ家格は名家だからな、仕方が無いんだ。だがなあ……。一方の日置家は越前で五万石からスタートしたが、その後も加増を受けて都合八万石を領している。余りにも差が有り過ぎるわ。せめて飛鳥井並みに九百石程有れば……。


だが北条、今川、武田の三家は戦国でも大名として大を成した家だ。今は没落したとはいえ朽木の家臣の家に娘を嫁がせる事に抵抗が無いとは思えない。その事を口にすると小夜も渋い表情で頷いた。

「そうですね、いずれは無くなりましょうが……」

「うむ、いずれは無くなる。だが今は……」

「はい、駒姫を次郎右衛門の嫁にと考えたのもその辺りを考えたのです。次郎右衛門なら……」

「そうだな」


日置家では家格が合わない、葉室家では身代が不足……。それで次郎右衛門か……。

「済まぬなあ、心労を掛ける」

「いいえ、そのような事は……。戦に比べれば何程の事でも……」

小夜が首を横に振った。そんな事は無い、これも嫁獲り、婿獲りという戦だ。だから次郎右衛門には駒姫では無く毛利から嫁を獲ろうと考えているのだ。


「葉室に嫁がせよう。葉室の家禄を五百石まで増やす。その上で駒姫には五百石の化粧料を持たせよう。合わせて千石だ。五摂家に次ぐ家禄だな」

小夜が頷いた。葉室家は順調に進めば権中納言から権大納言にまでは進む筈だ。今川家の寿桂尼は中御門家だった。中御門家も似た様な物だ。不満には思わないだろう。


駒姫は大事にして貰える筈だ。駒姫亡き後は多少家禄を増やして七百石程にすれば十分だろう。葉室家は公家社会でも身代はかなり上位になる。そういう形で勧めれば養女を使った公家への結婚攻勢も拒否される事は無い。北条家には未だ氏照の娘美弥姫、氏規の娘真理姫、氏直の娘龍姫が居るのだ。それに足利義氏の娘氏姫も居る。……織田家にも居たな。


「次郎右衛門の嫁の件、毛利に打診してみるつもりだ。評定にかけるが異存は無いな?」

「はい、有りませぬ」

「葉室右中弁には俺の方から話す。それと鶴の婚儀の件も進めなくてはならん」

「亀千代の元服の件もでございます」

「そうだな」

四国の件も有る、戦は無いんだが忙しさは変わらんな。




禎兆四年(1584年)   五月下旬      山城国久世郡 槇島村  槇島城  朽木基綱




「驚きました、まさか琉球が来聘(らいへい)するとは」

「兵庫頭も驚いたか、俺も驚いた」

俺の言葉に兵庫頭が“左様で”と言った。余り信じていない表情だな。だが本当だぞ、本当に驚いた。こんな事も有るんだと不思議に思ったわ。俺自身は兵を使う事になると思っていたんだ。


五月の頭に琉球に出していた船が戻ってきた。琉球には日本に服属した方が良いぞ、戦争は避けようと書状を送ったのだが琉球側はかなり深刻に受け取ったらしい。来年の春に来聘すると言ってきた。服属ではない、御機嫌伺だ。だが悪くない、琉球はこちらをかなり恐れている。


やはり島津を潰した事が大きいようだ。これまで何かと琉球に圧力を加えてきた島津が俺に潰された事は琉球を酷く驚かせたらしい。俺の持つ武力を軽視する事は危険だと判断したようだ。それに朽木は坊津を押さえた。これによって琉球は九州~琉球の交易ルート、畿内~琉球の交易ルートを俺に押さえられた。武力、交易、俺を怒らせる事は出来ないと琉球は判断した。


対馬の宗氏も関係しているようだ。琉球では俺が宗氏に厳しく接したと認識されているらしい。琉球と対馬の間は物が流れているからな、物が流れれば情報も流れる。朽木は足利とは違う、甘く見ていると痛い目に遭うと対馬の宗氏は判断した。その情報が琉球に流れたという事の様だ。恐れられるのは不愉快だが舐められるよりはましだと思おう。


「大殿が太政大臣に就任して直ぐの事でございます。朝廷では大殿の御威光によるものだとの声が上がっているとか」

「有り難い話だな」

「それだけに難しゅうございます」

兵庫頭がじっとこちらを見た。難しいと来たか。


「俺を危険視する人間が居るのだな?」

「表立ってでは有りませぬが……」

「厄介だな」

俺の言葉に兵庫頭が“真に”と言って頷いた。朝廷の一部に俺の勢威が強まる事を望まない勢力が有るのだ。多分九条関白を始めとする一部の人間だろう。何のために? 決まっている、簒奪が理由だ。或いは帝が霞んでしまうと思っているのかもしれない。


「来年の来聘だがな」

「はっ」

「進物は俺では無く朝廷への進物という形にする」

「良き御思案かと」

「そして院、帝に謁見して頂く」

「……」

兵庫頭が難しそうな表情をした。院、帝が外国の使者に会う。何時以来だろう? 平清盛以来かな?


「進物を受け取るのだ、当然の事であろう」

「はっ」

「その際、何らかのお言葉を頂かねばならん」

又難しい顔をした。あれは嫌、これも嫌じゃ困るんだ。朽木の天下では朽木は天下の執権で帝は象徴、対外的には日本の顔なのだ。当然仕事をして貰う。こいつは俺から太閤に言った方が良いかもしれん。その上で帝に俺自身が御願いする……。竹田宮にも援軍を頼もうか。


「日本と琉球の関係を如何するかは俺の方でやる。決まったら奏上という形で御許しを得る事になるだろう。まあ事前に関白達に説明はする事になるな」

この辺りのルールも決めないといけない。年内に決めて最初の運用が琉球案件になる筈だ。




禎兆四年(1584年)   五月下旬      山城国久世郡 槇島村  槇島城  伊勢貞良




「こうなりますと四国の件、早急に片付けませぬと」

問い掛けると大殿が頷かれた

「そうだな、万に一つも土佐に影響が出ては拙い。今五月の末だ、七月には兵を出そうと思っている。それに三好孫七郎、孫八郎の気持ちを考えるとな、何時までも掃部頭の好きにさせるわけには行かぬ」


四国では讃岐の十河民部大輔存保が死んだ。三好一族の主だった者で残っているのは淡路の安宅甚太郎信康ぐらいのものだ。細川掃部頭、なかなかの武略だが淡路を攻めるのは難しかろう。淡路を攻めるには安宅水軍を打ち破れるだけの水軍力が要る。とはいえ甚太郎にとっては掃部頭の存在は脅威だろう。


「淡路の安宅甚太郎から使者が来たと聞いておりますが?」

大殿が“うむ”と頷かれた。

「助けてくれと言ってきた。以後は朽木の傘下に入るとな。淡路一国では讃岐、阿波、伊予を制した掃部頭に対抗は出来ぬ。安宅甚太郎、三好阿波守よりは目が見えるようだ」

「左様ですな」

七月なら年内に四国は平定するだろう。四国が安定すれば畿内での大殿の御立場は今以上に強まる事になる。特に三好が居なくなるのは大きい。


「その後は九州再征だ」

「はっ」

「琉球が此方に付けば琉球から明へ、明から朝鮮への働きかけが出来る。朝鮮と対馬、朝鮮と日本の関係を整理するつもりだ」

「なんと! そのような事を御考えで」

驚いていると大殿が“うむ”と頷かれた。

「今のままでは対馬の帰属が曖昧になりかねんからな」

大殿は宗氏が朝鮮に臣従した事を重く見ている。


「交渉が上手く行かなければ朝鮮に対し兵を使うという事も有り得よう。その時に大友や龍造寺に配慮していたのでは思い切った事が出来ぬ、邪魔だ」

「確かに、しかし朝鮮への出兵でございますか?」

真に朝鮮への出兵を考えておいでなのか……。途方もない事だが……。


「武力はあくまで交渉を有利にするための手立てだ、朝鮮の征服などは考えておらん。水軍による襲撃が主になるだろう」

「……つまり倭寇という事でございますか?」

大殿が笑い出した。倭寇は例えが酷かっただろうか。だが大殿は笑っている。


「そういう事だな。まあ琉球が何処までこちらに寄って来るかにもよるな。朝鮮問題は明を無視して進めては上手く行かぬと思う」

「……なるほど、明……」

大殿の眼は国内に納まらず海の外に向かっている。琉球、朝鮮、明か……。いや、南蛮も有るな。


「こちらが朝鮮を攻めれば朝鮮は明に助けを求める。だからな、琉球から明に日本の意図を伝えさせるのだ。朝鮮に礼に欠ける所が有ったために咎めているのであり朝鮮を征服するつもりも明と戦う意思も無いと。明からも朝鮮に礼に欠けたところを改めるようにと命じて欲しいと。そうすれば戦も終わると」

「なるほど、明から朝鮮に命じさせると」

「そういう事だ」

大殿が笑みを浮かべられた。


「ま、そのためには天下の統一が必要だ。国内を纏められずに外への出兵など有り得ぬからな」

「左様ですな」

「四国を押さえ琉球を服属させる。その上で九州の再征。その後は大樹の関東経略を手伝い奥州を服属させる。対馬、朝鮮の問題はその後だ。まあ最低でも五年は掛かるだろうな。先の長い話だ」

大殿が声を上げて笑ったが私は笑う事が出来なかった。その日が本当に来るのだろうか……。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ