対馬宗氏
禎兆三年(1583年) 十一月上旬 豊前国企救郡 門司村 宗義調
「宗讃岐守殿、彦三郎殿、御前へ」
「はっ」
本陣に入ると片膝を着いた。
「初めて御意を得まする、対馬を治めまする宗讃岐守義調にございまする。後ろに控えまするは倅、彦三郎昭景にございまする」
上座で床几に座っている男が頷いた。これと言って特徴の無い男だ。前内大臣、朽木基綱か。南蛮鎧を愛用していると聞くが確かに身に着けている。左右にはそれぞれ十人程の武将が床几に座って居た。身形の見事さから見てそれなりの身代の者だろう。
「此度の九州制圧、真におめでとうございまする。遅くなりましたが我ら宗家を前内府様の家臣の端にお加え頂きたく罷り越しましてございまする」
「うむ、宗家の服属、並びに対馬一国の領有を認める」
「はっ、有難き幸せ」
儂が頭を下げると彦三郎も頭を下げた。ホッとした、交易に熱心な御方だ。或いは対馬に何らかの要求が有るかと思ったが……。まあ相手は東海から九州まで支配する御方だ。対馬など如何でも良いか。
「新九郎、二人に床几を」
はて、一体……。そう思っていると前内府様が儂を見て“少し話が有る”と仰られた。やれやれ、安心するのは早かったか、簡単にはいかぬらしい。若い小姓が床几を持ってきた。二つの床几が並べられた。彦三郎と共に床几に座る、歳をとると片膝を着いた礼は疲れる。正直有難かったが不安も有った。一体何を……。彦三郎も不安そうな表情をしている。
「朝鮮の事を聞きたい」
「はっ」
「朝鮮は宗氏に従属していると聞くが真か?」
隣りにいる彦三郎の身体が強張った。
「……朝鮮から年毎の貢物として米一万俵が対馬に届けられまする」
「ほう、一万俵か、大したものだ。そうではないか、皆」
「……」
前内府様が左右を見て上機嫌で御笑いになった。左右の者達からも笑い声が上がった。
「讃岐守、朽木に仕えたいと言ったな?」
「はっ」
「ならば嘘を吐くのは止せ。嘘を吐かれて喜ぶ主君は居らぬ」
「……」
シンとした。もう誰も笑っていない。厳しい眼でこちらをじっと見ている。そんな中で前内府様だけが口元に笑みを浮かべていた。
「讃岐守、今一度問う。確と答えよ。朝鮮は対馬に服属しているのか? 世評ではそのように言われているが」
「……そのような事実はございませぬ」
「米一万俵は如何か?」
「……朝鮮からは百俵の米が届きまする」
ざわめきが起こった。彦三郎が“養父上”と声を漏らしたが無視した。已むを得ぬ、相手はこちらの内情を知っているとしか思えぬ。その上で儂を試している。知られた以上嘘を吐く事に意味は無い、いやむしろ危険だ。
「なるほどな、では米百俵だがそれは何の米だ? 貢物では無いな、余りにも少なすぎる」
「……倭寇防止のために下賜される歳賜米にございまする」
“歳賜米”という声が上がった。皆が顔を見合わせている。
「つまり宗氏は朝鮮に臣従しているという事か?」
「……」
「讃岐守、答えよ」
厳しい声では無かった。だがはぐらかす事は出来ぬ。
「はっ、その通りにございまする。なれど……」
言葉を続けようとしたが前内府様が手を上げて“止めよ”と言った。
「分かっている。対馬は山国なれば米は取れん。海に出て朝鮮との交易によって生計を立てるしかない。そうであろう?」
「御意」
相手はこちらの事を良く理解しているようだ。一方的に責められる事は無いだろう。だがどんな条件を押付けられるか……。
「朝鮮は倭寇を怖れその方等を使って倭寇を抑えようとしている。そしてその方等はそれを利用して朝鮮との交易を行っている。そうだな?」
「御意」
「だが朝鮮は交易を厳しく制限しその方等にとっては必ずしも満足出来るものではない。違うか?」
「いえ、左様にございまする」
前内府様が頷かれた。少しずつ丸裸にされていくような気がした。
「讃岐守、朝鮮との交易ではどのようなものを扱っているのだ?」
「はっ、こちらからは銅、硫黄、石鹸、昆布、それに琉球を通して得た蘇木、胡椒等を売り朝鮮からは書物、綿布を得ております。最近では日本でも綿が畿内、東海を中心に大分作られるようになりましたので綿布を扱う量は減っておりまする。代わりに朝鮮が明から得た絹、生糸が徐々に増えております」
「なるほどな」
前内府様が二度、三度と頷かれた。
以前は綿布を国内で得る事が出来なかった。その為朝鮮からの綿布は飛ぶ様に売れ需要も増えた。朝鮮は綿布が朝鮮国内から無くなってしまうと怖れ売るのを控えた程だ。だが今は違う、目の前の御方が綿布を広められた事で朝鮮から無理に買わずとも良くなっている。だがその分だけこちらは朝鮮との交易が難しくなった。綿布の代わりの品が必要だ。それが明から得た絹、生糸だ。扱う量は多くはないが高価なため十分な利益が出る。もっともその事は目の前の御方も御存知だろう、敦賀の湊には明の私貿易の船が来ていると聞く。
「讃岐守、朝鮮では銭が使えるのか?」
「いえ、物と物を交換致しまする」
ざわめきが起きた。左右に並ぶ武将達が驚いている。“まさか”、“有り得ぬ”と声が上がった。
「銭が使えぬ、物々交換か。朝鮮人は余り交易を好まぬと見える」
「はっ」
冷笑している。この御方は街道を整備し関を廃し商人を保護する事で領地を富ませてきた。朝鮮の現状は笑止な事なのだろう。
「良く分かったぞ、讃岐守」
「御役に立てて幸いにございまする」
「その方俺に仕えると言ったな」
「御意」
前内府様が笑みを浮かべている。油断するな、力有る者の笑み程恐ろしい物は無い。
「今一度訊こうか。その方の主は誰だ? 俺か、それとも朝鮮王か? そして対馬は朝鮮の一部か? それとも日本の一部か? 確と答えよ」
脇の下を冷たい汗が流れた。
「勿論、対馬は日本の一部にて某の主は前内府様にございまする。朝鮮への臣従は交易によって生計を立てるためにございます。それ以上ではございませぬ」
前内府様が頷かれた。
「その言葉を覚えておこう、その方も覚えておくのだな。いずれその方に仕事を頼むだろう。その時に誰の為に働くのか迷わぬようにな。二度と俺を謀るなよ」
「はっ」
「讃岐守、改めて宗家の服属、並びに対馬一国の領有を認める」
「はっ、有難き幸せ」
本陣を下がると膝が震える程の疲労を感じた。
「養父上、宜しいのですか?」
彦三郎が小声で問い掛けてきた。気遣わしげな表情をしている。
「他に答えようが有ったか?」
「いえ、それは……」
彦三郎が俯いた。
「朽木の天下は足利の様には行かぬようじゃ。ずんと諸大名に対する扱いも厳しくなろう」
「某もそのように思います」
「舵取りを誤ると家を潰しかねぬ。心せねばなるまい……」
彦三郎が頷いた。儂はもう五十を越えた、先は長く有るまい。だが彦三郎は十六歳、これからだ。苦労をする事に成るだろう……。
「彦三郎、その方改名せよ」
「名を変えろと?」
彦三郎が訝しげな表情をした。
「その方の名、昭景の昭は義昭公より偏諱を賜ったものだ。朽木の世で喜ばれるものではない。折りを見て前内府様より偏諱を賜ると良い。綱景とでもするのだな」
「はい」
「少しでも朽木に寄り添う、そういう姿勢を見せる事だ……」
それで騙されるとは思わぬが……。
禎兆三年(1583年) 十一月上旬 豊前国企救郡 門司村 朽木基綱
「まさか朝鮮に服属しているとは……」
「百俵の歳賜米か……」
皆が複雑な表情をしている。そしてチラチラと俺を見ている。このままで良いのか、そんな表情だ。
「已むを得ぬ事だ。そうしなければ対馬では生きていけぬのだからな。琉球も同じだ、明に朝貢する事で生きる道を得ている。明も朝鮮も服属せぬ限り交易を認める事は無い」
対馬は島国で米は殆ど採れない。朝鮮と日本の間で中継貿易を行う事で生計を立てている。交易を止めろというのは対馬にとって死ねというのに等しい。対馬が生きていくには交易相手が要るのだ。話の分かる交易相手なら良い、だが中国や朝鮮のように名分や形式に拘る相手だと厄介な事になる。
「ではこのまま朝鮮への服属をお認めになると?」
真田源五郎が小首を傾げながら問い掛けてきた。
「認めざるを得まい。対馬は朝鮮と日本の中間に有る。両者の間で交易し易い立場にあるのだ。それを認めぬというなら朝鮮との交易に代わる何かを与えねばならぬ。だが容易ではないぞ、失敗すれば対馬の民は倭寇になり朝鮮を荒らしまわるだろう。それに便乗する者も出る筈だ。海が荒れるな」
皆曖昧な表情で頷いている。分からないか、海が荒れるという事は交易にも影響が出るという事だ。余り嬉しい事じゃない。
「それに朝鮮は必ずしも交易を好んでいないようだ。そういう相手と交易をするのだ、楽ではない。苦労していよう」
「銭を使わぬというのには驚きました」
「明銭なら朝鮮の方が我等よりもずっと得易い筈なのに」
十兵衛、左門の言葉に皆が頷いた。こいつら結構銭については煩いよな。昔の左門なんて銭よりも槍だったんだが今じゃ先ずは銭、銭が無ければ兵は動かせん! だからな。槍よりも算盤の方が上手いくらいだ。変われば変わるものだよ。まあ経済観念が発達するのは悪くない、守銭奴にならなければだが。
「已むを得ぬことだ。朝鮮では儒教を国の基としている。儒教は商いを卑しみ商人を蔑んでいるからな。銭など必要ないのだ」
確か室町時代に日本に来た朝鮮の使節が日本では乞食でも銭を欲しがると驚いている記録が有った筈だ。乞食が米ではなく銭を欲しがる、当時の日本では貨幣経済が浸透していたという事だろう。
綿布の輸入が減り絹、生糸の輸入が増えつつあるか……。悪くない、綿布は日常に使う汎用品だ。それが国内生産で賄えつつあるというのだからな。代わりに絹が増えつつある。国内でも絹は作られているが品質が悪い、如何しても中国産には及ばない。品質が向上するまでには時間がかかるんだろう。まあ高級品、嗜好品だからな。現状では問題は無いと思う。だが世の中が平和になり安定すれば高級品、嗜好品を望む人間が増える筈だ。早く品質改良をして欲しいものだ。待つだけじゃなく応援してみるか。絹といえば畿内では近江、丹後、播磨かな?
「それにしても大殿は宗氏が朝鮮に服属していると御存じだったのですな」
「……」
知っていたとは言えんな、主税の問いに含み笑いで誤魔化した。統一したら宗氏を使って朝鮮から使節を呼ぼう。その上で交易を含む国交の樹立を要求する。その際、今の朝鮮側が有利な条件は撤廃させる事と対馬は日本領で宗氏は日本の臣である事を認めさせる必要があるな。
難しいかな? 儒教国家は形式に拘るから上手く行かないかもしれない。なんせ日本は東夷だからな。一度日朝貿易の実態、朝鮮王朝と宗氏の関係を確認させる必要がある。こいつは経済問題を含むから八門に頼もう。いざとなれば武力発動を匂わせて恫喝だな。だが戦争は上手くない。やるにしても半島への上陸は避けるべきだ。
水軍を使って海岸を荒らさせよう。国家規模での倭寇だ。朝鮮も国を閉じるより交易を認めた方が得だと理解する筈だ。後は中国だ。朝鮮は必ず中国を頼る、その前にこちらから中国に働きかけよう。こちらの望みは交易で朝鮮は愚かにもそれを理解しないから罰を与えていると。中国が面倒な事を避けようと考えれば朝鮮に日本と上手くやれと促す筈だ。
そのためには琉球の協力が必要だな。琉球を服属させこちらの代弁者として中国工作を担当させる。琉球にとっても日朝貿易は重要な筈だ。南方から得た産物は朝鮮にも流れている。日朝間の交易の規模が大きくなれば琉球の利も大きくなるのだ。その辺りを理解させれば積極的に協力してくれる筈だ。いずれは日中間の交渉も頼む事に成るかもしれない。
ま、先の事だ。今は四国が問題だ。三好久介が死んだ。阿波守長治に攻められ最後は腹を切って死んだ。分かっていた事だが俺が出した使者は久介を説得出来なかった。久介は二人の息子を頼むと使者に俺への言伝を頼んだ。俺は涙を流して悲しんだよ。……偽善だな、段々人間が卑しくなっていく。困ったものだ。
足利義助、三好久介を殺した事で四国では阿波守長治は残虐、暴虐と非難を浴びているらしい。そろそろ三好一族の中からも離反者が出るだろう。そして細川掃部頭が反三好の旗を上げる筈だ。三好阿波守長治、自分で自分の足元を崩しているような男だ。俺より三、四歳若いようだが長生きは出来んな。残された時間は短い筈だ。土佐の一条、長宗我部には巻き込まれるなと注意しておく必要が有る。両家に早急に使者を送ろう。いやこれは俺よりも長宗我部宮内少輔、飛鳥井曽衣の二人に頼もう。その方が良いだろう。
年内には畿内に戻れるな、正月は皆で祝えるだろう。いかん、朝廷の新年の儀式が有った。伊勢兵庫頭なら問題は無いと思うが念のため文を書いておこう。太政大臣任官の件も有る、間違いは許されんからな。
禎兆四年(1584年) 二月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木小夜
「おめでとうございまする」
新たに征夷大将軍に任じられ大樹と呼ばれるようになった息子が祝いの言葉を述べると大方様、私、奈津殿、側室の方々、そして五歳以上の子供達が“おめでとうございまする”と声を揃えて唱和した。こうして皆で揃って祝うのは何時以来の事か……。
「うむ、有難う。めでたいな、大樹」
「はっ、有難うございまする」
息子が幾分照れ臭そうに答えると大殿が声を上げて御笑いになられた。
「それにしても大殿に太政大臣、御屋形様に征夷大将軍とは、本当に驚きました」
雪乃殿の言葉に皆が頷いた。
「俺もなかなかのものであろう。雪乃、惚れ直したか?」
「はい、それはもう」
雪乃殿が弾むような声で答えると笑い声が上がった。
「奈津は如何だ? 亭主殿に惚れ直したかな?」
「勿論でございます」
「良かったな、大樹」
息子が益々照れ臭そうにする。更に笑い声が大きくなった。なんて和やかで華やかなのか、大方様が満足そうにしている。大殿が太政大臣に任じられた時には何度も何度も“真に”と呟いておられた。
「良くやったな、大樹。小田原城攻略、見事なものだ。征夷大将軍に就任しても誰も謗る事は有るまい」
「有難うございまする。ですが某などまだまだにございます。父上が野分の中、籠城する島津を力攻めで攻め滅ぼしたと聞いた時は皆で驚きました。半兵衛は父上の事をお若い頃と少しも変わらぬと頻りに感嘆しておりました」
今度は大殿が照れ臭そうに笑みを浮かべられた。
「まだ若いつもりなのだがな」
彼方此方から笑い声と共に“まあ”、“真に”、“お若うございます”と声が上がった。
「今年は亀千代の元服と鶴の婚儀か。慶事が続くな、小夜、雪乃」
大殿が楽しそうに声をかけてきた。
「はい、楽しみでございます。そうでしょう、雪乃殿」
「はい」
近衛家との縁組、この縁組で朽木、上杉、近衛の三家はより一層強く結びつく事になる。鶴姫が恥ずかしそうに、亀千代は無言で鴨の吸い物を啜っている。
「次郎右衛門、尾張の城造りは如何だ、順調に進んでいるか?」
「はい、湿地の整地も終わり城の土台作りが始まっております」
「そうか、一度見に行くか。それに丹羽五郎左衛門、木下藤吉郎達にも会いたい、暫く会っておらぬからな」
「はい! 皆喜びましょう」
次郎右衛門が力強く答えた。何時の間にか随分と大人びた事。嬉しいような、寂しいような……。
「そうだ、亀千代と鶴を朽木に連れて行かねばならん。未だ雪が有るな、三月の末になったら連れて行くか」
亀千代と鶴が嬉しそうに頷いた。朽木谷、朽木家発祥の地。未だ行った事は無い、私も御一緒したいと大殿に御願いしようか。朽木の人間として御先祖様に挨拶したいと……。
最近感想欄が荒れているようです。私はアカウント等のブロックはしません。ですので皆さんにお願いします。ここは小説を書きたい人と読みたい人が集まる場所です。感想を書く際には注意事項を守ってください。冷やかしや誹謗、中傷、侮辱を行う場所ではありません。