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四国動乱

先日、活動報告でも記しましたが11/10(金)に「淡海乃海 水面が揺れる時」の第一巻がTOブックスさんから発売されました。発売されただけでも嬉しいですが沢山の方に御買い上げ頂いて大変嬉しいです。有難うございます。この嬉しさを忘れずに頑張りたいと思います。






禎兆三年(1583年)   十月上旬      薩摩国鹿児島郡    内城  朽木基綱




「そろそろ近江に帰らなければならん」

俺の言葉に左右に並ぶ家臣達が頷いた。約二十人。皆、鎧を纏っている。俺が鎧を着けているのだから当然か。なんとも殺伐としているな。

「一旦近江に戻れば再度九州に兵を送るのは容易ではない。それを狙って薩摩、大隅、日向で騒乱を起こす者が現れるかもしれん。念のために二万程の兵を置きたいと思う」

また皆が頷いた。


「御尤もな事と思いまするが期間はどのくらいになりましょう」

「そうだな、短ければ二年。長ければ五年程になろう」

俺が真田源五郎の問いに答えると彼方此方から“五年”と声が上がった。皆、訝しげな表情をしている。

「畏れながら九州が安定するのにそれほど時が掛かると御考えでございますか? それとも龍造寺、大友を案じておいでで?」


「明智殿、龍造寺はともかく大友は有るまい」

日置左門の言葉に十兵衛が頷いた。

「大友がこちらを攻める事は有るまいと某も思う。しかしな、左門殿。大友の混乱が日向、大隅、薩摩、そして肥前に影響を及ぼす事は有り得るとは思われぬか」

左門が“なるほど”といって唸った。皆も頷いている。流石は十兵衛だな。イケメン振りも益々磨きがかかっている。ダンディなオジサンの魅力に若い娘からの人気は絶大なものらしい。羨ましい事だ。


「十兵衛の言う通りだ。龍造寺、大友の事を考えねばならん。それに琉球の事が有る」

“琉球”という声が幾つか上がった。

「俺は琉球を日本に服属させようと思っている。それには薩摩、大隅に兵を置き場合によっては攻め込む事も有るぞと脅す事も必要と思っているのだ。五年というのはその辺りも考えての事だ。場合によっては長くなるかもしれん。勿論、途中で交代も考えている」


顔を見合わせている者が多い。琉球を服属させるなんてちょっと考えつかないんだろうな。だがこれは必要な事だし大事な事だ。幸い琉球に船を出すのはこれからだ。以前も服属を要求したが今回は少し強い調子で文を書こう。兵を用いる事は本意では無い、そんな感じかな。……元の国書みたいだな。傲慢で嫌な奴だと言われそうだ。


「左兵衛尉」

「はっ」

小山田左兵衛尉が畏まった。

「その方に大将を務めて貰う」

「有難き幸せ」

ちょっとざわめきが有った。左兵衛尉は比較的新参だからな、驚いたのだろう。多分、皆は俺が十兵衛を選ぶと思ったに違いない。だが十兵衛には他に仕事が有る。主税には傍に居て貰わなければならん。この仕事は左兵衛尉だ。そろそろ大きな仕事をさせよう。


「その方の下には古厩因幡守、日根野織部正、阿閉孫五郎、中島宗左衛門、千住嘉兵衛、守山作兵衛、山岡孫太郎、向山出雲守、曽根下野守を付ける。異存有るか?」

「ございませぬ」

「うむ、頼むぞ」

向山出雲守、曽根下野守は旧武田家臣だ、何か有っても一人で悩むという事は無いだろう。


薩摩、大隅、日向は先ず問題は無い筈だ。島津の家臣で降伏した者達、それほど多くは無いがその連中は禄で召し抱える事にした。つまり薩摩とは切り離した訳だ。それに島津の治世下に比べれば税は格段に安くなる。島津の税はかなり重かったからな。この秋の収穫から税は軽減される、百姓達は喜んでくれる筈だ。そうなれば領内での反乱はそう簡単には起こらない。左兵衛尉達の任務は大友、龍造寺の監視と琉球への威圧になる。


日向は北に土持氏をそのまま置いた。石高は二万石だ、思いの外の好待遇に喜んでいた。大友と土持は犬猿の仲だ、大友は不愉快に思うだろう。だがそれが良い。豊後との境目を守る役目だ、しっかりと務めてくれるだろう。そして伊東三位入道、伊東民部大輔親子にも佐土原で三万石を与えた。島津が兵力を日向に集中した一因に伊東親子の存在が有る。三万石の恩賞は安いくらいだ。秋月は児湯郡の高城で三万石だ。高城は大友と島津の戦い、耳川の戦いの前哨戦になった場所だ。何を思うかな。


「失礼致しまする」

廊下から声を発したのは北条新九郎だった。何か起きたな、皆も表情が引き締まっている。

「如何した、新九郎」

「はっ、ルイス・フロイスが参っております。大殿への謁見を願い出ております」


皆の視線が俺に集まった。

「会わぬと言え。俺は忙しい」

「はっ」

「しつこく強請(ねだ)るようならこう言え。先日の大友の遣り様に大分腹を立てているようだとな。伴天連が妙な知恵を付けたのではないか、政に口出ししたのではないかと訝しんでいると」

「はっ」

頬を紅潮させて新九郎が立ち去った。


「大分慌てておりますようで」

吉川駿河守が冷笑を浮かべながら言うと同意する声が上がった。

「大友を龍造寺の下に扱いましたからな、大殿も意地が悪い」

十兵衛が横目で俺を見ながらクスクスと笑う。

「人聞きの悪い事を言うな、十兵衛。龍造寺の使者の方が僅かに先に来たのだ、先に会うのは当然であろう」

十兵衛のクスクス笑いが止まらない。皆もニヤニヤしている。こいつら性格が悪いよな。


先日、龍造寺、大友の使者が戦勝祝いにやってきた。間の悪い事に同じタイミングでやってきたのだがこういう時はどちらが先に挨拶するかが問題になる。当然だが先に挨拶した方が格上と見做されるのだ。史実では前田利家と上杉景勝が秀吉に挨拶する時に順番を争っている。この時は前田が勝った。上杉が当家は関東管領の家だから先に挨拶するのが当然と言ったらしいがそんなに目出度い家なら何だって秀吉に挨拶するのかと前田の家臣に言い返されたらしい。まあ秀吉の時代に関東管領と言っても有難味は無いな、上杉がそれを誇りに思うのは分かるが。


「そうは申されましても納得は致しますまい。それに大殿は龍造寺の使者とは随分と話されていましたが大友の使者には二言三言で終わりにしました。さぞかし不安に思っておりましょう」

「龍造寺の鍋島は兵糧を持って来た。大友の木付中務少輔は太刀一振りだ。当然扱いは違う」

太刀は延寿国泰作の名刀らしいが兵糧に比べればどちらが大事か分かるだろう。分からない奴は阿呆だ。


「それに大友の使者にもきちんと礼は言ったぞ。大友が何を気にしているのか、俺にはさっぱり分からんな」

兵糧を持って来たのは鍋島の判断らしい。やはり出来ると思った。俺が何を喜ぶか分かっている。油断出来ない男だが敵にするより味方に付けたいと思わせる男だ。あの男が龍造寺の全権を握っているなら龍造寺は滅ばないだろう。となると龍造寺は隠居の山城守隆信の寿命次第という事になる。山城守が早く死ねば龍造寺は安泰だろう。まあ龍造寺は滅んでも鍋島は滅ばない。そんな事を思ったな。


「伴天連達に会わぬのは大友への不快感の表明でございますか?」

主税が訊ねてきた。

「それも有るが警告だ。大友の領内では伴天連達が宗麟の支援を受けて随分と勝手な事をしているらしいからな」

皆が頷いた。やはり大友は邪魔だ。何時かは潰さなければならない。問題は潰し方だな。誰もが納得する潰し方が必要だ。他にも大村、松浦、有馬。こいつらは龍造寺に服している。扱いがちょっと面倒だ。


島津に与した一向門徒達、都於郡城(とのこおりじょう)に籠っていた連中は開城した。開城の条件は薩摩で捕虜になった教如の解放だった。全然問題無い、喜んで解放した。こちらからも条件を出した。俺の出した条件は朽木領内からの立ち退きだ。連中は一カ月以内に朽木領から出て行く事になっている。何処に行くのか、先行きは明るくない。銭が無いと言うので多少融通した。船を雇って関東にでも行くのだろう。


ま、苦しい時ほど阿弥陀様に縋る気持ちは強くなる。結束は強くなるだろう。最後は行き場所を失って自滅かもしれない。それも悪くない、本願寺の教えは邪教だから排除され自滅したのだと周知しよう。他の宗教に対する警告になる筈だ。宗教は人の心を操る物ではなく人の心に寄り添って安らぎを与える物、宗教界が宗教をそう規定するようになれば良い。


「九州一円にて街道の整備を行う。先ず肥前、肥後、筑前、筑後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅をどのように繋ぐか、そこの調査から始めなければなるまい。これは直ぐに始める」

シンとした。

「大友、龍造寺領内も調べるのですな?」

小早川左衛門佐が訊ねてきた。

「当然だ」

皆が顔を見合わせている。大友、龍造寺が従うかと思っているのだろう。従わなければ潰すだけだ。薩摩に置く二万はそれへの対処も有る。


街道を整備したら関を廃止させる。朽木が街道を整備したのだ、それに対して関を設けるなどという事は許さん。大友も龍造寺も国人衆の反発を抑えるのに大変だろう。だが関を廃した方が領内は潤うのだ。朽木の経済圏と結び付く事になる。物が流れ経済は活性化し景気は向上する。国人衆もいずれは分かる筈だ。頑張れよ、失敗すれば俺に介入されるのだからな。国人衆に担がれて反乱を起こしても良いぞ、潰してやる。


「大殿」

新九郎だった。はて、フロイス達は素直に帰らなかったのかな?

「大殿、千賀地半蔵殿が御目通りを願っております」

「直ぐ通せ」

「はっ」

直ぐに下がった。半蔵のアホ! 何を遠慮している。忍である事を気にしているのか? そんな遠慮は無用だ。


半蔵が現れた。下座に控えている。なんでそんな遠い所に居る!

「半蔵、此処へ」

俺が前を指し示すと半蔵が僅かに前に出た。

「遠慮は要らぬ、さあ」

半蔵が躊躇うと十兵衛が“半蔵殿、御前に”と促した。半蔵がようやく前に出てきた。


「話を聞く前に言っておく。以後、取次ぎは無用だ。報せが有るなら遠慮はするな。それと俺が前にと言ったらすぐ前に来い。もっと寄れ」

「はっ」

半蔵が頭を下げてからずいっと前に出てきた。ようやく話が出来る。

「で、何が有った?」

「阿波にて権大納言足利義助様、お亡くなりになられました」

シンとした、皆が顔を見合わせている。とうとうやったか……。いや、やったんだよな?


「御病死か?」

「いえ、三好阿波守が」

「弑したか」

「はっ、勝端城にて」

今度はざわめきが起きた。一度は征夷大将軍に就任した人物が殺されたのだ。しかも殺したのは阿波三好家の当主、驚くのは当然だろう。だが勝端城? 伊予で三好久介と一緒に死んだんじゃないのか?


「馬鹿な、権大納言様は一度は武家の頂点に立たれた御方だぞ。阿波三好一族にとっては主筋でもある」

「しかもあの御方が征夷大将軍を返上されたから阿波三好一族は(ゆる)された筈、それを弑したとは……」

「そうだな、返上の条件が阿波三好一族への寛恕(かんじょ)であった。何という事をしたのか……」

煩く騒ぐ連中を“騒ぐな”と言って黙らせた。義助の死は皆には意外だろう。だが義助は死を覚悟していた。


「半蔵、何故阿波守は権大納言を弑したのだ?」

半蔵が“はっ”と畏まってから顔を上げた。

「阿波守が伊予の三好久介殿を攻めようとされ権大納言様がそれを止めようと勝端城に赴かれたそうにございます。その折権大納言様と阿波守の間で激しい口論になり……」

「かっとなって弑したか」

俺の言葉に半蔵が頷いた。


「報告ではそのように。……父親に似ぬウツケ者と権大納言様は阿波守を罵られたそうにございます」

父親と比較されたか、出来の悪い息子にとっては一番嫌な事だ。頭に血が上って殺したのだろう。最悪だな、これで久介は逃げられなくなった。逃げれば権大納言を死なせておいて安芸に逃げたのかと謗られる事になる。久介は伊予で死ぬ。死ぬ事でしか(おとこ)としての面目を立てられないのだ。だが三好孫七郎長道、孫八郎長雅の二人が俺の所に居る。後に不安は無いだろう。


「阿波の状況は?」

「権大納言様が弑された事で混乱しております。日蓮宗への改宗の強制も有り国人衆の中には阿波守にはっきりと背を向ける者も居りまする」

反三好の国人衆、細川掃部頭、そのシンパも居る。阿波、いや四国の混乱は大きくなる。阿波守はパンドラの箱を開けたのだ、災厄が解放された。もうすぐ四国は災厄の炎でとろみが付くまで煮込まれるだろう……。その煮汁を俺が飲み干す。


「阿波守は?」

「伊予に攻め込みましてございます」

「そうか……」

皆がそれぞれに左右の者と小声で話している。この状況で出兵する事に驚いているらしい。だが阿波守は権大納言を弑したのだ、立ち止まる事は許されない。伊予に攻め込み久介を殺し武威を示す事で周囲を威圧するしかないと考えている筈だ。或いは何も考えていないのか。


「如何なされます、四国に兵を送られますか?」

「さて……」

「権大納言様が弑されております、名分は立ちましょう」

長宗我部宮内少輔が問い掛けてきた。

「駄目だな、今ここで慌てては大友、龍造寺が揺らぎかねん。一旦畿内に戻る、そして万全の態勢を整えてから四国攻めを行う。九州は未だ安定していないという事を忘れてはいかん」

「……」


現状を維持するなら早めの介入が必要だ。だが現状維持はもう出来ない。権大納言を弑した阿波守を許す事は出来ないのだ。阿波三好家は望む望まないに拘らず潰さざるを得なくなった。今四国に介入しても中途半端で終わるだろう。四国を朽木のものにするには時間を置いた方が良い。時間を置けば阿波は大混乱になる筈だ。その混乱は四国全土に広がるだろう。


「半蔵、久介に文を書く。届けてくれるか」

「はっ」

半蔵が、いや皆が俺をジッと見ている。そうだ、これは体裁を整えているだけだ。逃げろと言ったのに逃げなかったと言い訳するためにな。皆分かっているのだ。三好久介は見殺しだ。だが已むを得ない、生きていても苦しむだけだ。そう思うしかない。


「畿内に戻った後、態勢を整えてから四国に兵を出すだろう。時期、兵力については改めて軍略方に検討させる。だが大まかに言えば畿内から淡路、四国へ進む軍と安芸から伊予に進む軍の二正面作戦が主軸になると思う。この戦には毛利は加わらない、九州の抑えに残す」

皆が頷いた。まあ妥当な作戦だろう。


場合によっては水軍を使って土佐から阿波に攻め込む補助作戦が付け加えられるかもしれない。となると作戦の実施は冬から春がベストだ。夏から秋では台風の恐れがある。全ては四国の情勢次第だが夏から秋に四国征伐を行う時は補助作戦は水軍を使わず長宗我部、一条の陸上兵力だけになる。台風の季節に無理をする事は無い。


安芸方面の大将は十兵衛だ。これが有るから十兵衛は薩摩には置けない。……毛利と左兵衛尉の連絡線を確保する必要が有るな。となると大事なのは伊予の確保か。伊予、土佐が確保されれば毛利と左兵衛尉の連携は難しくない筈だ。畿内方面に大軍を置き阿波守の視線を讃岐、阿波に向けさせよう。手薄になった伊予に十兵衛が攻め込む……。


「新九郎、居るか」

俺が声を上げると直ぐに新九郎が廊下に控えた。偉いぞ、そういう律義さが大事だ。

「新九郎、三好孫七郎、孫八郎を呼べ」

「はっ」

新九郎が下がった。俺から状況を説明しなければならん。嫌な仕事だが俺の仕事だ。



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