島津滅亡
禎兆三年(1583年) 九月中旬 大隅国肝属郡鹿屋村 鹿屋城 朽木基綱
また光った。一瞬だが黒々と動く兵の姿が見えた。雨と風が一層強くなった。時々吹き飛ばされるんじゃないかと思うくらい強い風が吹く。その雨、風の音を断ち切る様に雷が鳴る。誰か来る! 誰何している声がした。騒ぎは起きていない、使番だろう。
「申し上げまする!」
「申せ!」
使番と左兵衛尉が張り合う様に声を上げた。
「葛西千四郎様、曲輪を占拠! 敵将島津薩摩守、降伏致しました!」
彼方此方から歓声が上がった。
「御苦労! 千四郎に伝えよ、良くやった! 曲輪を守り決して島津に取り返されるな。島津の動きから目を離すなとな」
「はっ、御免!」
俺の答えに使番が去ってゆく。千四郎か、昔は俺の小姓をしていたんだが、何時の間にか一手の大将か。時が流れるのは早いわ。
「これで左二つの曲輪を占拠致しましたな」
道雪の声が弾んでいた。いかんな、感慨に耽るのは未だ早い。今は戦の最中だ、とは言っても闇の中だし台風の中だ。実感が湧かない。
「出て来るかな? 右の二つの曲輪まで獲られれば島津は閉じ込められる事になる。出て来るなら今だが……」
「……」
答えが無い。右二つの曲輪ももうすぐ落ちるだろう。出て来るなら今なんだ、俺が思うくらいだから皆にも分かっている筈だ。もちろん、島津にも。だが如何も島津の動きが鈍いような気がする。何を狙っているんだ?
「畏れながら」
「何だ、左兵衛尉」
「島津の兵糧は既に尽きている、そういう事は有りませぬでしょうか」
「……」
恐る恐る、そんな感じの口調だった。確証が有るわけではなさそうだ。
まさかな、そんな事が有るかな。一瞬だが妙な間が生じた。雷が鳴ったが耳に響かない。遠くに聞こえた。おそらく道雪、紹運、彌七郎、皆が俺と同じようにまさかと思っただろう。
「しかしな、左兵衛尉。降伏の使者を出した時、島津は使者に飯をたっぷりと食わせたぞ。あれから何日も経ってはいない」
「さればこそでございます。鹿屋城に米は殆ど無かった。敢えて飯を振舞う事で兵糧は十分に有るとこちらに思わせたのでは?」
“うーん”という唸り声が聞こえた。紹運かな? 今度の左兵衛尉の口調には力が有った。口に出した事で自分の意見に自信が付いたのかもしれない。信濃攻略で似た様な事が有ったのかな? 武田も兵糧には苦労した筈だ。
また光った。左兵衛尉の顔が見えた。自信有り気だ。
「動かぬのではなく動けぬという事か?」
「はい」
有り得るだろうか? 敵は主戦場を日向と判断しただろう。となると大隅に米は不要ではある。最低限の米を残して日向、或いは薩摩に送った可能性は有るな。だが薩摩を獲られた事で日向での防衛戦は潰えた。薩摩でも戦えなくなった。となると……、鹿屋城に米は無かったのか? 其処に八千の兵が逃げ込んできた……。
「では何故降伏せぬのだ? 薩摩で国人衆が抵抗しているが鹿屋城に兵糧が無くては如何にもなるまい」
「龍造寺に働きかけているのでは有りませぬか? 或いは龍造寺との間に密約が有るか……」
「龍造寺か……」
十分に有り得る話ではある。万一の場合は龍造寺が朽木の後ろを襲う、又は島津を救うために俺に働きかける。そんな約束が有るのかもしれない。だが俺が鍋島孫四郎に釘を刺した、その所為で龍造寺は動けない。島津はそれを知らずにいるとしたら……。
「右馬頭、又兵衛を攻撃に参加させるべきだと思うか?」
作戦を変更する、敵が出て来るのを待つのではなく総攻めだ。念のため左門は予備に残す。自信が無い、半信半疑だ。何処かで島津を甘く見るべきでは無いという怖れが有る。闇の中で戦況がはっきりと分からないという事が余計に不安にさせる。
「畏れながら此の儘が宜しいかと思いまする」
「……」
「左兵衛尉殿の見立てはもっともと思いまするが確証はございませぬ。それにこの嵐の中、戦の手立てを変えるのは危のうございまする。幸い御味方は優勢、兵力も十分、最低でも夜が明けるまでは此の儘が宜しいかと」
道雪だった。落ち着いた声だ。頼りになるわ、すっと迷いが消えた。こういう答えを出せる奴が名将なんだろうな。俺は……、落ち込むわ。
「そうだな、そうしよう。この問題は夜が明けてからもう一度話そう」
何となくだが皆が頷いているような気がした。
「まあその前に城を落としてしまえば良いのだが……」
冗談のつもりなんだが誰も笑わなかった。本気だと思ったらしい。もしかすると本当に夜明け前に鹿屋城を攻略するかもしれない。
禎兆三年(1583年) 九月下旬 肥前国杵島郡堤村 須古城 鍋島信生
「島津が滅びたか、詰まらぬ。今少し踏ん張れるかと思ったが……」
主、龍造寺山城守隆信様が上座で不機嫌そうにしている。周囲には頷く家臣達が居た。成松遠江守信勝、木下四郎兵衛尉昌直、倉町新太郎信俊、原田下総守信種。俺もその一人だ。
「薩摩の国人共は如何なったのだ?」
周囲を見回された。
「島津が鹿屋城で滅んだと知って降伏を申し入れたそうですが許される事も無く……」
四郎兵衛尉の言葉に山城守様が“フン”と鼻を鳴らして宙を睨んだ。面白くない時の癖だ。そして顔を戻すとニヤリと笑みを浮かべた。
「滅ぼされたか、まるで煤払いだな」
山城守様が笑い声を上げられると皆が笑った。煤払いか、確かにそうだ。長年島津が貯めてきた塵芥を朽木が一気に取り払ったと言える。
抵抗していた薩摩の国人衆は全て排除された。降伏は許されず腹を切らされた。已むを得まい、島津修理大夫が鹿屋城に籠った時点で国人衆が降伏していれば扱いも変わっただろう。だが滅んだ後に降伏しても……。残しておくよりも潰してしまった方が良いと思われても仕方が無かろう。
島津が滅んだ。強勢を誇った島津があっという間に滅んでしまった。抵抗らしい抵抗は殆ど無かった、なんとあっけない事か……。前内府様の意図を読み違えた事が大きい。土佐に集めた水軍は日向攻略の為では無かった、薩摩制圧のための水軍だった。間違った場所に兵を集中した事が島津の抵抗を極端に微弱なものにした。
「あの野分の中、鹿屋城に攻めかかるとは驚きましてございまする」
「そうよな」
遠江守の言葉に山城守様が頷かれた。野分は肥前も襲った。かなりの雨、風であった。あの野分の中、鹿屋城に夜襲をかけ一気に攻略するとは……。城攻めは前内府様自ら、直属の二万の兵だけで行ったと聞く。島津には兵糧が無く十分な抵抗が出来なかったようだがそれでも野分の中、果敢に攻めた。それには驚くしかない。
島津家当主、島津修理大夫義久は落城時に腹を切った。十文字腹だったようだ。首は前内府様の元に運ばれた。次弟、又四郎義弘は本城を守って討死した。手強く抵抗したようだが最後は太腿を槍で突かれ動きが鈍ったところを討ち取られたらしい。三弟又六郎歳久、末弟中務大輔家久はそれぞれ曲輪を守って討ち死にした。彼らと共に多くの家臣達が降伏する事無く討ち死にした。根切りに近い状態だったらしい。
「これで九州征伐も終わりか。終わってみればあっけないものよ」
「左様でございますな」
不愉快そうでは有ったが敢えて気付かぬふりをして相槌を打った。山城守様は何度か朽木の不意を突こうと考え、そして諦めた。肥後から薩摩を攻めた朽木勢に隙は無かった。常に背後の我等を警戒していた。山城守様はその心底を疑われていたのだ。前内府様に島津の取成しもされようとしたがそれは私が抑えた。無駄だと警告を受けているのだ。何故その警告を真摯に受け止めないのか。仲裁など受け入れられる筈が無いし徒に不興を買うだけで有っただろう。
抑えた甲斐は有った。鹿屋城の攻城戦の後、前内府様から俺に文が届いた。其処には山城守様を抑えた事に対しての謝意が書かれてあった。危ない所であった。島津は山城守様の仲裁を期待していた、頼りにしていた。もし止めなければ前内府様から文が来る事は無かっただろう。そして前内府様の俺を見る目は厳しいものになったに違いない。
龍造寺山城守隆信、鍋島孫四郎信生、信用出来ぬ者達であり機会が有れば潰さなければならぬと。だがこれで私は前内府様にまた一つ近付いた。前内府様も私が居れば龍造寺家を抑える事が出来るのではないかと思うだろう。この事は殿には内密にせねばならぬ。龍造寺の中での身の処し方が難しいが龍造寺家が生き残るためには耐えなければ……。
「門徒共は如何なるのだ? 都於郡城に籠っているのだろう?」
「教如を始めとして教団の主だったものは薩摩で捕えられたとか。おそらくはそれを使って開城させるのでは有りませぬか?」
山城守様と下総守の言葉に皆が頷いた。なんと甘い事を……。
「某はそうは思いませぬ」
「ほう、孫四郎は思わぬか。朽木は根切りをすると申すか」
「おそらくは」
山城守様が揶揄するかのように言うので敢えて生真面目に答えた。和やかであった座の空気がシンと冷えた。構うものか、皆朽木を甘く見ている。危険だと言わなければならぬ。
「しかし孫四郎殿、敢えて根切りをする必要が有りますかな? 行き場の無い者達でござるぞ、降れと言えば降りましょう。教如も意地は張れぬ筈、これを機に朽木に服するのでは有りませぬか?」
下総守が首を傾げている。
「下総守よ、朽木は宗門に厳しい事を甘く見てはなるまい。自ら降ったならともかく捕えられて降ったなど認めるとは思えぬな」
皆が顔を見合わせている。
「では根切りにすると?」
「或いは許すかもしれぬ。だが朽木領内に居る事は許すまい。どこぞに失せろという筈だ。だが何処に行く?」
「……」
「大友領には入れまい、あそこは切支丹を保護している。それに島津に与したあの連中を宗麟殿が許す事は無い、それこそ根切りが起きるだろう」
“確かに”という声が聞こえた。
「こちらへ来るかな?」
四郎兵衛尉が顔を顰めながら言った。
「来ても受け入れる事は出来ませぬぞ、殿」
「当然だ、あんな厄介な連中を受け入れる事など出来ぬわ!」
俺が念を押すと山城守様が吐き捨てた。皆が頷く。だが分かっておるまいな、私の危惧を。
「安堵致しました、あの者共を受け入れれば朽木と戦になりかねませぬからな」
皆が訝しげな表情をした。
「それは如何いう事か、孫四郎」
「前内府様から厳しい問いが届きましょう。朽木は坊主共が政に口を出す事を許しませぬ。龍造寺があの者共を受け入れれば朽木の方針に逆らうのかと叱責が届く筈」
皆が顔を見合わせた。
「それは朽木の話で有ろう、龍造寺は関係ない筈」
殿が不愉快そうにしている。“殿”か、龍造寺家では隠居された山城守様を皆が殿と呼ぶ。家督を譲られた太郎四郎様は未だに若殿だ。
「そうは参りませぬ。此度の九州遠征は島津討伐が目的では有りませぬ。天下統一のために九州制覇を行うという事。龍造寺が朽木に味方したという事は朽木の天下を認めたという事にございます。朽木に従ったという事、当然ですが朽木の法に従えと言ってきましょう」
睨まれている。だが言わねばならぬ。朽木は足利ではないのだ、大友でもない。足利には力が無かった。だから無視出来た。大友には隙が有った。それゆえ大友に服しても大きくなる事が出来た。頭を下げて面子を立てれば多少の我儘は許されたのだ。だが朽木はそうでは無い、厳しく抑えに来る筈だ。対応を誤れば龍造寺は滅ぶだろう。
「従わねば如何なる?」
「大友に龍造寺討伐を命じましょう」
殿が笑い出した、膝を叩いて笑っている。皆も声を合わせて笑い出した。
「孫四郎は面白い事を言う、大友に龍造寺を討たせるだと? 返り討ちにしてくれるわ!」
また声を上げて笑った。
「それこそが前内府様の狙いとは思われませぬか?」
「何?」
殿が不思議そうな顔をされた。成松遠江守、木下四郎兵衛尉、倉町新太郎、原田下総守も訝しんでいる。
「大友は此度我儘を言って前内府様から豊前一国、筑前の一部を得ました。前内府様は当然面白くは思っておられますまい。大友が龍造寺を討てねば、今度は前内府様が龍造寺を討ちましょう。そして大友を役に立たぬと領地を召し上げましょうな」
「……」
あのお方にとっては大友も龍造寺も邪魔なのだ。間違いなく潰したがっている。大友が龍造寺に敵わぬ事など百も承知であろう、その上で龍造寺討伐を命じるに違いない。
「龍造寺には味方がおりませぬ。秋月は領地を追われ島津は滅び申した。大友が味方に付く事は決してない。となれば単独で前内府様と戦う覚悟が無ければ逆らう事は出来ませぬぞ」
「……」
殿は不愉快そうにされ皆はそんな殿を憚っている。皆も分かっていよう、もう天下は朽木の物。我らはその中で生きて行かねばならぬと。
「前内府様に祝いの使者を出さなければなりますまい。宜しければ某が参りたいと思いますが?」
殿が不機嫌そうに頷かれた。殿を抑えつつ龍造寺の存続を図る。難しい事ではある、果たして龍造寺家を守り切れるかどうか……。
祝いの品は太刀が良かろうな。いや、秋月が刀を突き返されていたな。前内府様への贈り物では喜んでもらえぬかもしれん。となると兵糧、鉛玉、火薬、或いは鉄砲といったところか。……兵糧が良い、兵糧にしよう。喜んでもらえる筈だ。
禎兆三年(1583年) 十月上旬 薩摩国鹿児島郡 内城 朽木基綱
「異存は無いな、薩摩守」
「ございませぬ」
五十年配の男が頷いた。
「では薩摩守、出水郡をその方の領地として認める。以後は朽木の家臣として仕えるように」
「はっ」
島津薩摩守義虎が深々と頭を下げた。そしてささっと後ずさってから下がって行った。滑らかなものだ。
島津本家は滅んだ。分家の島津相州家、島津豊州家も滅んだ。残ったのは島津薩摩守義虎が当主の島津薩州家だけだ。鹿屋城では薩州家は外側の曲輪を守っていたのだが簡単に降伏した。この薩州家、本家とは少々微妙な関係に有ったらしい。それが影響したようだ。一番外側に配されていたのだが戦闘が始まれば最初に磨り潰されるのが見えている。島津本家の為に死んでたまるか、そんな気持ちが有ったのだろう。道理で簡単に降伏した筈だよ。
義虎の正室は島津家当主義久の娘なんだがな。多分両家の融和の為に嫁いだんだろうが意味は無かったようだ。或いは義虎は島津本家はもう終わりだと思ったのかもしれない。本家に殉じるよりも生き残って島津の名を残す事が大事だと思ったか。義虎と義久の娘との間には男子が生まれている。島津本家を名乗る事に何の不足も無い。史実で武田を裏切った穴山梅雪も似た様な事を考えたと本で読んだ覚えが有る。
潰しても良かったが潰すと島津本家の遺族の扱いが面倒だ。長年薩摩を治めてきた一族だからな、それなりに領民との間に強い繋がりが有る。酷い事をすると領民達から反発が起きかねない。という事で薩州家を残し其処に遺族を集めた。家の存続を認めてやるから出水郡二万三千石で島津一族の面倒を全部見ろという事だ。義虎も納得している。というより喜んでいたな。俺に島津家の総領と認められたと思ったようだ。その内御家騒動でも起きるかもしれない。義久には女子だけで男子は居なかった。だが義弘には男子が二人いる。揉めなければ良いんだが……。
他にも島津を裏切ってこちらに付いた者達が居る。東郷大和守重治、菱刈左衛門尉重広、肝付左馬頭兼亮、肝付右京亮兼樹、肝付三郎四郎兼護だ。このうち東郷は薩摩の国人だが残りは大隅の国人だ。島津による薩摩、大隅統一の中でそれぞれに抑圧された事が島津への不満になった。東郷は領地を削られているし菱刈、肝付は父祖の地を奪われ他所へと移された。肝付の元々の地は島津との最後の決戦の場となった鹿屋だ。
この連中が島津を裏切って俺に付いたのは元の境遇に戻して欲しいという事だ。東郷、肝付は良いんだ、問題は無い。それぞれ東郷の地と鹿屋を与えた。喜んでくれた。問題は菱刈だ。菱刈、串木野には鉱山が有る。これは金を産出する鉱山だ。だが未だ両方とも採掘されていない。困ったよ、正直に菱刈左衛門尉に菱刈は俺にくれと頼んだ。意外な事にあっさりと了承してくれた。
理由を聞くと菱刈は内陸で冬は気温が下がって雪が降るらしい。川内川が氾濫で溢れる事も有り領内には荒田と呼ばれる土地も有るようだ。故郷では有るが必ずしも治め易い土地ではないのだろう。優遇していると皆が認める土地を用意してくれるのであれば譲っても良いという。
要するに面子を立ててくれ、大事にしてくれと言う事だから思い切って志布志との交換を打診した。吃驚してたな。志布志は日向国だが海上交易で豊かな湊町だ。目ん玉点にして本当に良いのかと何度も聞いて来た。良いんだよ、豊かになれば反抗しないだろ。それに大隅から日向、俺の命で国替えをする、そこにも意味が有る。暖かい所で魚でも食べて人生を楽しむんだ。刀を振り回して首を獲るだけが人生じゃないさ。