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復讐




禎兆三年(1583年)   七月中旬      日向国臼杵郡  松尾村 松尾城  朽木基綱




「これが松尾城か、大きいな」

目の前に大きな城が有った。ちょっと大き過ぎないか? 城郭は五百メートル四方に及ぶだろう。それに酷く攻め辛そうだ。南は五ケ瀬川、北には高平山が有る。東は丘地で西は五ケ瀬川の支流の川が北から南に流れていて湿田になっている。


「この松尾城は土持氏の居城で有りました」

「土持氏か。道雪、確か土持氏は宗麟の日向遠征時に攻められて滅んだと聞いているが」

「はい」

道雪が神妙な表情で答えた。傍に彌七郎統虎、紹運が朽木の家臣達と共に控えている。彼らはもう朽木の家臣だ。道雪には立花の姓を名乗る様に命じた。立花は大友に一度ならず反旗を翻して滅ぼされた家だ。だが俺には関係ない。宗麟が許さなかった立花の姓を俺が名乗る様に命じる。大友の事は切り捨てよという事だ。道雪は大人しく立花の姓を名乗っている。


宗麟がごねた事、そして俺が二十万石よりも道雪、紹運の方がずっと価値が有ると言った事で彼らは俺に心服しているのだ。いや、宗麟に愛想を尽かしたのか。そりゃそうだよな、この三人、特に道雪と紹運にしてみればこれまでの忠節は何だったのかと言いたくなるだろう。宗麟こそ石高には代えられない、この二人は大友の柱石だから離さないと言うべきだったんだ。そう言えばこの二人は禄高は少なくても喜んで大友に仕えただろう。


宗麟には腹立たしい想いしかない。多分宗麟が此処までなりふり構わず貪欲になっているのは息子の五郎義統のためだろう。俺は宗麟死後の大友に付いて殆ど知らない。何時の間にか消滅しているという印象が有る。跡取りの五郎義統は安土桃山から江戸時代に入る直前で大友家を潰したのだろう。実際道雪や紹運に訊いても五郎義統の事は答えたがらない。つまり正直に言えば悪口になりかねないと言う事なのだと思う。哀れだな、大友はこの世界でも消える運命にある。


大友の事を考えるのは止めよう。腹が立つしそんな自分が嫌になる。土持氏は日向北部で勢威を振るった一族だ。日向では伊東氏と勢力争いをしていたが分は悪かった。元々は大友氏と組んでいたが島津氏が勢力を強めるようになってからは島津と組んで伊東氏に対抗したらしい。ただこの時点では大友とは明確に敵対していなかっただろう。土持氏から見れば大友は大き過ぎる。あくまで島津と組んだのは対伊東のための筈だ。


伊東氏が滅ぶと島津と大友が争う様になるがその時には島津と組んで大友に敵対した。理由は二つ有ったという。一つは大友氏の混乱だ。宗麟は家中の統率が下手だった。領内は常にごたついている。一方の島津は内はしっかりと纏まっていた、勢いも有る。島津の方が有利と思ったのだろう。それと土持氏は宇佐八幡宮の社人の出で有ったらしい。キリシタンの手先になって神社仏閣を壊している宗麟に対して反発が有ったという。


自業自得だな、キリシタンなんかの手先になっているから背かれる。上に居る人間は嗜好をあからさまにするのは危険なんだ。特に押し付けはいけない。宗麟はその点において配慮が足りなかった。大友家の領内が何故治まらなかったかといえば国人領主よりも宗麟の側に非が有ると俺は考えている。


「土持氏最後の当主、右馬頭親成には養子と実子がおりましたがその二人が島津に逃げ島津氏の家臣としてこの城に籠っております」

「落とすのは容易では有るまい」

「はっ、必ずや島津の後詰が有りましょう」

道雪が断言した。俺もそう思う。


土持氏が大友に攻められた時、島津は後詰しなかった。見殺しにした。日向北部に勢力を持つ土持氏が邪魔になったから見捨てたのかと思ったが右馬頭の養子と実子が島津を頼っているところを見るとそうではないらしい。真実は伊東氏が余りにも早く崩壊した所為で十分に日向を掌握しきれなかった島津氏が日向北部に出る事を躊躇ったようだ。


先日まで伊東氏に仕えていた国人衆が大友に付いたら如何なるか? 島津は日向北部で孤立しかねない。大友は伊東氏復興を唱えて兵を出したのだから十分に有り得る事だ。実際それに近い事が起きた様だ。大友との戦いが日向、豊後の国境付近ではなく高城から耳川という内陸で行われた事はそれを示している。島津が日向を掌握したのは耳川の戦いの後というのが真実なのだろう。伊東親子が日向の国人衆に調略を施すと言っているが、さてどうなるか……。


「抑えを置き南下する策もございますが?」

紹運が提案してきた。

「紹運、この南には天下城(あもりじょう)、西階城、井上城が有るのだったな?」

「はっ、いずれもこの松尾城から一里内にございます」

一里内、つまり四キロ以内に城が四つあるわけだ。


元は土持氏の城なんだろうが多過ぎだろう。だが城の配置から見ても土持氏が危険視したのは伊東氏だと分かる。天下、西階、井上は伊東氏から居城である松尾城を守る盾の城だったのだ。大友を危険視したのなら居城はもっと南に置いて松尾城は最前線の重要拠点になった筈だ。


「止めておこう。少し近過ぎる、連携も良かろう。島津の後詰も来るのだ、手間取ると碌な事にはならんと思う」

「それが宜しいかと思いまする。この地は五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれております。そういう意味でも無理は禁物かと」

「そうだな」

川と川に挟まれている。つまり逃げ辛いという事だ。敗北すればとんでもない損害を受ける事に成る。戦で損害が一番出るのは逃げる時だ。そして川が有れば逃げ辛く被害が増大する。大友が耳川の戦いで惨敗した事を忘れてはならない。


「城を囲みますか?」

主税が訊ねて来た。

「うむ、囲まねば島津が不審に思おう。後詰を引き摺り出すためにも囲まねばなるまい。主税、南を頼めるか?」

島津は南から来る、或いは天下、西階、井上から後詰が来る可能性も有る。南を頼むと言う事は島津の後詰、天下、西階、井上の索敵も任務の一つだ。滅多な者には任せられない。主税にはそれをこなすだけの慎重さが有る。適任だろう。


「暫く、その任は我らに」

道雪が申し出てきた。紹運が“何卒”と付け加えた。朽木のために働かねば、そう思っているのだと分かった。断れんな、断っては彼らが辛くなる一方だ。それに九州の事は主税より彼らの方が良く知っているのも事実だ、ここは任せよう。

「では道雪、紹運に頼もうか。主税は西に回ってくれ。葛西千四郎と日置助四郎を付ける。敵が来るとすれば南から一気に来るか西から攻めて湿田に追い込もうとする筈だ。頼むぞ」

「はっ」

主税、道雪、紹運、彌七郎が畏まった。


東には目賀田摂津守貞政、進藤山城守賢久、真田源太郎、真田徳次郎を置いた。目賀田摂津守貞政、進藤山城守賢久は隠居した目賀田次郎左衛門尉、進藤山城守の息子だ。二人ともここ数年は年老いた父親に代わって兵を率いていた。年齢も三十を越え力量に不安は無い。


島津を引き寄せる。島津勢全体が北上し前のめりになる。そこを水軍が突く。薩摩に上陸して島津の本拠を占領する。慌てて兵を薩摩に送ろうとする筈だ、今度は其処を突いて日向南部に兵を上陸させる。島津は混乱するだろう、そして日向の国人衆は動揺する。さて、上手く行くかどうか……。




禎兆三年(1583年)   七月中旬      日向国臼杵郡  松尾村 松尾城  立花統虎




南に兵を展開した後、養父と父の間で打ち合わせが始まった。

「先ずは物見を出さなくてはなるまい」

「左様、多少遠くまで出す必要が有りましょう」

養父と父が話している。遠くまでというのは島津の後詰だな。天下、西階、井上は如何見ているのだろう。


「養父上、紹運殿、天下、西階、井上から後詰が来ると思いまするか?」

問い掛けると二人が首を横に振った。

「その可能性は無視は出来ぬが低かろう。こちらは大軍、おそらくは島津本隊の兵と共に押し寄せて来る筈だ」

父が答えると養父が“だが警戒は怠れぬ”と付け加えた。


「紹運殿、天下、西階、井上を見てくれぬか。儂の方は島津の本隊の動きを探る」

「承知した」

養父の言葉に父が頷いた。

「敵は船を使って連絡を取るかもしれぬ」

「となると大瀬川ですな。井上城から西階城、そして天下城へと伝わりましょう」

「うむ」

陸路ではなく川か。となると海を使って島津の伝令が来る可能性も有るな。


「では大瀬川の河口と井上城と西階城の間に兵を置きましょう。さすれば彼らを分断出来ます」

「頼む」

河口という事は父も島津は海から川を使って連絡を付けると考えているのだろう。俺が考える様な事は想定済みか……。


打ち合わせが終わり父が兵の元に戻った。

「養父上、この城は包囲するだけでございますか? 後詰を引き摺り出して決戦ならば多少は攻めた方が宜しいかと思いまするが」

問い掛けると養父が不思議そうな顔をしてから苦笑を浮かべた。

「そうか、彌七郎は知らなかったな」

「と言いますと?」

養父が顔を近づけてきた。


「この城は囮だ。今薩摩に朽木の水軍が向かっている。一気に島津の本拠地を攻略する」

小声で囁かれたが雷が鳴ったかと思うほどに驚いた。

「なんと! ……某は知りませんでした」

「秘中の秘だ、軍議の席で出た話だからな、大きな声では言えぬ」

少しも慰めにならない、恨めしかった。それにしても水軍を使って薩摩を攻略するか。朽木は琉球と交易をしているのは知っていたが……。


「本拠地を奪われれば島津は動揺する。国人衆達は兵を戻す事を主張しよう。島津は後退せざるを得ぬ」

「つまり、この地は捨てられると?」

「そうなるな」

今無理に松尾城を攻める必要は無いという事か。


「彌七郎、島津が後退すれば当然だが追い打ちをかける事になる。その時は南の我らが先陣を務める事に成ろう」

「はい」

「抜かるなよ、我等は大殿の期待に応えねばならんのだからな」

「分かっております、必ずや恥ずかしくない働きを致しまする」

養父が満足そうに頷いた。


立花、高橋はもはや大友の家臣ではない、朽木の家臣だ。宗麟様は我等よりも領地を望んだ。そして大殿は領地よりも我等を選んだ。養父も父も泣いていた。情けなさに泣いていた。これまでの忠節は何のためだったのかと嘆いた。常日頃剛毅な姿を見せていた二人からは想像も出来ぬ事だった。自分の一生を否定されたような想いだったのだろう。唯一の救いは大殿が養父と父を高く評価し、二人の心情を理解してくれている事だった。


人を大事にせぬ家は続かぬと養父は考えている。そして恩を忘れた家も続かぬと考えている。大友家はその両方を犯した。本来なら朽木家に協力すべきであるのにごねる事で己の利を追求した。そして今も大友は兵を出そうとしない。領内が治まらないと言って兵を温存しているのだ。大友家は天下に忘恩の家である事を証明した。その終わりは決して良くあるまい。我等に出来る事は朽木家の中でしっかりとした立場を築く事、そして大友家が滅ぶ時は家名だけでも保てるように尽力すべき事。今回の島津攻めはその第一歩だ。失敗は許されない。




禎兆三年(1583年)   七月下旬      日向国臼杵郡  松尾村 松尾城  三好長道




本陣から少し離れたところから松尾城を見た。

「兄上、大きいな」

「うむ」

「兄上なら何処から攻める?」

弟の孫七郎が問い掛けてきた。

「北も南も大軍の展開に向かんな」

「となると東かな?」

「そうだな、東だろう」

東も決して攻め易くは無い、しかし西に比べればましだろう。西は足元が弱い。


「兄上、四国はどうなっているかな? 摂津守様が亡くなったが……」

不安そうな表情だ。本当はこれが聞きたかったのだろう。だが本陣では話せる事ではない、だから城を見ようと誘ったに違いない。

「さあ、如何なっているか、俺にも分からぬ」

弟を安心させたいとは思うが分からぬとしか言いようがない。豊前守様が亡くなられ摂津守様が亡くなられた。阿波三好一族は本家の三好家、分家の安宅家と次々に当主が代わっている。一体どうなるのか……。阿波守の力が強まっているとは思うが……。


我が家を面白く無く思っているのは事実だろう。だが戦になるという事が有るのだろうか? 一族として何度も助け合って来たのだが……。

「孫八郎、本陣に戻ろう。我等は客分、朽木の家臣ではないが此処は戦場だ。気儘は許されぬ」

「うむ、そうだな」

弟を促して本陣に戻ると直ぐに前内府様に呼ばれた。どうやら我等兄弟を捜していたらしい。慌てて御前に行くと前内府様の側には黒野重蔵殿、長宗我部宮内少輔殿、飛鳥井曽衣殿が居る。何事かと緊張した。弟も顔が強張っている。


「外に出ていたのか?」

「申し訳ありませぬ、勝手気儘な振舞を致しました」

「責めてはおらぬ。だが外に出る時は何処に行くかを伝えておけ。いざという時に困るからな」

「はっ」

前内府様の表情は厳しい、責めてはおらぬと言われたがやはり御怒りなのだろう。


「畿内から少々厄介な報せが入った」

畿内? 四国ではなく? 厄介とは一体……。

「堺の町で大量に兵糧、武器、鉛玉、火薬を購入している者が居るらしい。それも密かにな」

思わず弟と顔を見合わせた。動き出したのだろうか……。


「武器を購入しているのは三好阿波守と細川掃部頭だ」

動き出したのだ!

「堺の町は朽木の支配下に有ってな、妙な動きが有れば俺に報せが来るようになっている。巧妙に幾つかの店に分けて頼んでいるようだがむしろその方が訝しいわ。報せが入った。二人は九州遠征に赴くかもしれぬからと言って購入しているようだ。だが俺の所には二人から何の連絡も無い、面妖な事よ」

前内府様が面白くなさそうな表情をしている。


「おそらくは武器弾薬は九州遠征の為ではあるまい。摂津守殿が死んであの二人を抑える者が居なくなったという事であろう」

「では?」

問い掛けると前内府様が頷かれた。

「狙いはその方等の父、久介殿であろうな。日向守殿の危惧が現実のものになったようだ」

「……」

「戻る事は許さんぞ、分かっているな?」

「はっ」

分かっている。最悪の場合は我らが家を継ぐことになるだろう。


「俺の方から久介殿に文を書く。武器弾薬の事、それと無理をするなとな。その方等も書け」

「はっ、御配慮、忝のうございまする」

「平島公方家の権大納言殿にも文を書くつもりだ。あの御仁も無理をしかねんからな」

「はっ」

頭を下げながら前内府様は面倒見の良い御方なのだと思った。いやそうでなければ人は付いてこない。立花殿、高橋殿が朽木家に仕えたのもそれが一因だろう。


「四国は如何なりましょう?」

問い掛けると前内府様が表情を曇らせた。

「おそらくだが掃部頭は三好一族を分裂させ争わせ弱めてから潰すつもりであろうな。伊予十万石は阿波守を唆すための餌だ。阿波守が久介殿を討てば阿波守は信望を失う。三好内部でも阿波守を誹謗する者が現れよう。それも阿波守に討たせる。そうやって三好家を混乱させ弱めていく。阿波の国人衆は頼るべき柱を誰にすべきかで迷う事になるだろう。その時に打倒三好を掲げて立ち上がるのだと思う」

なるほど、浅慮で粗暴な阿波守なら簡単に操れるだろう。もっとも三好家の当主に相応しくない男が当主になってしまった。


「その方等、身辺に気を付けよ」

「と申されますと?」

前内府様の表情が厳しい。

「阿波守は伊予を攻め獲って終わりかもしれぬ。だが掃部頭は三好一族、その係累への復讐、抹殺が狙いではないかと俺は考えている」

なるほど、十分に考えられる事だ。弟も頷いている。


「その方等も標的だと思った方が良い」

「我等もでございますか?」

「そうだ、孫八郎。危ういと思え。これ以後は警護の兵を付ける。本陣を離れるのは構わぬが決して警護の兵と離れてはならぬ、良いな?」

「はっ、御配慮有難うございまする」

礼を言うと前内府様が頷かれた。




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