益富城攻め
禎兆三年(1583年) 四月中旬 筑前国糟屋郡 立花口村 立花山城 朽木基綱
「この度は御来援、誠に有難うございまする」
書院に通されると早速に礼を言われた。道雪が頭を下げると彌七郎統虎、高橋紹運も頭を下げた。誾千代は出てこない、遠慮したのだろう。ちょっと残念だが顔を見たいとは言えない。他人の女房に興味あるのかと変な誤解を受けそうだ。特に今は豊千代の問題も有るから要注意だ。李下に冠を正さず、瓜田に履を納れずとも言うからな。
「礼は要らぬ。此度の九州入りは大友を援けるのが目的ではない。島津を潰すのが目的だ。秋月はおまけだな」
三人が困った様な顔をした。一度和睦を斡旋したから期待したいんだろうが正直に言えば期待されても迷惑だ。俺は大友には関心は無い。と言うより大友に存在価値が有るのか疑問に思っているくらいだ。九州征伐は天下統一の一事業だ。大友救援が目的ではない。
「豊前の事は聞いているか?」
「はっ。城井民部少輔が降伏を拒否して滅ぼされたと聞いております」
「貫、野仲、長野、安心院も降伏を拒否して滅んだ。秋月は豊前から撤退した。豊前は朽木が制圧した」
シンとした。明智十兵衛光秀、手際良く片付けたわ。もっとも逃げた者は居るだろう。十兵衛からの報せには城井民部少輔は討死したが息子の弥三郎は落ち延びたと書いて有った。他にも逃げた者は居る筈だ。
それにしても困ったもんだよな。降伏はしても良い、でも本領安堵が望みだというんだから。残念だがそんな虫の良い話は認められない。豊前、筑前は本州から九州への入り口になる。そんなところに旗色が悪くなると直ぐに寝返る様な連中は置いておけないんだ。
あの連中にとって大事なのは長年住みついた土地なのだ。主が誰かでは無い。だからちょっと主の旗色が悪くなると直ぐに反旗を翻す。もうそういう国人領主の我儘は許さない。一所懸命は分かるが中世から近世への脱皮には邪魔だ。天下は統一される。九州も統一国家日本の一部なのだ。こちらの命が受け入れられないなら当然だが排除されるという事だ。
「明智は今豊後に向かっている。豊後では島津、一向門徒は日向に撤退したようだ。日向に誘い込んで討つ方が利が有ると見たのだろう。つまり豊後で反乱を起こした連中は仲間を失った、孤立している」
三人が頷いた。豊後では有力国人の志賀一族、そして田原右馬頭親貫が反乱を起こしている。
他にも柴田紹安、戸次玄三、朽網鑑康・鎮則親子、一萬田紹伝、麻生紹和、入田宗和らが島津氏に寝返っている。酷いもんだ、これだけ反乱が起きて敵が攻め込んで来たら普通は滅びる。滅びなかったのは大友宗麟が難攻不落の臼杵城に籠っていたからだろう。
「降伏は促すが本領安堵は認めぬ。そんな事をすれば宗麟殿が怒るだろう。俺に出来る事は朽木の家臣として新たに領地を与える事だ。但し宗麟殿の口添えが有れば別だ。本領安堵は保証せぬが大友家の家臣として認める。後は宗麟殿に本領安堵を願うが良い。もっとも宗麟殿も反乱を起こした者や寝返った者達を抱えたいとは思うまいな」
三人がまた頷いた。島津の勢いに抗しかねて大友を裏切った者も居るだろう。そういう者達は哀れだとは思う。だから朽木に降伏しろと言っている。先祖代々の土地は失っても家は残す事が出来るのだ。
勿論大友が恩を着せて本領安堵を許すという可能性も有る。しかし許された方が恩に着るとも思えない。大友氏は下り坂だ。甘く見られるのが精々だろう。或いは許すと言ってその後に謀反人、裏切り者を纏めて殺すか。有りそうな話だ。だがこの一件で大友からは多くの国人領主が去る事に成るだろう。国人領主は軍事指揮官でも有る、大友の力は減少する。そういう意味でも秋月は放置出来ない。
「これから秋月を攻める。先ず順に行けば笠木山城だが笠木山城は中々の堅城と聞く。抑えの兵を置き益富城に向かい攻め落とす。その後、兵を南下させ秋月の城を落としていく。秋月修理大夫は何処かで一戦交えようとする筈だ。それを叩いて秋月の戦意を挫く」
「我らに先鋒を」
声を上げたのは高橋紹運だった。嬉しいなあ、我ら三人か、事前に打ち合わせしたんだろう。ここで俺に働きを見せる事が大友、戸次、高橋のためになると考えたに違いない。健気だよ。
「有難い申し出だがこれまでずっと戦で大変だったであろう。少し兵を休ませるが良い」
「しかし」
「案ずるな、残って城を守れとは言わぬ。同道して貰うし十分に働いて貰うつもりだ。だが我らも物見遊山に来たのではないのでな。先ずは笠木山城までの道案内を頼みたい」
「はっ」
三人が畏まった。
禎兆三年(1583年) 四月下旬 筑前国嘉麻郡 中益村 益富城 三好長道
「兄上、この益富城は笠木山城に比べると左程険しくはないな」
「同じ山城では有るが益富山は笠木山に比べると随分と低い。その所為だろうな」
弟の孫八郎が頷いた。
「この城が落ちれば笠木山城は敵中に孤立する。笠木山城の城将は秋月宗全、秋月の姓から察するに秋月一族の男らしいが心細さと焦燥に駆られような。何処まで耐えられるか」
弟がまた頷いた。そして“兵力が多いというのは有利だな”と言った。その通りだ、兵力が多ければ選択肢が増える。笠木山城は朽木主税様率いる八千の兵の前に身動きが取れずにいる。
目の前には益富城が有る。前内府様は本陣を見晴らしの良い小高い丘の上に置かれたから益富城が良く見える。この城を押さえれば豊後日田への街道と肥前大村へと続く街道を押さえる事が出来るだろう。街道の要衝だ。
「この近くに岩石城が有る。岩石城は九州でも屈指の堅城との評判の城であったがあっという間に明智様によって攻略されたようだ」
「ではこの城もあっけなく落ちるかな? 兄上」
弟が眼を輝かせている。
「どうかな、山はそれほど険しくは無いが出城が多いそうだ。ここから見てもそれが分かる。面倒だな、簡単には落ちまい」
弟が“確かに”と頷いた。
「兄上、前内府様はこの城を如何攻めると思われる?」
「さて、分からぬな。兵糧攻めでじっくり攻めるという手も有る。秋月の後詰を誘い出すという意味でも悪くは無い」
「しかし秋月が出て来るかな?」
弟は不満そうだ。出て来ないと見ている。
「分からぬ。それに島津という敵が居る以上前内府様が悠長な事をするとも思えぬ。となると多少犠牲は出るが力攻めで出城を一つ一つ落としてという事かな」
力攻めの方が落とした時に敵に与える衝撃が大きい。犠牲は出るが朽木は大軍、不可能ではない。
「俺も兵を率いて戦に加わりたかったな」
「それはこの兄も同じだ。だが今回の九州遠征には三好一族は参加せぬ事に成っている」
「摂津守様の御容態は如何なのか、兄上は何か聞いておられるか?」
弟が不安そうな表情をしている。
「分からぬ。だが一族の中では徐々に阿波守様の発言力が強くなっていると聞く。当家にとっては良くない状況だ」
三好阿波守長治、歳は確か今年で三十一、前内府様と左程変わらぬが粗野で思慮浅く三好一門の長としては不安しか感じない。
「篠原右京進は頼りにならんのかな?」
「如何かな、阿波守は右京進を疎んじていると聞く。それに右京進ももう歳だ。余り期待は出来まい」
弟が唇を噛み締めた。
篠原右京進長房、阿波三好家の重臣であり物事の分かった人物というのが祖父の評価だった。周囲の信望も厚い。だが豊前守様が亡くなられ阿波守に疎んじられている事で本人も嫌気がさしているらしい。そろそろ息子の大和守長重に全てを任せて隠居するのではないかと言われている。大和守の正室は豊前守様の娘だ。大和守は阿波守の義弟になる。上手く阿波守を押さえてくれればと思うが……。
「父上は大丈夫かな?」
「孫八郎、案ずるには及ばぬ。父上は慎重なお方だ。阿波守に後れを取る様な事は無い」
弟は頷いているが納得した様な表情では無い。阿波守がその気になれば城中に招いて父を殺す事も出来よう。そうなればいくら用心しても命は全う出来まい。だが阿波守ならば自ら兵を率いて我らを滅ぼす事を望みそうだ。それならば父上も安芸に退く事が出来る。
「三好孫七郎殿! 孫八郎殿!」
声がした方を見た。兵が一人いる。北条又二郎氏益、遠征前に元服した北条家の若者だった。前内府様の小姓を務めている。
「大殿がお呼びでございます。至急本陣へ」
「承った」
返事をして弟と共に駆け足で本陣に向かった。はて、何用だろう。
本陣では前内府様が朽木の武将達と談笑していた。毛利右馬頭様、吉川駿河守様、小早川左衛門佐様、安国寺恵瓊殿も居る。戸次道雪殿、彌七郎殿、高橋紹運殿も居た。我ら兄弟を見ると大殿は破顔して手招きをされた。
「何処に行っていた、二人とも。これへ参れ」
慌てて前内府様の前で畏まった。
「申し訳ありませぬ。弟と益富城を見ておりました」
「抜け駆けでもしようと相談していたか?」
「そのような事は」
「決して」
二人で否定すると前内府様が声を上げて御笑いになった。皆も笑う。恥ずかしかった、前内府様の傍を離れたのは失態であった。心配をかけてしまったようだ。
「なら良いがな。その方等二人は久介殿から預かったのだ。決して無茶はならんぞ。万一の事が有っては久介殿に、いやそれだけではない、日向守殿にも顔向けが出来ぬ」
「畏れ入りまする」
「付いて参れ、もうじき城攻めが始まる。共に戦況を確認しよう」
「はっ」
前内府様が本陣を出ると皆も続いた。我等もその後に続く。前内府様が向かったのは我等兄弟がさっきまで居た所だった。
「なかなか良い場所だな、孫七郎、孫八郎」
「はっ、畏れ入りまする」
また前内府様が御笑いになった。どうやら前内府様は我らが此処に居る事を知っていたらしい。多分見晴らしの良い場所を探せと命じられたのであろう。そして其処に我等兄弟が居ると聞いたに違いない。先程から御笑いになっているのはその事を可笑しく思っての事だろう。
床几が運ばれてきた。私と弟の分も有った。皆で座る。緊張した。此処に居るのは皆高名な方達だ。一番若年の彌七郎殿でさえ何度も戦に出ている。我らの後ろに使番が控えた。
「始まるぞ」
前内府様の声に益富城を見た。幾つかの部隊が東方の尾根に向かっている。全部で六千程だろうか。あそこには出城が三つ、それぞれに助け合えるように造られていた筈だ。
部隊が三方向に分かれた。なるほど、それぞれに攻略しようという事か。しかし兵力は集中してこそ効率良く、いや兵数にばらつきが有るな。二つは千人程か、残り一つは四千と見た。となると二つは牽制だな。出城の一つを攻め取る、残りの二つは牽制の攻撃をかける事で相互に助け合う事を防ごうという事か。なるほど、兵の多い部隊は真ん中の出城に向かっている。あれを獲る事で両脇の出城を分断しようという事か。
始まった! 鉄砲の音と喚声が聞こえる。兵は? 攻めかからない。先ずは鉄砲で攻めようという事らしい。
「兄上、効果が有るかな?」
弟が小声で訊ねてきた。敵は出城の中に居る。効果は薄いのではないかと見ているのだろう。
「外には出辛くなる。その分だけ味方は近付き易くなる」
同じ様に小声で答えると弟が“なるほど”と言って頷いた。朽木は鉄砲の扱いに慣れている。出城の中に居れば比較的安心だ、外に出れば鉄砲で撃たれると思わせる事で敵を動けなくしているのだと思った。
「大筒が有ればな。今少し楽に攻められるのだが」
「此度は御持ちになられなかったので?」
「海を越えるのでな、少々不安が有った。念のため北九州を押さえてからという事にした」
「なるほど」
前内府様と右馬頭様が話している。大筒か、祖父も大筒には苦しめられたと言っていたな。城攻めには抜群の威力を発揮する、だが数を揃えれば野戦でも十分に威力を発揮するとも言っていた。
「もっとも島津攻めに役に立つかは分からぬ」
「それは一体如何様なる訳でございましょう」
「これから九州は梅雨時になる。大筒、鉄砲は使い辛くなろう。島津は剽悍、厄介な戦になる」
「なるほど」
皆が頷いている。前内府様が“秋頃から始めるべきであったな”と言った。なるほど、梅雨時か。今回の遠征にそれがどう影響するのだろう。鉄砲、大筒が使えない朽木勢……。
兵が喚声を張り上げて出城に攻めかかったのは小半刻も経った頃だった。
「兄上、あれは竹束では有りませぬか?」
「うむ、そのようだな」
寄せ手は竹束を持って攻めかかっている。これでは忽ち攻め込まれるな。あの出城は持たない。
半刻程で出城が落ちたと報告が有った。前内府様が状況を確認するために使番を送った。直ぐに使番が戻って来た。二十代前半、俺と左程変わらない歳と見た。
「日置左門様、出城を落としましてございます! 確認致しました」
「うむ、御苦労! 速いな、流石は左門だ、五郎衛門譲りの武勇よ」
前内府様が膝を叩いた。御慶びになっている。
「それで、如何であった?」
「左門様はこれより南の出城に攻めかかりたいと申されております。敵を分断した以上、恐れるに足らず。勢いに乗って攻め落としてくれようと申されておりました」
使番の言葉に座がどよめいた。流石は朽木の軍勢だ。天下を獲ろうという軍勢は勢いが有ると思った。
「頼もしいわ、久々の戦で張り切っているな」
「畏れながら愚見申し上げて宜しゅうございましょうか?」
「戦場である、遠慮は要らぬぞ」
前内府様の言葉に使番が頭を下げた。
「はっ、御許しを得て申し上げまする。日置左門様の隊、真に意気盛んなれど某見まするに思いの外に負傷者が多い様に見受けました。ここは無理をさせずに出城を守らせるべきではないかと思いまする」
前内府様が大きく頷いた。
「良き意見である。南の出城は平井弥太郎に攻めさせよう。その方左門に出城を守る様にと伝えよ。不満に思うであろうが島津攻めで働いてもらう、頼りにしているとな、伝えてくれ」
「はっ」
使番が畏まって下がろうとすると前内府様が“待て”と声をかけた。
「その方、名は?」
「秋葉市兵衛と申しまする」
「では九兵衛の親族か」
「はっ、甥にございまする」
前内府様が大きく頷いた。
「見事な進言であった、その方の名、確と覚えたぞ」
「有り難き幸せ」
一礼して使番が去っていった。それを見て前内府様が“弥太郎に南の出城を攻めさせよ”と命を出した。控えていた使番が動いた。
驚いた。弟も驚いている。あの使番、我らと左程歳は変わらぬ筈。戦に慣れた古強者ならともかく若年のあの者があれだけの進言をするとは……。ここに居る皆があの使番の振る舞いに驚いていた。あのような家臣が居るだけで朽木恐るべし、侮るべからず。皆がそう思う筈だ。
朽木の強さは銭や鉄砲、兵の多さだけでは無いのだ。人材の厚さにも有るのだろう。あれは才能だろうか? いや、才能だけとは思えぬ。戦に慣れる事で経験を積んだのであろう。そして周囲と競い合う事で才を延ばしているに違いない。その中で力有る者が前内府様に認められていく……。
自分も朽木家の中で働きたいと思った。朽木の天下獲りの中で自分を試す、皆と競い合い自分の力を試す、才を磨く。阿波守等といがみ合うよりもずっと楽しい筈だ、満足感も得られるだろう。そして前内府様に認められ出世して行くのだ。