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立花道雪




禎兆三年(1583年)   二月下旬      駿河国安倍郡  府中 駿府城  前田利家




「湯坂城は落とした。次は何処を攻めれば良いと思うか?」

御屋形様が絵図を見ながら問いを発した。小田原城を中心に徳川の城の配置図が記された絵図だ。湯坂城は朱で塗られている。

「小田原城に近付くならば塔之峰城にございましょう。なれど鷹ノ巣城、進士城を放置して進んで良いのかという問題が有ります」

池田勝三郎殿の答えに何人かが頷いた。


「湯坂城を落とした事で徳川は鷹ノ巣城、進士城への後詰は難しくなった。あの二城は孤立していると言って良い。落とすのは難しくなかろう。徳川が後詰するなら決戦するまでよ」

「山中での戦では大軍の利が十分に活かし切れぬ。無理をせず放置という手も有るぞ、内蔵助。あの城が何の役にも立っておらぬと分かればさぞかし徳川は苛立ちを覚えよう」

俺の言葉に何人かが笑い声を上げた。


「後方を攪乱するかもしれぬぞ、又左。そうなれば役に立っておらぬとは言えまい、厄介な事に成る」

「出来るかな? こちらの注意を引けば攻め潰されるのは見えている。大人しく城に籠っているのではないか」

俺が答えると佐々内蔵助が“うむ”と唸り声を上げた。


「そうかもしれぬが……、相手は徳川だぞ、又左。その結束を甘く見るのは危険ではないかな?」

内蔵助が首を傾げている。

「なるほど、そうかもしれぬ」

確かにそうだな、俺の他にも何人かが頷いている。御屋形様もだ。


動けば攻め潰されるのは見えている、普通なら動かぬ。徳川が滅んでも城を一つ守っていたと周囲には言える、節を曲げずに城を守ったと胸を張って答えられる。面目は立つのだ。徳川滅亡後に他家に仕えようとしても仕官に苦労をする事は有るまい。だが徳川は結束が強い、内蔵助の言う通り、軽視するのは危険だ。


「鷹ノ巣城、進士城を落とし塔之峰城、宮城野城を落とすのが良いのではありませぬか。少しずつ小田原城の支城を落とし包囲する形を作る。小田原城は簡単には落ちませぬ。敵の士気を挫くのが肝要かと思いまする」

弟、佐脇藤八郎の言葉に御屋形様が大きく頷かれた。


「佐脇殿、良き案にござる。御屋形様、先ずは足柄城を攻めては如何でございしょう」

「足柄城をか、半兵衛」

半兵衛殿が頷いた。御屋形様は訝しげな表情だ。いや、皆が訝しんでいる。鷹ノ巣城から宮城野城を攻略するのを良い案と言ったではないか。如何いう事だ?


「御屋形様、徳川は湯坂城を落とされた事で塔之峰城に兵を送り備えを固めております。足柄城を落とせば徳川は浜居場城の守りを固める筈。例え落とせずとも徳川は足柄城の兵を増強し守りを固めざるを得ませぬ。その分だけ甲斐守が動かせる兵力は少なくなりましょう。それを見極めた上で佐脇殿の申されたように鷹ノ巣城、進士城、塔之峰城、宮城野城を攻略するのです」

半兵衛殿の言葉に“なるほど”と御屋形様が呟かれた。皆も頷いている。


「半兵衛は徳川の眼と兵力を足柄方面に引き付けろと言うのだな?」

半兵衛殿が嬉しそうに頷いた。

「御意。上手く行けば小田原城の兵力を少なくした後に小田原城を包囲する形が取れましょう。徳川甲斐守の手持ちの兵を分散させる、甲斐守にとっては一番嫌な事にございます。何と言っても小田原城の兵が少なくなればそれだけ守りに支障が出るのです」

なるほど、流石は半兵衛殿だ。大殿を助け朽木の大を成すのに力を発揮したと言うのは伊達ではない。先日の雪中行軍による湯坂城攻略も半兵衛殿の提案と聞くが頼もしい限りだ。


御屋形様が我等に視線を向けた。

「半兵衛の意見を如何思うか?」

皆から“異存有りませぬ”、“良き案と思いまする”と言う声が上がった。

「良し、ならば越後の義兄上に文を送ろう。許しを取り次第足柄城の攻略を行う。これは勝三郎に頼む、兵は五千だ」

「はっ」

池田勝三郎殿が畏まった。


「勝三郎、狙いは徳川の眼を引き付ける事だ。無理はするなよ」

「御意」

「念のため湯坂城にも兵を増強しよう。折角獲った城だ。徳川に奪い返されては堪らぬ。その上で鷹ノ巣城、進士城、塔之峰城、宮城野城を順に攻める。準備にかかれ」

「はっ」

皆が畏まった。


軍議が終わり御前を退出した。廊下を歩いていると隣に並ぶ男が居る。藤八郎だった。

「兄上、以前に比べれば御屋形様も力強くなられましたな。頼もしい限りにござる」

「当然であろう。若君が生まれたのだ。御屋形様は父親になった。男は父親になれば変わるものよ、そうであろう?」

「確かに」

二人とも口には出さない。だが大殿の激しい叱責が御屋形様を変えたと思っている。


“泣く暇が有ったら考えろ”、怒鳴りつけて追い返したのだという。以前から気性の激しい御方だとは聞いていた。だが接した限りでは闊達な御方にしか見えなかった。闊達な御方では有るが並々ならぬ激しさを内に秘めた御方なのだろう。その激しさが御屋形様に向けられた。息子であるが故に遠慮なくぶつけられたのだ。


或いは我ら家臣には大分遠慮されているのかもしれない。泣く暇が有ったら考えろか。亡き織田の殿に似ていると思う。故殿も敗けても決して諦めぬ御方であった。一色、今川、武田、いずれも手強い相手であった。だが何度も何度も工夫し策を練りそして最後には敵を打ち破って勝った。御屋形様も徐々に大殿に、故殿に似てきていると思う。


「於禰殿から松に文が来た」

「ほう、藤吉郎殿の嫁御から義姉上に?」

「うむ、読ませて貰ったのだが次郎右衛門様が藤吉郎の屋敷に寄ったらしい。汁粉をお出ししたそうだが美味いと言って三杯も食べたと書いて有った」

藤八郎が笑い声を上げた。


「次郎右衛門様は闊達な御方の様ですな」

「そうだな」

「兄上、那古野の城造りは如何いう状況なのかな?」

「土地の整地が終わったと聞いている。これから本格的に城造りが始まるだろう」

「順調ですな」

頷いていた藤八郎がすっと身体を寄せてきた。


「兄上」

「うん?」

「三介様の事、御聞きになられましたか?」

声が低い。横目で見ると弟は気遣わしげな表情をしている。

「今の境遇に不満を漏らしている事。それを心配して藤吉郎が何度か三介様を諌めたという話なら聞いている」


その際、三介様は大分藤吉郎に不満をぶつけたらしい。藤吉郎はそれ以降三介様に関わっていない。城造りで忙しいという事も有るが大殿から止められたようだ。大殿は藤吉郎の身を案じたのだろう。つまり大殿は三介様の動向に注意を払っている事に成る。


「それは以前の事。今は酒と女に入り浸っているそうにござる」

「……」

「織田家の方々も案じているとか。藤姫様の事も有る。大殿の御不興を買うのではないかと」

思わず溜息が出た。藤姫様は大殿の御傍にて寵愛を受けている。織田一族は大殿との結び付きを強めようとしているのに……。


「御辛いのは分かるが今少し考えて頂かねば……」

「兄上、あの御方は考えるという事が出来ぬ御方だ。源五郎様が案じているらしい。知っての通り大殿は酒や女に溺れるという事は無い。これは御屋形様も同じだ。大殿が三介様の有り様を如何思われるか。故殿の御子は未だ幼い、これから先大殿の御引立てで身を立てねばならぬのに不興を買う様な事をして如何するのかと。これでは織田一族の行く末が危ういと」

「……」

藤八郎が表情を曇らせている。


「大殿は今九州に向かっている。九州征伐が終われば残るのは関東と奥州。大殿の視線はこちらに向く。当然三介様の行状にも目が行くだろう。何事も無ければ良いのだが……」

「そうだな」

九州征伐か、年内には終わるらしい。その後は関東だろう、西国が統一されれば東へ向かうのに何の懸念も無い。大殿が関東に向かうとなれば東海道を使う事になる。城造りの事も有る。大殿の視線は那古野に向かうだろう。藤八郎の言うとおりだ。何事も無ければ良いのだが……。




禎兆三年(1583年)   二月下旬      駿河国安倍郡  府中 駿府城  朽木堅綱




軍議を終えて奈津の部屋に向かった。部屋では奈津が竹若丸をあやしていた。

「もう終わったのでございますか?」

「うむ」

「また戦に?」

「いずれな。直ぐにではない、案ずるには及ばぬ」

奈津がホッとした様な表情をしている。子を産んでから私が戦に行くのを嫌がる様な言動をするようになった。


竹若丸、私の子だ。私に似ていると皆が言う。不思議だ、奈津から私によく似た子が生まれた。何故奈津には似ていないのだろう? 皆は竹若丸の誕生を喜んでいるが私は素直に喜べない。良い父親ではないな。だがこの子もいずれは朽木家の当主になる。朽木家の重荷を背負う事になる。決して楽な一生ではあるまい。苦労を掛けてしまう。そう思うと喜びよりも済まないと思う気持ちが強くなる。


「豊千代は如何過ごしておりましょう」

「心配には及ばぬ。母上が育てているのだからな」

「……知りとうございます」

奈津が縋る様な目をしてきた。

「ならぬぞ、母上に問い合わせる事は許さぬ。豊千代は我らの子ではない、父上の御子だ」

奈津が泣き出した。


「可哀想な豊千代。豊千代は本当の両親を知らずに育つのですね」

「そうだ」

いずれは打ち明ける事が出来る日が来るかもしれない。だがその日は遥かに先だろう。竹若丸が元服し朽木家の当主に成った後の筈だ。最低でも十五年は先になる。


「同じ御屋形様と私の子なのに……、如何して……」

「そなたは豊千代が不幸だと思うのか? 私はそうは思わぬぞ」

「何故にございます。豊千代が哀れだとは思われませぬのか?」

奈津が私を睨んだ。薄情な父親だと思ったのだろう。

「真の親と暮らせぬ、真の親を知らぬ。憐れでは有る。だが不幸とは思わぬ」

「……」


「竹若丸は朽木家の世継ぎとして生まれた。これから先様々な試練を乗り越えて朽木家を背負わねばならぬ。辛かろうな、逃げ出したくもなろう。それを思うと私は竹若丸の誕生を喜ぶ事が出来ぬ。可哀想なと思ってしまう。何時かは私も心を鬼にして竹若丸を叱責しなければならぬ日が来るのだろう。それを考えるとな、辛い事だ」

「……御屋形様」

奈津が痛ましそうに私を見ている。


「豊千代は我等とは暮らせぬ。確かに哀れだ。だが父上と母上にとって豊千代は孫なのだ。大事に育ててくれよう。だから不幸ではない。そして豊千代は朽木家の庶子として育つ。竹若丸よりもずっと自由な一生を送れよう。本人も苦しまずに済む筈だ」

「……」

「竹若丸を愛してやれ。今だけだぞ、何も考えずに可愛がってやれるのは。元服が近付くにつれ厳しくならざるを得ぬ。私も母上には随分と厳しい事を言われた」

奈津が頷いた。


「父上には御迷惑をかけた」

「豊千代の事でございますか?」

「うむ、父上が外で作った子という事になっているからな。雪乃殿を始め側室達は父上の事を油断が出来ぬと思っているらしい。自分達だけでは満足出来ぬのかという不満も有ろう」

「まあ」

奈津が目を瞠った。


「豊千代の母親は京の公家の娘と思われているようだ。父上に公家の娘を薦めたのは伊勢兵庫頭だと言われている。恨まれていような。兵庫頭にも迷惑をかけてしまった」

「そうでございますね。……兵庫頭は本当の事を?」

「知らぬ」

「そうですか……」

奈津が表情を曇らせた。

「豊千代を朽木家の人間として育てるには仕方が無かった。だからな、奈津、豊千代の事は父上と母上にお任せせよ。口に出してもならぬ。そなたは竹若丸を育てるのだ」

「はい」


奈津が切なそうに竹若丸の顔を見ている。多分、豊千代の事を考えているのだろう。これからも豊千代の事を思い悩むのだろうな。父上にお預けしたのは間違いだったのだろうか? 我らの知らぬ人物に預けた方が奈津も思い切れたのだろうか? 考えるな、考えても仕方のない事だ。二人の生きる道は決まった。竹若丸は朽木家の嫡男として生き豊千代は父上の子として生きる……。


徳川は甲斐を失った。徳川の忍び、旧武田の忍びをこちらに寝返らせる機会が来た。城攻めを行っているその裏で風間出羽守に徳川の忍びへの調略を命じよう。彼らがこちらに付けば徳川は眼と耳を失うに等しい。上手く行けば偽情報で大きな打撃を与えられる筈だ。




禎兆三年(1583年)   四月中旬      筑前国糟屋郡  立花口村 立花山城  朽木基綱




立花山城は立花山に築かれた城だ。大きい城だ、山全体が城になっている。この立花山城の城主が立花道雪だ。跡取りは養子で高名な立花宗茂、今は統虎(むねとら)と名乗っている。統虎の妻は道雪の娘で名前を誾千代、これも有名だ。これから会うのかと思うと胸がワクワクする。


この立花山からは博多湾が見下ろせる。博多を制しようとすればこの城を手に入れなければならない。大内、大友、毛利がこの城を奪い合ったのもそれが理由だ。しかし山から見える博多の町ははっきり言って寂れている。戦争の所為だ。博多は何度も焼き討ちされ有力商人は肥前に逃げたらしい。肥前は龍造寺の本拠地だ。肥前に商人が逃げたという事は大友と龍造寺の力関係は龍造寺の方が上だと商人は見ている事を表すだろう。


城の大手門では老人と若い男、そして壮年の男が待っていた。三人とも片膝を着いている。老人が道雪だろう、若い男は統虎の筈だ。道雪は若い時に雷を切って足が不自由になったと後世に伝わっているがそれは嘘だ。輿に乗って戦う様になったのは十年程前かららしい。それ以前は武者働きも相当なものだと聞く。輿を使っているのは足を負傷して動かす事が不自由になったためらしい。それによって馬や徒歩での移動、武者働きが出来なくなった所為のようだ。機敏に動くには輿の方が便利だ。


壮年の男は誰だろう? 立花家の重臣だろうか?

「戸次麟伯軒道雪か?」

「はっ、前内府様には初めて御意を得まする。戸次麟伯軒道雪にございまする。これに控えまするは倅、彌七郎統虎。それと岩屋城の高橋主膳入道紹運にございまする」


あらら、高橋紹運か。嬉しいねえ。それにしても戸次なんだよな、立花じゃない。俺も九州攻めを検討するようになってから知ったんだが立花というのは大友に対して二度謀反を起こして攻め潰された家らしい。その跡を宗麟の命で道雪が継いだ。だが道雪が立花の姓を名乗る事を宗麟は嫌がって許さなかったようだ。縁起が悪い姓を名乗らせたくないと思ったらしい。大事な重臣が謀反を起こしたらどうしようとでも思ったのかもしれない。


「ほう、では彌七郎の親父殿か。大友、いや九州でも屈指の名将が揃って出迎えてくれるとは嬉しい事よ」

ホントだよ、嬉しくって笑い声が出た。

「畏れ入りまする。案内を致しまする、こちらへ」

道雪、彌七郎統虎、紹運が歩く。その後を俺を先頭に朽木家の主だった者が続いた。





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やっと九州上陸! 楽しみです
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