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禎兆二年(1582年)   十一月中旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  真田昌幸




車座に坐った皆の前に地図が有った。大きな地図だ、九州の大まかな図が記されている。

「やはり先ずは豊前を押さえねばなるまい」

朽木主税殿が長い竹の棒で豊前国を指し示すと皆が頷いた。竹の棒は皆が持っている。


「確かに。豊前を押さえれば筑前の秋月は背後を遮断されるのを恐れて豊後から兵を退きましょう。こちらはそのまま豊後に兵を進め豊前、豊後を押さえれば良い」

俺が言葉を続けるとまた皆が頷いた。もし、秋月が退かぬのなら筑前へと兵を進める手も有る。そして慌てて戻る秋月を待ち受けて叩く。


部屋には朽木主税殿、宮川重三郎殿、荒川平四郎殿、御宿監物殿、内藤修理亮殿、小早川藤四郎、黒田吉兵衛、明智十五郎、加藤孫六、そして俺が集まっていた。軍略方に任じられた者達だ。大殿が九州攻めを公言されてからしばしば九州攻めを検討している。


「しかし簡単ではないぞ。豊前も豊後も大友に反旗を翻した国人衆で混乱しているのだ。そこを島津、秋月が攻め込んでいる。島津、秋月が兵を退いても反旗を翻した国人衆を一つ一つ降して行かねばならん。容易な事とは思えん。面倒な事になるだろうな」

重三郎殿の言葉に皆が渋い表情をした。時間がかかる、そう思ったのだろう。豊前、豊後の平定で時間がかかればその分だけ島津は戦の準備を整える事が出来る。


「嫌な事を言うな、重三郎」

「軽視は出来ませぬぞ、主税殿。特に豊後には一向門徒が攻め込んでおります。退いてくれれば良いがそうでなければ豊後で根切りが起きましょう」

「それはそれで良いのではないかな。兵を退かれて島津と待ち受けられるよりはましだろう」

「某が心配しているのは後始末の事にござる」


主税殿と重三郎殿の遣り取りに皆が顔を顰めた。兵は分断して叩く。それが基本だ。だが根切りは後始末が大変だ。攻め込むのは寒い時期の方が良い、死体が腐る事を考えずに済む。今回攻め込むのは年が明けてからだ、おそらくは二月から三月、或いは四月? 微妙な所だ。


「門徒達の事も厄介ですが大殿は大友の処遇を如何するのでしょう? 豊前を大友に戻すというなら叛旗を翻した者達は簡単には降伏しますまい。降伏しても一時的な物となりかねませぬ。火種は残りますぞ」

「豊前だけではない、豊後も似た様な物です」

黒田吉兵衛、明智十五郎、流石に出来る。才気は親譲りか。


「大殿は九州に大きな勢力が存在する事を望まれていない。豊後はともかく豊前は一部を毛利に与え残りは朽木の直轄領にするのではないかな」

主税殿の言葉に皆が頷く。十五郎が“藤四郎殿、良かったな”と冷やかすと藤四郎が顔を赤らめ“まだ決まっていません”と抗議した。皆がそれを聞いて笑い声を上げた。


「しかし納得致しましょうか? 大友は豊前、筑前の守護、それに九州探題にも任ぜられていると聞いた事が有ります。最盛期には筑後、肥後にも勢力を伸ばしておりました。改めて大殿にそれを認めさせようとするのではありませぬか?」

笑い声が収まると藤四郎が疑問を呈した。


「認めぬだろう。大殿は大友宗麟を評価していない。大殿が九州遠征を急がぬのは我らの意見が纏まらぬという事もあるが根本には大友など滅んでも良いとの御考えが有るからだ。納得せぬなら潰すと言うだろう」

「俺も主税殿に同意する。大殿が領主としての責任を果たせぬ者に大領を預ける事は無い。織田三介、三七郎を見れば分かる事だ」

主税殿、平四郎殿の言葉に皆が頷いた。現実に大友は豊後一国でさえ治めかねているのだ。不満を言える立場ではあるまい。


「ところで筑前は如何なりましょう? 秋月を放置する事は出来ないと思いますが」

孫六が問い掛けると皆の顔が厳しくなった。

「放置は出来ぬ。放置すれば龍造寺が動く。大友配下の立花、高橋は現状を守るので精一杯であろう。龍造寺をこれ以上大きくするのは面白くない。大殿はそう御考えの筈だ」

「筑前だけではない、筑後も同様だ。あそこは北部が秋月、大友。南部が龍造寺の勢力範囲になっている。放置すれば殆どが龍造寺の物になる」

主税殿、重三郎殿の言葉に皆が頷いた。


「筑後は難しゅうござろう。九州遠征を行えば間違いなく龍造寺はそれに乗じて筑後の秋月領を獲る。こちらは豊前、豊後を押さえるのを優先せざるを得ませぬ。間に合いますまい」

「……」

皆が俺の意見に渋い表情をしている。言葉を続けた。


「この際、筑後は龍造寺への恩賞と認めるべきでござろう。我らが豊前、豊後を押さえる、龍造寺が筑後を押さえる。さすれば秋月は動けませぬ。一軍をもって日向方面の島津を牽制し全力で筑前の秋月を降す。後顧の憂いを無くし、その後に島津を攻める」

竹の棒を使って図で指し示すと皆が頷いた。


「まあ筑後を得ても簡単ではあるまい。あそこの国人衆は自立の意志が強い。治めるのは難しい筈だ」

「確かに。今は乱世故力の強い者に従わざるを得ぬが平和になれば自立の意思を露わにしよう。厄介な事になりかねぬ」

重三郎殿、平四郎殿の言う通りだ。筑後には筑後十五城と呼ばれる国人衆が居る。いや、柳川の蒲池が滅んだ今は十四城か。他にも滅んだ者が居るのかな?


「ま、それは戦の後の事だ、今は戦の事を考えよう。日向方面は良い、考えなければならぬのは肥後方面だ。龍造寺が如何動くかが問題になる……。違うかな、源五郎殿」

「如何にも、主税殿の申される通りにござる。龍造寺からは朽木に味方すると文は届いておりますが……」

我ながら声が渋い。


「龍造寺の隠居は自らを五州二島の太守と称しているとか。なかなかの野心家と言って良い。簡単には信じられませぬ。気が付けば島津と組んで朽木を挟み撃ち、そんな事を考えかねぬ男にござろう」

修理亮殿の辛辣な言葉に皆が頷いた。


「筑後の蒲池民部大輔を誅殺したやり方、些か非道にございましたな」

「しかしあれは蒲池が島津に近付いたからでは有りませぬか?」

「龍造寺は何度も蒲池に窮地を助けられている。民部大輔を誅するのは已むを得ぬが一族皆殺しは……。あれでは柳川の地を得るため誅殺したと言われても仕方なかろう。家臣達からも非難が出ていると聞く。嫁がせた娘も自害した、酷い物よ」

吉兵衛、十五郎、孫六の会話に皆の表情が険しくなった。龍造寺山城守、野心家で冷酷、計算高い男だ。


主税殿が大きく息を吐いた。

「日向方面で押してこちらが有利だという事を龍造寺に見せねばなるまい。その上で豊後から肥後に兵を進める」

「こちらの武威を見せ付けながら、ですな」

確認すると“そうだ”と主税殿が答えた。

「そして大殿には日向方面を進んでもらう。肥後方面は他の者に頼もう」

「良き御思案、それならば龍造寺も野心を押さえましょう」

俺の言葉に皆が頷いた。


「では薩摩にも兵を送りますか?」

「うむ、兵を上陸させるべきだと思う」

十五郎と主税殿の会話に皆の視線が修理亮に向かった。修理亮が嬉しそうに笑みを浮かべた。

「如何かな、修理亮」

「九鬼殿、堀内殿に打診致しました。御二人とも乗り気でござる」

皆が満足そうに頷いた。島津の本拠地は九州の南端にある。以前から島津攻めには水軍を使って島津の本拠地を攻略するべきだという意見が有った。成功するしないはともかく本拠地を窺う姿勢を見せれば島津も前のめりに防御は出来ぬ。


「御二人からは一度土佐にて態勢を整えてから攻め込むべきだと。その際、薩摩だけではなく日向にも兵を上陸させるべきではないかとの意見が有りました。某も良い案だと思います」

“日向か”と孫六が呟く。皆の視線が地図に向かった。

「日向か、周囲は敵だらけであろう。危険ではないか?」

「危険は薩摩も変わりは有りませぬ」

主税殿と修理亮の遣り取りに何人かが頷いた。


「島津の本拠地、内城は海岸に近い平城にござる。防御も乏しくこれを攻略するのは難しくはござらぬ」

皆が頷いた。

「つまり内城を奪い返すのも難しくはござらぬ。内城が奪われたとなれば敵は城を取り戻すために兵を薩摩に送ろうとする筈、その兵を何処から引き抜くか……」

皆が地図を見ている。


「それが日向だと言うのか?」

問い掛けると修理亮が“如何にも”と頷いた。

「日向は南北に長い、防衛線は幾重にも引いてござろう。其処から引き抜くのではないかと。或いは肥後方面からも兵を引き抜くかもしれませぬが日向から兵を抜かぬとは思えませぬ」

確かにその通りだ。皆も頷いている。


「つまり日向に穴が開く、そこに兵を送る。日向に居る島津勢を南北から攻める形が整い申す。忽ち混乱致しましょうな」

「なるほど」

「内城に一万、日向に一万を送る、島津はそれぞれの朽木勢を打ち破るために最低でも二万の兵を引き抜かなくてはなりませぬ。それにどちらも海から水軍の援護を受けられ申す。簡単には打ち破れませぬ」

船から大筒で敵を攻撃するか。


「島津は混乱しましょう。龍造寺もそれを見れば島津に付こうとは致しますまい」

「島津には坊津水軍が有ったな。それについては何と?」

俺が問うと修理亮が笑みを浮かべた。

「問題は無いと九鬼、堀内は考えております、薩摩への上陸前に排除出来るだろうと」

「……」

「その後は坊津も攻め獲るべきだと言っております。坊津を獲れば島津は海を失うに等しい。海からの補給は儘なりませぬ。長期戦になればじわじわと効いて来る」

主税殿が大きく息を吐いた。


「先ずは内城であろう。日向と坊津については大殿の御判断を仰ごう」

皆が頷いた。

「内城を攻め落とせば島津が混乱するのは間違いない。それを見定めてから肥後方面から攻め込む。阿蘇、相良もそれに合わせて動く筈」

また皆が頷いた。阿蘇、相良は以前から朽木に文を寄越している。島津の攻勢に心ならずも従う姿勢を見せているが朽木の兵が近付けば忽ち島津から離れよう。


「筑前を攻略後は大目に兵を置きましょう」

「それは龍造寺への押さえという意味か、孫六」

「はい、もし龍造寺が裏切れば、筑前から肥前に攻め込む事も考えるべきかと思いまする」

皆が顔を見合わせた。誰も異議を唱えない。

「そうだな、少し多めに兵を置くようにと大殿に進言しよう。反対はされぬ筈だ」

俺の言葉に皆が頷いた。やれやれだ、信用出来ぬ味方程始末の悪い物は無いな。




禎兆二年(1582年)   十一月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




足利義尋の処遇が決まった。予定通り、朝廷からの助命嘆願により出家の上、等持院へ預ける事に成った。だが等持院は義尋を預かる事を嫌がった。義尋は俺を殺そうとしたからな、そんな厄介な奴を預かって俺との関係を悪化させたくなかったらしい。足利氏の菩提寺なのに嫌がるんだから……、坊主って損得勘定に厭らしいくらいに敏感だよ。菩提寺らしくしろと言って義昭の木像と一緒に押付けた。


まあ連中の気持ちも分からないでもない。どんな権力者でも最後は死ぬ。死んだ後は法事が有る。大勢の人間が集まるだろう。つまり寺というのは権力者、その係累と密接に関わるわけだ。それによって栄える事も有れば衰退する事も有る。徳川なんて寛永寺と増上寺と二つの菩提寺が有った。さぞかし二つの寺で醜い争いが有っただろう。


義尋自身は出家を不満には思っていないらしい。何というか憑き物が落ちた様に穏やかになっていると聞いている。本人にとっては父親が殺されてからは不安で夜も眠れなかったらしい。だが今回、俺を殺そうとしたにも拘らず出家で済まされた事でもう殺されずに済むと安心したようだ。それに父親の義昭殺害に俺が絡んでいない事も分かった。俺への拘りは無い。勘違いから済まない事をしたと言っているとか。良い気なものだ、俺は一つ間違えば死んでいたんだが。


足利の家臣達は切腹させた。島津と組んで俺を殺そうとした事も許せないが何より主殺しに関わっている以上許す事は出来ない。本来なら斬首でもおかしく無い所だ。あのクズ共、散々俺を罵りながら死んだらしい。元は朽木もあの連中と同じ幕臣だった。それが天下を獲る、許せなかったのかもしれない。相手が信長や秀吉ならもっと素直に従ったのだろうか……。


これで足利将軍家は消滅した。平島公方家の義助は権大納言に昇進した。義助に足利の血が細くなったので弟の義任に一家を立てさせたいと提案すると宜しく頼むと返事が有った。平島公方家でも足利の血が細くなったと不安だったらしい。それと四国の状況が怪しくなってきた。その事も不安に拍車をかけた様だ。


義助からは他に関東公方足利義氏の娘の事を頼まれた。母親は北条氏康の娘で小田原城が落城した時に母親と一緒に朽木に逃れた。今九歳だ。いずれは婿を取らせて足利氏を名乗らせよう。……頼むって俺の側室って事じゃないよな? 気付かなかった事にしよう。


土佐の一条内政から使者が来た。父親の一条兼定から救援要請が来ているらしい。一条兼定は今豊後の大友の元に居る。おそらく宗麟から頼まれたのだろう。これまでにも何度か救援要請が有ったようだが内政は断っていたようだ。だが段々断り辛くなってきた。それで俺に使者を寄越したというわけだ。内政の本音は俺に駄目だと断って欲しいらしい。まあ、そうだよな。土佐一条氏は十万石をちょっと超える程度だ。兵力は三千程だろう。今の豊後に送っても焼け石に水だ。意味が無い。


内政の望み通り、救援要請は無視しろと伝えた。次の九州遠征にも土佐の一条、長宗我部は使わない。三好の行末が不透明な今、土佐の兵力はいざという時のための戦略予備兵力と言って良い。どんな混乱が四国で起きるかは分からないが此処で消耗は出来ない。土佐は水軍の中継基地として利用させてもらう。それで十分だ。


軍略方が水軍を使って薩摩に上陸作戦を行いたいと言ってきた。そして日向にも兵を上陸させたいと。薩摩への上陸か、良い案だよな。手薄になった敵の根拠地を突く事で敵を混乱させるのは良く使われる作戦だ。三国志でも蜀の滅亡は別働隊による迂回攻撃だった。今回は水軍を使って薩摩を攻撃するというわけだ。薩摩、大隅は九州でも最南端にある。北九州から陸路で攻めれば結構な損害を被るかもしれない。だが本拠地を突かれれば混乱するだろう。その分だけ損害を抑える事が出来る。


日向は如何するかな? 一つ間違うと上陸兵は敵中で孤立する事に成る。それは少し、いやかなり危険だろう。止めておくか? その方が無難では有る。だが、……そうだな、島津がこちらの上陸作戦に気付かないとも思えない。日向上陸作戦を前面に出すか。日向方面での戦闘を優位に進めるために上陸作戦を行おうとしている。となれば島津は日向に兵を集中させるだろう。そこで薩摩に上陸させる。


島津は慌てるだろう。日向上陸作戦は島津の目を欺く欺瞞作戦だと思う筈だ。となるとかなりの兵力を薩摩に送る筈。日向北部は朽木との戦いのために残す筈だ。動かすのは日向南部の兵力だろう。そこに上陸させる……。薩摩に行った連中の後を追わせるか、北上して島津勢を挟撃させるか。後で軍略方の連中を呼んで相談してみよう。


軍略方は坊津の占領も提案してきた。坊津は島津の持つ最大の湊だ。そして対外貿易の根拠地でも有る。当然だが占領させる。島津に対するインパクトは大きい筈だ。そして龍造寺、島津に従う国人衆に対するインパクトも大きいだろう。国人衆が島津から離れれば島津の勢力範囲はあっという間に小さくなる。その分だけ戦争は早く終わる。


島津は潰す。義昭暗殺に関わったのだ。主殺しを唆した以上許す事は出来ない。まして島津は足利を受け入れて担いだのだからな。まあ残すにしても島津本家では無い、分家を一つか二つ残す事で終わりだ。そして領地は薩摩では無く日向にしよう。薩摩、大隅から島津は一掃する。


薩摩、大隅は朽木の直轄領にしよう。あそこは琉球に近い。九州遠征が終わった時点で琉球に使者を送り入朝を要求する。島津が無くなった以上、琉球に使えるカードは無い。拒否すれば坊津から琉球攻略の軍が送られる事に成る。脅しではない、本気だという事を理解させよう。そのための直轄領だ。内政は手厚くしなくてはならん。あそこは台風に桜島噴火の被害が有る。必ずしも暮らしやすい場所では無い。防災と災害補償、その辺りをしっかりやれば住民も島津よりも朽木と思う筈だ。古くから続く大名家の厄介な所は住民との結び付きだ。内政重視で島津への思慕の根を断ち切ろう。


九州の国人衆には坊津を利用した琉球との交易を認める。但し、坊津の利用は朽木の許可を得る事が条件だ。条件を厳しくするつもりは無い。厳しくすれば密貿易が増えかねない。それでは意味が無い。朽木の統治下で交易をするのだという事を理解させる事が目的だ。


薩摩を押さえたら直ぐに金山の開発を行わせよう。あそこは日本有数の金の産出地だ。太政大臣に就任し相国府を作って金を掘り出して貨幣を鋳造する。考えるだけなら簡単だな。上手く行けば良いんだが……。







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