鋼斬り
禎兆二年(1582年) 十月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「足利左馬頭様、並びに家臣達を取り調べ大凡の事が判明致した。大殿には某と曽衣殿から既にお伝え致しましたが大評定にて皆に伝えよとの事にござる。良くお聞き頂きたい」
長宗我部宮内少輔の言葉に大評定に出席した皆が頷いた。声が良く通る、良い大将の条件の一つだ。流石だな。
「先ず、今回の大殿暗殺未遂の一件でござるが左馬頭様御一人の思い立ちによるものと判明致した。家臣の者達の拘わりはござらぬ」
座からどよめきが起きた。彼方此方で声がする。十一歳のガキが一人であれを考え実行したんだ、誰だって驚くよな。俺ももしかするととは疑っていたが報告を受けた時は思わず“本当か?”と聞き返した。今でも本当なのか、裏に誰かいるのではないかという思いは有る。
「何故左様な思い立ちをしたかでござるが、左馬頭様はこのままではいずれ大殿に殺されると思ったからと述べており申す」
またどよめきが起きた。
「宮内少輔殿、それは如何なる訳にござろう。大殿は足利家を滅ぼそうとはされておらぬ。誰かに吹き込まれたという事でござろうか? ならば一人の思い立ちとはいえ、使嗾されたという事になる」
駒井美作守が疑義を示すと彼方此方から同意する声が上がった。そうだよな、普通はそう思う。
「そうではござらぬ、思い込みによるものにござる」
皆が顔を見合わせている。“思い込み”という声が彼方此方から聞こえた。
「左馬頭様は義昭公暗殺の裏に大殿が居ると思い込んでいたのでござる」
“馬鹿な!”、“何を考えている!”、“有り得ぬ!”という声が上がった。全く同感だ、なんで俺が義昭を殺さねばならん。殺す意味が無いだろうが! 足利って被害妄想と思い込みが強いから嫌だわ。関わると碌な事にならん。うんざりする。
「御静まりくだされ」
曽衣の制止に座が静まった。宮内少輔が曽衣に対して微かに頭を下げ曽衣が頷く。この二人、元は敵対関係にあったが今は問題無いらしい。というより風流人の曽衣に宮内少輔は憧れの様な好意を持っているようだ。妙なものだ。一種のコンプレックスかな?
「義昭公暗殺の裏には足利家臣達と島津、一向宗が居りました。この事は足利家臣達より確認しております。彼らの狙いは大殿を暗殺し、もう一度足利幕府を再興すると言う事でござった。その中で島津、一向宗も勢力を伸ばす。しかし左馬頭様は京に戻りたい家臣達が大殿と組んで義昭公を暗殺したと思い込んでいた。顕如を利用したと思い込んでいた」
「……良く分からぬ。義昭公は上洛に前向きで有った筈、辻褄が合わぬのではござらぬか?」
荒川平九郎が首を傾げた。
「義昭公が大殿に膝を屈するつもりは無かったと言ったら如何でござろう。島津、一向宗、その他大殿に従わぬ者達を纏め大殿に足利の力を認めさせるつもりであったとしたら、上洛はそのためであったとしたら」
「……」
「左馬頭様はそれを知っていた。それ故、義昭公が暗殺された時は大殿との対立を恐れる家臣達が顕如を利用して義昭公を暗殺したと思い込んだ」
彼方此方で溜息が聞こえた。
要するに義昭は足利の権威を俺に認めさせる戦をするつもりだったのだ。其処には島津の九州制覇や一向宗の勢力回復は必ずしも必要事項では無かった。むしろ足利の力で彼等を抑えればその分だけ自分の価値が上昇すると思っていた。島津や一向宗には認められない事だっただろう。自分達を利用しておきながら切り捨てるのかと。そして幕府再興を望む幕臣達も義昭のやり方は迂遠に思えた。彼らは義昭を暗殺し俺を暗殺し世の中を乱世に戻す事で自らの望みを叶えようとした。乱世の方が足利の権威が、価値が上がると思ったのだ。
「何より義昭公暗殺には不審な点が有った。左馬頭様は如何見ても家臣達が暗殺に関わっていると思わざるを得なかった。その事が左馬頭様に暗殺の裏に大殿が居ると思わせたようにござる」
「……」
「それに征夷大将軍は足利家の家職、左馬頭様は大殿が幕府を開くためには自分達足利の者が邪魔だと、殺そうとするに違いないと、そう思ったようにござる」
また彼方此方で溜息が聞こえた。
「なんとまあ、策士策に溺れると言ったところか」
「そうだな、父親を殺しながらその息子を利用するなど無理が有る」
「左馬頭様も哀れな。殺されるという言葉は嘘では無かったか、真に迫っていると思ったが……」
声に憐みが有った。おいおい、殺されかかったのは俺だぞ。
朽木の人間は誰も義昭親子を殺そうとは思っていなかった。だが義昭は味方に殺され左馬頭も味方の策謀によって死のうとしている。義昭暗殺の裏には朽木基綱が居た、左馬頭と家臣達は朽木基綱に嵌められた。後世の歴史家達が得意げに書くんだろうな。俺ってとんでもない悪党だと言われるんだろう。不本意だ、だがあの連中を赦す事は出来ない。
「今回の一件、朝廷を初め全国の諸大名に報せる事とする」
皆が頷いた。
「足利左馬頭、その家臣達には腹を切らせる」
皆が顔を見合わせた。不同意か? 切腹だぞ、斬首じゃない。一応名誉は守っている。
「畏れながら、家臣達はともかく左馬頭様に切腹は如何なものかと」
「主税は反対か?」
主税が“はい”と頷いた。
「左馬頭様は元服したとはいえ十一歳、それに足利家の御方にございます。大殿に非難が集まりかねませぬ。家臣達の腹を切らせれば左馬頭様には出家が妥当ではございませぬか?」
彼方此方で頷く姿が有った。手足が無ければ恐れるには及ばぬか。主税、良い案だな。
「左馬頭には腹を切らせる」
「……」
シンとした。皆が視線を伏せた。
「兵庫頭、その方太閤殿下、関白殿下、一条左大臣様の元に赴け。そしてこちらから左馬頭の切腹が伝えられたら朝廷を左馬頭の助命で纏めて欲しいと頼むのだ。朝廷からのたっての頼みで左馬頭を出家させる事にする。但し、許すのはこれ一度だ。次は無い、たとえ坊主であろうと首を刎ねる」
「はっ」
兵庫頭が畏まった。彼方此方でほっと息を吐いている者が居る。主税もその一人だ。
俺は足利の血に権威、価値など認めんのだ。俺が許せばそれを認める事になる。そんな事は出来ない。だが主税の言う通り、左馬頭を殺すのは下策だ。だから朝廷を使う、朝廷にしてみれば利用されていると思うかもしれない。だが朝廷の力を認めている事でも有るのだ。それなりに自尊心を満足させるだろう。正月の祝いは派手にやろう。院、帝、皆喜んでくれる筈だ。
禎兆二年(1582年) 十一月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
今日は壺磨きの日だ。息子達に壺を譲ったから新しく織田焼と丹波焼、それと信楽焼の壺を購入した。この信楽焼の壺、なかなか良い。赤茶色の荒い肌が磨くと少しずつ艶を帯びて行く。だがまだまだ艶が足りない、磨きが足りないな。だから磨く。これが楽しいんだ、壺には不思議な魅力が有る。
朝廷には暗殺未遂事件の顛末を調書に纏めて提出した。調書には左馬頭達の処分は切腹と記してある。兵庫頭からの報せによれば朝廷では結構騒ぎになっているらしい。義昭暗殺も酷いが勘違いと思い込みで俺を殺そうとしたのも酷い。足利というのは碌な連中じゃない。世の中を混乱させる事しかしていないと非難轟々だとか。その通りだ、あの連中は碌な連中じゃない。
左馬頭の切腹も仕方ないんじゃないかという意見も出ている。これはちょっと予想外だな。公家ってのは惨い事は嫌がると思ったんだが足利には厳しい。俺を暗殺しようとしたのが許せないようだ。また世の中を混乱させるつもりだったのかとかなり怒っている連中が居る。
まあ問題は無いだろう。太閤、関白、左大臣が上手くやってくれる筈だ。予定では今月内に左馬頭の助命嘆願が朝廷からこちらに伝えられる。俺は渋々それを受け入れ左馬頭を寺に入れる。寺を何処にするかな? 相国寺、いや等持院が良いか。足利氏に縁の有る寺だ、預かって貰うんだから迷惑料が要るな。多少はずめば嫌とは言わんだろう。
うん、上の方は良いな。下の方が輝きが足りない。壺をひっくり返して底の方から磨き始めた。見えない所を磨く、これが大事だよ。仕事は丁寧にやらなければ。飛鳥井の伯父が准大臣に昇進した。大喜びだったな。飛鳥井家の家格は羽林家、大納言まで進む家柄だが二代続けて准大臣になった事で飛鳥井家は羽林家でも少々特別な家になりつつある。まあ大臣家の家でも大臣になる事は難しい事を考えれば無理も無いだろう。
九州では島津に続いて秋月が大友に攻めかかった。俺が死んだと思ったようだな。偽情報に引っかかった訳だ。だが龍造寺山城守は動かない。どうも鍋島孫四郎、後世の鍋島直茂が止めたらしい。噂が広まるのが速すぎたかな? 或いは鍋島の手の者が京に居るのか。だとすれば余程に信頼度の高い情報源を持っているのだろう。手強いな。
大友からまた使者が来た。当然だが助けてくれと言っている。大友はもう防戦一方だ。肥後、筑後、筑前は大友の勢力範囲では無くなった。立花道雪、高橋紹運、田原紹忍が中心になって豊前、豊後で防戦しているがいずれは力が尽きるだろう。遅くとも年明けには兵を出すと言ったがさて、如何なるか……。
毛利からは何時でも兵を出せると連絡が来た。ようやく毛利も内部が落ち着いたのだろう。新生毛利の初陣だな。楽しみだ。三好豊前守、安宅摂津守からは老齢で出陣は無理、若い者を出したいと申し出が有った。だがな、三好の内部が纏まりが無いのは分かっている。丁重に断った。
三好久介から息子の孫七郎長道、孫八郎長雅を本陣に置いて欲しいと言ってきた。戦を学ばせたいという理由だ。本家が出兵しない以上兵は率いず二人と伴の数名が同行する事に成る。どうも四国の状況は良くないらしい。豊前守は起ち上がれず摂津守も床に伏せる日が多いようだ。九州遠征中に二人が相次いで死ぬ事も有り得る。久介は万一に備えて息子二人を俺に託そうという事の様だ。
良し、信楽焼は終りだ。次は丹波焼だ。手に取って眺めてみる。以前のよりも少し大きいかな。悪くない、大きい方が磨きがいが有る。
「父上」
「何だ、万千代か」
部屋を覗き込んでいたのは四男の万千代だった。“遠慮は要らぬ、入るが良い”と声をかけると物怖じせずに近付いて来て座った。この辺りは母親の雪乃に似たかな? 顔は俺に似ている。いや直ぐ上の亀千代に似ているか。母親は違うんだが妙な感じだ。壺を横に置いた。
「如何した?」
「刀を見たいのです」
「刀?」
「はい、鋼斬りの刀です」
鋼斬りか。妙な名前が付いたものだ。
「駄目だ、その方には未だ早い。あれは二尺三寸有る。今のその方に扱える代物ではない」
「見るだけでございます」
眼を輝かせている。
「見れば欲しくなる、触りたくなる、使ってみたくなる。武器とはそういう物だ、料簡せよ」
しょぼんとした。困った奴。
「万千代、その方は未だ八歳だったな。太刀や脇差の事を気にするのはもっと後で良い。それよりも学問に励んでいるか? 武芸に励んでいるか?」
「はい! 励んでおります」
「そうか、そろそろその方にも傅役を付けねばならんな」
「はい」
「良い傅役を選んでやろう。楽しみにしているが良い」
「はい」
“下がれ”と言うと一礼して部屋を下がって行った。行儀は良い。壺を手に取った、壺磨き再開だ。
鋼斬り、あの謁見の時に身に着けていた兼信の長脇差の事だ。何時の間にか鋼斬りと周囲が呼び始めた。左馬頭が使った脇差は作風から福岡一文字派の物らしい。銘は無いが一文字各派は無名の物が多いというから粗悪品を身に着けていたわけでは無いようだ。本阿弥光悦に鑑定させたがなかなかの物だと言っている。
手入れが悪かったのかと思ったがそういうわけでもないらしい。つまり折れたのではない。あの兼信の長脇差に折られたのか、斬られたのか。結構力を入れたから折ったのかとも思うがそれなら左馬頭は衝撃で脇差を離しそうなものだ。まして左馬頭は十一歳、決して力は強くない。あの時の事を左馬頭は何が起きたのか分からなかったと言っているらしい。となるとやはり斬った?
分からんなあ、分からん。だがあの一件以来兼信の造った刀は人気急上昇らしい。皆が争って欲しがっている様だ。当然だが値も跳ね上がったから簡単には手に入らない。まあ新たな名刀伝説、名工伝説の誕生かな。俺がそれに関わったと言うのがちょっと信じられないが楽しい話ではある。へし切長谷部みたいなものだな。
万千代の傅役を如何するかな。あの通り屈託の無い奴だから育てるのが難しいという事は無いだろう。だが好奇心が旺盛なところが有る、我儘にならない様に、自制心を身に付けさせなければ……。一人は蒲生左兵衛大夫にしよう。誠実で実直な男だ。不足は無い。蒲生家はもう朽木の重臣だな。息子の忠三郎も兵糧方で頑張っている。もう一人は譜代から選んだ方が良いな。守山作兵衛にするか。公事奉行守山弥兵衛の息子だ。父親に似てしっかりとした男だ、十分だろう。
九州遠征が終わったら鶴の婚儀を片付けねばならん。雪乃は鶴の相手が内大臣近衛前基に決まったと聞いて驚いていたな。竹が上杉に嫁ぎ鶴が近衛に嫁ぐ。どちらも今の日本では屈指の有力者だ。俺の側室になった時にはこんな事になるとは想像もしなかっただろう。俺もちょっと驚いているくらいだ。ん、何だ? こっちを覗いている者が居るな。今日は客が多い。
「誰だ、覗いているのは。行儀が悪いぞ、中に入りなさい」
背が小さい、入って来たのは養女の龍姫だった。トコトコと近付いて来て俺の前で座った。俺をじっと見ている。
「如何した?」
声をかけても無言だ。この家に来る前は小田原城に居た。小田原城は織田に攻められ城内は暗い雰囲気だったのだろう。そういう空気の中で育った。その所為か酷く無口な娘になっている。子供らしいところが無い。
「こちらへおいで」
壺を置いて声をかけると近付いて来て背を預けて俺の膝の上に坐った。実父の北条氏直がこうして可愛がったらしい。その所為で俺の膝にも座りたがる。多分、この娘にとっては父親に甘えるというのはこれなのだろう。最初の時はいきなりの事で驚いたが今では馴れた。頭を撫でてやると俺を見て嬉しそうにした。
「中々相手をしてやれん、寂しかったか?」
問い掛けると首を横に振った。
「そうか、我慢はしなくて良いのだぞ」
今度は頷く。この娘は本当の父親の事を憶えているのだろうか? 俺の事を本当に父親と思っているのか? 怖くて聞く事が出来ない。
そうか、もう直ぐ十二月か。北条家の一族が滅んでもう三年、四回忌か。
「ちゃんと食べているか? 食べねば大きくなれんぞ」
俺を見て頷いた。
「龍は何が好きかな?」
「……カステーラ」
「そうか、カステーラか。甘い物が好きか。だが食べ過ぎは良くないぞ」
龍が頷いた。
「まあ、此処に居たのですか、龍。大殿の邪魔をしてはいけませぬよ。さあ、こちらへ。申し訳ありませぬ、大殿。直ぐに連れて行きます」
声の主は母親の園だった。龍を捜して此処に来たのだろう。髪を下ろして尼姿だ。その姿を見る度に胸が痛む。俺が追い詰めたのだろうか……。龍が立ち上がろうとしたので押し留めた。
「なあに、壺を磨いていただけだ。邪魔などしておらぬ。なあ、龍」
龍が俺を見て頷く。
「なれど」
「構わぬ、偶には相手をしてやらねば寂しかろう」
園が困った様な表情をした。俺が龍を娘として可愛がるのは不本意なのだろうか? 龍の為にはその方が良いと思うのだが……。
「もう直ぐ十二月だな」
「はい」
「今年も法要には参加させて貰う、迷惑でなければだが……」
驚いている。俺が出席しないと思っていたらしい。
「迷惑などと、そのような事はございませぬ。皆も喜びましょう。ですが宜しいのでございますか? 九州へ赴くと伺っております、御無理をなされては……」
「年明けで良い」
「……」
園が困惑した様な表情を浮かべた。年明けで良い。大友など滅んでも構わんのだ。ついでに新年の祝いもやるか、出兵は二月だな。




