四国暗雲
作中で郡内という呼称が出てきますが、郡内は甲斐国都留郡一帯を指す地域呼称です。
禎兆二年(1582年) 六月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「小兵衛、それで、尾張の状況は?」
「はっ、現状では三介様に動きは有りませぬ」
何でだ?
「徳川は動いていないのか?」
「いえ、動いておりまする。密かに三介様に徳川の手の者が接触しておりまする」
そうだよな、動いているよな。だが三介は動かない。
「少々妙な事に成っておりまする」
闇の中だが小兵衛は俺の不満を察知したらしい。困った様な声だ。
「と言うと?」
「木下藤吉郎殿が動いておりまする」
「藤吉郎? なるほど、川並衆だな」
小兵衛は頷いているだろう。蜂須賀小六、前野将右衛門が動いている。なんかワクワクするな。
「何度か三介様にお会いしております」
「諫言であろう、藤吉郎が馬鹿な真似は止めろと三介を抑えているという事だな?」
「おそらくは」
「城造りの邪魔をされるのを防ごうという訳だ」
「そのようで」
「三介の身を案じてという事も有ろうな。三介が妙な気を起こして腹でも切る様な事に成っては亡き弾正忠殿に顔向けが出来ぬと思っているのであろう。織田の旧臣達が動揺するとも思ったか」
「かもしれませぬ」
三介に腹を切らせるつもりは無いんだけどな。こっちの狙いは三介が馬鹿をやっても誰も同調しない、孤立するだけだという事を三介に理解させる事だった。動くのは危険だと本人が骨身に滲みて理解してくれれば良いんだ。ついでに言えば旧織田家臣が三介を今以上に見離してくれればもっと良い。そう思ったんだが……。
「如何なされますか?」
「……三介は今の処遇に不満を漏らしていないのか?」
「漏らしておりまする。朽木に付いた旧家臣達の事、特に木下殿の事は悪し様に言っておりまする」
「そうだろうな、危険か」
「はい」
百姓、小者上がり、幾らでも藤吉郎の悪口は出るだろう。如何する? このままでは藤吉郎の命が危ないな。もう主人では無いのに主人意識の強い三介。家臣ではないがかつての主家を案じる藤吉郎。組み合わせとしては最悪だ。拗れるばかりだろう。藤吉郎がそれに気付いていないわけが無い、だがそれでも三介を放っては置けないのだ……。
如何する? 藤吉郎を見殺しにするという手も有る。諫言する旧臣を手打ちにしたとなれば三介の評価はガタ落ちだ。でもなあ、そのために藤吉郎を見殺しにする? 却下、割が合わん。藤吉郎にはこれからも働いて貰わなければ。
「藤吉郎に手を引く様に伝えてくれ」
「はっ、三介様は?」
「大膳大夫に任せる。最初からその予定だった。藤吉郎には案ずるなと伝えてくれ。三介の命を奪うような事はせぬとな。小兵衛は尾張の状況を俺と大膳大夫に伝えよ、逐一だ」
「はっ」
「大殿、風魔が動いておりまする」
「風魔? 尾張でか?」
「はっ」
なるほど、関東攻めの邪魔になると見て監視しているのか。関東攻略が上手く行くかどうかは風魔の評価にも繋がる。出羽守も必死だな。思わず笑い声が出た。
「小兵衛、面白くは有るまいがそのままにしておけ」
「はっ、仰せと有らば」
「それより、足利の動きが気になる」
「足利、でございますか?」
訝しげな声だ。
「もしかするとだが、俺を殺すために上洛するのかもしれん」
三重交換殺人の事を話した。小兵衛は無言だが緊張しているのが分かった。空気が重くなったような気がする。
「小兵衛、俺の読み筋はこうだ。おそらく足利の一行が薩摩、いや九州を出た頃から島津が動き出す。一向宗を使って豊後あたりに攻め込むだろうな。そうなればだ、俺が幕臣達に島津の事を聞きたがると見ているのだ。或いは幕臣達が俺に島津の事で話したい事が有ると言っても不自然ではない。簡単に近付けるとは思わぬか?」
「そこで大殿の御命を奪うのですな」
「そう考えているのだと思う」
動機は足利の為では無く個人的な怨恨だろう。多分処遇、禄の事だ。以前よりも収入が少なくなった、朽木の所為だ、そんな事にするのだと思う。
「至急探りを入れまする」
「いや、それには及ばぬ。こちらが警戒していると思わせたくない」
「しかし」
「慌てるな、小兵衛。それよりも山陽、畿内に噂を広めて欲しい。九州攻めが間近だとな」
「……焦らせようと御考えで?」
小兵衛の声が低い。
「その通りだ。公家を使って九州攻めが間近だと吹き込むがそれだけでは足りぬ。おそらく船を使い瀬戸内を通って堺に来るのだろうが何処に泊まっても戦が間近だと思わせたいのだ」
「承知致しました。しかし大殿、油断はなりませぬぞ」
心配してくれる。嬉しいぞ。
「分かっている。あの者達と話す時には鎖帷子を身に付ける。傍には寄らせぬし必ず警護の者も傍に置く。心配するな、小兵衛」
「はっ」
「公方の遺児は従五位下、左馬頭に叙任される予定だ。今その手続きをしている。上洛はその後だ。となれば薩摩を出るのは七月の半ばを過ぎるだろう。それまでにうわさを広めてくれ」
「はっ」
他に二、三指示を出す。小兵衛は何時もの様に音を立てる事無く去った。見事なものだ。義尋が従五位下、左馬頭に叙任となれば征夷大将軍の前段階だ。俺が何も不審に思っていないと連中は判断するだろう。俺を殺して足利将軍を擁して天下の諸大名に号令する。俺が居なければ毛利や上杉、三好も足利の為に動く。朽木の天下などあっという間に瓦解する。そう見ている筈だ。これを機に足利ブランドに止めを刺そう。
来月には松千代を元服させて尾張に送る。元服後は佐綱と名乗らせる。朽木次郎右衛門佐綱だ。佐の字には助ける、脇で支え助けるという意味が有る。朽木家の次男として堅綱を助ける存在になって欲しいという願いを込めて付けた。小夜には既に話したが良い名だと喜んでくれている。
尾張には傳役の朽木主殿、長左兵衛、石田藤左衛門の他に井口越前守の弟新左近経貞、磯野丹波守の次男である藤二郎政長、朽木譜代の町田小十郎真隆、武田の旧臣である今福丹後守虎孝を送る。まあいずれ主殿は戻さなければならん。五年だな、五年後には戻す事にしよう。その頃には尾張も落ち着く筈だし松千代も十代後半、それなりに分別は付く筈だ。
禎兆二年(1582年) 七月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 小山田信茂
「久しゅうござるな、彦八郎殿」
「真、久しゅうござる。左兵衛尉殿」
「死んだと思っていた」
「山に逃れ隠れており申した」
目の前に白い歯を見せて笑う穴山彦八郎信邦が居た。髭の濃い浅黒い肌の男だ。笑うと白い歯が目立つ。亡くなった陸奥守殿はどちらかといえば色白の髭の薄い男であった。性格も違う、陸奥守殿は生真面目な性格であったがこの男は至って大らかだ。似た所の無い兄弟だとよく思ったものだ。
「随分と長かったのではないか?」
彦八郎が頷いた。
「織田弾正忠が生きている間は山からは出られなんだ。弾正忠の死後、徳川に仕えようかとも思ったが小田原での遣り様を見て止め申した」
「なるほど」
あれは酷かった。首を晒したと聞く。その中には信玄公の血を引く御方も居た。あれでは徳川に仕えられまい。そうしているうちに織田が滅び朽木が彦八郎に手を差し伸べたか……。
「故郷を離れるのは辛かった事でござろう」
「それは左兵衛尉殿も同じ事ではござらぬか」
「……已むを得ぬ事であった」
「……そうよな、已むを得ぬ事じゃ。甲斐は上杉領になると聞いた。上杉の下に付く事は出来ぬ」
彦八郎が首を横に振った。そうであろうな、旧武田家臣にとって上杉に仕える事は避けたい事であろう。
「朽木家は良い。武田の旧臣達が大勢居るし大事にされている。左兵衛尉殿、お主は評定衆だ。それに甘利郷左衛門、浅利彦次郎の二人は御屋形様の御側で信任も厚い。真田や室賀等の信濃衆も居る。何の不安も無いわ」
彦八郎がカラカラと笑い声を上げた。
「確かに不思議なほどに厚遇されていると思う時が有る。夢かもしれん、醒めて欲しくないものよ」
二人で声を合わせて笑った。
「大殿にお会いしたが世評と違い闊達な御方で少々驚いた」
「何を話された?」
「信玄公の事、兄陸奥守の事であった。良く御存知であった、楽しい一時であったな。大殿には驚かされてばかりよ」
「大殿は信玄公の事を良く御存知だ、甲斐の事もな。我等も驚かされる事が有る」
郷左衛門、彦次郎は大殿が信玄公の事を見事なものだと賞賛したと言っていた。その苦労も察していたと。その事を話すと彦八郎が眼を瞬かせた。
「朽木は豊かじゃ。ここに来てそう思ったわ。駿府、清洲、井ノ口、賑やかな町じゃが近江は更に賑やかじゃ。信じられん」
彦八郎が首を横に振った。
「某もじゃ、今は慣れたが最初は如何にも自分の眼が信じられなかった。幻を見ているのではないかと何度も思った」
喰うために、生き延びるために武田は戦をした。朽木は違う、天下を統一するために戦をしている。余りにも違い過ぎる、豊かであるという事は贅沢が許されるのだと思った。
「岩殿城はどうなるのかな? 何か御存知か?」
「ふむ、周りに付城を築き兵糧攻めにする事が決まった。左兵衛尉殿の意見が全面的に採用された」
「左様か」
彦八郎が顎に手をやり髭を延ばす仕草をした。
「左兵衛尉殿、岩殿城攻めは御屋形様がなされる」
「御屋形様が? 上杉ではないのか」
彦八郎が首を横に振った。
「違う、上杉は越後に戻り蘆名の動きに備えるようじゃ。岩殿城攻めは相模攻めの一環として御屋形様が行う」
「では郡内は?」
「郡内の平定は朽木家が行う。だが甲斐一国が上杉家の物である事は変わらぬ」
「なんと……」
思わず唸り声が出た。彦八郎が笑う。
「御屋形様もなかなかの御覚悟よ。領地よりも徳川を討つと御心を定められたらしいわ」
「確かに」
「小田原城を攻略し徳川を討てば御屋形様の武名は一気に高まろう。関東攻略も順調に進もうな」
「うむ」
関東攻略が進めばもう誰も御屋形様を頼り無しとは言うまい。御屋形様が東へ進み、大殿が西へと進む、朽木の天下統一は思ったよりも速いかもしれない……。不意に笑い声が聞こえた。彦八郎が笑っている。釣られて自分も笑っていた。
「楽しみじゃな、左兵衛尉殿」
「うむ、楽しみじゃ、彦八郎殿」
禎兆二年(1582年) 七月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
生まれた。息子が一人、娘が二人。小夜と雪乃が娘を、篠が息子を生んだ。正直ホッとした。これで三宅の家が再興出来る。篠は大喜びだ。雪乃は残念そうだった。だから次を頑張れば良いと言って慰めた。もっとも一人じゃ頑張れないから俺もそれに付き合う事に成る。慰めていてちょっと憂鬱になったのは内緒だ。身体が二つ欲しいわ、昼專用と夜專用。
冗談抜きでそう思う。また二人側室が増えた。一人は今川家の夕姫、今年十五歳。園姫の事が有るからな。今川家は北条が朽木家で根を張りつつあるのを見て焦りが有るのだ。嶺松院に頼み込まれて断り切れなかった。もう一人は信長の三女、藤姫。今年十九歳だ。この時代だと少し行き遅れ気味だ。織田家の混乱が原因で嫁ぎ先が決まらなかった所為で婚期を逃しかけている。俺も気にかけていたんだ、でも適当な相手が見つからない。結局鷺山殿に頼まれて俺の側室にとなった。鷺山殿にとっては俺と織田を結び付けるのに好都合だったかもしれない。上手くやられたな。
子供達の名前は息子を龍千代、娘は小夜の産んだ子に杏、雪乃の産んだ子を毬と名付けた。生まれた順番は杏、龍千代、毬の順だ。これで男子は八人、女子も八人だ。俺って凄い子沢山だな。自分でも感心している。問題は娘だな。竹と百合は良い、他の六人を何処に嫁がせるかだ。織田の藤姫のようには出来ん。頭が痛いわ、特に次女の鶴だ。今年で十二歳だからな。そろそろ考えなければならん。何処かに良い相手が居ないものか……。
義尋を従五位下、左馬頭に叙任する事が決まった。今、使者が薩摩に向かっている。おそらくは七月半ばには薩摩に着く筈だ。その使者は義昭を等持院に改葬する手続きを取っている事、今義昭の木像を造らせている事も報せる事になる。阿呆共は俺が何も疑っていない、本気で和解を望んでいる、喜んでいると思うだろう。
義尋か、年齢的には鶴に合うな。……却下だ、足利なんかに大事な娘をやれるか! 何を考えている、この阿呆! あの連中が京にやって来るのは八月の半ばから九月といったところか。あれ? 義昭の新盆は如何するんだろう? 向こうでやるのか? それとも少し遅れても京でやるのか? 京でやるなら俺も出向く必要が有るのかな? だとするとそこも襲撃ポイントか……。
連中の京での住居を如何するかという問題も有る。取り敢えず相国寺にでも泊まって貰おう。京で屋敷を構えて貰う必要が有るが場所は連中に任せよう。但し費用はこちらで持つとする。その辺りは連中が堺に着いてから教えれば良いだろう。堺での滞在場所は顕本寺とする。顕本寺は足利氏にとっては縁の有る寺だ。喜んでくれるかな? 難しいかもしれん、縁が有るのは平島公方家だからな。
六月の半ばに三好日向守長逸が死んだ。悲しい話だ。だがそれに関連して伊賀衆が気になる事を報せてきた。日向守の葬儀に三好豊前守の姿が無かったらしい。体調が優れないという理由らしいが日向守は三好一族の長老だ。この男の葬儀に出ないという事は余程に体調が悪いのだろう。そして出席した安宅摂津守も具合が悪そうだったと報せてきた。二人とも長くないと判断せざるを得ない。こちらからは飛鳥井曽衣を弔問の使者として出した。三好久介からは万一の場合は宜しく頼むと改めて言われたそうだ。久介も状況は良くないと見ている。
九州攻めの準備は進んでいる。しかし三好は当てには出来んだろう。九州遠征を行う頃には三好豊前守、安宅摂津守が死んでいる可能性が有る。いや、それだけじゃないな。最悪の場合は四国が混乱している可能性も有る。となると四国から九州東部を窺う戦力が無い、敵の戦力の分散が出来ないという事になる。面白くない。
この状況を九州の諸大名は如何見るか……。秋月、大友、龍造寺、島津、大村、有馬、相良、阿蘇。名目は島津討伐になるが簡単には行かないと見るかもしれない。その時如何動くか? 大友は問題無い、間違いなくこちらに付く。しかしな、九州で大きい所は大体が反大友なのだ。島津、龍造寺、秋月が反大友、反朽木で纏まる事も有り得るだろう。さて、如何したものか……。