心構え
禎兆二年(1582年) 五月下旬 山城国久世郡 槇島村 槇島城 朽木基綱
「では甲斐の西半分を徳川から捥ぎ取ったのだな」
「はっ」
目の前で風間出羽守が頭を下げた。相変わらず大きい男だ。重蔵は慣れているが傍に居る長宗我部宮内少輔、飛鳥井曽衣は圧倒されている。羨ましいよ、俺もこんな立派な身体が欲しかった。もしそうだったら毎日鍛えてポーズをとって日本史上初のボディビルダーなんて言われたかもしれない。
四月に上杉、朽木勢が甲斐に攻め込んだ。大膳大夫は武田の親族である穴山一族を味方に付けた。穴山一族は織田の甲斐侵攻時には山に避難したらしい。当主の穴山陸奥守と一部の者は逃げ切れずに殺されたが他の大部分の者は何とか逃げ切ったようだ。
現当主は穴山彦八郎というらしいが穴山陸奥守の弟だ。陸奥守は裏切りで有名な穴山梅雪入道の事だから彦八郎は信玄の甥に当たる事になる。もっとも梅雪入道の異母弟かもしれない。だとしたら母親が武田の出ではないだろうから信玄の甥ではない。武田との繋がりは薄いのかもしれない。一度会ってみたいな、近江に呼ぶか。
穴山一族を味方に付けた事で朽木勢は甲斐巨摩郡の南部を早期に攻略した。これは効いた。徳川は北信濃から諏訪に攻め寄せる上杉軍に対して効果的な防御が取れなくなった。下手に諏訪に兵を出せば後方を遮断される。後詰が出来なくなったのだ。そうしているうちに上杉軍が諏訪を攻略した。上杉の諏訪攻略はかなり苛烈な物だったらしい。降伏勧告を無視した高島城は力攻めの末女子供まで皆殺しにされた。根切りだな。
その上で殺した武者、女子供の首を他の城の周囲で城から見えるように晒した。忽ち城側の戦意は挫けた。徳川勢は降伏し城を明け渡して甲府に退去した。どうやら諏訪衆が上杉側に寝返ったらしい。城の弱点は全て知られている。抵抗しても無駄死にするだけだと考えたようだ。南から朽木勢、北から上杉勢が押し寄せた事で甲府では防げないと考えたのだろう。徳川軍は東に退却したようだ。
「甲斐四郡の内巨摩郡の全て、八代郡、山梨郡の半ば以上が此方のものになりました」
「なるほど」
となると甲斐の西半分というよりも三分の二を占領したと言って良いのだろう。残りは都留郡か……。
「これからどうするのだ? 残りは都留郡の他僅かだが上杉と協力して攻略するのか?」
出羽守が首を横に振った。
「都留郡には岩殿城という城がございます。なかなかの堅城にて徳川方はその岩殿城を中心に防御を固めておりまする。これを攻略するのは容易ではないというのが関東管領様、御屋形様の御見立てにございまする」
「では打ち切りか」
「はっ」
岩殿城か、聞いた事が有るな。
「そうか、岩殿城というのは小山田左兵衛尉の城だな?」
「はっ」
史実で武田の滅亡時に小山田が勝頼に岩殿城で再起を図れと言った城だ。織田の大軍を相手に耐える事が出来ると言った城だ。勝頼も小山田を頼った事を考えればかなり堅固な城なのだろう。それに都留郡なら相模から後詰も得やすい筈だ。攻撃打ち切りは妥当な判断だな。
「出羽守、左兵衛尉に岩殿城の弱点を聞くか?」
「出来ますれば」
「ならば俺が文を書こう。出羽守はそれを持って左兵衛尉に会うと良い。その方が良かろう」
「はっ、有難うございまする」
出羽守が頭を下げた。小山田左兵衛尉にとって岩殿城は思い出の城だろう。今は自分の城ではないと言っても弱点を教えろと言われて簡単には教えられまい。まして相手が風魔ではな。ここは俺から左兵衛尉に頼む形を取らねばならんだろう。
小姓に筆と紙を用意させて文を書いた。甲斐攻略の状況を記し大膳大夫は岩殿城が堅城であるために甲斐攻略を打ち切ったようだと書いた。甲斐攻略が中途半端に終わったのは残念だが已むを得ない事だと思っている。岩殿城が小山田氏の城であった事を思い出したと書いた。そしてかつての小山田氏の勢威が偲ばれると書いた。出羽守に書状を渡した。出羽守がそれを読む、二度読んでから俺を見た。
「分かるな?」
「はっ」
「左兵衛尉には岩殿城に思い入れが有ろう。その気持ちを無視は出来ぬ。俺が書けるのは其処までだ。後は左兵衛尉の気持ち次第よ」
出羽守が頷いた。
「朽木への想いと岩殿城への想い、その濃淡で左兵衛尉の答えが変わるだろう。例え答えを得られずとも俺は左兵衛尉を恨まぬ。その時は弱点は無いのだと思い定める。大膳大夫にもそのように伝えよ、決して左兵衛尉を恨んではならぬと。それが大将の、人の主の心構えであると」
「はっ!」
出羽守が頭を下げた。
恰好を付けたわけじゃない。主君と家臣の関係は鏡のようなものだと思う。自分の心がそのまま相手に映ってしまうのだ。主君が家臣を疎んじれば家臣も主君を疎んじる。そして主君と家臣では家臣の方が弱い立場だ。将来に不安を感じれば家臣は必ず牙を剥く。その危険性を軽視は出来ない。酷い例えだが犬は可愛がるから主人に懐くのだ。酷い扱いをすれば主人に嚙み付く。噛み付いた犬を責めるのは容易い。だが噛み付かせた主人にも非は有るのだ。
「それで、攻め獲った領地は如何するのだ?」
「全て上杉様に」
「ほう、大膳大夫は無欲だな。それとも律儀なのか」
「その代り甲斐一国制圧後は甲斐から相模への道をお借りしたいと」
「なるほど」
甲州街道を使って相模に攻め込むか。となると徳川は東海道、足柄、甲州街道の三方面に兵を分散させる事になる。徳川は少ない兵をさらに分散させる事になるな。大膳大夫が何処に重きを置くか、徳川がそれを読み切れるかが相模攻略のポイントになるかもしれない。しかし相模攻めは上杉の手を借りないつもりか。かなりの覚悟だな。
「良く分かったぞ、出羽守。他には何か有るか?」
「奈津御寮人様が懐妊なされました」
「そうか、目出度い!」
思わず声が弾んだ。大膳大夫が父親か。俺は祖父になるのか。後で小夜と綾ママに報せないと。俺の言葉に重蔵、宮内少輔、曽衣が口々に祝ってくれた。嬉しいわ。奈津が懐妊か、思ったよりも早かったな。生まれるのは今年の暮れ辺りか。
「奈津に身体を大事にするように伝えてくれ。大膳大夫に俺が喜んでいた、奈津を労わる様にとな」
「はっ」
「そちらから上杉に使者を出すだろうが俺からも使者を出そう。喜んでくれるだろう」
生まれてくる子が男子なら大膳大夫の地位はまた一つしっかりとするだろう。跡継ぎの居る当主の立場は強いのだ。
禎兆二年(1582年) 五月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 小山田信茂
「大殿が某にこれを?」
「如何にも、左兵衛尉殿にお渡しせよと」
風間出羽守が差し出した文を受け取った。御屋形様が岩殿城を攻めあぐねているのは近江にも届いている。おそらくはその件についてであろう。弱点を教えろと文に書いてある筈だと思った。だが文の中にはそのような文言は無い。ただ岩殿城の堅固さと小山田氏のかつての勢威に感嘆している。訝しい事では有る。
「他には何か?」
「他には何も」
「何も?」
出羽守が頷いた。
「……出羽守殿、お主、この文に何が書かれているか知っているな?」
「知っており申す」
つまり、察せよという事か……。
「小山田殿には言伝はござらぬ。なれど御屋形様には有り申す」
「御屋形様に?」
出羽守が“如何にも”と言って頷いた。
「左兵衛尉殿には岩殿城に思い入れが有ろう。その気持ちを無視する事は出来ぬと」
「……」
「例え答えを得られずとも俺は左兵衛尉を恨まぬ。その時は弱点は無いのだと思い定める。決して左兵衛尉を恨んではならぬと。それが大将の、人の主の心構えであると」
「左様に仰せられたか」
出羽守が頷いた。
胸を突かれた。大殿が左様に仰せられたとは……。
「……お主は狡い男だな、出羽守。それを某に教えてあの城の弱点を知ろうというのか」
俺の言葉に出羽守が頭を下げた。
「御許し頂きたい、ただ大殿の御気持ちを知って頂きたかっただけにござる。我等良き主を得申した。なればこそ……」
「……そうよな、良き主を得た。……北条家は、風魔はあの城を調べなかったのか?」
岩殿城は武田にとっては東の備えの城であった。武田が北条と和を結んだのは天文二十三年の善徳寺の会盟から、それまでは武田にとって最も重要な城の一つであった。北条氏にとっては尤も目障りな城であっただろう。
「何度か調べ申したが弱点らしい弱点が無く途方に暮れた覚えがござる」
「なるほど」
少し気分が良かった。風魔が弱音を吐いている。
「水の手を切る事は可能でござろうか?」
「難しい、城内には亀が池と馬冷やし池が有る。あれが有れば水に苦労する事は無い。そして残念だがそこまで兵が攻め込めるとも思えぬ」
出羽守が頷いた。
岩殿城は岩殿山に築いた山城だ。南北は断崖絶壁で先ず接近は出来ない。東西は南北に比べればましだがそれでも厳しく狭い通路を通らなければならん。とてもではないが攻め込む事など出来ぬだろう。徒に死傷者を出すだけだ。欠点があるとすれば余り多くの兵を収容出来ぬ事、攻撃の拠点には使えぬ事だが防御の拠点としてなら十分過ぎる程の堅城だと言える。後は後詰の有無次第だ。
「時間はかかるが兵糧攻めしかあるまいな。力攻めではあの城は落ちぬ。付城を築き敵を締め上げ兵糧攻めにする」
「……」
「某があの城を捨て朽木家に仕えたのもそれが理由だ。包囲して兵糧攻めをされればいずれは兵糧が尽き兵が飢える事になる。そして織田は長期に亘ってあの城に兵を張り付ける事が出来る。到底敵わぬ、そう思った」
「なるほど」
織田も朽木も銭で兵を雇う。つまり農繁期に兵を村に戻す必要が無い。包囲は続くという事だ。城内に兵糧を補充しようとすれば包囲する敵を打ち破らなければならん。だが岩殿城には多くの兵を収容する事が出来ない。包囲を打ち破るだけの兵力が無い。東西の通路を塞がれれば身動きが取れぬ。つまり城内に籠ったつもりが城内に押し込められた事になる。どうにもならぬ。
「同じ事は朽木にも出来る。徳川は兵糧が尽きる前に後詰を出すだろう。それを叩く。さすれば岩殿城は降伏する筈だ。そういう形で攻めるしかないと思う」
出羽守が頷いた。
「なるほど、岩殿城が落ちれば甲斐守の威信も落ちると」
「うむ、岩殿城を守れなかったとなれば他の城の城将達も心が揺れよう。岩殿城を落とす事よりも甲斐守を引き摺り出し叩く事を考えた方が良かろう。結果的にはそれが岩殿城を落とす事に繋がると思う」
出羽守が大きく頷いた。
「忝のうござる。御屋形様に小山田殿の攻略案をお伝え致す。必ずや御慶び頂けよう」
「大殿の御配慮に応えただけの事、いやそなたに上手く乗せられたのかもしれぬ」
「乗せられたのは我ら二人かもしれませぬぞ。大殿は中々に人の心を掴むのが上手い」
顔を見合わせ二人で苦笑をする。妙なものだ、この男と向き合って笑い合うとは……。だが悪い気分では無かった。
禎兆二年(1582年) 六月上旬 山城国葛野郡 近衛前久邸 朽木基綱
「甲斐では大膳大夫が大分活躍したと聞いた。流石、朽木の跡取りよと京でも評判が高い。関東管領の働きもそれに劣らぬものであったとか。前内府、良い息子と娘婿を持たれたな」
太閤近衛前久が上機嫌で話すと関白九条兼孝、左大臣一条内基、右大臣二条昭実、内大臣近衛前基、権大納言鷹司晴房が口々に大膳大夫と関東管領の働きを褒めた。“有難うございまする”と笑みを浮かべて答えた。それにしても席の配置が凄いわ。太閤が上座に座ってそれを基点に左右に二列に座っている。太閤から見て左に関白、右大臣、俺。右に左大臣、内大臣、権大納言。俺は下から二番目という事に成る。
「大膳大夫に子が出来たとか、目出度いの」
「未だ生まれてはおりませぬ」
「男子なれば朽木と上杉の血を引く子じゃ。真に先が楽しみでおじゃるの」
「畏れ入りまする」
なんだかなあ、今度は関白と左大臣だよ。皆で俺をヨイショしている。居心地悪いわ。
「ところでの、前内府。甘露寺権大納言より報せが有った」
あ、いきなりシンとした。駄目だよ太閤殿下、場の雰囲気を壊しちゃ。空気を読めない奴は嫌われるぞ。でもヨイショされるよりはましか。
「公方の遺族と幕臣達が京へ上洛する事に同意したらしい」
「左様で」
「島津も上洛には異存がない様じゃ」
皆驚かない。
「皆様、例の事を御存じなのですな?」
見回すと皆が曖昧に頷いた。チラ、チラと太閤殿下を見ている。俺も太閤殿下に視線を向けた。殿下が頷く。
「知っておじゃる、麿が話した」
「左様で」
こいつら何を話したんだろう。俺が死んだ方が良いとか話したのかな? 征夷大将軍は嫌だとかわがまま言っているし有りそうだな。
「公方の遺児だが元服したらしいの、名は義尋とか」
「そのように聞いております」
可愛くないよな。未だ十一歳だが足利の当主になったからという事で直ぐに元服したらしい。普通なら俺に烏帽子親を頼むと思うんだがそういう事は考えないようだ。こいつらの性根が分かるわ。義尋の義は足利家に代々伝わる通字だ、尋には継ぐ、引き継ぐという意味の他に両手を広げているという意味も有るらしい。征夷大将軍を継いで両手を広げて天下を動かそうとでも言うのかね。十一歳の子供の考える事じゃないな、幕臣共の考えだろう。
「近江に呼ぶのかな?」
「そのような事は致しませぬ。京で会いまする」
「左様か、麿は呼び付けるのかと思ったが」
右大臣がホッとした様な声を出した。また一悶着あるとでも思ったのだろう。あの阿呆共が何を考えるのかは知らない。故郷に戻ったなんて考えるのかもしれないが京を支配しているのは俺だ。その事をはっきりと分からせてやる。お前らが焼いた室町第の跡には朽木の奉行所が出来ている。そこで会う。京の所有者が変わったのだと嫌でも認識するだろう。
「今、密かに九州攻めの準備を整えております。兵力はざっと十万を越えましょう」
皆が俺を見た、視線が鋭い。
「会見の後、九州に攻め込もうと思っております。年内は難しいかと思いますが来年には九州を平定出来ましょう」
「……」
「某がそう考えていると若君と幕臣達に御伝え下さい。それと若君には従五位下、左馬頭への叙任を考えているようだと。上洛はその後が良かろうと」
六人の公家が顔を見合わせている。
「あの者共が島津と悪巧みをしているようなら某が自分達の悪巧みを察していないと安堵し同時に事を急がなければならぬと思いましょう。今のところは某と殿下の推測でしかありませぬからな」
また六人が顔を見合わせた。
「麿らに事の真偽を確認するのを、炙り出すのを手伝えと申すか?」
関白が迷惑そうな表情をした。
「関白殿下、あの者共を騙せとは申しておりませぬ。九州攻めの準備をしているのは事実にございます。それに足利家の若君の叙位任官に必要な費えもこちらで御用立て致しましょう。全て事実、それを伝えて頂きたいとお願いしておりまする」
「……」
感触が悪いな。ここはスマイルだ。
「勿論、皆様だけにお願いは致しませぬ。某も文を送りまする」
“何卒”と言って頭を下げた。手を汚せとは言わないよ。それは俺がやる。だから手伝え。俺の天下取りをな。