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不透明な未来




禎兆二年(1582年)   三月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  三好長雅




案内された部屋には布団が敷いてあった。傍には脇息も有る。はて、祖父を此処に? まごついていると上座に座った前内府様から“遠慮するな”とのお言葉を頂いた。兄が布団の上に祖父を降ろすのを手伝う。祖父は前内府様に恐縮しながら脇息を使い楽な姿勢をとった。


その後で兄と共に祖父の後ろに控えた。しかし異例の事だな。三好の本家でも祖父に対してこれだけの厚遇はしない。朽木家の家臣も訝りながらも不快感を示す事無く両脇に控えている。祖父と前内府様の間には余程の繋がりが有るのだと思った。


「さて、日向守殿。今日は如何なる用件で参られたのかな?」

「御覧の有様なれば長くはございませぬ。最後の御挨拶と一つの願い事が有って参上致しました」

前内府様が頷かれた。

「お互い乱世を生きてきた者だ。詰まらぬ気遣いはするまい。良く生き抜かれたな、日向守殿。三好家を守られた。見事なものだと素直に思う」

「運と主君、それに敵と味方にも恵まれました。そうでなければ生きては居りますまい」

また前内府様が頷かれた。


「敵と味方か。最初は敵、今は味方。何度か兵刃を交えた事も有った。思えば不思議な縁であった……」

「真に」

今度は祖父が深く頷いた。

「日向守殿、寂しくなるな」

「有難き御言葉、死出の旅への何よりの(はなむけ)にござる」


三好家と朽木家は何度も戦ってきた。俺が物心が付いた頃には敵と言えば朽木家であった。自分も朽木家と戦う事になるのだと思っていたが元服前に三好家と朽木家は和睦した。祖父はこれ以上朽木家と戦うのは不利だと言って和睦を熱心に勧めたと聞いている。また朽木家から祖父に和睦への協力依頼が有ったとも。


「幼い頃、三好家は嫌になるほど大きく強かった。自分の無力さに何度も何度も心が圧し潰されそうになった事を憶えている。それに耐えるのは容易な事では無かった」

「それは我等も同じにござる。前内府様は押してもびくともせぬような手強さでござった」

「鍛えられたからな」

「では育ててしまいましたか」

「そうなるかな、となると礼を言わねばなるまい」

前内府様と祖父が声を上げて笑った。二人とも声が明るい、楽しそうだ。祖父と前内府様には確かに繋がりが有る。でもそれは他人を(はばか)る物ではないのだろうと思った。


「それで日向守殿、願いとは?」

「当家の事にござる」

「当家とは三好家の事かな? それとも日向守殿の家の事かな?」

「我が家の事にて」

祖父が我が家の事情を説明し始めた。豊前守様の具合が良くない事、跡継ぎ阿波守様の御器量に不安が有る事。三好一族の中で我が家を良く思わない人間が少なくない事、内紛が起きそうな事……。前内府様は祖父の話を遮る事無く最後まで黙って聞いていた。


「細川掃部頭か、やはり三好家の弱点となったか。掃部頭に与する者と言うと

日和佐、新開、多田、伊沢、そんなところか」

「やはり御存知であられましたか」

祖父の言葉に前内府様が頷かれた。驚いた、前内府様は阿波の内情をかなり良くご存じだ。事が起これば日和佐肥前守、新開遠江守、多田筑後守、伊沢越前守らが掃部頭様に付くと見ている。


「昔、四国を攻め獲るには如何すればよいかを考えた。正面からぶつかるのはきつい。阿波を混乱させ土佐から阿波を攻めさせる。それと同時に畿内から淡路、四国に攻め込む。阿波を混乱させるには掃部頭とそれに与する者を使うのが一番だと考えた」

「なんと、そのような事を御考えで」

前内府様が苦笑を浮かべられた。


「もっとも考えただけで終わった。土佐が長宗我部、一条で争い朽木は一条家を援助する事になったからな」

「……」

「宮内少輔、惜しかったな。その方が一条家と和を結び阿波へ出るなら長宗我部家は土佐半国に阿波で半国程は領する事が出来たかもしれぬ」

脇に控えた一人の男が軽く頭を下げた。宮内少輔? 長宗我部宮内少輔だろうか? そう考えていると前内府様が“長宗我部宮内少輔だ”と教えてくれた。何と、長宗我部宮内少輔が家臣として仕えている。朽木の大きさというものが改めて分かった。


「もっともそうなると一条は大友と組んで伊予に出たであろうから毛利とぶつかるな。毛利は三好と結ぶか。大友・一条・長宗我部・朽木連合対三好・毛利連合か。多分そこには秋月、龍造寺も加わるな。九州、山陽、四国で大戦だが少し分が悪い。やはり三好と結んで正解か」

前内府様が笑い声を上げられたが俺は笑う事が出来ない。余りにも大きな話で呆然としていた。


「それで、日向守殿、如何(いかが)される。俺に如何(どう)して欲しい」

「庇護を、願いまする」

「庇護か」

「はい、もし阿波守に攻められれば宇和郡十万石を捨てる所存。御助け頂きとうござる」

前内府様がじっと考えこまれた。


「……助けるのは良いが、……日向守殿、それは三好家を捨てる決心をされたという事かな?」

「……捨てねば御助け頂けませぬか?」

前内府様が首を横に振られた。

「いや、そうは言わぬ。……だが日向守殿の話を聞くと三好家は第二の織田家になるやもしれぬと思った。違うかな?」

「……そうなるやもしれませぬ」

祖父の答えに前内府様が頷かれた。


「三好家程の大家が混乱すればその影響は四国全土、畿内、九州、山陽にまで広がる恐れが有る。そのような事は到底見過ごす事は出来ぬ。朽木は四国に兵を出さざるを得ない。そうではないか? そうなれば久介殿、或いはそこにいる孫七郎、孫八郎が決断する事になる」

「……」

「勿論、三好家が混乱しないという可能性も有る」

「なるほど」

今度は祖父が考え込んだ。


「この場で返答をとは言わぬ。ゆるりと考えられよ。庇護の件は問題無い、俺が請け負う。案ぜられるな、安芸の明智に報せておく。いざとなればそちらに退(しりぞ)かれるが良い」

「はっ、有難うございまする」

祖父が頭を下げたので兄、俺も頭を下げた。


「御疲れであろう。暫くこの城に逗留されると良い。伊予に戻られるのは疲れが取れてからで良かろう」

「有難うございまする」

「孫七郎、孫八郎、交代で近江見物でもしては如何かな? 案内をさせるぞ、遠慮はするな」

「はっ、有難うございまする」

前内府様が穏やかな表情で頷かれた。怖いお方、手強いお方の筈なのだが……。




禎兆二年(1582年)   三月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  三好長逸




案内された部屋には布団が敷いてあった。そこに横たわると直ぐに孫達が話しかけてきた。

「驚きました。御祖父様と前内府様があれほど親しいとは思ってもいませんでした」

「孫八郎の申す通りです。某も驚きました」

「色々と有るのだ」

孫達が興奮している。会ったのはこれで三度目、親しいのだろうか? いやそうでは有るまい。だが我らの間に何かが有るのは間違いない。そうでなければ頼ろうとは思わぬ筈。不思議な事では有るな。


「御祖父様、前内府様が三好家を捨てる決心をされたかとお尋ねになりましたが?」

「某も気になりました。三好家を退去するという事は捨てるという事だと思うのですが」

「三好家を捨てるというのは三好攻めを手伝えるかと問うているのだ。三好家が無くなっても良いかと」

“三好攻め”と孫七郎が呟いた。今一つ理解出来ぬらしい。孫八郎も同様の様だ。困ったものだ、乱世も終りに近付いているというのに物の理が分からぬとは……。


「いずれ阿波守は我らを滅ぼそうと考えよう。その時、阿波守を止める者は居らぬか、居ても微々たるものであろうな。阿波守に敵対しても到底敵うまい。そうなれば掃部頭の思う壺よ。あ奴を喜ばせる事は無いわ。それ故前内府様を頼る」

二人が頷いた。この事は船に乗っている間に話したから二人とも十分に理解している。


「我らが退去すれば三好家の混乱を避けられる、そう思ったのだが前内府様は阿波守では混乱は避けられぬと見ておられるようだ。要するに阿波守では掃部頭を抑えられぬという事よ。三好家が混乱すればその混乱は四国だけに留まらず九州、山陽、畿内にまで及びかねぬ。前内府様が兵を出すのは当然と言える。そうなれば三好家は滅ぼされるか、領地を大きく削られよう」

「そうなりましょうか? 長宗我部も一条も混乱は致しましたが領地を削られておりませぬぞ」

孫七郎が疑問を口にすると弟の孫八郎が頷いた。


「三好を長宗我部や一条と一緒にするな。あの者達は両家で土佐一国、三好は淡路も入れて四カ国を持つ。扱いは当然違う」

「三好の勢力を抑えにかかると?」

「そうだ、孫七郎。それに四国には朽木家の領地が無い。前内府様は四国に楔を打ち込みたいとも考えておられよう」

孫七郎が“なるほど”と言い孫八郎が頷いた。


「如何なされます、御祖父様」

孫八郎が問い孫七郎が覗うような表情で儂を見た。

「孫八郎よ、三好家には戻れまい。我らは朽木家の中で生きて行かなくてはならん」

「では」

「そうだ、三好攻めを手伝うのだ。そうでなければ信を得られぬ。これは儂の遺言と思え、良いな」

二人が頷いた。三好家を捨てるのではなく裏切る事に成る。なればこそ儂が決断しなくては……。倅や孫達にはあくまで儂の遺言として朽木に協力させよう……。已むを得ぬ事だ。




禎兆二年(1582年)   三月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




三好日向守とその二人の孫が下がった。随分と歳を取ったな、もう長くは有るまい、また一人死を迎える。親しかったわけでは無いが好意は持っていた。向こうも同じだろう。寂しくなる。……感傷にひたってもいられないな、考えなくてはならん。相談役は揃っている。軍略方と兵糧方を呼んだ。軍略方からは真田源五郎と宮川重三郎、兵糧方からは蒲生忠三郎、鯰江左近が来た。それと主税を呼んだ。いかんな、尾張に人を送った所為で軍略方と兵糧方が手薄だ。新たに人を入れなければ……。大膳大夫の側近だった四人を入れようか。他にも何人か入れよう。


「三好家が揺れかけている。三好家(あそこ)は内に細川という火種を抱えているからな。当主の豊前守が生きている内は良いがその後は分からん。今は熾火(おきび)の状態だが燃え上がって四国を燃やし尽くすかもしれん。そして豊前守は容体が優れぬようだ。日向守の話では長くは有るまい」

俺の言葉に皆が頷いた。


「宮内少輔、曽衣。二人は四国の者だ。三好阿波守についてどの程度知っている?」

二人が首を傾げた。

「さて、気性が荒いとは聞いた事が有ります」

「他者の言う事を聞かぬとか……」


余り良くは知らないらしい。そうだな、三好と言えばどうしても父親の豊前守を注目する。実権のない倅は無視しがちだ。我が家の倅もそう見られていたのかもしれない。伊賀から報せが無いのもそれが理由かもしれない。おまけに三好は味方、四国は島だ。どうしても警戒心、優先度は低くなる。早急に伊賀衆に三好を調べさせよう。


「重蔵は如何だ」

「某が調べた時は十年程前になります故、阿波守は未だ二十歳にならぬ頃で有りました。先程宮内少輔殿、曽衣殿が申された通り余り良い評判は聞かなかったと覚えております。三好家中では十河家に養子に行った弟の民部大輔存保の方が評価が高かったと覚えておりまする」

「なるほどな」


何となく納得した。史実においても三好阿波守長治は居た筈だ。だが俺は聞いた事が無い。豊臣政権下では居なかったのだろう、つまり秀吉の天下統一前に滅んだという事だ。長宗我部に滅ぼされたか、或いは阿波国内で反三好、親細川勢力に殺されたかだな。この世界では細川掃部頭が動いている。史実でも似たような事が有ったのだとすれば織田と戦い長宗我部に脅かされ阿波国内での争いで死んだのかもしれない。


「豊前守が死ねば三好家は混乱するかもしれん。日向守はその原因になるのを避けようとして三好家を去ろうとしているのであろうが……」

混乱の原因は三好阿波守長治自身だとすれば余り意味は無い。

「義昭公、顕如の死で九州がキナ臭くなってきた今、四国での混乱は余り面白くは有りませぬ」

源五郎の言葉に皆が頷いた。確かに面白くは無い。三好の兵力は当てに出来ないという事だ。最低でも二万は減るな。三好が混乱すれば土佐も動かすのは避けた方が良いだろう。土佐も入れれば二万五千か……。


「九州攻め、急いだ方が良いと思うか?」

皆が顔を見合わせている。

「俺は島津、龍造寺、大友の三氏が潰し合うのを待っていた。だが思いの外に時間がかかるな。このままで行くと九州攻略を行う頃に四国が酷い事に成りかねん」

面白くない、一つ間違うと中国地方まで混乱するだろう。西日本は大混乱だ。


「大殿、九州攻めを行う場合、大友の救援という形を取られますか?」

「そうなるだろうな」

主税の問いに答えたがこれも面白くない。出来れば大友は潰すか小大名に落としたいんだ。キリシタンの影響力を排除したい。それに現時点で九州遠征を行っても龍造寺、島津は攻略前に降伏しかねない。それじゃ本領安堵で九州は何にも変わらない。いや、幕臣達が如何動くかで変わる可能性もあるか……。不確定要素が多過ぎるな、イライラする。


史実だとこの時期は信長が死んで中央は秀吉の下で再編中だった。その所為で九州、四国は殆ど放置状態だった。だがこの世界では中央に混乱は無い。だから俺は時間を持て余している。どうも上手くない。出来れば島津に九州統一寸前まで行って欲しいんだ。そうなれば島津も朽木に譲ろうとしない筈だ。戦って島津を潰せる。タイミングが合わない。だから島津も幕臣を使って俺を殺そうというのだろう。


「九州攻めを行うべきかと思いまする」

進言したのは蒲生忠三郎だった。

「その理由は?」

「時を無駄に費やすべきでは有りませぬ。九州遠征を行い九州の諸大名を朽木家に服属させるべきだと思いまする。もし諸大名が朽木に服した後に朽木に敵対するような事をすれば、それを理由に潰すべきにございましょう」

服した後に敵対か、そんな事が有るかな?


「忠三郎、その方四国の混乱時に九州でも動きが有ると見るか?」

問い掛けると忠三郎が首を横に振った。

「分かりませぬ。しかし無ければそれは朽木に服した、叛意は無いものと判断出来まする」

「なるほどな」

四国の混乱に限らないか。未だ東日本は制していないのだ、機を窺う可能性は有る。


「九州攻めの準備をしよう」

皆が頷いた。

「但し、九州攻めは足利義昭公の遺族を上洛させてからだ。それまでは公には出来ぬ。軍略方と兵糧方は密かに準備を整えよ。次の評定で正式に話す。八門と伊賀衆を早急に呼べ」

皆が頭を下げた。今一つ思う様に物事が進まない。駿府の大膳大夫も来月には戦だ。上手く行けば良いのだが……。






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