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遠雷




禎兆二年(1582年)   三月上旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  朽木基綱




目の前に二人の少年が居た。朽木松千代、朽木亀千代。二人とも俺の息子だが顔立ちはちょっと違う。松千代は母譲りの面立ちだが亀千代は俺に似ているだろう。要するに松千代は美少年だが亀千代はごく普通だ。背丈はそれ相応だろうな。松千代は今年十五歳、亀千代は十二歳になる。


二人の後ろには傅役が控えていた。朽木主殿、長左兵衛綱連、石田藤左衛門。千種三郎左衛門忠基、黒田休夢。息子二人は暦の間に呼ばれるのは初めてだ。松千代は不思議そうに彼方此方見ているが亀千代は俺を見ている。

「松千代」

「はい」

幾分声が低くなったか。何時の間にか子供は育つ。置いて行かれるのは親の方なのかもしれない。いかん、少し感傷的になっているな。今はそんな時ではないのに。


「年内に吉日を選んでその方を元服させる」

「はい!」

「松千代様、おめでとうございまする」

「兄上、おめでとうございまする」

傅役達と亀千代が祝いの言葉を言った。松千代が“有難う”と頷いている。


「既に知っていようが尾張の那古野という地に城を築いている」

「はい」

「大きな城だ、この八幡城を越えるだろう」

「……」

八幡城を越えるという事に想像が付かないのかもしれない。松千代は困惑している。


「その城が出来上がれば松千代が城主となる」

「私がでございますか?」

「そうだ。その方の兄、大膳大夫が東海道五か国を治めている。尾張は東海道の要衝の地だ。その方は城に入り尾張を押さえる。そして兄、大膳大夫配下の一将として兄を助けるのだ」

こくりと頷いた。


「城は何時頃出来ましょう?」

「分からんな主殿。三年ぐらいは掛かるかもしれん。だが松千代は元服したら直ぐに尾張に送る」

“なんと”、“真で”と声が飛び交った。本気だ。

「松千代は尾張の末森城に入る。そして那古野の城の城造り、町造りを学ぶのだ。良いな」

「はい!」

声に勢いが有る。松千代の良い所は明るくて伸びやかな所だ。おかげで酷い命令を出しても罪悪感を感じずに済む。この子は人に好かれるだろう、外に出しても不安は無い。


「亀千代」

「はい」

「その方も後三年もすれば元服だ」

「はい」

「元服すればその方も外に出る事に成るだろう。今から準備をしておけ」

「はい」

“はい”としか言わないが大丈夫かな?


「勉学に励んでいるか?」

「はい」

「武芸は如何だ? 励んでいるか?」

「はい、励んでおります」

チラリと千種三郎左衛門を見た。三郎左衛門が頷く、問題は無いようだ。

「そうか、その方が自ら太刀を取って戦うなどという事は先ずあるまい。だがその時が来た時になって慌てるような事が有ってはならん。勉学、武芸、共に励めよ」

「はい」


「以上だ、下がって良いぞ」

皆が下がった。どうもよく分からん息子だな。学問の出来は悪くないらしい。武芸にも今は励んでいる様だ。しかし驚くという事が無いし燥ぐという事も無いらしい。要するに何を考えているのか分からん子供なのだ。もっとも朽木の譜代からは俺の幼少時に一番似ていると言われているようだ。俺ってこんな子供だったかな? どうもよく分からん。


考え込んでいると細川与一郎が“長宗我部宮内少輔様がお見えになりました”と報告してきた。頷くと直ぐに宮内少輔が現れた。不仁不義の大将との評価も有るが表情は穏やかで四国を切り獲る程の猛将には見えない。もっとも俺だってそんな怖い顔をしていないから顔で判断するのは危険だ。


「如何されたかな、宮内少輔殿。願いの義が有るとの事だが」

「はっ、出来ますれば前内府様(さきのだいふさま)の下で仕事を頂きたく、こうして願い出ておりまする」

「なるほど、俺のために働くと言われるか」

「はい」

宮内少輔がにこやかに頷いた。まあそんな所だろうとは思ったが。


「その理由は?」

「天下獲りを目の前に見ているだけなのは面白くありませぬ。出来ますればそこに加わり前内府様が如何なる天下を造るのか、見とうございまする」

宮内少輔は俺より十歳上だから四十代前半か。暇なのは事実だろうな。或いは一条家の事が関係しているのかもしれん。一条家の隠居は大友の所に行っている。ここで俺のために働いて土佐は一条よりも長宗我部と思わせたいとでも思ったか。


「我が願い、お聞き届け頂けましょうや?」

「ふむ、宮内少輔殿の意の有る所は分かった。だがこの場では即答しかねる。少し考えさせてもらおう」

「はっ、宜しく御検討をお願い致しまする」

宮内少輔が深々と頭を下げて部屋から去った。


さて、如何するかな? 家臣として迎え入れるのであれば相談役だろう。蒲生下野守が先日死んだから今相談役は重蔵だけだ。長宗我部宮内少輔元親か、良いかもしれない。戦国大名としての見識を利用するのだ。となるともう一人、飛鳥井曽衣を入れよう。公家としての見識を利用する。これからは朝廷対策も重要だ。一条家も宮内少輔を相談役に入れる事に不安を感じる事は無い筈だ。




禎兆二年(1582年)   三月上旬      伊予国宇和郡高串村  丸串城  三好長逸




横になってうつらうつらしていると息子の久介が部屋に入って来た。

「父上、御具合は如何ですか?」

「今日は気分が良い。起こしてくれぬか、久介」

「宜しいので?」

「構わぬ、寝てばかりでは却って身体が疲れる」

久介が背に手を当てるとゆっくりと身体を起こしてくれた。やれやれ、起きるのも一苦労だな。自分で起きられぬようでは儂ももう仕舞か。手前に脇息を置き両手で抱えるようにして身体を支えた。


「久介、平島公方家に動きは無いか?」

「ございませぬ。豊前守様も摂津守様も動こうとはされませぬ。平島公方家が単独で動くなど有り得ぬ事、御安堵なされませ」

「そうか、それなら良い」

「もう足利の世では無い、皆分かっております」

「なら良いがな、それが分からぬ者も居る」

「……」

不満そうだな、未だ甘い。平島公方家が動かぬのは朽木家が有るからよ。朽木家が揺らぐような事が有れば平島公方家が如何動くかは分からぬ。


「良く似た兄弟であったな。他人を唆してばかりいたが最後は天寿を全うする事が出来なかった」

「そうですな、こうなると将軍職を返上した権中納言様は公方様に勝たれたと言って良いのでしょうか?」

「そうだな、勝ったと言えよう。公方を哀れと思う者は居ても権中納言様を哀れむ者はおるまい。哀れまれるとは敗者である証なのだ」

儂の言葉に久介が頷いた。今になって思えばあの兄弟は愚かである以上に哀れであったのだろう。あの兄弟の不幸は自分達が敗者である事を認められなかった事に有る。


あの時、前内府が権中納言様と公方の和議を提案してきた。あれを受け入れる事で権中納言様、三好家、安宅家、十河家は生き残った。そうでなければどうなっていたか。哀れまれていたのは我らであったかもしれぬ。我らはギリギリのところで勝ち(ふだ)を掴んだのだと今なら分かる。危うい所であった。それにしてもその勝ち札を差し出してきたのが朽木とは……、妙なものよ。


「孫七郎、孫八郎は如何した?」

「領内の見回りに出ております」

「そうか」

孫七郎長道、孫八郎長雅、二人の孫は共に二十歳を越えた。もう一人前だ。儂が歳を取る筈だ。

「父上、豊前守様の御具合が良くないようです」

なるほど、その件で訪ねて来たか。久介の表情は暗い、豊前守の容体はかなり悪いのだと分かった。これはどちらが先に逝くか、分からなくなったわ。


「厄介な事に成ったの」

「はい、豊前守様に万一の事が有ればどうなるか……」

「まあ摂津守殿が御存命の間は問題あるまい。だが一時凌ぎでしかないの」

「はい、摂津守様も五十を越えました。それを思いますと父上の申される通り、一時凌ぎでしかありませぬ」


朽木の毛利攻めに協力し三好家は伊予一国を得た。これによって三好一族の領地は阿波二十万石弱、伊予四十万石弱を三好家、讃岐二十万石弱を十河家、淡路六万石を安宅家、合わせれば約八十万石に達する。その内の伊予国宇和郡十万石を我が家が得た。兵にすれば三千は動かせよう。


周囲からやっかみの声が上がるのは已むを得ぬ事と言える。だが宇和郡は九州に近い。豊前守の考えは朽木の九州攻めの折は我が家が先鋒を務めよという事。そのための十万石、三千の兵となれば決して多いとは言えぬ。九州は大友、島津、龍造寺、秋月が居るがいずれも大きいのだ。


「阿波守が騒いでおるか」

久介が頷いた。

「それに甚太郎も不満を言っていると聞き及びます」

「そうか、困ったものよ」

三好阿波守長治、豊前守の嫡男であり三好家の次期当主でもある。だが思慮に欠け気性も粗い。豊前守殿も阿波守には不安を感じていると聞く。


そして安宅甚太郎信康、摂津守の嫡男だが安宅家の石高が我等よりも少ない事を不満に思っているらしい。確かに淡路は小さい。だが銭による収益は大きいのだが……。或いは摂津守も同じ様な不満を持っているのかもしれぬ。となると摂津守は頼れぬ事になる。その事を言うと久介の顔が益々暗くなった。


「父上、今一つ厄介な事が」

「未だ有るか」

「はい、掃部頭が阿波守に我らの事を悪し様に罵っているとか」

「……掃部頭か」

細川掃部頭真之か。阿波守護、細川讃岐守持隆の一子であり阿波細川家の正統な跡取りでもある。母親の小少将は夫である讃岐守の死後、豊前守に嫁ぎ阿波守、そして十河家の当主となった民部大輔存保を生んだ。掃部頭に三好家の血は流れていない。だが密接に三好家と繋がっている人物では有る。そして父親の讃岐守を殺したのは豊前守だった。豊前守は実父の仇であり養父という複雑な関係にある。


「父上、如何思われます?」

久介が不安そうな顔をしている。何とも面倒な事だ。あの当時、小少将を室にするなど止めろと言った。儂だけではない、皆が豊前守を止めた。だが小少将を室にし掃部頭を囲う事で反三好勢力に利用される事を防ぐと豊前守は言っていたが……。


「掃部頭、獅子身中の虫かもしれぬ」

「父上も左様に思われますか」

「その方もそう思えばこそ厄介と言っているのであろう」

久介が頷いた。掃部頭は三好家を憎んでいる。混乱させその中で阿波細川家の再興を狙っているのかもしれぬ。阿波の国人衆の中には三好家を疎み阿波細川家に思いを寄せる者が居る。となれば豊前守の容体が悪化した今、牙を見せ始めたという事であろう。


「久介、その方は如何考えている」

「……いざとなれば権中納言様に仲裁を頼もうかと」

「止せ、権中納言様を巻き込むな」

「しかし」

「前内府は足利の権威を認めておらぬ。その方も足利の世ではないと言ったではないか。我らが足利の権威を使えば前内府は不快に思うぞ。我等に対してだけではない、権中納言様に対してもだ。天下人を不快にさせて如何する? 百害あって一利もないわ」

「……では如何なさいます」

頼れるのは……。


「近江に行く、仕度を致せ」

「父上!」

久介が声を上げた。

「前内府とは色々と有るからの、最後の挨拶に行く。誰も不思議には思うまい」

「しかし」

「案ずるな、船を使えば大した事は無い。それに輿を使う。孫七郎、孫八郎を呼び戻せ、供をさせる」

久介がじっと儂を見た。


「……当家の行く末を朽木家に賭けるのですな」

「そうだ。そして孫七郎、孫八郎を引き合わせる。最悪の場合、その方も殺される可能性が有る。孫七郎、孫八郎を朽木に託さねばなるまい」

三好家内部で争っては掃部頭の思う壺であろう。そして戦になれば嫉まれている当家は間違い無く潰される。いざとなれば宇和郡を捨て山陽の朽木領に退避する事で滅亡を避けよう。その辺りの段取りをつけねばならん。


二度と三好家には戻れまいな。朽木の直臣として生きるしか道は無かろう。……妙なものよ、あの時の童子に倅と孫を託すことになるか……。あの時童子を殺さなかったのは助けたのではなく助けられたのかもしれん。長生きはするものよ、世の中の不思議に気付かされるわ。真、妙な縁よな。




禎兆二年(1582年)   三月下旬      近江国蒲生郡八幡町  八幡城  三好長雅




御祖父様(おじいさま)、大丈夫でございますか?」

「大した事は無い」

兄と共に祖父を支えながら廊下を歩く。軽い、驚くほど祖父の身体は軽くなっていた。昔は甲冑を纏って戦場を駆け巡った剛の者、幼い我らを軽々と抱き上げた逞しい祖父であった。だが今の祖父にはそのような物を感じさせる力強さは無い。年を取る、身体が老いるとはそういう事なのだと思った。


「日向守殿」

正面遠くから声がした。男が一人足早に近付いて来た。三十代前半ぐらいであろうか? ごく普通の取り立てて目立つところの無い人物だ。その後ろから何人か人が付いて来た。それなりの身分の者らしい。祖父とも顔見知りの様だ。未だ若いが朽木家の重臣なのだろうか?


「これは」

祖父が俺と兄の手を払い(ひざまず)こうとする。

「御祖父様?」

「控えよ、孫七郎、孫八郎。前内府様であられる」

「は?」

思わず兄と顔を見合わせ近付いてくる人物を見た。これが? 祖父が低い声で“控えよ!”と俺達を叱責する。慌ててその場で跪いた。本当に前内府様なのか?


「無用、無用、そのような事は止められよ」

前内府様が祖父の前で跪かれた。

「日向守殿、よう見えられましたな」

前内府様が祖父の手を取った!

「御久しゅうございまする。かかる無様な姿をお見せする事、御許しくだされませ」

「何を申される、詰まらぬ事を気に病まれるな。ここでは話が出来ぬ。さ、ついて参られよ」

「はっ」


「その二人は日向守殿の孫と聞いたが?」

「はっ、孫七郎長道と孫八郎長雅にござる」

祖父に名を呼ばれたので兄と二人それぞれに頭を下げた。前内府様が頷く、如何見ても普通の方だな。それにしても祖父とは随分と親しいらしい。そんな話は聞いた事が無かったが……。


「では孫七郎、その方日向守殿を背負え」

「は?」

背負え? ここで? 兄が目を瞬いている。祖父が“あ、いや”と声を上げた。

「これ以上日向守殿を疲れさせてはならん。孫七郎、早う背負え。その方が背負わぬなら俺が背負うぞ。俺はぐずぐずするのが嫌いだ」

「は、はっ」

兄が慌てて前に出て祖父に背を差し出した。前内府様が“日向守殿、遠慮は無されるな”と言って立ち上がる。祖父が困ったように首を振ってから兄の背に身体を預けた。


兄が祖父を背に乗せて立ち上がり俺も立ち上がった。前内府様が満足そうに頷く。

「では参ろうか」

前内府様が歩き出したのでその後に続いた。どうも分からん。本当にこの方が前内府様なのだろうか? せっかちだとは聞いていたが……。





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