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清州開城




禎兆元年(1581年)   四月下旬      尾張国春日井郡 清州村 清州城  朽木基綱




津田七兵衛信澄は討ち死にした。自ら槍を振るって手強く戦ったが多勢に無勢だ。最後は周囲を朽木勢に囲まれる形になって討ち死にした。七兵衛配下の兵達は最後まで七兵衛を見捨てる事無く奮戦したようだ。見事なものだ、七兵衛は信頼されていたのだろうし士心を得ていたのだろう。なかなか出来る事じゃない。


七兵衛を討ち取ったのは北畠次郎の部隊だった。次郎はこれまでにも何度か功を上げて今では越前で一万二千石の領主だがこの戦いが終わったら又加増だな。一万石加増しよう、ちょっと奮発だが七兵衛は信長が見込んだ婿だったのだ、それだけの価値は有る。そう周囲には言おう。織田の親族、旧臣もそれなりに満足する筈だ。次郎も喜んでくれるだろう。


次郎は決して派手な働きをする男では無いが手を抜く事が無い堅実さと懸命さが有る。努力でここまで来た男だな。今の身代は親から譲られた物じゃない、自分で勝ち取った物だ。良くやっていると思う。自信も有るのだろう、以前に比べるとかなり落ち着きが出ている。名門北畠の当主として十分な男だ。頼もしくなってきた。


兵を進めると小木江城の織田彦七郎が此方の味方に付いた。そして津島の大橋和泉守長将が残りの津島十五家と共に兵を率いて挨拶に来た。どうも七兵衛の手前、こちらに来辛かったらしい。まあ良い、約束は守る。和泉守には朽木の支配になっても津島には十分な庇護を与えると改めて約束した。


和泉守は安心したようだ。これで朽木は伊勢から津島、知多を押さえた事になる。長島という信濃、美濃との物流の集積地は既に押さえてある。そして津島という湊を押さえ知多という工業地帯を押さえたのだ。東海地方の主要経済地帯を押さえたと言って良い。他の大名にとっては羨望有るのみだろう。これからは俺の手で更に発展させなければ……。


美濃方面から攻め込んだ弥五郎は特に大きな問題は無かったようだ。川並衆は約束を守り中立を守ったし野府城の織田九郎も直ぐに降った。清州城に近付いたのは弥五郎の方が早かったが俺が来るのを待っていた。律儀だなあ、何時の間にこんなに律儀になったのか……。或いは俺を怖がっているのか。それは嫌だな。後でちょっと話してみよう。


用心のため清州城への入城は俺の軍だけにする事にした。弥五郎には一日の休息を取ってから三介を追って三河から遠江、駿河へ兵を進めるようにと命じた。但し、ゆっくりと三介を追えと命じた。奥に引きずり込まれるのは不安だが下手に追い詰めて籠城されては損害が大きくなる。それよりは逃げて貰った方が良いだろう。


問題は徳川だ。上杉が信濃から甲斐に攻め込むなら徳川は出てこないだろう。もし万一、徳川勢が出て来た時には決して戦うなと命じた。少し不満そうだったな。大きな戦いで武勲を上げたいと思っているのかもしれない。まあ徳川が出て来ても兵力は弥五郎の方が多い筈だ。だが油断は出来ない。徳川は戦慣れしているし小勢での戦いにも慣れている。引っ掻き回されれば大軍など統制が取れずに混乱するだけだ。無理をする事は無い。


しかしまあ何て言うか、見捨てられたトップって言うのは古今東西惨めだが三介もその例の一つだな。三河に逃げたと言うより三河に追い払われたと言うべきだろう。織田の家臣達は三介を見離して厄介払いにした。見離したのは家臣達だけじゃない、一族も同様だ。親族、弟妹達も見離した。誰も三介に付いて行かないんだから。


現実を見る事が出来ない男には付いていけない。巻き添えは御免だ、そんな感じだ。少しは世の中の冷たい風に当たって頭を冷やしてこい、そんな想いも有るだろう。五千の兵を率いて三河に向かったらしいが三河の岡崎城に付くころには逃亡兵が相次いで半分も残っていれば良い方だろうな。まあそうなれば三介も抵抗は無理だと判断して降伏するかもしれない。弥五郎にゆっくり進めと言ったのはその辺も考えての事だ。


清州城に入城しようとすると大手門の前で織田の旧臣達が平服姿で片膝を付いて出迎えてくれた。重臣である林佐渡守、佐久間右衛門尉、柴田権六、丹羽五郎左衛門尉、森三左衛門達だ。馬を下りて挨拶を受けた。そしてそれぞれに声をかけた。林佐渡守は織田家の筆頭老臣、佐久間右衛門尉は退き佐久間、柴田権六は織田家随一の猛将、丹羽五郎左衛門尉は墨俣城築城の事を触れた。森三左衛門には“辛い思いをさせたな”と(ねぎら)った。


皆喜んでくれた。三左衛門は涙を零したほどだ。勿論相手だって俺が自分達の心を獲ろうとしての事、尾張支配を安定させようとしての事だと理解しているだろう。だがそうやって気遣いをして貰えれば悪い気はしない。そういう気遣いが出来ない主君に比べれば遥かに仕え易いのだ。安心も出来る。戦国大名で二代目と老臣の間で軋轢が生じるのはそういう部分が少なからず有る。ぼんぼんの二代目にはその辺りの気遣いが出来ないのだ。弥五郎にも注意しなくてはならん。


木下藤吉郎の姿が無かった。訊ねると大広間で他の家臣達と一緒に挨拶する予定らしい。直ぐに呼んで貰った。藤吉郎が小走りに走ってきて転ぶ様に平伏した。可笑しかった、嬉しかった。声を上げて笑ってしまった。“ようやく会えたな、会えて嬉しいぞ”と声をかけると藤吉郎が顔をくしゃくしゃにした。その顔がまた嬉しかった。近寄って肩を叩きたかったがそれをやると藤吉郎が周りから妬まれかねない、そう思って堪えた。いずれ機会が有れば肩を叩いてやろう。


大広間では先ず織田の一族に会った。信長の兄弟である織田三郎五郎信広、織田源五郎長益、織田又十郎長利。息子である於次丸、大洞(おおほら)小洞(こぼら)(しゃく)……。信長って子供に妙な名前を付けるな。独特のセンスなのか、面倒くさくて適当に付けたのか、良く分からん。息子の方は母親付だ。いずれは名門織田家の人間としてきちんと禄を与えて取り立てると約束した。それと津田七兵衛の遺族も成人後は取り立てると約束した。七兵衛の妻は五徳だ、つまり七兵衛の子供達は信長の孫なのだ。粗略な扱いは出来ない。


その次に大広間に集まったのは中堅クラスの家臣達だった。いや、居るわ居るわ、馴染み深い名前の男が居る。木下藤吉郎秀吉を先頭に滝川彦右衛門一益、前田又左衞門利家、佐々内蔵助成政、蜂屋兵庫頭頼隆、金森五郎八長近、河尻与兵衛秀隆。この辺りは良く聞く名前だよな。それに菅屋九郎右衛門長頼、村井作右衛門尉貞成、矢部善七郎家定、堀久太郎秀政、長谷川藤五郎秀一、祝弥三郎重正、塙九郎左衛門直政、佐脇藤八郎良之……。いやあ、挨拶が楽しいねえ、嬉しいねえ。頬が緩みっぱなしだよ。




禎兆元年(1581年)   四月下旬      尾張国春日井郡 清州村 清州城  丹羽長秀




「前田又左衞門利家にございます」

「おお、槍の又左とはその方か。剛の者としてその名は聞いているぞ!」

朽木、いや御屋形様が膝を叩いて嬉しそうに声を上げた。大広間がざわめいた。皆が驚いている。先程から皆の挨拶を受けているが御屋形様は我らの事を良くご存じであられる。その度にざわめきが起きている。又左の異名まで知っているとは……。


「これは、畏れ入りまする」

又左衞門の顔が嬉しげに綻んだ。無理も無い、天下第一の御大将に名を覚えられていたのだ。

「確かその方は荒子の領主であったな」

「良くご存じで」

「色々と調べたからな。その方の働き、楽しみにしているぞ」

「はっ! 必ずや御期待に沿いまする」

御屋形様が大きく頷かれた。


「佐々内蔵助成政にございまする」

「うむ、又左衞門と共に武勇の名、高き者よな。聞いておるぞ」

「畏れ入りまする」

「その方の姓は佐々木源氏に関わりが有るのか?」

御屋形様が興味津々といった様子で尋ねた。世評とは違い厳しい御方では無い。むしろ好奇心旺盛で話し易い御方のようだ。その辺りも皆の心を和ませている一因であろう。


「はっきりとは分かりませぬがそのように聞いておりまする。以前は隅立て四つ目結の紋を使っておりました。今も軍旗には使っておりまする」

「ほう、では遠い昔に分かれた縁者というわけか。近江ならともかく尾張で会えるとはな。会えて嬉しいぞ、内蔵助」

「恐縮至極にございまする」

御屋形様が笑い内蔵助が頭を下げた。


「ところで、今の家紋は棕櫚(しゅろ)のようだが何か(いわ)れが有るのかな?」

御屋形様が小首を傾げられた。

「はっ、亡くなりました我が兄が小豆坂の戦いで抜群の功を上げ、その折棕櫚を家紋にするようにと主より命じられましてございまする」

「小豆坂か、俺が生まれる前の事だな。今川との激しい戦いが二度有ったと聞いている。互いに勝敗が有ったともな」

また大広間がざわめいた。生まれる前、まして他国の事なのに……。


「となるとその時の主君というのは先々代の弾正忠殿、信秀という御名を持たれた方だな」

「はっ」

御屋形様が頷かれた。

「待て待て、小豆坂か。思い出したぞ、確か七本槍と謳われた武功の者が居たな。佐々という名も有った筈だ、珍しい姓だと思った覚えが有る。内蔵助、俺の記憶違いか?」

大広間がざわめくのはこれで何度目か。なんとも良くご存じの事よ。


「いえ、記憶違いでは有りませぬ。佐々隼人正政次、佐々孫介勝重、兄二人が七本槍に入っておりまする」

内蔵助が嬉しそうに答えると御屋形様が大きく頷かれた。

「やはりそうであったか。佐々家は昔から武功の家なのだな。それ程の家の者が仕えてくれるとは何とも嬉しい事だ。これからも頼むぞ」

「はっ」

内蔵助が深々と頭を下げた。いやはや、気難しい内蔵助をあっさりと手懐けてしまわれた。


「佐脇藤八郎良之にございまする」

「うむ、知っておるぞ。その方、又左衛門の弟であろう」

「はっ」

「……何だ、驚かぬのか?」

「もう先程から十分に驚いておりまする」

二人の遣り取りに彼方此方から笑い声が起きた。御屋形様も苦笑いをされている。


「藤八郎は何が得意かな?」

「刀術を得意と致しまする」

「ほう、では槍の又左に刀の藤八か」

「そこまでは」

藤八郎が苦笑を浮かべた。


「そうか、ではそう並び称されるように励め。その方なら出来よう」

「はっ」

「だが藤八郎、戦場では功を焦るなよ。最上の武功とは生きて戻る事だ。功を上げても死んでは意味が無い。忘れてはならぬぞ」

「はっ。御言葉有難く、胆に銘じまする」

「うむ、頼むぞ。皆も決して功を上げる事を焦ってはならぬぞ。確と胆に銘じよ」

御屋形様の御言葉に皆が平伏した。何ともお気遣いを下さる事よ、これでは三介様では太刀打ち出来ぬな……。




禎兆元年(1581年)   四月下旬      三河国額田郡 康生村 岡崎城  坂井政尚




「三介様、良くぞ、御無事で」

「うむ。右近将監、世話になる」

三介様の声には力が無かった。表情にも疲労の色が有る。いや、何より鎧が重たげだった。清州からこの岡崎までの行軍で疲れ果てるとは、何とも頼りない御大将よ。御父君とは大分違う。倅の久蔵は隣で無表情に控えているが内心では罵倒しておろう。こやつは気性が激しいからな。


「精一杯務めさせて頂きまする。御疲れでございましょう、少し横になられましては?」

「うむ、しかし……」

迷っておられる。久蔵が微かに口元に力を入れたのが分かった。罵倒を堪えたようだ。後で誉めてやるか。


「ご案じなされますな。朽木勢も清州城を落とすまでには時がかかりましょう。それに清州城を落としたからと言って直ぐには兵を動かせぬ筈、未だ時は十分にございます。休息を取らねば良い考えも浮かびませぬぞ。休む事も大事な仕事にございまする」

「そうだな、では休ませて貰うか」


ホッとした様な声だ。余程に疲れているのだろう。家臣達に臥所の用意を命じて三介様を案内させた。三介様が背を丸めて家臣達の後をとぼとぼと歩く、大将の背中ではないな。後で女子を部屋に送らなければなるまい。適当な後家が居たかな? 多少金を弾むと言えば嫌とは言うまいが……。


「何とも頼りない事ですな、まさに不覚人」

久蔵が冷笑を浮かべながら皮肉を言った。時々こやつの親である事が疎ましくなる。今がそうだ。

「口を慎め、無礼であろう。その方にとっては義理の兄君でも有る」

「父上はそうは思われませぬので」

今度は儂に嚙み付くか、余程に腹を立てているらしい。


「口を慎めと儂は言ったぞ」

久蔵が一礼した。こやつが慇懃無礼になると憂欝になるわ。

「なるほど、思ってはいても口には出すな、腹に納めよという事ですな。なかなか腹黒い。流石は父上、頼もしい限りですな、フフフ」

「その辺にしておけ、儂に嚙み付いても如何にもならんぞ」

久蔵が口元をへの字に曲げた。ようやく終わったか。


「父上、三介様は清州を出る時は五千の兵を率いていたそうです」

「何?」

五千? 此処に着いた時は三千に足りぬ、いや二千を僅かに越える兵しか居なかった……。久蔵がまた冷笑を浮かべている。

「大分急いで駆けたようで」

「では半数以上が付いていけずに脱落したと申すか」

久蔵が首を横に振った。


()(あら)ず。脱落した振りをして逃げ出したのでございましょう。それにも気付かぬ程に逃げるのに夢中で有ったようです」

「……」

兵を疲れさせぬという配慮も出来ぬのか……。その辺りの配慮が有れば兵達も不安に思わぬのに……。家臣達だけでなく足軽達からも見放されている。誰が見ても頼りない、三介様に勝ち目は無いという事か。となると残った二千の兵も明日にはさらに減っていよう。一千を切るやもしれん。これ以上は無理だな、如何にもならん……。


「如何なされます、父上」

「……」

「まさか三介様と生死を共にする、等と申されるのでは有りますまいな。某は無駄死には御免ですぞ」

「……降伏して頂くしかあるまいな」

「それしかありますまい」

久蔵が頷いた。


「奥へ奥へと御逃がし致す所存であった。これまでの織田家の御恩を思えば三介様と共に滅ぶ事は出来ぬが御命を奪う事も出来ぬ。奥へと逃がし後は三介様の御運次第、そう思っていたが……」

久蔵が首を横に振った。


「無駄でございましょう。尾張はともかく三河以東では織田家の根は浅うござる。三介様のあの御器量では人は集まりますまい。むしろ離れていくだけの事、徒に無残な事になりかねませぬ」

「そうかもしれぬの」

「織田家の恩を思うのであれば降伏を勧めるのが上策にござる」

確かにそうだ。兵が付いて来ぬとなれば国人衆、或いは土民達に襲われかねぬ。落ち武者狩り同然の目に遭おう。それでは織田家の当主として余りにも惨めだ。降伏して頂くしかない。


「相姫は何と言っておる」

儂の問いに久蔵が珍しく視線を伏せた。

「……妻は已むを得ぬ事と」

「そうか……」

妹君の相姫から見ても三介様では織田家は保てぬか……。真、已むを得ぬ事だな。


「父上、朽木に使者を出しまするか?」

「そうよな、我等の降伏と三介様の御命乞いをせねば……。佐渡守殿達にも御助力を頼まねばならん。その方、使者として行ってくれるか」

「それは構いませぬが、では降伏は父上御一人で勧めると? 場合によっては斬られかねませんぞ」

「その方が居れば坂井の家は大丈夫だ」

久蔵が片眉を上げた。心にも無い事を、そんな感じだな。だがこやつが此処に居ては纏まる物も纏まらん。短気を起こしてぶち壊しかねん。


「まさかとは思いまするが御自分の命で三介様を説得する、そんな事を考えておいでなのでは有りますまいな」

(たわ)けたことを」

場合によってはそうなるかもしれんな。

「それなら宜しゅうござるが。詰まらぬ命の捨て方はお止めくだされよ」

「案ずるな。今書状を書く、それを持って清州に行け」

「はっ」

久蔵が一礼して席を立った。やれやれ、儂の手で織田家に引導を渡すか。何とも因果な事よ……。





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 七兵衛の死に様聞いたら林と柴田、あとで泣きそうだな…。
この回、本当に好きなんだよな。 あの、佐々成政が一発でコロっとやられるスケコマシっぷりw
主人公の気持ちはよくわかるw 織田の重鎮揃い踏みで纏めて家臣に出来るとか戦国マニアが垂涎の瞬間やんw
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