夢か現(うつつ)か
禎兆元年(1581年) 四月中旬 近江国蒲生郡八幡町 蒲生賢秀邸 蒲生賢秀
「父上、御具合は如何でございますか?」
「うむ、少しは良いようじゃ」
父、蒲生下野守定秀が臥所で横になっている。力の無い声だった。肌からは艶も失われている。伊勢から戻って以来身体の不調を訴え横になっている事が多い。夜中に痛みを訴える事も有る。出仕もしないのだ、余程に具合が悪いのだろう。
「父上、医師を呼んだ方が良いのではありませぬか?」
「それには及ばぬ」
「しかし食欲も無いようですし」
「良いのだ」
強い口調ではなかったが反論を許さぬ重みが有った。この父が如何にも苦手だ。豪い父だと思い尊敬もしているが今一つ親しめない。父の前では自分が幼子になった様な気がする。
「ここ最近、良く夢を見る」
「夢でございますか」
父は目を閉じている。口元に笑みが有った。父は夢を見る事を楽しんでいるらしい。以前なら埒も無いと切り捨てそうなものだが病で心が弱っているのだろうか? だが心配以上に夢の内容に興味が有った。
「一体如何様な夢で?」
「昔の夢だ。儂は観音寺城で管領代様と何やら話をしているようであった。管領代様は上機嫌であったな」
管領代様、六角定頼様。六角家の勢威を最大にされた名君。父にとっては無二の御方であろう。
「良い夢でございますな」
「うむ、良い夢じゃ。ところがの、気が付けば話している相手は何時の間にか御屋形様になっているのよ。場所も八幡城、暦の間になっておる」
「……」
父がクスクスと笑い出した。
「はて、儂は管領代様と話をしているのではなかったか、此処は観音寺城ではなかったか、そう思うと何時の間にか御屋形様が管領代様になり城は観音寺城に戻っておる。その繰り返しじゃ。終いには儂はどなたと何処で話しているのか分からなくなる。ただ、儂の話している方が隅立て四つ目結紋の衣服を身に着けている事だけは分かった。何を話しているのかも分からぬが相手は上機嫌で儂も楽しんでいるのだ」
父が私を見た。
「妙な夢とは思わぬか?」
「左様ですな」
六角家が健在であった当時、父にとって御屋形様は心許せぬ存在であった。御屋形様にとっても父は心許せぬ存在であっただろう。だが六角家滅亡後は父は御屋形様の求めに応じて相談役として出仕した。御屋形様は父の能力を買ったのであろうが御屋形様を嫌う父を登用する事で六角家の旧臣達に対して朽木に仕える事の不安を払拭する狙いもあると父は見ていた。強かな御方だと御屋形様を評していた。
「朽木家に仕えてざっと十五年だ。この十五年、楽しかった。思いの外に居心地が良かったようじゃ」
「御屋形様と父上が敵対していた事など若い者は誰も信じませぬ。倅の忠三郎も首を傾げますぞ」
父が笑った。
「そうか、その方は如何だ?」
「某も信じられませぬ」
「困ったものよ、だが儂も信じられぬ。左兵衛大夫、あれは真に有った事なのかのう。なにやら夢のようじゃ」
親子で声を揃えて笑った。何年ぶりであろう、こうして二人で笑うのは。父が私を見た。
「左兵衛大夫、儂はもう長くない。腹に膈が出来ておる。不治の病じゃ、助からぬ」
「……何を申されます」
膈、この父が?
「半年程前から腹にしこりの様な物を感じるようになった。まさかと思っておったがやはり膈であったわ。もういかぬの」
「……」
「先日、御屋形様がお見えになった」
「はい」
父の見舞いであった。カステーラを御持ちになっていた。主君が家臣の見舞いに自ら出向く、異例の事だ。
「儂はもう長くない、その事を御屋形様にお伝えした」
「父上!」
父が“騒ぐな”と私を窘めた。
「御屋形様は御怒りであった」
「……」
「真田弾正、日置五郎衛門、宮川新次郎、もっと扱使ってやろうと思っていたのに勝手に死んだ。今度はその方が死ぬと言い出す、そのような勝手は許さぬ、カステーラを食べて力を付けろと。……拗ねておいでであった」
「……御屋形様が」
父が頷いた。あの御屋形様が子供の様に拗ねて……。
「儂は御屋形様を叱り付けるべきであった。何たる醜態、左様な事で天下が獲れるかと」
「……」
「だが出来なかった。拗ねる御屋形様が如何にも可笑しゅうて、愛おしゅうて、儂には御屋形様を見ている事しか出来なかった。そう、可笑しゅうて、愛おしかったのよ。何とも無様な事よ、死を間近にしてこの無様、歳を取って愚かになった。少々長生きし過ぎたの」
「何を申されます。それだけ御屋形様と父上の間には強い絆が有るという事では有りませぬか」
父が照れ臭そうに笑った。初めて見る表情だ。鼻の奥にツンとした痛みが走った。
「十分に生きた、良い主君にも恵まれた。悔いは無い、そう思ったのだがの。いかぬわ、御屋形様の見舞いを受けてから死にたくないと思う様になった。この歳になって、まだ未練が有るとは……」
「父上……」
涙が零れた。この父が、常に誇り高く強かった父が……。今死を間近にして弱さを出している。老いたのだとは思わなかった。乱世を生きるために気を張って来た父がようやく肩の荷を降ろそうとしている。普通の男に戻ろうとしている、そう思った。
「それ以来夢を見るようになった。あれは夢なのかのう、それとも儂の願いなのか……」
「父上、死んではなりませぬぞ。死んではなりませぬ」
涙で父の顔が歪む。どうにも嗚咽が止まらない。これほどまでに父を身近に感じた事は無かった。
「その方までが無茶を言う。だがなあ、死ねぬなあ。まだまだ死ねぬ」
「はい、死んではなりませぬ」
父の目尻から涙が零れた……。
禎兆元年(1581年) 四月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 伊勢貞良
「改元の事、良くやってくれた」
「いえ、御屋形様より費用を頂きました故滞りなく進みました。大した事ではありませぬ」
「謙遜は要らぬ。差配したのがそなたでなければもっと手間取ったであろう、違うかな?」
「畏れ入りまする」
頭を下げると御屋形様が軽く笑い声を上げた。
「蒲生下野守殿が病と聞きましたが?」
「うむ、良くないのだ。心配している」
「御元気になってくだされば良いのですが」
「そうだな……」
御屋形様が表情を曇らせた。傍に控えている重蔵殿も沈痛な表情だ。どうやら具合は良くないらしい。或いは病状は重いのか。京の朝廷ではここ最近朽木家の老臣が相次いで亡くなっている事に関心が集まっている。その事が朽木家の朝廷政策に影響が出るのではないかと見ているのだ。私にそれとなく訊ねてくる人間もいる。次に御屋形様に影響力を振るうのは誰かと……。例えば、重蔵殿……。
「ところで薩摩の公方様へ勅使を送る件につきましては飛鳥井権大納言様が勅使として下向されると決まりました」
「ほう、伯父上が」
「はい」
「これから暑くなる、伯父上も大変であろう。帰りに銭を受け取ってくれ、それを道中の掛かりの足しにと伯父上に渡して欲しい。それと無理をせぬ様にと言伝を頼む」
「はっ」
権大納言様は自ら勅使へと志願されたと聞く。従一位に叙位された事で儀同三司が見えてきた。それへの弾みとしたいのだろうともっぱらの評判だ。
「島津にとっては寝耳に水の筈、上手く行けば島津を混乱させる事が出来よう。面子に関わるからな」
「はっ」
「阿蘇、相良も多少は息を吐けるやもしれぬ」
「左様でございますな」
先日、九州から阿蘇、相良の使者が御屋形様を訪ねて来た。早期の九州入りを願ってきたが……。
「御屋形様、真に征夷大将軍職はそのままで宜しいのでございますな?」
「うむ、構わぬ」
「その事で近衛様からこの先如何するのかと御下問がございました」
御屋形様が“ふむ”と鼻を鳴らした。
「如何するのか、つまり幕府を開かぬのかという事か?」
「はい、御屋形様より考えを聞きたいと」
「そうだな、織田攻めが終わったら一度京に行く。その時に殿下に御会いしよう」
「はっ、そのようにお伝えいたしまする」
「うむ、だがその前に兵庫頭には俺の考えを話しておきたい」
「はっ」
「武家が天下を治めるのであれば征夷大将軍となり幕府を開き守護を各国に置く事で天下を掌握する、その方が楽なのは確かだ。皆、慣れている」
「某もそう思いまする」
「だがこの乱世で足利将軍家、守護は混乱し没落した。というより足利将軍家と守護が乱世を起こし没落した。俺はそう思っている」
「はっ」
御屋形様がひたと視線を私に当てた。
「兵庫頭、その方には辛かろうが乱世に於いて将軍と幕府は無力だった。そうでなければ全国で百年以上も戦乱が続くなど有り得ん。将軍と幕府の権威は地に落ちたのだ。今敢えて幕府という組織、将軍という職に拘る必要が有るのだろうか? 俺は必ずしも拘る必要は無いと思う。大事なのは先ず天下を統一し諸大名に俺の前で膝を着かせる事、朽木の武威をこの日ノ本の隅々にまで振るう事だ。その上でどのような政の仕組みを整えるかだと思う。残念だが足利の幕府はそれが出来なかった。南朝、北朝の動乱で中途半端なまま幕府を作った」
やはり……。生前父が予想していた通りであった。いや、それ以上か。御屋形様は足利の幕府だけでなく幕府そのものに見切りを付けておいでだ。
「太閤殿下が懸念されているとすれば新たな政の組織と朝廷との関係がどのようなものになるかであろう。その辺りは十分に配慮するつもりだ」
「はっ」
なるほど、御屋形様は朝廷との協力体制を維持していきたいと御考えの様だ。天下統一後に朝廷に対して態度を変えるという事は無いらしい。
「その事、某から太閤殿下に御伝えしたいと思いますが」
御屋形様が頷かれた。
「そうしてくれるか、殿下も安心しよう。公家というのは猜疑心が強いからな、痛くも無い腹を探られたくは無い」
「では京に戻りましたら直ぐに」
「うむ。それと俺は天下を朽木の私物とするつもりは無い。その事も伝えてくれ」
「はっ」
私物? 御屋形様は厳しい表情をしている。
「足利は天下を足利の私物であるかのように扱った。理由の一つに足利将軍家が弱く有力守護大名の力が強かった事が有る。彼らの勢力を削ぐ事が足利の権威を守る事になった。その方も分かっておろう」
「はっ」
三好との抗争、朽木との抗争がそれであった。足利は畿内で大きな勢力を振るう者を許さない。父は足利の悪い癖と言っていた。
「だがそれは天下の仕置とは関係ない事だ。にも関わらずそれを優先した事が天下に混乱を招いたと思っている。足利の幕府というのはそういう恣意的な所の多い武家の府であったのだ。俺はそういう物は出来るだけ排除するつもりだ。そうでなければ天下は安定せぬ」
「はっ」
なるほど、御屋形様は公正な武家の府を創る。それを重視しているらしい。その為にも天下に武威を振るう事が必要か。
「ま、これからだな。東海から関東、奥州、そして九州。これらを制しながら天下の仕組みを考える事になる。天下草創だな」
「天下草創……、でございますか」
御屋形様が頷かれた。
「そうだ、頼朝公は新たに幕府という武家の府を創りだした。俺も新たに武家の、いや天下の府を創らなければならん」
天下の府……。
呆然としていると御屋形様が声を上げて笑われた。
「ま、ゆるりと参ろうか」
「はっ」
慌てて頭を下げた。武家の府ではない、天下の府……。御屋形様は武家を治める事で天下を治めるとは考えていないという事なのかもしれぬ。なればこそ幕府を必要としない……。一体どのような組織になるのか……。
禎兆元年(1581年) 四月中旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
目の前で兵庫頭、重蔵が呆然としている。うーん、少し吹き過ぎたかな? いや、そんな事も無いか。実際これからやる事は天下草創に近いだろうと思う。そうでなければ意味は無い。
『天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なり』
良い言葉だ。家康が死を迎える前に外様大名に言った言葉らしい。この後に将軍の政治に非道が有り万民が苦しむようなら何時でも天下を奪って構わない。自分はそれを恨みに思わないと言ったようだ。
恨みに思わない? 本心ではないだろう。豊臣家も滅び戦国を生きた外様大名達もその多くが老い、死んだ。徳川の天下を揺るがす様な騒動は簡単には起こらない、そう思っていた筈だ。おそらくこれは秀忠や徳川譜代家臣への戒めであり遺言だと俺は思っている。酷い政治をすれば徳川は滅ぶ。だから決して政を疎かにするな……。家康の頭の中には混乱した足利や朝鮮出兵で諸大名を疲弊させた秀吉の事が有ったと思う。綺麗事ではある、だが天下統治の心構えとしてはそうあるべきだろう。
俺は幕府を開くつもりはない。そう考えている理由に幕府の権威の低下がある。だが他にも理由が有る。如何にも不安定なのだ。自分が政権を作るとなれば慎重にならざるを得ない。では幕府とは何なのか? これはその成立まで遡らなければならない。元々は征夷大将軍や鎮守府将軍が奥州の最前線において軍政という形で地方統治権を認められた事が原型として有る。
幕府を作った源頼朝とそのブレーンはそれを利用したわけだ。頼朝には自分を押し上げてくれた関東の武士団を守らなければならないという想いが有った。それが出来なければ自分は武士団に見捨てられ没落するという恐怖も有った筈だ。頼朝には天下を制したという意識は希薄だっただろう。
幕府創成時、鎌倉幕府は日本の統一政権では無かった。その勢力範囲は関東から東北が主体で西国の大部分は朝廷の支配下にあった。要するに東西に政権が有ったわけだ。頼朝に有ったのは関東に武家の府という独立政権を作った、或いは朝廷から自治権をもぎ取った、そういう意識であっただろう。これは朝廷も同様だったと思う。だが頼朝とその武士団にとっては自治権をもぎ取った事で十分だった。不当な扱いを受けずに済む、そう思った筈だ。
朝廷は当然だがこの自治権を取り上げよう、或いは縮小しようとする。これが承久の乱だ。この承久の乱で幕府が勝った事で幕府と朝廷の力関係が逆転した。そして幕府の性格が変わったと思う。幕府は関東の独立政権ではなく日本の統治機関の府になった。要するに朝廷から統治権を奪ったのだ。日本史における最大のクーデターだろう。
しかし幕府はあくまで武家の府だ。そして征夷大将軍が令外官である事を思えば不正規な組織が天下を統治した事になる。後醍醐天皇の討幕は正規な統治機関である朝廷が不正規な統治機関である幕府を打倒し統治権を取り戻した、統治機関を一元化しようとしたと言えるだろう。もっとも建武の新政が壮大なる愚作に終わった事を考えれば迷惑行為でしかなかったが。
足利が幕府を京に開いたのは南朝から北朝の朝廷を守るという現実的な課題が有ったからだが朝廷を守るという姿勢を示す事で朝廷が反幕府活動を起こす事を防ごうとしたという狙いもあるんじゃないかと思う。徳川幕府の討幕も薩長が主導したとはいえ討幕の大義名分を与えたのは朝廷だった。それを思えば幕府という組織には常にその政権の正統性が否定されるという危険が内在すると言える。
豊臣秀吉が関白になったのはその危険性を考えたからかもしれない。武家の府を外に作るのではなく朝廷の中から武家を支配する。自分の出自に自信の無かった秀吉は朝廷の権威を利用して自らの権威を確立しようとした。そして朝廷の中に入る事で武家だけではなく公家も支配しようとした。そうする事で秀吉は公武の統合を図った、日本の統一を狙ったのではないだろうか。……うん、良く分からんな。
如何するかな。朝廷の中に入るか、それとも外に出るか。朝廷の中に入った場合官職を如何するかという問題が有る。関白は拙い。摂家との関係が決定的に悪化するだろう。それは避けたい。朝廷の外に出た場合は政権の正当性を如何するかという問題が発生する。当然だが官職にも影響するだろう。
分からんなあ、分からん。相談相手が欲しいな、この手の問題を話せる相手……。誰か適当な人間が居ないものか……。公家に相談するのは気が進まん。相談するのは或る程度考えが纏まってからの方が良いだろう。毛利の恵瓊に相談してみようか……。坊主が如何思うか? 問題先送りのような気もするが簡単に決められる問題でもないのだ。先ずは織田攻めに専念しよう。
関東の上杉景勝から使者が来た。朽木の織田攻めに協力すると言ってきた。具体的には信濃の国人衆に甲斐を攻めさせると言ってきた。そうなれば徳川は駿河、伊豆には兵を出せない。朽木は楽に東海道を制する事が出来る。その後は朽木が相模、上杉が甲斐で分け取りにしたいと。
些か朽木に都合が良過ぎるような気もするが景勝は蘆名を重く見ているらしい。本拠地である越後に攻め込まれたからな。徳川よりも危険だと見ている様だ。竹の事も関係しているかもしれない。上杉の使者は竹が戦場に出た事を頻りに詫びていた。朽木が駿河を獲れば徳川は嫌でも朽木に向き合わざるを得ない。その分だけ甲斐攻略、対蘆名戦が楽になるという事の様だ。謙信が戦場に出ずとも済む。思い切りが良いな、上杉の当主らしくなってきたという事らしい。