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当主の務め




天正三年(1579年)   四月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木堅綱




「信じて宜しいのでしょうか?」

「さて、何の混乱も無かったというのが信じられぬ」

「確かに多少の混乱は有っても良い、いや有った方が不自然ではないのだが……」

浅利彦次郎、甘利郷左衛門、山口新太郎が口々に安芸門徒への不審を口にした。そうだろうな、私もそう思う。残りの者も皆頷いていた。


「若殿、御屋形様は何と?」

竹中半兵衛が問い掛けてきた。また皆の視線が集まる。視線が重いのだという事を元服してから知った。

「昨年の事だが毛利家は一度安芸門徒を根切りにしようと考えた事が有る」

皆が顔を見合わせた。信じられぬのであろう。

「それを知ったのかもしれぬ。となれば拒否すれば朽木と毛利に根切りにされる事は必定、毛利を当てに出来ぬと考えた可能性はある。しかし昨年まで仏護寺の唯順の元に顕如の使者が訪れていた事を考慮すると油断は出来ぬと父上は考えておられる」

皆が頷いた。


「当初父上は新たな城を比治山に造るのは反対であられた。城は平城にしてもっと海に近い方が良いと考えておられたのだ。その方が今浜の様に繁栄し易いと。だが十兵衛からあの辺りは河川が多く水害に遭い易いので城は多少高い所が良い、それに安芸門徒の心底が訝しいのでその意味でも平地よりも比治山に造るべきだという意見が有りそれに同意された」

また皆が頷いた。口々に“なるほど”、“確かに”、“そのような事が”と話している。


「毛利家は如何考えておりましょう」

黒田吉兵衛が呟いた。シンとした。

「分からぬ。右馬頭殿、駿河守殿、左衛門佐殿は或る程度信じても良いのではないかと思う。だが毛利家中は一向門徒が多い、顕如はそちらに手を回したかもしれぬ。となれば万一の場合は混乱するのではないかと父上は懸念されている。私もそう思う」


父上は全てを話す事で毛利家に脅しをかけた。私には毛利家はその脅しを十分に理解しているように見えた。だが家中の者は……。毛利家が上と下で分裂する事は十二分に有り得よう。それ自体が父上の狙いなのだろうか? 毛利家として統一した行動を取らせない……。分からないな、分からない。


「万一の場合、九州攻めですな?」

郷左衛門が問い掛けてきたので頷いた。実際には九州攻めだけとは限らないだろう。織田殿に万一の事が有り東海から関東で騒乱が起こる様になれば安芸で混乱が生じる可能性は有ると父上は御考えだ。島津が九州を統一するためには時間を稼ぐ必要が有る。関東、東海の混乱に付け込めば効果は大きい。その時は毛利の寝返りも狙ってくるだろう。


「安芸門徒には如何様な対策を」

新太郎が問い掛けてきた。また皆の視線が集まる。今度は眩しく感じた。

「無い、表向きはな。疑うような事はせぬという事だ」

皆が顔を見合わせた。

「しかしそれでは」

「分かっている、彦次郎。だから表向きはだ」

皆がまた顔を見合わせた。


「裏では動くのですな?」

「その通りだ、吉兵衛。父上は十兵衛に城造りを急ぐようにと命じた。銭も存分に使えと。拠点を造るという意味も有るが領民達も銭が懐に入れば今の豊かさを捨てるのに躊躇いを覚えるだろうという事だ。それと兵糧方に安芸領内の街道の整備も急がせる。商人達の行き来がし易くなるが兵の移動もし易くなるからな」

皆が頷いた。


「それと毛利家にも文を出す。これは私の仕事だ」

「若殿の?」

十五郎が驚いたような声を上げた。皆も驚いている。

「父上から命じられた。毛利家には父上からではなく私から文を送る。父上はそれほど心配はしていないが私が案じて毛利家に文を出すという形を取る。その方が毛利家も妙な考えを持たぬだろうという事だ」

皆が頷いた。


文一つ、誰が出すかで意味が変わってくる。父上の、朽木家の役に立っている事は嬉しいが自分が無知で無力である事が分かって落ち込む事ばかりだ。今年は上杉から嫁を貰う、大丈夫だろうか……。




天正三年(1579年)   五月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




八幡城の櫓台から外を見る。良い景色だ。琵琶湖、いや淡海乃海が何艘もの船を浮かべて美しく広がっている。湖の反対側が高島郡だ。朽木は更にその奥だな。山が見える。比良山系の山だ。良いなあ、湖が有って山が有って水田が有る。夏になれば青々と秋になれば黄金色に代わるだろう。近江は豊かな国だがその豊かさを表している。史実の信長もこの景色を楽しんだのかな。


「父上」

弥五郎の声だ。振り返ると弥五郎が片膝を付いて控えその後ろに山口新太郎、竹中半兵衛、浅利彦次郎、甘利郷左衛門、細川与一郎、黒田吉兵衛、明智十五郎が控えていた。

「如何した?」

「おめでとうございまする。篠殿が懐妊されたと聞きました」

“おめでとうございまする”と後ろが唱和した。ちょっと恥ずかしいな。十代の娘二人を妊娠させちゃったって如何よ。現代なら鬼畜扱いだろう。


「ああ、祝ってくれるのか、有難う。生まれるのは来年早々といったところだろう」

「男なれば宜しいですね」

「そうだな、篠もそれを望んでいよう。だが父親としては男女どちらでも無事に生まれてくれれば良いと思う。辰も篠も初産だからな」

弥五郎が頷いた。


「あと一月程で上杉から奈津姫が来る」

「はい」

「そなた達の婚儀が終われば武田の二人の姫の婚儀を行う。俺も祝いの品を贈るがそなたと奈津姫からも祝いの品を贈るようにな」

「はい、心得ております」


弥五郎も多少は分かってきたようだな。俺の代だけじゃない、次代になっても武田の家を大事に扱うという意思表明だ。そして上杉家の姫も武田に敬意を払うと言う事でも有る。武田の旧臣達も喜んでくれる筈だ。この場に居る浅利彦次郎、甘利郷左衛門が視線を交わしている。喜んでいるのだろう。


祝いを言ったのだから帰るのかなと思ったが弥五郎は帰らない。

「如何した?」

「父上が御一人で櫓台においでだと伺いましたので」

「案じてか?」

「はい」

ちょっと嬉しい。鼻の奥がツンとした。


「弥五郎、参れ。皆も参れ、遠慮するな」

弥五郎が立ち上がって傍に立つと半兵衛達も立ち上がって寄って来た。

(うみ)だ」

「はい」

「この近江は日ノ本の中心に有る。この日ノ本を東から西、西から東に行くにはいずれもこの近江を通る。商人は湖を使って物を動かす。大津、草津、塩津浜、今浜」

「父上が今浜の町を造られました」

弥五郎が頷きながら言った。


「そうだな、西は大津、草津を六角家が押さえ北は朽木が塩津浜を押さえていた。だが東にはそれが無かった。東海道、東山道を使い美濃、尾張、伊勢からの荷を集める湊がな。だから城を造り町を造った。国友を押さえるという意味も有った。城が出来、町が出来た時は嬉しかったな」

弥五郎が尊敬の目で俺を見ている。ちょっと面映ゆかった。自分の案じゃない、史実で秀吉がやった事の真似だ。


「近江は、いや淡海乃海は日ノ本の臍だ。だが近江は南北に分かれ一つになる事が無かった。それに叡山が有った。近江に大きな勢力が出なかったのはその所為だろう。淡海乃海を十分に利用出来なかったのだ」

「六角家がございましたが?」

弥五郎が訊ねてきた。


「南近江を中心に伊勢、伊賀、大和に勢力を伸ばしたが百万石程だ。北近江を獲り叡山を潰す。近江を統一し淡海乃海を十二分に利用すれば六角の勢威は越前、若狭、丹後にも及んだと思う。忽ち二百万石を越えただろう。六角家は天下を獲ったかもしれぬ」

佐々木源氏は近江に勢力を伸ばした。だが六角と京極に分かれていがみ合った。京極が没落した時、六角が浅井を潰し北近江を直接治めていれば……。


「御屋形様がそれを成されました」

半兵衛がニコニコしている。

「そうだな、半兵衛。不思議なものだ、天下を目指したわけではない。だが叡山を焼き滋賀郡を手に入れた時、目の前がすっと開けた様な気がした。同時に三好の重さをズンと感じた。南近江を獲った時も似た様な事を思った。急に視界が開けたと……」

邪魔だったのだな、叡山も六角も。朽木が大きくなるためには邪魔だったのだ。


「父上、お伺いしたい事が有るのですが……」

「何だ?」

「上杉様の事です。父上に武田信玄公との戦の事を訊ねたと……」

「それか」

浅利彦次郎、甘利郷左衛門に頼まれたか。二人が微妙な表情で俺を見ている。


「まだ高島郡で五万石程の小領主であったな。謙信公は二度目の上洛の帰りであった。信玄公との戦が思わしくない、勝敗がはっきりしない、如何したものかと相談を受けた」

「死生命無く死中生有り、父上がそう申されたと聞いております」

弥五郎の声が弾んでいる。そう言えばこの話をした事は殆ど無いな。子供達にとっては不思議なのかもしれない。


「そうだな、それを言った。相手が近付かないのであれば自分が踏み込むしかないとも言った。謙信公も同じ事を考えていたのだろう。覚悟が付いたと申された。そしてあの戦が起きた。父は謙信公の背中をほんの少し押しただけだ」

何だか変な気持だ。この世界では第四次川中島の戦いは俺の助言で起きたとなっている。俺の助言が無くてもあの戦は起きた。結果はどうなったかは分からないが……。


「弥五郎、その方は信玄公を如何思う? 世評では忍人、冷酷、非情の人と評されているが」

「それは……」

弥五郎が答え辛そうにした。そうだろうな、この世界では信玄が第四次川中島の戦に負けた事も有って信玄の評判は必ずしも良くない。武田の旧臣である彦次郎、郷左衛門の前では答え辛いだろう。


「信玄公は辛かったであろうな」

「辛い、ですか?」

弥五郎が訝しげな表情をした。

「甲斐は貧しいのだ。毎年のように冷害、水害が起こり飢饉が起きた。領民達も家臣達も飢えに苦しんでいた。領民達を守り家臣達に少しでも良い暮らしをさせようと思えば他国を攻め取るしかなかった。信玄公はそのために随分と無理をせざるを得なかったのだと思う。父を駿河に追い妹婿を殺したのもそのためだ。他国との約定も自分が有利だと見れば平然と破った」

彦次郎、郷左衛門が控え目に頷いた。弥五郎がそれを見ている。


「酷い事だと思うか? だがその方は貧しいという事が分かるまい、その辛さがな。近江は豊かだ、朽木もな。米も採れるし銭も集まる。物も集まる。百姓達は戦に行く事も無い、安心して田畑に出て仕事をする事が出来る。その方にとっては見慣れた風景であろう」

「……」


「俺も飢えは知らぬ、貧しさもな。だが甲斐で何が有ったかは知っている。米は採れぬ、銭も無い、物も集まらぬ。それでも百姓達を駆り集め戦へと追い立てた。百姓達も生きるためにそれに従った。だがな、米も無ければ銭も無いのだ。戦は常にぎりぎりの状態で戦わざるを得なかった筈だ。無理を重ねて集めた米を喰いながら、残り少なくなる兵糧に怯えながら戦う。身の痩せ細る思いで有っただろうな。そういう苦労をしながら他国を攻め獲った。そうやって武田家を大きくしたのだ」

彦次郎、郷左衛門が俯いている。昔を思い出したか。


「捕虜を得ればその捕虜を売って銭を稼いだ。捕虜の家族も売った、女子供もな。酷い話だと責める事は容易い。だがそうせねば大きくなれなかったのだ。皆を守れなかったのだ。同じ立場に立たされれば父も同じ事をしたかもしれぬ。その方は父を忍人と責めるか?」

「……いえ、責めませぬ。責められませぬ」

弥五郎が力無く首を横に振った。


「俺と信玄公の違いは生まれた場所が違うだけだと思う。信玄公が特別なのではない、俺が特別なのでもない。当主として家臣領民を守ろうとすれば取る手段は限られてくる。あとはそれを出来るだけの覚悟が有るかだ。信玄公は非難を浴びながらもそれをやった。見事なものだと思う」

彦次郎、郷左衛門が泣き出した。詫びながら泣いている。辛かったのだろうな、信玄の悪評を聞く度に辛かったのだろう。


米を売り付けたのは俺だ。大儲けさせてもらった。信玄を非難する資格は俺には無い。信玄を好きになれんし尊敬も出来ない。だがな、精一杯武田家当主として務めた事は事実だ。それは認めざるを得ない。甲斐というババ札握ってあそこまでやったのだ、凄いと思う、俺には無理だ、素直に感心するわ。それに武田の旧臣が朽木に仕えているのだ。それなりの配慮は要る。立場が上がると自由が無くなるわ。弥五郎もその事にいつか気付くだろう。或いはもう気付いているのか……。少しの間彦次郎、郷左衛門の啜り泣く音だけが櫓台に聞こえた。




天正三年(1579年)   六月下旬      近江国蒲生郡八幡町 八幡城  朽木基綱




雪乃と辰のお腹が()り出てきた。篠はそれほどでもない。これから暑くなる、女は大変だとつくづく思う。男に出来る事は殆ど無い。大丈夫か、辛くは無いかと声をかける事と腹を撫でてやる事ぐらいだ。そろそろ名前を考えないと。男を三人分、女を三人分。男なら六男、七男、八男だな。六郎、七郎、八郎ってのは如何かな? 生まれて来た順番が分かるから便利だと思うんだが。


手を抜いたと思われるかな? 雪乃はともかく辰と篠は嫌がるかもしれない。やはり男はこれまで通り千代系で行こう。……梅千代、仙千代、文千代っていうのは如何だろう。女は(さち)、福、寿(ひさ)だ。うん、悪くない。喜んでくれるだろう。


三人とも男の子を欲しがっているんだよな。でもなあ、朽木家は男が五人、女が三人だ。女の子が一人か二人生まれても良いと思うんだが本人達の前では言えん。元気で丈夫な子が生まれれば十分だと言うのが精々だ。辰と篠にはあんまり思い詰めないで欲しい。十代の女の子が男の子を生むとか思い詰めているのを見ると痛々しいわ。こっちが辛くなる。


もう直ぐ七月だ。七月には上杉から奈津姫が来る。弥五郎も結婚だ、目出度い事だが妻を娶れば次は子作りだ。奈津姫も子供の事では苦労するかもしれない。小夜も最初は子供が出来なくて色々と悩んでいたからな。その辺りはプレッシャーをかけないようにしないと。小夜、綾ママにも注意しておこう。弥五郎にも言っておこう、焦るなと。


朽木は弥五郎の結婚でルンルン気分だが他は戦国らしく殺伐としている。九州では大友が島津、龍造寺に追い込まれてきた。豊前の城井民部少輔鎮房、肥後の名和左兵衛尉顕孝、城越前守親賢が大友から島津に寝返った。そして肥前の志岐豊前守鎮経、肥後の隈部但馬守親永、筑後の蒲池民部大輔鎮並、草野左衛門督鎮永、黒木兵庫頭家永が龍造寺に寝返った。


肥前は勿論だが筑後も駄目だろうな、龍造寺のものだ。筑後には筑後十五城と呼ばれる大身国人衆がいる。この連中は必ずしも大友に心服してはいない。大友の力が強いから従っているだけだ。耳川の敗戦で大友の力が弱まった。連中は必ず大友を見放して龍造寺に付く。蒲池、草野、黒木はその第一弾だ。これから先はドミノ倒しで大友を見放すだろう。肥後は相良、阿蘇が大友と結んでいる様だがどうなるか……。


龍造寺はあっという間に大きくなるな。大友が不安になる程に。そろそろ大友から直接朽木に使者が来るかもしれない。あの家は外交上手な家だ。このまま座してはいないだろう。史実では信長、秀吉に何度も九州征伐を要請している。実際大友から朽木に救援要請が来た。直接では無い、飛鳥井の伯父を通してだ。


何でも死んだ飛鳥井の祖父、儀同三司飛鳥井雅綱は宗麟の若い頃に九州に降って蹴鞠を教えたのだとか。その縁で大友と飛鳥井は繋がりが有るらしい。そんな話は初めて聞いたわ。そう言えば土佐の一条家にも飛鳥井家の人間が居た。飛鳥井家の人間は書道、和歌、蹴鞠と多才だからな。地方に行くと喜ばれたようだ。


しかしな、援けてくれと言われてもこちらも動けない。旧毛利領、特に安芸を押さえなければならん。まだ時間がかかると答えておいた。大友は生き残れるかな? 史実では生き残った。島津と龍造寺が九州の覇権を巡って争ったからだ。この世界ではどうなるか。島津と龍造寺が手を結ぶようなら大友は危ない。潰されるか、或いは義昭に服属するか。服属しても内実は島津への降伏に近いだろう。人質も要求されるだろうな。それに堪えられるか……。


西で大友が滅びかけている、そして東では北条が滅びかけている。信長が七月に兵を起こす。北条は小田原城に籠って籠城だろう。信長の狙いは青田刈り、或いは秋まで待って収穫の横領だ。米が無くては籠城は出来ない。今年降伏はしなくても来年は無理だ。信長は来年には居を駿府に移す筈だ。本格的な関東攻略が始まるだろう。








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