崩壊
元亀五年(1577年) 七月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
「山陽道は明智殿、播磨の国人衆の他に摂津、伊勢の兵で攻めるという事に成りまする」
真田源五郎昌幸の言葉に大評定の参列者が頷いた。大体四万ぐらいの大軍になるだろう。毛利も大変だ、十兵衛は前回の戦でかなり怒っているからな、手荒く行くぞ。頑張れよ。
「但馬、因幡は近江、紀伊、丹波、丹後、若狭、越前、加賀、能登の国人衆を動かしまする。但馬攻めは播磨、丹波、丹後の三方から攻め込む事となります。播磨からは御屋形様、丹波から出石へは日根野備前守殿、丹後からは鯰江備前守殿が攻め込み丹後、若狭からは水軍が侵攻を助けまする」
何処からか溜息を吐く音が聞こえた。一つじゃない、複数。まあこれだけの兵力を動かすのは簡単じゃない。兵糧方の負担は大変だが頑張って貰わなければならん。今回は和泉、大和の兵は使わない。三好左京大夫の一周忌だからな。松永、内藤にはそちらに専念してもらう。来年も三回忌だから駄目だな、まあ仕方ないか。それでも俺だけで約四万の兵を動かす。日根野備前守、鯰江備前守を入れれば五万を越えるだろう。十分だ。
「八月上旬に出兵し十月一杯まで兵を動かします」
源五郎の発言に皆が頷いた。毛利方の国人衆に負担をかける。但馬、因幡の山名を兵糧攻めにするのが目的だと皆が分かっている。百姓を兵として使わないという強みを最大限に生かす。もっとも簡単には行かないだろう。毛利は備前、備中、美作の国人を数人潰し態勢固めをしている。理由は朽木に通じた、或いは通じようとしたというものだ。多分、毛利から見て信用度が低い者を潰したのだと思う。その中には江原又四郎夫妻の名も有る。宇喜多の当主の両親も殺した。なりふり構わなくなったな、毛利は。
十兵衛には備前攻略が上手く行かなくても毛利の主力を引き付けて貰えれば良い。山陽道は陽動だ。本筋は山陰道、但馬、因幡を攻め取りそこから美作に攻め込む。美作を獲られれば備前、備中の国人衆は動揺するだろう。その時こそ十兵衛が攻め込む時だ。簡単に備前を切り取れるだろう。山陽道一本では無く山陽道、山陰道の二正面作戦を採る。兵力の少ない毛利にとっては何よりも嫌なやり方の筈だ。
「兵糧、武器弾薬は石山に集める事とする。膨大な量になるであろう。叔父上方、宜しく頼む」
俺の言葉に右兵衛尉直綱、左衛門尉輝孝が頭を下げた。蒲生忠三郎が兵糧方の席に居る。戦場に出たいだろうが兵糧方で後方支援を良く学べ。それ無しでは良い大将にはなれん。
「石山には山内伊右衛門が居る。伊右衛門と十分に連絡を取ってくれ。人手が足りぬなら補充する。その辺りも話し合って欲しい」
「はっ」
竹若丸が物問いたげにしているのが見えた。困った奴。
「竹若丸」
「はい」
期待感が顔に出ているが駄目だ。
「初陣は元服後だ。それに夏場の戦は初陣には向かぬ。その方は留守を守れ」
「……はい」
がっかりしている。
「小夜は身重だ。その方は嫡男、母をしっかりと守れ。良いな」
「はい」
ようやく頷いたか、世話が焼けるわ。
大評定を終え暦の間に戻ると伊勢兵庫頭がやってきた。
「改元の件でございますが」
「うむ、如何なった?」
「おめでとうございまする、次の元号は天正に決まりました。朝廷でも感心する声が高うございまする」
重蔵と下野守が“おめでとうございまする”と祝ってくれた。まあ、史実の信長の真似だから余り褒められても困るんだが……。
「改元は俺からの要請という形になるのか、それとも朝廷が自らの意思で行うという事に成るのか」
「御屋形様からの要請という形になりまする」
「そうか、分かった」
まあその方が朝廷としては都合が良いのだ。朝廷主導では朝廷が義昭に喧嘩を売る形になる。義昭色を払拭したいとは思っても正面から喧嘩は売りたくないという事だろう。
「改元は年が変わる前に行われる事に成りまする」
「そうか、では改元の手続きを頼む」
「はっ」
兵庫頭が頭を下げた。なんか不思議な感じだな。元亀、天正時代がこの世界でも起きるんだ。戦国で一番厳しかった時代。この世界の元亀、天正はどうなるんだろう。
「御屋形様、西園寺の件でございますが」
「うむ」
「西園寺権大納言様が御屋形様に良しなに願いたいと」
良しなに願いたいか、つまり家禄の件はこちらの提案に従うという事だな。
「分かった。悪い様にはしないと伝えてくれ。日取りの件も異存は無いのだな?」
「はっ」
「では兵庫頭、大変かもしれぬが上手く取り計らってくれ。俺は戦に行かねばならん、兵庫頭の思う様にやって良い」
「はっ、御信頼、有難うございまする」
兵庫頭が深々と一礼して下がって行った。
まあ京はこれで良い。後で小兵衛を寝所に呼ぶか。但馬、因幡の情勢を聞かねばならん。調略を命じたがどうなったか。……武田の姫達の所に行くか。武田の遺臣達の手前、あの二人を軽んじているなどと思われては困るからな。
元亀五年(1577年) 七月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 真田 恭
「如何かな? 何か不自由を感じる事は無いかな?」
「いいえ、そのような事は」
「有りませぬ」
御屋形様の問いに松姫様、菊姫様が御答えになると御屋形様が穏やかな笑みを浮かべて頷かれた。
「遠慮はなされるな。何か不自由、いやそれに限らず願い事が有れば何時でも申されよ。直接でも良いし恭を通してでも良い」
「御気遣い、有難うございまする」
松姫様が頭を下げると菊姫様も頭を下げられた。
「頼むぞ、恭」
「はい、お任せを」
「頼もしい事だ」
御屋形様が声を上げて御笑いになった。
「如何かな、近江は甲斐に比べると暑いかな」
「はい」
松姫様、菊姫様が頷かれた。
「暑さ負けせぬように食事には気を付けられるが良い」
「御心遣い、有難うございまする」
お二人とも口が重い。御屋形様も困惑しておいでであろう。さてと……。
「御屋形様、食事と言えば姫様方は大分驚いておいでです。近江では珍しい物が出て来ると」
「ほう、例えば?」
「鯛、鯖等の魚料理が出て来る度に驚いておいでです」
御屋形様が御笑いになられた。
「なるほど、そう言えばそなたの亭主殿、弾正も魚、蟹、海老に夢中であったな。一度伊勢で魚貝の味噌汁を食したが美味い、美味いと御機嫌であった」
「まあ」
ようやく姫様方が御笑いになった。
「如何かな? 敦賀に行ってみられては」
「敦賀でございますか?」
松姫様が問うと御屋形様が頷かれた。
「敦賀は魚も美味いが南蛮の船や明の船も来る賑やかな湊だ。ずっと外に出ておられぬのであろう。良くないな、気がくさくさしてくる。偶には気晴らしをしては如何かな?」
お二人が困った様な御顔をされた。御屋形様が声を上げて御笑いになられた。
「遠慮は要らぬ。恭、そなたお二人を敦賀に連れて行ってくれぬか」
「御屋形様、もう直ぐ出陣と聞いております。その前に出かけるのは……」
お二人が頷いた。主の出陣前に遊んでいると思われては……。
「そうか、……では竹生島は如何かな。この基綱の戦勝祈願、小夜の安産祈願ならば誰も咎めはすまい」
「まあ、左様でございますね」
「頼むぞ」
「はい」
御屋形様が満足そうに頷かれた。
「そうそう、武田家に縁の者を召し抱えたが御会いになられたか?」
「いいえ」
お二人が首を横に振った。お二人が悲しんでいる事の一つ……。御屋形様が眉を顰められた。
「俺に遠慮しているのかもしれぬ。恭、そなたから声をかけてくれぬか。入り浸りになっては困るが偶には無聊をお慰めせよとな」
「はい」
御屋形様が立ち去られると松姫様が心配そうに“恭”と声をかけて来られた。
「宜しいのでしょうか? 竹生島などと」
松姫様の問いに菊姫様も不安そうな表情を成された。
「折角の御屋形様の御好意でございます、御遠慮なされますな。竹生島なれば朝此処を出て船にて竹生島へ、一泊して翌日こちらへ戻られれば宜しゅうございましょう。御屋形様の戦勝祈願、御裏方様の安産祈願の参詣なればおかしな事ではございませぬ」
「……」
未だ不安そうにしておられる。
「あまり御遠慮なされますな。遠慮が過ぎては御屋形様もお困りかと思います」
「そうですか、……そうですね。確かにお困りの様でした。菊、御言葉に甘えましょう」
「はい、姉上」
少しずつ、少しずつ馴染んでいけば良い……。
元亀五年(1577年) 七月上旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木基綱
すっと戸が開き閉まる気配がした。
「小兵衛か?」
「はっ」
「傍へ」
「はっ」
傍へと言っても見えないんだけどな。まあ気分の問題だな。
「来月、但馬、因幡に攻め込む。その前にそなたから状況を聞いておこうと思ってな。如何だ、調略は上手く行っているか」
「中々簡単には行きませぬ」
小兵衛が苦笑した様な気配がした。まあそうだな、簡単には行かないか。俺も照れ隠しにちょっと笑った。
「但馬から説明いたしまする」
「うむ」
「但馬は山名右衛門督祐豊が治めておりますがその内実は山名四天王と言われる四人の重臣達の力が非常に強く右衛門督の威令が十分に行き届いているとは言えませぬ」
「垣屋、田結庄、八木、太田垣だな」
「はっ」
山名はここまでは生き残る事が出来た。しかし戦国大名にはなりきれなかったという事なんだろうな。
「それで、その四天王、如何動く?」
「太田垣、垣屋は毛利寄り、田結庄、八木は朽木よりの姿勢を示しております。御屋形様が但馬に攻め込めば忽ち割れましょう」
つまり統一した抵抗は出来ないというわけだ。
「太田垣は朝来郡、垣屋は気多郡。田結庄は城崎郡、八木は養父郡を拠点としております」
俺の攻め口は播磨だから朝来郡が侵入口だ。太田垣が立ち塞がる事に成る。悪くないな、但馬の生野銀山は朝来郡に有り太田垣が所有している。敵対してくれた方が潰して銀山を手に入れる事が出来る。太田垣が朽木に降らないのも降れば銀山を奪われる、力を失うと思っているからかもしれない。
「他にこちらに寝返りそうな者は」
「養父郡はその殆どが」
「寝返るか」
「はい」
余り面白くない。養父郡は俺の侵攻ルートからはちょっとずれている。それに養父郡の国人衆が積極的に寝返って太田垣を攻撃するとは思えん。やはり朝来郡は独力で突破しなければならんだろう。そうなれば皆が積極的にこちらに付く筈だ。大丈夫だ、三方から攻め込むのだ。それに敵は内部分裂している。但馬一国、攻め獲るのは難しくない筈だ。
「因幡は?」
「こちらは領主の山名兵庫頭豊弘に実権は有りませぬ。重臣の武田三河守高信が実権を握っておりますが元は他国者、因幡では皆から嫌われております。但し、三河守の後ろには毛利、吉川が居ります。それゆえ因幡の国人衆も大人しくしております」
要するに毛利怖さに大人しくしているだけだ。朽木が攻め込めば当然だが反旗を翻す者は居るだろう。
「誰が寝返る?」
「岩美郡猪尾山城主坂上定六、岩美郡二ッ山城主篠部周防守、高草郡大崎城主樋土佐右衛門、八頭郡富貴谷城主隠岐土佐守、八頭郡右近城主小宮山宗珠等が」
岩美郡か、但馬との国境の郡だな。これも悪くない。
「小兵衛、伯耆に人を入れてくれ」
「はっ」
「旧尼子の家臣に接触して欲しい。いずれ孫四郎勝久から連絡が行く。それまでに覚悟を決めて欲しいとな」
「承知しました」
因幡を獲ったら尼子の一党を因幡に置こう、但し伯耆との国境沿いでは無い。鳥取城に置こう。旧尼子の家臣で毛利に服属している人間に尼子の再興が夢ではないと教えてやろう。
元亀五年(1577年) 七月下旬 近江国蒲生郡八幡町 八幡城 朽木惟綱
「大叔父上、火急の要件との事だが?」
「如何にも、大事が出来しましたぞ。土佐と九州」
私の言葉に御屋形様が頷き、重蔵、下野守の二人が顔を見合わせた。
「土佐と九州、……土佐は負けたか?」
「負けたとは言えませぬ」
御屋形様が眉を寄せた。
「と言うと?」
「一条少将様率いる二千五百と長宗我部宮内少輔率いる三千の兵が高岡郡の須崎村という所で戦ったそうにござる。かなりの乱戦になり両者共に五百近い死者を出したとか、負傷者を入れれば損害は一千を超えましょう」
重蔵、下野守の二人が唸った。両者共に一千近い損害を受けた。一条も長宗我部も当分兵を動かす事は出来まい。
「悪くない」
驚いて御屋形様の顔を見ると微かに笑みを浮かべている。
「大叔父上、百姓の補充は簡単ではない。だがな、銭が有れば足軽の補充は難しくない。そうであろう?」
確かにそうだが……。
「土佐に銭を送ろう。そして足軽を雇わせ秋の取り入れに合わせて出兵させる。乱取りだ。決戦はさせぬ、長宗我部の百姓達を痛め付けるのが目的だ。宮内少輔は兵を出せるかな? 出しても地獄だが出さなくても地獄だ。徐々に宮内少輔の足元を崩していこう」
御屋形様が笑い声を上げた。
御屋形様の申される通りだ。兵を出せば百姓に恨まれる。出さずに乱取りを見過ごしても百姓に恨まれる。長宗我部宮内少輔は少しずつ追い込まれる事に成る。
「大叔父上、そろそろ長宗我部家の重臣達に一条家との和睦を検討すべきだと吹き込む頃合いだな」
「和睦が成りましょうや?」
御屋形様が笑い声を上げた。
「成らんだろう。宮内少輔と重臣達を反目させる、重臣達を分裂させるのが狙いだ」
重蔵、下野守と目を合わせた。御屋形様は長宗我部を滅ぼす事を御望みだ。
「では少将様にその事を?」
「いや、俺が使者を出す。その方が効果的だ。時期は戦が終ってからだな。一条家との和睦を願うなら仲立ちする、家中を纏めろ、そんな文を送ろう。重臣達が如何いう反応を示すか、そこからは伊賀衆の腕の見せ所だ」
「はっ、そのように伝えましょう」
「して九州は?」
「伊東氏の南の守りの要である櫛間城が島津によって落とされました。そして同じ頃に日向北部の土持右馬頭が伊東領に攻め込んだそうにございます」
「……伊東家の当主、三位入道殿からは人心が離れていると聞いた。大叔父上、伊東家はこの難局堪えられるかな?」
「分かりませぬ、伊賀衆からも伊東家の崩壊は近いかもしれぬと報告が入っております」
御屋形様が“戦国だな”と言って大きく頷かれた。真、戦国、興亡の激しさは畿内だけではない。