裏山にて
――ここは、薄暗い森の中。
ちょうど鬼ヶ島の城の入口を見下ろせる木の上に、見るからに人間ではない二人(?)の男がいた。
顔はイノシシに似ているが、耳は尖がっており、体系はふっくらしている。しかし、筋肉はあり、力仕事は得意そうだ。つまり、オークが二匹、鬼ヶ島の様子を観察しているのである。
少し小柄なオークが大柄なオークに話しかける。
「兄貴、本当に鬼ヶ島の長は出て行ったんでやすか?」
「あぁ、間違いねぇ。俺もこの目で、旅支度を済ませ、入り口の門から出て行った瞬間を目撃しているからな。その時に人間の女も見かけたが、ここの鬼たちが優しすぎるから食われてねぇだけだろうさ。居候みてぇなものだろう。何にしても、俺たちの敵は一人減り、長がいないこの隙に、混乱に乗じて潜り込めば、金銀財宝と食料はすべて戴きってわけさ。まぁ、護衛部隊もいるらしいが、無理に戦う必要はねぇ。綻びさえ作っておけば、後はお役御免ってわけさ。」
「了解でやんす。おれっちも無駄死にはしたくねぇでやすし、金銀財宝、食料、報酬さえもらえれば、十分満足でやんす。」
「あぁ。働きすぎも報酬に見合わねぇしな。おっと、奴らが動き始めた。今のうちに城へ入るぞ。」
「了解でやす!」
そうして、二匹のオークは木から飛び降り、作戦を開始する――。
――話は遡り、鬼山さんの特訓を開始した、一週間後、自室にて。
「ふぅ~。試しに一周増やしてみたけど、意外といけるかも。まぁ、休みつつしてたら、お昼までかかっちゃったけど……。私、このまま頑張れば、100㎞、余裕で24時間以内に走れるようになるんじゃないかな。気が向いた時、挑戦してみよう!……いつ気が向くかはわからないけど。」
コンコン、キィー。
ノックの後、部屋の扉が開き、がたいのいい袴姿の青鬼が顔を出す。
「休憩中、失礼します。姫様、今よろしいですか?」
「あっ、鬼山さん。今日のレッスンについてですか?」
「それもありますが、先に、来週についてお伝えしたいことがございます。」
「何ですか?」
「はい。姫様も随分たくましくなられてきたようなので、来週は遠征に出ようかと思いまして。と言っても、日帰りできる距離ではありますが。」
「遠征ですか……?どちらに行く予定なんですか?」
「はい。裏山の、頂上にしか咲かない花の、蜜を集めに行こうかと。その花の蜜は、万能薬にもなりますし、料理の風味づけにも重宝するのです。しかし、頂上へ行く道の途中に魔物の巣がありますので、今までは危険な目に合わせたくないと、お声掛けしなかったのです。しかし、今回よろしければ、修行も兼ねて、一緒に行くのはいかがでしょう?」
「良いんですか!?ぜひ、行かせてください!以前、逃げ回りながらでしたが、熊に勝てたので、きっと大丈夫です!」
「かしこまりました。それではこれを――。」
そう言って、鬼山さんが短剣のようなものを渡してきた。
ただし、柄の部分も刃の部分も、全体が毒々しい緑色をしている。まるで、全体にカビか、苔がびっしり生えているようだ。……少し気持ち悪いかも。
「これは……?」
「この城に代々伝わる短剣です。ある特別な力に反応すると、それは美しい長剣に生まれ変わるのだとか。しかし、私もまだ見たことがないので、本当のことかどうかはわかりませんが……。まぁ、いざとなれば、我々がお守りしますので、大丈夫だと思いますが、武器はあるに越したことはないでしょう。使用するかどうかは、姫様が判断していただければと。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「いえいえ。それでは、今日のレッスンについてですが――」
そんなやり取りから一週間後の今日、私と鬼山さん、鬼山さん率いる護衛部隊の鬼北さんと鬼南さんの4人で、裏山の頂上に向かっている。
鬼北さんは黄鬼で、鬼南さんは緑鬼だ。二人とも、鬼山さんに負けないくらい筋肉モリモリである。
正直、裏山に行くのに、こんなに護衛はいらない気がする……。
裏山は木々が生い茂り、太陽がほとんど遮られているためか、少し肌寒い。しかし、道なき道、いわゆる獣道を進んでいるので、だいぶ体が温まってきた。
ちょうど中腹を超えたあたりに差し掛かると、今まで横に並んで歩いていた、鬼山さんが私の前に出た。
「姫様、間もなく魔物の巣に差し掛かります。十分、気を引き締めておいてください。」
「はいっ!」
短剣を握る手に力がこもる。
私たちは魔物の巣へと、一歩ずつ慎重に近づいて行った。
そこは、まるで広場のような空間が広がっていた。
しかし、魔物一匹、見当たらない。
「ふぅ。良かった。今は、魔物はいないみたいですね。この隙にさっさと進んじゃいましょう――」
私はホッとして広場に突き進む――
「姫様、危ない!!」
シャキーン――――ザクッ――――
「――――っ!?」
私はとっさに振り向く。
ピチャリ――
実際は一瞬の出来事だったが、まるでスローモーションの映像を見ているようだった。
私が広場に進んだと同時に、巣に住んでいる魔物たち、ウサギやキツネ、たぬきなどの、角や牙が発達した動物っぽい魔物に、カブトムシや芋虫などが巨大化したような、昆虫のような魔物が、一斉に襲い掛かってきたのだ。
その数、小さい者も合わせれば100匹は超えているだろう。
茂みに潜み、好機を伺っていたのだ。
鬼山さんは私の行動も含め、予想していたのだろう。
私に襲い掛かる魔物たちを、その鮮やかな剣裁きで、一閃して見せた。
無駄が一切ない。私が振り向くまでの一瞬で、魔物の群れを全て葬って見せたのだ。
私の頬には、魔物たちの返り血のみがたどり着いた――。
「うっ……おえっ…………」
我慢できずに、朝食のメニューが胃の中から口、外へと戻された。
……それから、鬼山さんが介抱してくれたが、私が落ち着くまでの約3時間、近くの川で休憩した。
3時間後、いや、休憩後も、私の頭の中は、魔物の巣での出来事でいっぱいだった。
以前、熊と対峙した時は、結局、完全に仕留めきれず、深手を負わせたあと、逃げられたのだ。おそらく、鬼山さんに追いかけられたことも原因だろう。その時は、私が鬼山さんを引き留めたので、熊はとどめを刺されず、逃げ延びたのだった。
しかし、今回は何もかもが違う。
皆殺しかつ100匹以上、さらに、子供の動物、大量に蠢く虫たちも体液、内臓物を飛び散らせて逝ったのだ。初見でトラウマにならない方が異常である。
……わかっていたつもりだったが、甘かった。ここでの生活はこれが普通なのだ。
早く慣れなければ。私も戦えるようにしなければ。
私の気持ちとは裏腹に、体は石のように重たく、動けなかった。
「姫様、ご気分はいかがですか。」
川で衣服を洗っていた鬼山さんが戻り、心配して声をかけてくれた。
「申し訳ございません。気配は察していたのですが、姫様の修行のためにを思ってお伝えしなかったことが仇となりました。また、私たちにとっては、生きるために相手を殺すのは普通ですが、姫様は違う、ということまで考えが及んでいませんでした。全て私の責任です。」
「……大丈夫。私もわかっているつもりだったから。それに、行きたいと言ったのは私だし……。早く、花の蜜を取りに行かなきゃ。もう、魔物はかなり倒したから、危険もないよね。鬼山さん、起き上がるのに、少し肩を借りてもいい?」
「無理はなさらないでくださいね。ゆっくり行きましょう。」
私は鬼山さんの肩に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。
まだ、ふらふらするけれど、歩けなくはない。一歩ずつ、ゆっくり進む。
――そうして、何とか頂上までたどり着き、主に鬼山さんたちが、花畑から、一か月は持ちそうなくらいの量の花の蜜を採取した。そして、帰路に就く――。
そして、ようやく城にたどり着いた。
「――な、な、何これ!?」
一難去ってまた一難。
城の中に一歩入った瞬間、私たち4人は目を丸くし、開いた口が塞がらないのだった――。