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苦手な方はご注意ください。

灯火の家

作者: 氷魚彰人

2009年頃にHPにて掲載したBL短編小説です。

 光りが眩しかった。

 小学生の時から学校へは電車で通っていた。

 明るい時は気にならなかったが、帰りが遅くなってしまった時・・・特に冬は強く感じた。

 幾つかの駅を通過する間に幾つもの家に灯る明かりが眩しかった。

 家に明かりが灯っているのは誰かが誰かを待っている証拠だから、暖かい感じがして寂しかった。

 寂しさを抱えたまま駅から家に向かい、真っ暗な家を見る度に惨めな気持ちになった。

 誰も待っていない家。

 俺の事など誰も待ってはいない家。

 自分は不要なモノの様な気がして惨めだった。

 だからずっと憧れていた。

 明かりの灯った家に・・・

 誰かが待っていてくれる家に・・・

 この28年間ずっと・・・


◆◇◆


 桃生ものうさん。好きです――


 同じ会社に勤めている桜下秀一おうかしゅういちに告白をされたのは一年も前の事だった。


 桜下は三つ年下の後輩だ。

 男っぽい、精悍な顔。

 だが、犬を連想させる人懐っこい笑顔。

 百八十前後の身長に、引き締まった体躯。

 入社当時から仕事が出来、人当たりも良く、性格だって悪くない。ケチの付け所のない男だった。

 こんな男に好きだと言われたら、その言葉に深い意味があろうとなかろうと女なら都合よく解釈するだろう。

 だが、俺は男だったので桜下の告白を深く考えずに有り難う――と返した。

 桜下はそれを告白の同意と受け取り、嬉しそうな顔をしていたのを覚えている。


 お互いの気持ちの温度差に気付いたのは、それから一ヵ月後の俺の誕生日だった。

 アイツは高いレストランを予約し、俺を招いた。

 豪華な食事に舌鼓を打っていると、俺と同じ生まれのワインが出て来て驚いたが、ただ単にサービス精神の旺盛なヤツだと思う事で自分を納得させた。


 だが、プレゼントに指輪が出て来た時はさすがに何のマネだと聞かずにはいられなかった。

 桜下は俺の質問の意味を間違えて捉えたのだろう。

 エンゲージリングとかそういう深い意味じゃないんです。気に入らなければしてくれなくていいんです。持っていてくれるだけで――桜下は恥ずかしそうに言った。

 それを聞いて桜下の言った『好き』の意味を理解した。

 桜下の勘違いを気付かせるために俺は残酷な質問をした。


 お前の中で俺たちは付き合っている事になっているのか?――と。


 今思えばもっと他に言い様もあっただろうと思う。

 だが、俺は人に気を配れるような人間ではなかったのだ。

 不用意にアイツを傷付けた。

 青い顔、凍った表情。

 震える手で差し出した指輪を引き戻し上着のポケットにしまい、すみません――と言って寂しそうに笑った。

 それから桜下は黙ったまま食事を続け、俺も桜下と話したい事はなかったので黙々と食事をした。

 レストランを出てからも、桜下は黙ったままだった。

 気まずいはずなのに、アイツは律儀にも俺の住むマンションの前まで送ってくれた。

 別れ際、恐る恐る桜下は貴方の傍に居てもいいですか?――と言った。

 駄目だと普通なら言うのだろう。

 だが、俺は言わなかった。

 好きにすればいい――そう言ったのだ。

 俺の何処を好きになったのかは知らないが、直ぐに嫌いになる。

 これまで女に一方的に迫られ、付き合い、嫌われ、別れるを繰り返してきた。

 別れ話の時に必ず言われるのが、面白みのない人。冷たい人。貴方の気持ちが分からない。思っていたのと違う・・・等等。

 付き合って三ヶ月もったためしがない。

 桜下も、今上げた言葉のどれかを言って、俺の前から去るに違いないと思っていた。


 だが、三ヶ月過ぎてもアイツは俺から離れはしなかった。

 それどころか、好意をよせる一方だったので、仕方なく俺のマンションに連れて行った。

 俺の部屋は酷いのだ。

 グッチャグッチャで、足の踏み場もないくらい散らかっている。まるで、家捜しした後のような有様なのだ。

 仕事を几帳面なほどキッチリとやっている分、ギャップの激しさに大概引く。

 想像していたのと違うと言って去る。

 仕事をしている時の俺に惚れたのなら、仕方のない話だ。

 自分でも大した二面性だと思う。

 桜下も、働いている時の俺の姿に惚れたのなら、きっと、俺を嫌いになるだろうと思っていた。

 だが、桜下は大した動揺もしていなかった。

 俺は確認の意味も込めて、想像していたのと違うだろ?――と訊いてみた。

 誰かにそう言われたんですか?――そう言って、アイツは優しく微笑んだ。

 見透かされているみたいで恥ずかしくなった。

 散らかっているのが好きな訳でないなら、ただ片付けるのが面倒なだけなら俺この部屋片付に来ていいですか?――優しく微笑みながら言う。

 俺が答えられずにいると、俺こう見えても掃除や料理得意なんですよ――優しく微笑む。

 アイツの微笑みに圧され、好きにすればいい――と言ってしまった。

 それから桜下は俺の住むマンションに通うようになった。


 当初、桜下は俺が帰ってくるまでドアの前で待っていたが、流石に十二月の寒空の下で待たせるのは気の毒だと思い合鍵を渡した。

 それから俺の家には、明りが灯るようになった。

 汚く荒れ果てた部屋は見る見る間に整理整頓され、見違えるように綺麗になっていった。

 綺麗に片付けられた部屋で、桜下の作った料理を食べる。

 有り難う御座います――桜下は優しく微笑みながら言った。

 何故、桜下が有り難うと言うのか分からなかった。

 部屋を片付けてもらい、食事を作ってもらったのは俺の方だ。

 有り難うと言うなら俺の方だろうと言うと、いいえ俺が有り難うであっています――桜下は優しく微笑んだ。

 俺がやっている事は桃生さんに頼まれてやっている事じゃないでしょ? 俺がやりたくてやっているんです。望んでもいない事をされても迷惑だって分かっています。だから有り難うなんです――そう桜下は言った。


 俺のする事を許してくれて有り難う――微笑みながら言う。

 俺の厚意を受け入れてくれて有り難う――嬉しそうに言う。

 俺に何かをする度に桜下は有り難う、と言う。


 桜下は俺が出会って来た人間で一番誠実な人間・・・だと思う。

 してあげているんだぞとおごらず、俺の為だと言って押し付けず、見返りも求めない。

 何時も一歩引いている桜下。

 そんな桜下だからこそ一年間もこの関係が続いている。

 上司と部下以上。

 だが友達でも恋人でもない関係。

 俺にとって都合の良い関係。


◆◇◆


 テレビでしか見る事のない、日本庭園が窓から見える。

 ひしめき合うビルの群集。密度の高い人口。都会のごみごみとした生活に少なからず疲れを感じていた俺は、僅かに癒された気がした。

 閑静な庭と二十畳はある広い部屋が、日常から自分を切り離してくれている。

 だから打ち明け辛い悩みも、言い淀む事無くすらすらと出てくる。

 いや、何の躊躇も無く、気持ちを吐露出来る一番大きい要因は目の前の少年。

 漆黒の闇ような瞳の引力に引きずられてしまう。


「先生の悩みって何?」


 一通り桜下と俺の関係を話し終えた時、少年は手にしていた紅茶を一口飲み、微笑みながら問うた。


「先生はよしてくれと言っただろう。俺は一介のサラリーマンなんだから、桃生でいいよ」


 先生という呼ばれ方に、居心地の悪さを覚え、ソファを座り直した。


「でもなぁ、弓を教えてくれている人だから先生でいいでしょ?」


 少年は妖しく微笑んだ。


 確かに俺は、母校の恩師に頼まれ、弓道部に弓を教えに行っている。

 弓道部の部員である少年が、俺を先生と呼ぶのは間違ってはいない。

 だが、彼が俺を先生と呼ぶのは敬意を払っての事でない事を知っている。

 俺が、先生と呼ばれる事に居心地の悪さを感じているのを知っていてわざと呼ぶのだ。

 意地の悪い子だ。


 そんな意地の悪い人間に、悩みを聞いてもらっているのには訳がある。

 悩みの性質上誰にでも話せる話でないのと、彼には俺を安心させる雰囲気があったからだ。


 少年の父親は経済界の神と呼ばれる大物で、大きな会社の社長である。

 その為なのか、元々少年の持って生まれた性質なのか、彼は女王然としていた。

 男の子を捕まえて、女王は可笑しいかも知れないが、俺はそう感じたのだ。

 パッチリと大きな瞳。長い睫。細く整った眉。通った鼻筋。赤くふくよかな唇。女の子と見紛うほど愛らしい顔立ちに加え、華奢で小さな身体。

 その容姿に似つかわしくない、強固で容赦の無い性格。


 彼に興味を持ち近付こうとした時、周りの人間は口を揃えて「危険だからやめろと」言った。

 言葉の意味は直ぐに分かった。

 彼は自分に害を加える人間に対して、容赦なかった。

 相手が二度と自分に関わり合いたくないと思うまで、徹底的に打ちのめす。

 確かに危険な人物だと思う。

 だが、危害さえ加えなければ彼は何もしないのだ。

 毒を吐いたり、意地の悪い事を言っても、それはたいした事ではない。

 誰だって毒は吐くし、意地悪だって言う。

 例え口に出して言わなくても、心の中では思っている。

 言葉を濁し、本心を隠して何を考えているか分からない人間に比べれば、彼は実に分かり易くて良いと思った。

 悩みを打ち明けても興味本位で聞かれ、自分が悪者になりたくはないからと、思った事も言わずにお座成りの言葉を投げつけられるなんて嫌だった。


 彼なら・・・志野原晃しのはらあきらなら思った事を言う。

 相手が不愉快に思おうが、傷つこうが彼には関係ないのだ。

 だから、彼に悩みを打ち明けた。

 打ち明けたと言うよりも懺悔に近い。

 十二歳も年下の少年に、俺は何をしているのだろう。

 何を求めているのか自分でも分からない。


 ただ、彼には全てをさらけ出してしまいたくなる。


 例えば、人前で粗相をしてしまったとしたら、大概の人間は顔をしかめ、笑い蔑み貶めるような事を言うに違いない。

 だが、彼はそんな事はしないような気がする。

 目の前で粗相をしてしまっても彼は有る事実を受け止めるだけで面白おかしく騒ぎ立てたりはしない・・・だろう。


 だろう―――と言うのは、俺は志野原晃と言う人間を深く知っている訳ではないのだ。

 理解した気になって、勝手な人物像を創り安心しているだけかもしれない。

 それでも、彼には告白せずにはいられなかった。


「志野原君、俺はどうしたら良いだろう?」


「どうしたらって何が?」


「桜下に色々してもらっているのに俺は何も――」


 何も与えてはいないのだ。

 尽くさせるだけ尽くさせて、言葉も心も身体も与えていない。


「なら、言えばいい。嘘も方便だよ」


 黒く大きな瞳を妖しく光らせて少年は微笑む。


「嘘は付けない。あんな誠実な人間を踏みにじる事は出来ないよ」


 そう言うと少年は目を少し細めて、なら身体を与えればいい――と言った。

 言葉すら与えられずに、身体を与えられるはずがない。


「無理だ」


「そうだよね。先生みたいなタイプには無理だよね」


 何故か少年は嬉しそうに笑った。


「先生の本心を言ってみれば良いんじゃないの?」


「俺の・・・本心?」


「先生は何で桜下って人に与えたいの?」


 それは――何かをしてもらったら何かを返すのが道理だから・・・

 そう言うと少年は苛立った様に、そうじゃなくって――といいながら髪を掻き分けた。


「何で何か貰ったら何か返すの?」


「それは・・・関係を友好に保つためだろう」


「でしょ! 相手が自分の世界に居ても居なくてもどうでもいいような人間ならほっとくでしょ? 僕ならどうでもいい人間に何されても何を貰っても返さない。放置しとく。どう思われてもいいもん。先生は関係を友好に保ちたいと思うくらいには桜下って人が好きなんだよ」


 知っている。

 自分でも桜下が好きな事は分かっている。

 だが、桜下と俺の好きには温度差があり過ぎる。

 だから困っているのだと告げると少年は不思議そうに、なんで?――と訊いた。


「桜下って人は自己満足でやっているんでしょ? 見返りも求めずにただ先生にして上げられているってウットリして気持ち良くなってて、一人上手だよね。先生は厚意を受け入れている時点で十分返しているんだから気にしなくてもいいのに――」


 返したいんだ。自分の為に――少年は妖しく笑う。

 俺は・・・自分の為に桜下に何かを返したいのか?

 だとしたら、なんて自己中心的で我儘で強欲なんだろう。

 こんな俺の本心を知ったら、桜下は軽蔑するのではないかと不安になった。


「桜下って人は先生の気持ちが自分に無いと分かってても、何かをしてあげる事で満たされているんだ。どんな意味だろうと好きだと言われれば嬉しいよ。しかも自分の手元から離したくない位には執着していると知ったら理性吹っ飛んじゃうかもね」


 クスクスと悪戯っぽく笑った。


「もしも嫌われてしまったら・・・」


「その時は諦めればいいでしょ」


 他人事の様に言う。

 ああ・・・彼にとっては他人事なのだ。

 俺と桜下がどうなろうと、どうでもいいのだ。

 そう思ったら急に可笑しくなって笑みがこぼれた。

 不思議と、心は軽くなっていた。


「有り難う。帰るよ」


「先生」


 立ち上がりかけた俺を少年は引き止めた。


「ん?」


「先生が僕に支えられているように、先生は僕を支えてくれているよ」


 突然の、思いもしない言葉にうろたえる。


「何?」


「僕は黒い羊でしょ。だから、誠実でバカ正直な先生みたいな存在に救われるんだ」


「黒い羊?」


「先生だって僕を異質だと感じているんでしょ?」


 彼を特別に感じていた俺は、返事が出来なかった。


「皆そう。僕は違うものだって分かるみたい」


 少年はゆっくりと立ち上がると、何故か俺の座っているソファの後ろに回った。


「その事を悲しんだ事もないし、白い羊になりたいと思った事もないけどね。白い羊は大好きなんだ。特に 先生みたいな真っ白で寂しい羊はね」


 ソファを挟み、背中から肩を抱かれ、俺は身体を強張らせた。

 なんだろう。この違和感は。

 酷く居心地が悪い。

 嫌だな。


「先生。今、嫌だなって感じたでしょ?」


 少年は俺の心を見透かすかのように言った。


「いや・・・その・・・」


 違うとハッキリ否定できず、答えがしどろもどろになる。


「他人に触れられて、嫌だと感じるのは相手を恐いと思っているからだよ。簡単に言うと拒絶しているんだ」


「俺は・・・」


「先生が僕を好いてくれているのは知っているよ。心を開いてくれているのもね。でもね、壁がある。壁を壊さないのは先生がちゃんと分かっているから」


「何を?」


「それは教えない」


 少年は、耳元で囁くように言う。


「ヒントはここまでだよ。さぁ行って」


 少年の腕から解放された俺は、立ち上がりコートとカバンを持ち、志野原邸を後にした。


◆◇◆


 自宅のマンション前まで来て、自分の部屋を見上げると明りが灯っていた。

 桜下は、今日も来ているらしい。

 エレベーターに乗り、七階で降りた。

 自宅のドアの前まで行き、鍵を開け中に入る。

 俺が帰ってきた事を察したのか、パタパタと足音をたてて桜下が現れた。


「お帰りなさい」


 何時もの柔らかい笑顔が出迎えてくれた。

 桜下に、お帰りなさいと言われてホッとしている自分に気が付いたのは随分前の事だ。

 誰かが待っている家。なんて幸福なんだろうと泣きたくなる。


「ただいま」


「食事の用意出来ていますよ」


「桜下」


「はい?」


「話がある」


 俺の表情から話の内容が重いものだと察したのだろうか、桜下は顔を曇らせた。

 だが、直ぐに何時もの笑顔を取り繕い、はい――と言って部屋へ向かった。

 居間に有る、ソファに向かい合うように座った。

 桜下の表情は固まっていた。

 きっと、良くない話だと察しを付けているのだろう。勘の良い男だからな。

 俺がこれから話す事は、桜下にとって良い事かもしれないし、悪い事かもしれない。桜下の受け取り次第だ。


 どう思われるかと考えると口が開けなくなり、目を瞑った。

 志野原晃の、あの妖しい微笑が浮かんで来る。

 人間は自己中心的で我儘で強欲なものだよ。自分の為に彼に与えればいい――そう言っているようだ。

 俺は、志野原晃の妖しい微笑みに背中を押されるように口を開いた。


「桜下、俺は・・・」


 喉が渇いていて上手く喋れなかった。

 それを察して桜下は飲み物でも持ってきます――とキッチンに消えた。

 暫くしてお盆に二つの湯飲み茶碗を乗せて帰ってきた。

 目の前に差し出された湯飲み茶碗を取り、一口飲み喉を潤した。


「桜下、俺は家に明りが灯っていると嬉しいんだ」


 思いがけない言葉に桜下は、はあ?――と気の抜けた返事をした。


「俺は、子供の頃から誰もいない真っ暗な家に帰っていたから、家に明りが灯っているのが嬉しいし、お帰りなさいと言われるとホッとするんだ」


 それほど悪い話ではないと思ったのか、桜下の表情はほんの僅か和らいだ。

 だが、次の言葉で桜下の表情は再び固まった。


「俺はお前の気持ちに応えられないかもしれない・・・」


 桜下は眉をひそめた。


「はい」


 声のトーンが低く下がり、それまで真っ直ぐ俺を見つめていた視線も下へ下がっていった。


「それでも俺はお前に傍にいて欲しいんだ」


 そう告げると落ちていた視線は再び俺の元へ戻ってきた。


「今なんて・・・」


「だから、お前に傍にいて欲しいって言ったんだ」


 桜下の表情は一気に明るくなった。


「マジですか!」


 そう言いながら興奮気味に立ち上がった。


「待て、落ち着け桜下」


 ソファに座るように促すと桜下は素直に座った。


「喜んでいるみたいだけど分かっているのか?」


「何がです?」


「俺はお前を飼い殺したいと言っているんだ。餌も与えずにただ傍に置いておきたいんだ」


 我儘だと分かっている。勝手な申し出だと分かっている。

 だから・・・

 直ぐに応えを出さずに少し考えて欲しい。

 そう告げると、考えるまでもないです――と優しく微笑んだ。


「俺は桃生さんに何かして上げられるだけで嬉しいんです。厚意を受け入れてもらえて嬉しいです。だからどんな気持ちであっても桃生さんに傍にいて欲しいと思ってもらえたら幸せですよ」


 本当に、嬉しそうに言う。


「でもな桜下、そうは言ってもお前も生身の男だろ?与え続けるだけじゃ辛くなるだろ?」


 今は良くてもいずれは桜下だって欲しくなる。


 言葉を・・・

 身体を・・・

 心を・・・


「俺もお前の事は好きだけどお前の好きとは違うんだ。だから何も与えられないと思う」


 それでもいいです――と桜下は笑顔で言った。

 その言葉を打ち消すかのようにちゃんと考えて欲しい――と告げた。

 桜下の笑顔を見ると、言葉を飲み込んでしまいそうになるので、桜下を見ないように言葉を続けた。


「一週間考えてくれ。考えてもし、この関係を続けても良いと思ったらこの部屋で待っていて欲しい。関係を終わりにしたいなら鍵を捨ててくれればいいから・・・」


 言い終えてから桜下に視線を戻すと、何時もの柔らかな笑顔は消え、恐いくらい真剣な眼差しが向けられていた。


「分かりました。今日はもう帰りますね」


 そう言うと、桜下はしていたエプロンを外し、コートと鞄を持って足早に帰ってしまったのだった。

 桜下が帰り、広い部屋に取り残された俺は、とんでもない事を口にしたのではないかと、酷く不安になった。


◆◇◆


 一週間。

 たかが一週間だが、とてつもなく長い期間に感じられた。

 桜下に考えて欲しいと言った翌日から、家に帰り、真っ暗な部屋を見る度に寂しかった。

 自分から言い出しておいて後悔した。


 志野原晃の言う通り、気にしなければ良かっただろうか?

 桜下が誠実な分、自分も誠実であろうなどと余計な事を思わなければ良かっただろうか?

 一週間後の十二月二十四日に桜下が家で待っていてくなかったら・・・


 不安で胸が苦しくなった。

 桜下の気持ちにあぐらをかいていれば、こんな不安に苛まれる事はなかったのにと、ズルイ自分が見え隠れする。

 仕事中、仕事に関係有る必要最低限の会話しかしない状態に桜下がまいっている様子はない。

 何時もどおりの笑顔、立ち振る舞い。

 まいっているのは俺の方だった。


 平静を装い、桜下の事など関係無いと言う様に、振舞えば振舞うほど、凡ミスを連発した。

 桜下に気付かれないように必死になっている所為か、何時もと変わらない仕事量なのに酷く疲れた。

 疲れた身体を引き摺って帰り、真っ暗な部屋を見る度に惨めな気持ちになった。


 こんなにも桜下は俺の中で大きい存在になっていたのかと、思い知らされる。

 バカな申し出をしなければよかったと、後悔している。

 今からでも泣いて縋ってしまおうなどと、情けない事を考えている。

 何もかも桜下に与えて、傍にいてもらおうかなどと考えている。

 なんて、自己中心的で、我儘で、強欲なんだろう。

 情けなくて、寂しがりで、惨めなんだろう。


 情けない自分を、志野原晃に電話で告白すると、彼は何時ものからかうような口調で言った。

 本当の先生を知って去るようなら、遅かれ早かれ別れるものだよ。そんな器の小さい人間なんかととっとと別れられて良いんじゃない?――と・・・


 明日、本当に桜下が部屋で待っていてくれなかったら・・・

 俺はどうなるんだろう?

 そう、志野原晃に弱音を吐くとそんなに寂しいなら僕が慰めてあげようか?――と、やはりからかうように言った。

 電話の向こうで、薄く笑っている顔が想像出来る。


 彼が、どんな気持ちでそんな事を言っているのかは分からない。

 ただ、俺をからかっているだけかも知れないが、それでも彼に何かを言って貰えるだけで心が軽くなるような気がした。

 全ては明日・・・

 祈るような気持ちで待った。


◆◇◆


 十二月二十四日。

 クリスマスと言う事もあって、社員達は浮き足立っていた。


 俺は・・・一人重苦しい気持ちでいた。

 胃がキリキリする。


 桜下が帰ったのを確認してから会社を後にした。

 今直ぐにでも帰りたい気持ちと、帰りたくない気持ちでグチャグチャだ。


 なるべく時間をかけて帰ろうと思った。ゆっくりゆっくり歩き、結果を知るのを遅らせようと、渡せるかどうかも分からないのに、桜下にクリスマスプレゼントを買いにデパートに寄った。


 何を上げていいものかと散々迷い、ネクタイに落ち着いた頃には八時を回っていた。


 デパートの最上階の窓から外を眺めると、街中キラキラと輝いていた。

 街路樹、店、遠くに見える民家、全て色取り取りの電球で装飾されている。

 あの明りの中で、幸せに過ごしている人達が居るのかと思うと、寂しい気持ちになり、涙がこぼれそうになった。


 もう、観念して帰ろうとトボトボと駅に向かって歩き始めた。

 何時もの様に電車に乗り、窓から外を見ると、やはり何処もかしこも明かりが灯っていて眩しかった。


 誰かが誰かを待っている家。

 温かい家。


 今日、自分はそれを失ってしまうかも知れないと思った瞬間、目頭が熱くなった。

 車内で泣く訳には行かないので俺は必死で自分の感情を押さえ付け、涙を堪えた。

 とうとう自宅の最寄駅に着いてしまい、俺は足取りも重く歩き出した。


 自宅のマンション前に着くと、何時ものように自分の部屋を見上げるのが怖かった。


 もしも、明かりが灯っていなかったら・・・


 胃がキリキリと痛んだ。


 意を決し、祈るような気持ちで自分の部屋を見上げると・・・


 明りが・・・灯っていた。


 温かいモノが頬を伝うのが分かった。

 有り難うと、伝えたかった。

 今まで沢山の有り難うをくれた桜下に、今度は俺が有り難うと言いたい。


 好きになってくれて有り難う。

 こんな俺を受け入れてくれて有り難うと・・・沢山有り難うと、言いたい。


 涙を拭いながら部屋に向かった。

 鍵を開け、中に入ると部屋の奥から桜下が現れた。


「お帰りなさい」


 優しく微笑む。


 ただいまと返すと、不意に桜下の手が俺の顔に伸びてきた。


「泣いたのですか?」


 初めて顔に触れた桜下の手から温かさを感じた。

 志野原晃に触れられた時は、変な違和感を感じ、酷く居心地が悪かった。

 好意を寄せている志野原晃の手ですらそう感じたのだから、他人の手は全て嫌なものかもしれないと思っていたが、桜下の手は違う。

 触れられて安心した。

 温かく、大きな手。

 俺は、顔に触れている桜下の右手に、覆い被せる様に自分の左手を添えた。

 桜下の手の感触を確かめるように頬を摺り寄せると、桜下は驚いた顔をしていた。


「どうかしたんですか?何かあったんですか?」


 桜下は慌てている。

 俺は再び涙をこぼしていた。

 明りの灯っている家。暖かい部屋。温かい人の温もり。俺を待っていてくれる人。俺を愛してくれる人。

ずっと憧れていたモノが手に入ったのだと実感して泣いていた。


「桜下有り難う」


「え?」


 俺は桜下の手を引き、抱き寄せた。

 硬い男の身体だと感じたが、違和感は無かった。

 緊張はあるが、居心地は良く、安心した。

 志野原晃が言った事の意味が分かった気がした。


 俺は、桜下に対して壁など遠くの昔に壊してしまっている。

 何故なら、桜下は本気で俺を好いてくれているから。

 そして、俺も桜下が好きだからだ。

 桜下と気持ちの温度差があるかもしれないが、好きには変わりない。

 俺には桜下が必要だ。

 他の誰でもなく、桜下秀一が。


「関係を続けて行く事を選んでくれて有難う」


「俺は桃生さんにベタ惚れなんだから選択の余地なんか無いんですよ」


 抱きしめているから桜下の顔は見えないが、多分いつもの柔らかい笑顔で言っているに違いない。


「飼い殺し決定だぞ」


「それは覚悟しています」


 落胆したような声が耳の側で響いた。

 俺は桜下を抱きしめていた腕を放し、身体を剥がした。

 正面から向き合うと、桜下は優しい笑顔で言った。


「理性には自信ありますから大丈夫ですよ」


 笑顔にほんの僅か影が差したように見えた。

 俺の為に無理をしているんだろう。


「お前は何時も俺に対して譲歩してくれているよな」


「好きなんだから、当たり前です」


「無理ばかりしているんだろ」


「そんな事無いですよ。でも、無理って好きな人の為にするもんでしょ」


「そうか・・・そうだな」


 ニコニコ微笑む桜下の胸倉を掴むと強引に引き寄せキスをした。


 戸惑い硬直している桜下の頭に腕を回し、更に深いキスをし、顔を離した。


 見ると、桜下は驚いて目を丸くしていた。


「俺が譲歩出来るのはこれくらいだ」


「無理しないで下さい」


 突然の俺の行動に、困惑を隠せない桜下は自身の口元を押さえて言った。


「無理は好きなヤツの為にするもんだろう」


「何言って・・・」


「お前とは好きの気持ちが違うと思う。だが、俺はお前を手放したく無いと思っている」


 桜下の腕を掴んでいる手に力が入ってしまう。


「お前じゃなきゃ駄目なんだ。だから俺も出来るだけ譲歩する」


 やっとの思いで気持ちを桜下に告げるが、桜下は何故か困ったような顔を見せた。


「気持ちは嬉しいですけど、無理はしないで下さい。俺は本当に傍に居られるだけでも嬉しいんですから」


 俺の告白は桜下に間違えて捉えられていた。

 俺は桜下の誤解を解きたくて、頭を左右に振った。

 違う。そうじゃない。

 桜下を繋ぎ止めておく為に、キスしたわけではない。

 言い方が悪かった。無理とか譲歩とか・・・


「桜下」


「はい」


「俺はお前に触れられる事に抵抗は感じない。全然嫌じゃない」


「はぁ」


「キスもするには勇気が要ったから、無理したと言ったが、キス自体は無理していない」


 桜下は小首を傾げ、それじゃ―――と言い、俺を抱き寄せた。


「嫌じゃないんですか?」


「嫌と言うより、気持ちいいな」


 ピッタリと合わさっていた身体が離れたと思った次の瞬間、桜下の顔が近付いて来た。

 触れるだけの軽いキス。


「気持ち悪くないですか?」


「・・・ドキドキはするけどな」


 桜下は怪訝な顔をした。


「桃生さんの好きと俺の好きは結構近いんじゃないですかね?」


「何言っているんだ。全然違うぞ。俺はお前なんか抱きたくない」


 力強く言い切ってから、俺は慌てた。

 桜下の顔から、表情が無くなっていたからだ。

 また、不用意に傷付けたとうろたえ、言い訳をしようとするが、上手い言葉が浮かんで来ない。

 必死に頭の中で言葉を探す。

 だが、何も見つからない。

 どうしょうと焦っていると・・・


「ぷっ」


 突如桜下が噴出した。


「桃生さんは別に俺を抱きたいなんて思はないでいいですよ。寧ろ、思はないで欲しい」


「え?」


「だって、俺が桃生さんを抱きたいんだから」


 そう言われ、俺は混乱した。

 身長は桜下の方が多少高いが、歳も、会社での立場も自分の方が上だ。掃除、洗濯、料理をこなし、尽くしてくれるから俺はずっと・・そうだと思っていた。

 俺に何もしないのは桜下が受身なのだと思い込んでいたが、ただ我慢強かっただけなのか?

 無意識に後退る俺を桜下の腕が捕まえる。


「俺が恐くなりましたか?」


「いや、ただちょっと混乱しているだけだ」


 そう、俺は混乱していた。

 思ってもいなかった役回りが、突如目の前に現れた事と、如何にかなってしまうかもしれない事実に。

 俺が男役であれば、俺がその気にならなければどうにもならない。

 だから、桜下に与えられないと思っていた。

 だが、俺が女役なら話は違ってくる。

 桜下が、自分自身を抑える力を弱めれば如何にかなってしまう。

 桜下がその気になれば幾らでも奪われてしまう。なのにそうしないのは・・・


「お前本当に俺が好きなんだな」


「何を今更」


 照れたように笑う。


「優しくて、誠実だ」


「桃生さんに言われると照れます」


 桜下は、恥ずかしそうに頬を掻いた。


「好きだ」


 俺の告白を受けて、それまでニコニコと笑顔だった桜下の顔は、真剣な表情になった。


「俺も桃生さんが好きです」


 俺は、先程空けた距離を縮め、再び桜下を抱きしめた。

 桜下はたどたどしい手つきで俺を抱きしめ返した。


「有り難う」


「なんで桃生さんが有り難うなんですか?有り難うは俺の方ですよ」


「いや、俺が有り難うであっている。お前は辛抱強く待っていてくれたんだからな」


「帰りを?」


「そうじゃなくて。気持ちをさ」


「一年ちょっとしか待っていませんよ。たいした時間じゃないです。だいたい男同士ですし、最初から桃生さんに好きになって貰えるなんて期待していなかったんで、両思いになれた今が奇跡みたいです」


 そう言うと、抱きしめる手に力を入れ、桜下は俺をきつく抱きしめた。

 桜下の力強い腕も、硬い身体の感触も心地よく感じられ、俺は目を閉じた。

 一分一秒でも長く、この男が自分のモノでありますようにと願いながら・・・


HPでは桃生の読み方がももうにしていましたが、誤字に見えるかもしれないのでものうに変えました。


この二人のその後を書けたらいいなと思っています。

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[一言] 題名のように、あたたかい物語ですね。 求めていたものが実は自分のすぐそばにあったと主人公が気付くところで、胸にせまるものがありました。 思いあう二人も良かったですが、少年のキャラクターに…
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