はじまり:魔王は勇者を気に入った
軽く、さくっと読んで頂けたら、と。
ユリアナ大陸内西方に位置する、魔族が支配する国。その国の王である第37代魔王は、手にした水晶玉を飽きもせず、じっと眺める。そこに映っているのは一人の少女。
「ふむ。やはりいいな」
口元をわずかに上げ、ほくそ笑みながら尚も己の水晶玉から目を離そうとしない主に、宰相であるガウディは呆れたようにため息をついた。
「陛下。そんなにこの娘がお気に召されたのですか?」
まあ聞くまでもないだろうが。そう心の声を漏らしながら、ガウディは熱視線を送り続ける魔王陛下を見つめる。なにせ、ここ最近はずっとこの調子なのだ。暇さえあれば水晶を見ている。いや、暇なんてなくったって、ず―――――っと、見ている。お陰で執務は滞り、その分宰相である彼にそのツケが回ってきている。彼の眼の下に濃く出ているクマからも、彼の仕事の過酷さは窺い知れよう。
それもこれも、みんな、この王が一人の少女に心を奪われたからなのである。
「……私には、彼の者の何がそこまで陛下を惹きつけるのか、分かりかねますが」
「何を言うか。その存在そのものが我を惹きつけてやまないというのに」
存在そのもの、ねぇ?
その意見に反論するかのように、魔王はくるりと水晶を反転させ、今まで彼が見ていた景色を宰相に見せつける。
ぶっちゃけて言えば、少女は普通だった。
顔立ち、スタイル、どちらも平均。上でも下でもない。可愛らしいといえなくもないが、さりとて不細工でもない。本当に、普通だった。
「お前には分からないのか。この普通さが。我の周りにはいないタイプ故、極めて新鮮だ。興味深い」
それはそうだろう。彼が周囲に侍らせている者といえば、スタイル抜群ぼんきゅっぼんの、美人系のお姉さま方ばかり。もともとこの国に住まう魔族の女性というのが、気が強くスタイル抜群な者が多いため、必然的にそうなってしまうというのも事実だが。そう考えれば、これほどまでに可もなく不可もなく、平平凡凡普通の娘というのは、それはもう新鮮に映ることだろう。世界が違う住人なのだから。
しかし。問題が一つあった。
「陛下。……恐れながら一つ言わせて頂きますと。お分かりかと思いますが、彼の者はあれですよ?こことは異なる世界より召喚された勇者です」
「そうだな」
「勇者ですよ?勇者」
「そうだな」
「彼女を含めた勇者一行は、我が城を目指して進軍しております。魔王である陛下を倒すことを目的として」
「ああ、そうだな」
そうだな、って、それがどういう状況なのか分かってるのかこのうすらとんかち!!、という、喉元まで込み上げた台詞を必死で呑み込むと、寝不足気味の頭を抱えながらもうすこし柔らかい言葉に置き換えた。
「…………しかし、彼の者が我らの敵である以上、勇者を含めたあの者たちを、我らは屠らねばなりません。つまり、戦いは必至です。そんな、悠長にデレデレしたお顔で日がな一日勇者を見つめている場合ではないかと」
部下たちからの話を聞く限り、勇者一行は極めて強いらしい。特に勇者の娘は、今まで剣など持ったことがなかったというのに、わずか1週間で剣技を習得し、今や勇者の名に恥じない立派な腕を持つまでになったという。これは、いくら魔王が強いとは言っても、油断はできない。
なのに。王はそれに対して対策を講じる気配すらない。そんな訳で、宰相としてはやきもきしていた。
すると、今まで緩みっぱなしだった魔王は、急に顔をぐっと引き締める。
「…お前の言う通りだな。確かに、呑気に構えている場合ではない」
ようやくやる気を出してくれる気になったか。やれやれと宰相は思った。
最近は駄目なところしか見ていなかったもでうっかり記憶の彼方に行っていたが、本来の魔王は極めて優秀な魔王である。その魔力の高さと王としての力は、歴代の王たちを軽く凌駕する。荒くれ者の魔族たちが大した反乱も起こさず素直に従っているのは、彼にそれだけの実力があるからなのである。
「ガウディ」
水晶を懐にしまうと、魔王は誰もがひれ伏すほどの有無を言わさぬ声音で、目の前で膝をつく男の名を呼んだ。漆黒の瞳を向けられた瞬間、思わずガウディの背に冷や汗が伝う。久方ぶりに感じた魔王としての畏怖に、ガウディは体がぞくりと粟立つのを感じた。
「何でしょうか、我が主よ」
頭を垂れてそう問えば、目の前のお方が厳かな声で告げる。
「我を倒すためにやって来る勇者を迎え撃つ準備を行う。これから言うことを、お前には任せたい」
「はっ。なんなりとお申し付けくださいませ」
一体どんな命が下るのか…。武器の確保も兵の増強も、既に準備済みだ。いつ命令をかけられてもいいように、予め用意させている。おそらくそれらは命じられるであろう。
が、そう考えていたガウディの予想は、王の言葉を聞いた瞬間、見事なまでに裏切られる。
「…………そういうことだ。では頼んだぞ」
「ちょ、ちょっとお待ちくださ…」
しかし、宰相の言葉なんて一切耳に入らないのか(もしくはあえて入れないのか)、言いたいことだけ言うと、王はさっさとその場から立ち去った。
後に残されたのは、ぽかんとした表情のガウディただ一人。
「…え?」
彼の何とも間抜けな一音だけが、誰もいない空間に寂しく木霊するのだった。