―1―箱庭の代償
一面に広がる花畑。
真っ青な空。
そこでの私は今よりもずっと大人で、淡い桃色の髪を風に靡かせてるの。
隣にはいつもあの人がいて、私は笑って彼に言うんだ。
『何度生まれ変わっても、私は絶対あなたを好きになるよ』
あの人の表情ははっきりと見えないけれど、『あたりまえだろ』って言って、優しく私を抱きしめる。
いつも夢はここで終わって、目覚めた私はいつも泣いてる。
「あなたは、どこにいるの?」
会いたい、会いたい、会いたいって思って、『誰に会いたいの?』って誰かに問われて、そこではじめて、私はルディア・ファーラスだったんだってわかるの。
重い目蓋を開く。
目に映るのはあの美しい花畑ではなく、飾り気のない自室の天井。
私を抱き締めているのは大きなテディベア。ちなみに名前はテリーさん。
「またあの夢だよテリーさん」
最近頻繁に見るようになった夢。何故だか分からないけれど、心が暖かくなる。
誰なんだろうあの人。知っているような、知らないような……なんなの? この不思議な感覚。
頭の片隅に何かが引っかっているのだが、それが思い出せない。
思考を振り放すように、ルディアはカーテンをおもいっきり開いた。天気は晴天。朝日が差し込み、彼女の長い金髪を照らす。
こうして学園に行く日がやってきたんだ。
―――――
青い空。白い雲。潮の香り。
突然だが、僕、ユオン・バージェスはドルバ王国の南東に位置する港町に来ている。
何故かと言うと『ルシア学園』通称『学園』に行くため。学園はドルバ王国沖に浮かぶ島にあるのだ。つまり船でいかなければならない。
学園に行くのはもちろん僕だけでは無く……
「街だ! 海だ!! 外だぁっ!!」
はじめて見る外の光景にはしゃぎっぱなしのルディアと……
「ルディアは今日も元気だね。よかったよかった」
そんなルディアを暖かく見守っているレジェルも一緒だ。
「なにもこんな街中ではしゃがなくても」
ルディアは気にしてはいないようだが、先ほどから痛いほどの視線をあびている。 ただでさえ僕らは目立つのに。主にレジェルの銀髪のせいで。
「しかたないよ。馬車ではしゃげなかったんだから」
「あぁ……ルディア、ぐっすり寝てたからね」
今日が楽しみすぎて眠れなかったのか、ルディアはここに来るまでの間ずっと眠っていたのだ。
少し前をキョロキョロしながら歩いていたルディアは、思いついたように僕とレジェルの所に駆け寄ってきた。
「兄様! ユオン! 大変!!」
「ルディア? どうしたんだ?」
ひどく慌てた様子のルディア。まさか、『アーヴ』がこの近くに!?
「魔力がない人がいっぱいいる!!」
「「…………え?」」
耳を疑った。自然にレジェルと目があう。
「何言ってるんだルディア。この世の人口の約半分は魔力を持たない人じゃないか」
恐る恐る聞いてみた。
もちろん誰でも知ってる事だよね?
「嘘ぉ!!」
「……嘘ぉ……」
ルディアの心底驚いた風な態度に、思わず力の抜けた声が漏れた。
常識の中の常識を知らない?
「確かにファーラス家に魔力を持たない一般人が来た事はなかったけれど……」
「これが箱庭に育てた代償だよレジェル。ルディアは安全と引き換えに常識を失ったんだ」
「うまい事言ってる場合じゃないぞユオン。これは問題だよ」
確かに、ファーラス家の名声に関わるかもしれない。もろもろの事情があっての事だけど、悪い噂はたてないに越した事はない。ないけど……。
「いいんじゃない? 別に。『アーヴ』を完全に壊滅させるまで、僕がずっと付いてる訳だし」
もちろん、いつか『アーヴ』を壊滅させたとしても、ルディアの側を離れる気など微塵もない。
「……それもそうか。護衛の任に付いている子の中にはちゃんと女の子もいるし……」
ルディアの護衛を担当するのは、僕を含めて三人。 他の二人の情報は一切知らされていないが、『二人ともユオンに負けず劣らずの秀才だ』と、アルスが言っていたのを覚えている。
「僕の他に二人いるって事しか聞いてないけど。どんな奴なの?」
「ああ、聞いてなかったのか。うん。まぁ、そうだろうな」
レジェルは一人でうんうんと頷いて納得してしまった。
「まぁ、それは会ってからのお楽しみという事で」
そして輝かんばかりの笑顔で話を流す。
経験上、レジェルがこういう笑顔を見せる時は、何かを隠しているときだ。
「その方が面白いからね」
極々小さな声で呟かれた彼の意味深な一言が耳に届き、少々寒気が走った。
「ところで、ルディアは何をしているんだ?」
言われてルディアの方を見ると、彼女は波止場しゃがみ込んでいるようだった。満潮が近いのか、海面がだいぶ上まできている。
「わぁ!! わぁあ!! これが海!? この水しょっぱいの?! のっ、飲んでいい!?」
ルディアは海水に向かって無造作に手を伸ばす。
「まって、ルディア」
こんな寒い中で、冷たい海水飲んでお腹を壊しでもしたら大変だ。
と、いうことで、ユオンはひとすくいの海水を魔法で取り上げ、一度沸騰して簡単に消毒。また適温に戻してからルディアに差し出す。
「ずいぶんと親切だね、ユオン」
「うるさいな」
レジェルに冷やかされ、ちょっとムッとした。
透明な球体を受け取ったルディアはそれを一息で飲み干してしまった。
「塩だぁ……」
ルディアは何故かうっとりとした表情で再び波止場から海面を見下ろしている。
しばらくすると、突然立ち上がり、海に向かって「ヤッホー!!」と叫びだした。
きっと、やまびこ的何かを期待してるんだろうけど、海でそれやる人は少ないと思うよ。
「誰だ? ルディアに変な事教えたのは」
「十中八九ファーラス家に住みついている甘党ハリケーンガールだと思うよ」
「なるほど。的確かつ理解しやすい表現だね。今度私も使わせてもらおう。って、今はそうじゃなくて……ルディア、恥ずかしいからやめなさい!」
レジェルに抱き上げられて、ルディアは大人しくなった。
そろそろ出航の時間だという事で、僕達は船着き場に停泊しでいる学園行きの船に向かった。
「私、アレ知ってるよ。船でしょ!」
ルディアは船着き場に停まっている船を指差し、得意げな笑み……俗に言うドヤ顔を浮かべてそう言った。
「そうそう」
少々呆れたふうにレジェルが笑う。
「ねぇ、兄様! あれで海の上を歩けるんだよねっ!?」
「うーん……? 確かに間違っては無いけど……どこか納得できない言い方だね」
「ユオン知ってた? あれ! 船!」
「もちろん知ってるよ。学園のあるゾル島直行便『ヴォレストブラバレス号』」
「う゛ぉ……う゛ぉれ……んん?」
「『ヴォレストブラバレス号』まぁ、みんな名前なんて知らないだろうけど」
言いにくいから。なんでこんな名前にしたんだろう。
「あ」
突然、ルディアが何かを見つけてしゃがみこんだ。
「ユオン。落としたよ?」
彼女が差し出してきたのは小さな記章。
「うわっ! ありがとう」
ルディアの手からそれをつまみ上げる。
ベースの黒曜石には玉を持った鴉が掘られている。
これはバージェス家の家紋。名家の者は学園では各々の家の紋章を身につけるのだとかで、父さんに渡されたのだ。
『ちなみに、この鴉が持ってる宝石って何?』
と興味本位で聞いてみた。
『ブラックダイヤモンドだ。そんなに高い物じゃないけど、無くすなよ』
『ふぅん……いくら?』
父さんは人差し指をピンと立てた。
『百万ギル!?』
『いいや? 一千万ギル』
『絶っ対なくさない!!』
とまぁ、こんな会話もしたので、なくすわけにはいかない超貴重品だ。
「いきなりなくす所だった一千万」
危ない危ない。
ちなみにルディアとレジェルがつけているのは、水晶でできたファーラス家の家紋。モチーフは天秤、剣、ルドベキアの花。ファーラス家らしい。
「ほら、ルディア、ユオン。そろそろ乗り込むよ」
乗り込むと直ぐにレジェルが人を探すからと言うので、別行動することになった。
僕はルディアに引っ張られて船の甲板に出た。もちろんルディアははしゃぎっぱなしで、矢継ぎ早な質問の嵐が飛んでくる。
「外ってすごいねぇっ!! あっ! ねぇねぇ、あの鳥なんて名前?」
「どれ? ……ああ、あれはカモメだよ」
「カモメ可愛い〜。あっ! あそこで何か跳ねた! ねぇユオンっ! アレはなぁに?」
「イルカっていうんだよ」
ルディアは、ほんとに何も知らないな。勉強はできるのに。
まぁ、たとえ難しい計算を解き、歴史を学び、高等魔法が使えても一般的知識が身に付く訳ではない、という事か。
しばらく、質問攻めに遭っていると、一瞬辺りが真っ暗になった。
こんないい天気なのに、おかしい。
空を見上げると巨大な生物が目に入った。
とたんに鳴りはじめるいくつものサイレン。
『乗客の皆さん!早急にデッキから非難して下さい!』と館内放送が流れている。
僕はバッチリ聞こえてはいたが、ルディアは興奮しすぎて放送に気付いていないみたいだ。
「すご〜い! ね、ユオン! あれは何て名前の鳥?」
「アレは飛竜の一種だね、たま〜にこうやって船の積荷を狙って襲いに来るんだ」
確認するが、もちろん鳥なんて生ぬるいレベルの物では無い。竜と言ったら竜だ。
ざっと見、体長二十メートルはある。飛竜にしては大きい方だな。
飛竜は海上で大きく旋回すると、ものすごいスピードでこちらに向かってきた。
「 」
ルディアが何か言っているようだが、飛竜の翼の音やら咆哮やらでまったく聞き取れない。というかウルサイ。
「ルディアの声が聞こえない。墜ちろ」
ユオンは炎魔法で飛竜の翼を燃やした。飛竜は耳を劈くような断末魔の叫びを発しながら大きな水飛沫をあげて海に落ちていった。
「で? ルディアさっき何て言った?」
「むぅー。あれに乗ってみたいって言ったのにぃ!」
「そうなんだ。ごめん。落としちゃったよ」
落下点を見やると海面が泡立つだけだった。
今度飛竜をみかけたらレア焼きして、首輪かけよう。
翼が焼ける匂いは、肉が焼ける時のそれと同じ物で、香ばしい匂いが潮風に運ばれてきた。
「いい匂い。私、お腹空いてきちゃった」
「そういえば、お昼まだだったね。船室で何か食べようか」
ルディアがすぐにその提案にのってきたので、僕等はデッキを後にする事にした。
「おい、お前!」
背後から声がかかったけど、きっと僕の事じゃないよね?
「お前だよお前!」
ルディアがお腹すいたって言ってるから無視。
「シカトすんじゃねーよ!」
肩を捕まれ、無理矢理振り向かされた。
そこに居たのは、レジェルと同年くらいの少年。
「押し売りなら間に合ってます」
何故こう言ってしまったかは分からない。
「はぁ? 何言ってんだ、お前」
ただ、黄緑色の髪と瞳を持つコイツから遠ざかりたかった。