―8―またかよ……
「ユオン君。……君に謝らなければならないことがある」
まずは状況をご説明しよう。
ルディアの話を聞いた次の日の朝。カルロおじさんが帰ってきた。
おじさんは昨日、思わぬ暗殺事件があったので結局仕事から帰ってこれなかったのだ。
そして僕、父さん、母さんが朝食をすませて「さ~帰るか」ってノリになってたときに、僕等の前に現れて、開口一番に発した言葉が冒頭。
「……………………なんですか?」
カルロの渋い顔にユオンは嫌な予感を感じとった。
このタイミング。まさか、いや、そんなことは……ない、よな? うん。そうだ。ない。僕の予想通りの事が起こるはずなんて……ない。
おじさんの背後からこっちを覗き見てる緑色の瞳とか、昨日王城の裏庭で感じたのと同じ魔力とか……僕は何も見ていないし、感じていない。
……なんていうのはやはり夢の話で。
なぜだろう。バージェス本家にリィリがいた。
――……おじさん?
あからさまに嫌そうな視線を向けるユオン。カルロはユオンと目を合わせる事ができず、ただ窓の外を見つめていた。
――私にもどうしようもないことは……ある。
おじさんは、大臣だ。きっと王家の人には逆らえないんだろう。
諦めて昨日と同様にリィリと向き合う。
リィリは昨日よりかめかしこんでいるようで、頭に大輪の花飾りをつけていた。彼女の薄緑色の髪にはよく映える、控えめな桃色の薔薇だった。花言葉は『あなたを愛します』。
「やはりバージェス家の方でしたのね」
「まぁ……一応」
「ならば、リィリはあなた様の物です」
「はい?」
「いやですわ。バージェス家の方でしたらドルバ王家の者と婚約しても何の問題もありません」
顔を真っ赤にしてもじもじと体をくねらせるリィリ。そんなリィリを見ていたユオンは、全身鳥肌を立てている自分に気付く。すぐにピンときた。
あぁ、そうか。この娘なんか生理的に受け付けないと思ったら……
どことなくゼフィルスに似てるんだ……。なんか全体的に色も似てるし。
妙に納得できた。
ユオンの中ではリィリ≒ゼフィルスという方程式か成立。加えて、緑色が危険色認定された。瞬間何かが弾けた音がして、少し心が軽くなった、気がした。
「あぁ。それでしたら低調にお断りいたします」
同音異義語大活躍。低調ですとも。丁重じゃなくて低調です。まさに今の僕の気分そのまま。
「そんな、ご両親の目前で何も照れなくとも……」
「いや、照れてとか、ないですよ? 心の底からの本音です。お断りいたします」
「分かっております。そう簡単に素直にはなれませんよね。
大丈夫です。王城に招待致しますので、そこで二人っきりで、二人っきりでゆっくり愛を深めましょう!」
リィリはがしっとユオンの両手をつかんで離さない。
早口の勢いに圧倒されそうになったが、リィリ≒ゼフィルスの方程式を完成させてしまった僕にはもう怖いものなど何もない。
「いやいや、僕は『貴女とは婚約したくありません』って、ものすっごい素直に本音を打ち明けてますけど」
「『僕』っ!! いえ、そんなギャップも素敵です……。惚れ直しました」
でも、どうしようか。本気でこの子と会話できない。ゼフィルス相手のほうが、まだ会話しているという気になれるだろう。ゼフィルスより会話できない存在とか稀の中の稀だろ……。
考え込んでいるユオンを見て、リィリはふぅとなやましげなため息を零す。
「婚約がお恥ずかしいなら、どうぞリィリの付き人としておそばにいて下さい」
どうやらリィリは、ユオンが照れていると思い込んでいるようだ。実際にはユオンの内的世界でケチョンケチョンにされているが、彼女がそのことを知る術はない。
「リィリ様。残念ながらそれは無理ですよ?」
黙っていたカルロが口を挟む。思わぬ助け舟だ。
そのままこの娘黙らせて下さいっ!
切実。
「なぜですか!」
リィリがキッとカルロを睨みつける。
「付き人は、学園でもリィリ様をお守りできるように同年でないといけません。彼が来年学園入学するのは少し難しいでしょう」
「え? えぇっ!?」
驚愕で目を剥くリィリ。
驚いたのは僕の方だよ。来年度生となると……九歳? リィリが年上で、ドルバの未来をになう王女様とか……行く末不安すぎる。
「リィリと同年と思ってました。ハーシェルもこの位の身長ですもの」
リィリが、僕との背を比べる仕種をする。リィリの頭の上から並行に動かされた手は、僕の頭上より少し高い位置を通りすぎた。心持ちリィリの方が高いってくらいかな。どんぐりの背比べだけど。
――僕って背高いの?
――高いぞ~。平均より十センチちょい高いぞ。
――六歳時のレジェル様だってユオンよりちっちゃかったですわ。
――へ~。
どうやら僕は年の割りに背が高いらしい。きっと毎朝新鮮な牛乳飲んでるからだな。
「リィリより年下……」
リィリは、真っ青な顔をしてプルプルと震えだした。
よくわかんないけど、年下がリィリのアウト要素だったのかな? 是非そのまま何事もなかったかのようにお帰りになって下さい。
切実。
「なるほど、あなた様が婚約に消極的な理由は単に素直になれないからではなく、リィリに大人の魅力が足りないからなのですねっ!!
あぁっ、なんという事でしょう! ドルバ王女たるリィリもまだまだという事!
リィリ、精進致します!!」
再びユオンの手をしっかりと握り、意気込むリィリ。
うん。僕がバカだった。
ぐったりと頭をたれる。
――世の中はそんなに甘くないぞ~。
父さんから届いた含み笑い交じりの『伝心』に少しへこたれそうになった。
だけどリィリ≒ゼフィルスの…――中略――…怖いものなど何もないわけであって!!
「大人の魅力を磨く前に、会話力を磨くようにして下さいね? コミュニケーションが取れない以上、貴女に人間らしい対応をする事が難しいので。動物以下のように扱ってほしいなら話は別ですが」
ユオンは言うだけ言ってにっこりと微笑んだ。
後ろで大人組が氷付いているけど、僕は気にしない。
もうこの気持ちを偽る事はできない。
「っはい!!」
おかしいな。遠回しかつ丁寧に貴女を人間として見ることができませんって言ったのに……なんて嬉しそうな顔をしているんだリィリ様……。
「で、ではいつ頃お父様にお会いになりますか!? 今!? 今でもリィリはまったく問題ありません!!」
「……」
どうして今のやりとりでそうなるんだよ!?
頬を染めとても嬉しそうなリィリと裏腹に、今にもしおれるんじゃないかってくらいげんなりしているユオン。
ダメだ。これ以上まともに話そうとしてたら軽くストレスたまっていつか発狂しそうだ。
――ドルバ王家の女にまともな解答を求めるなよな~? (ユオンの精神が)死ぬぞ?
――彼女達の脳内は、フローラルな恋愛小説で構成されています。 耳から脳に至るまでの間に、まるで小説のかっこの中身のような、何かしらの脚色が入ってしまうのです。 リィリ様はユオン君が思ってもいないような事も、カッコ内補正により、認識してしまいまうんですよ。
――おじさん解説ありがとう! で、何その面倒くさい性能!?
――対策としては、甘めの言葉ならかろうじて通じますよ?
――甘めの言葉!? ……なにそれ甘いの?
――ユオンならできる! 『MEDY』のときみたいにすればいいだけだ! 健闘を祈る!!
ブツッ!
――あっ! ちょっ父さ……
……誰も『伝心』に反応してくれなくなった。
『MEDY』の時みたいにって言うけど、あれは『魅了』を使えたから成功したといっても過言ではない。
いま、仮に彼女に『魅了』を使ったとしよう……。
一、リィリはユオンに首ったけの様子です。
二、『魅了』発動。
三、リィリはますますユオンに首ったけになりました。
特に変化なし。むしろ悪い方に傾きそう。つまり、負の連鎖以外何も生まれない……。
『暗示』系の術は、王族に使うと捕まりそうだし……。
この状況でどうやって困難に屈せず、がんばって闘えと?
でも、
――なんとかこの場を乗り切らないと。――
ユオン心の声が、脳裏をよぎった文字列と重なった。
「リィリ様、よく聞いて下さい。
『命の危機を救った者に対して抱く感謝と敬意の念は、時に恋愛感情と誤認してしまう事がある。貴女が私に抱くその感情はそれです。愛ではない』」
――レオモンドはシゼルに冷たく言い放った。――
「そんな……このトキメキを愛と呼ばずしてなんとしましょうか。
それにあなた様はリィリの危機に貴方は駆けつけてくれました。これは運命としか言いようがありません! リィリとあなた様は結ばれる運命なのです!!」
――彼女は、この出会いが運命だと言った。こんな事が運命なものか。レオモンドはわずかに嘲笑する。
彼にとっての運命とはまさにマヤとのそれであった。――
「『貴女が襲われた所に、たまたま私が出くわし貴女を助けた。それだけです。
それに、私には生涯を賭して護らなければならない、いえ、護りたい大切な人がいるのです。貴女とは結婚できません』」
「っ!」
――その言葉は恐ろしいほど自然にレオモンドの声となった。
シゼルの表情が凍りつく。
そう。私にはマヤがいる。彼女を護りたい。それが私の使命であり、願望なのだ。――
「『貴女にはいつか、貴女だけを見て、貴女だけを護ってくれる素敵な方が現れてくれるはずです。私のようなどこの誰とも分からぬ怪しい旅の者に迂闊に心を許してはいけませんよ?』」
ユオンはなるべく笑顔を崩さず、穏やかな口調でその台詞を言い切った。
恐る恐るリィリの様子を確認する。彼女は俯いていて、どんな顔をしているのか分からなかった。
これで通じてなかったら、無魔法『スリープ』と『記憶消去』に踏み切ります。逮捕されるんじゃないかって? そこは、ばれない様に僕の持てる技術をすべて投入してだね……。
そんな事を考えているときに、リィリがゆっくり口を開いた。
「わ……かりました……。あなた様にも想う方がいらっしゃるのですね……」
うそ! 通じてる!? いや、願ってもないけども!
「でもっ! リィリのこの気持ちは変わりません! いつかあなた様を振り向かしてみせます!」
そう言うとリィリは、すばやくユオンに顔を近づけた。頬に暖かい感触。突然の事に反応できなかった。
「次会うときには、リィリはびっくりするほど美しくなっています! ユオン様のハートも絶対に射止めてさしあげます!! では、ごきげんよう。ユオン様」
リィリが退室した後もユオンは呆然として突っ立ったままだった。
リィリデシア王女は、迎えにきていた王家の馬車に乗って帰っていった。車輪の音が遠ざかっていく。
いやぁ~。すばらしい嵐だった。
カルストは、小さくなっていく馬車を見やる。
あのユオンがここまで振り回されるとは、なかなか面白いものをみた。
昨晩、マルタの隠し撮り集を見られて弱みを握られたばかりだったが、それを遥かにしのぐネタを入手してしまった。
件のユオンはというとソファーの上でクッションを抱え、丸まっていた。ずいぶんと落ち込んでいるようだ。
「なんか、もう、疲れた。はやく帰りたい」
ポソリとつぶやいてユオンは膝を抱え込んだ。ただでさえ小さい彼の体がさらに小さくなる。
「なんだ? ユオン。女の子にほっぺチューされて赤くもならないのか。最近の子供はませてるな~」
「きっとそれがあの状況下の模範解答だったんだろうけど……残念ながらあの時僕の心の大半を占めたのは悪寒と全身の鳥肌だったよ」
ユオンはぐりぐりと頬をクッションに擦り付けている。
……リィリデシア王女もお気の毒に……。
「にしても、ユオン! お前あの台詞どこで覚えてきたんだよ!! 傑・作だな」
思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。
「あら。素敵でしたわよ? 小説の一場面が本の中から飛び出してきたかのようで、きゅんときましたわっ!」
俺もマルタにきゅんとするような愛のささやきを毎日のようにしてるんだがな……。いや、今、このことで感傷に浸るのはやめよう。それよりも……
「旅のものって誰だよ旅のものって!!」
とうとう耐え切れず、ヒィーと悲鳴にも似た笑い声を響かせるカルスト。
「あ、あれは……」
歯切れ悪くユオンはごにょごにょと何かを呟く。聞き取れなかったので笑うのを止め、耳を傾ける。
「あの事件が起こるまで図書館で読んでた本、『ジルコニア王国の勇者』にでてくる謎の旅人レオモンドが大貴族の娘シゼルに言ってた台詞一字一句違えず朗読しただけ」
「ぶっ!」
再び大声で大爆笑するカルスト。
「っうるさいな!! どうしたらいいかなんて、わかんなかったんだ!!」
顔を真っ赤にしたユオンがカルストにクッションを投げつける。
もちろんそんなものカルストは軽く受け止めた。
「そういえば、カルスト。実際の所バージェス家的にはユオンと王女様の婚約ってどうなんですの?」
びくっ!!
ユオンの肩が大きく跳ねる。
ほほーぅ気になってたみたいだな。ここでからかうのも一興。だが、さすがに可哀想か。
ドルバ王女の恐ろしさは身をもって知っている。
「別にどうでも? うちは代々恋愛婚だから、政略婚はあんまないな~」
「そうなの?」
「そうなの。だから、無理矢理婚約! みたいな真似は絶対しないから、そこは安心しとけ。ただ……」
「ただ?」
「バージェス家は、この件については完璧にだんまりを決め込む。つまり、リィリ様を諦めさせるにはユオンが自力でどうにかしないといけないって事」
「放任主義ってやつ?」
「難しい言葉知ってんなぁ~。単に面倒くさいだけなんだが……そうか、放任主義か。そうだな、うちは放任主義だ」
ユオンは、憂いとも喜びとも取れる微妙なため息を一つ吐いた。
「まぁ、ファーラス家にいる間に何かしら考えとけよ? 学園は一緒だからな」
今度ははっきりと憂いだと分かるため息をつくユオン。
前途多難だな。同情するぞ。
「カルスト! かなり時間をとられてしまいましたわ。はやく出発しましょう?」
「そうだな。じゃあ今度こそ帰るかぁ~」
思わぬ出来事があったが、ようやく三人はファーラス家への帰路につくことができた。
リィリがユオンの名前を知っていたのは、冒頭でカルロの言葉を聞いていたからです。