―1―うさぎ
「ぶぅぅう。ひ~ま~!」
ファーラス邸の中庭にある芝生の上を、ルディアはゴロゴロところがっている。綺麗な厚手のワンピースが汚れる事など、まったく気にしていない様子だ。
「ルディア嬢。せっかく綺麗な服がボロボロだぞ?」
「草まみれだ」
上空からシルフとシルフィードが姿を現す。そちらに目を向けたルディアは、彼等の透き通った体越しに太陽を直に見てしまい、しばらく視界が点滅してしまった。
「いいの。そんな事よりも暇なのっ!! 暇暇暇!!!」
「あぁ。そういえばしばらく騎士が留守なのか」
「ドルバ王国のバージェス本家に挨拶に行ったんだっけ?」
ユオンが、バージェス家の養子となって約十ヶ月が過ぎた。
ルディアとユオンは仲がよく、いつも二人で遊んでいた。
ユオンは、屋敷に図書室があると知ると、そこで本を読んでいる事が多くなった。それでもルディア退屈していると必ず遊び相手になってくれる。
悪いな、と思いながらも彼の優しさが嬉しかった。
カルストとマルタは手紙でユオンの事を、バージェス本家に伝えていた。すると、本家から『養子の顔が見たい』と返信が届いたのだ。
忙しいカルスト達はその申し出を丁寧に断り続けていた。しかし、何度も何度も本家から手紙が来るので、諦めて暇をもらい、バージェス家におもむく事にしたのだ。
はじめは、行きたい!!と駄々をこねたルディアであったが、ユオンに言いくるめられてドルバ王国のお土産で妥協した。
「うん。私も行きたかったなぁ。お外……」
いつもそう! 私ばっかり!
レジェルはよく屋敷の外に行っていたりしたのに、ルディアは屋敷から一歩も外に出してもらえた事が無いのだ。
理由を聞いても、父様も、母様も『危ないから』の一点張りでそれ以上は教えてくれないし!
やろうと思えば、簡単に脱走する事もできる。しかし、ファーラス邸の周りは森ばかりだし、どちらに街があるのかさえ分からない。無事に帰ってこれる自信もないので、未だに実行できずにいる。
「なんにしろ、今、暇であるという事実をいかにして覆すかが最大の難点であってね?
シルフー。シルフィードー。何か面白い事なぁい?」
聞かれて、シルフとシルフィードは腕を組む。
「「ないな」」
「むぅう~! じゃあ一緒にトランプやらない?」
「う~ん……ゴメンな、ルディア嬢。今からちょっと用事があるんだ」
申し訳なさそうに、手を合わせて謝るシルフィード。
忙しい中、退屈そうなルディアの様子を見て声をかけてくれたのだろう。
「そっかぁ」
ルディアは、別にいいよ、と笑って、ゴロンと仰向けに寝転がる。良い天気で、雲がゆっくり流れていくのがはっきりと分かる。
シルフとシルフィードは、ルディアの頭を撫でて何処かに行ってしまった。
しばらくぼーっと空を眺めていると、視界の隅を何か白いものが駆ける。
「あ!」
バッと跳ね起きてそちらをみると、うさぎが中庭の隅にある茂みに向かって猛ダッシュしていた。
「うさぎ!」
ルディアは何の意味もなく、そのうさぎを追いかける。時間をつぶせそうな事なら何でもよかった。
うさぎは、中庭の茂みを越え森の方へ走っていく。
「童話の話みたい。このまま不思議の国に行けるのかなぁ」
うさぎを追いかけながら、母様に聞いたむかし話のような童話を思い出した。
うさぎを追いかけて不思議の国に迷いこんだ女の子の話だ。
あの後、主人公はどうなったんだっけ?
童話の最後が思い出せず、ルディアは走りながら考え込む。
「……ぬし。危ないぞ」
「え? きゃっ!」
ゴッ!!
突然上空から声がかかったと思ったら、目の前に木があった。反応が遅れたルディアは顔面からそれに激突してしまう。
「いったぁ」
かなり痛い。額をさすってみると大きなたんこぶができていた。しかもわずかに血が流れている。
「あ~ぁ。だから言ったろうに。走りながら考え込むものでない」
また上からさっきの声がする。
額をさすりながらそちらを見たルディアは息をのむ。
美しく深い青色の髪に同じ色の双眸を持つ、ルディアと同じ年くらいの少年が、木の枝の上で片膝を立ててルディアをみていたのだ。
木漏れ日が少年の髪に反射していて、彼全体がキラキラと輝いているように見える。
あの色は……ラピスラズリの色。
ルディアは、いつか見たルイーゼの首飾りについていた美しい宝石を思い出した。
ユオンもだいぶん綺麗な顔立ちをしているが、この少年も負けず劣らず美しい顔立ちをしている。思わず見入ってしまう。
「ぬしは、僕に見惚れているのか?」
少年がいじわる気な笑みをうかべる。
図星を突かれたルディアは、真っ赤になった。
「はっ!! ごめん。あんまりにも綺麗だったから」
ルディアがそう言うと、少年は、驚いたように一瞬静止した。
「む。正直な奴。
まぁ、僕が美しいのは自然の摂理だ。許そう」
そう言う少年は、わずかに頬を染めたが、ルディアは気づいていない様子だ。
少年は木から飛び降りてルディアの方を向くと、優しい手つきで彼女の前髪を持ち上げる。
「いたっ!」
「む? 怪我にあたってしまったか? すまぬの。……少々我慢せい」
少年がルディアの額にレ手をかざすと、青い光が発生し、ルディアの視界を覆った。
何だろう。この光……この魔力知ってる気がする。
それは、どこか懐かしい感じがした。理由は分からないが、とても暖かな気持ちになれた。
「これでよかろ。まだ痛むかの?」
額に触れると、さっきのたんこぶも怪我も治っていた。
「治ってる! ありがとう」
「む。気にするな。ではの」
満足気に頷いた彼は、そう言って立ち上がり、去ろうと振り向く。
しかし、そのまま一向に動かない。
「……何かの?」
「え?」
「腕」
「あ」
少年が動かなかった――動けなかったのは、ルディアが彼の腕をつかんでいたからだった。
完全に無意識だった。 そこまで暇なのか?と、自分でも驚いた。
「え……と、あの、あなたはここで何してるの?」
少年の上からな物言いに、自然と下手に出た言い方になる。
ルディアの言葉を聞いた少年が首を傾げる。
「どうしてぬしに僕の推敲なる目的を話さねばならぬ?」
「だ…だよね」
……推敲なる目的?
一瞬笑いそうになったがなんとかこらえた。
「ぬしと違って僕は忙しいのだ。失礼する」
「あっ」
少年はそれだけ言うとルディアの手からスルリと抜け出し、風魔法で上空に飛び去ってしまった。
ずいぶんと上からな物言いだった……どこかの国の王族かしら?
パーティーでは見たことのない人だったと思う。あんな独特な喋り方をする人ならばきっと忘れる事はないだろう。
いったい何者なんだろう。名前すら聞く事ができなかったな。
ただなんとなく、またいつかどこかで再び出会うような、そんな予感がした。
ルディアは、しばらくじっと少年が飛び去った方を見つめていた。
――――――
ファーラス家全体を見下ろす上空。アルスは一人、風魔法でそこまで上がっていた。
彼の腕の中には一匹のうさぎ。
地上から遥か離れたこの場所に連れてこられたうさぎは、縮こまって震えている。
アルスは、うさぎを安心させるかのように撫でてやった。
強風がサラサラとしたアルスの長い銀髪を彼の後方に流す。
「どうでしたか?ルディアは」
唐突に、アルスは言う。
彼の正面には、いつの間にやら一人の少年がたっていた。先程、ルディアが出会ったあの少年だ。
「む。随分と素直に育ったな」
「ふふ。ええ」
アルスは娘を褒められて満更でもない様子だ。気持ち悪いくらい頬が緩んでいる。
「それも、あの日、貴方がルディアを助けてくれたおかげですよ。感謝します。
トラスト神」
アルスは、深く頭を下げる。
頭を上げた彼の右目は、紅く、虹彩が十字に裂けていた。
「む。気にするな。僕がしたくてやった事だ」
トラストは両手を突き上げて大きく伸びをすると、懐から何かを取り出す。それは緑色に光り輝く石だった。
「さて。もう行くかの。
久々に、故郷の空気が吸えてよかった……」
トラストが、石に魔力を注ぐと緑色の小さな光の粒が現れ、彼の姿を覆っていく。
「また、暇ができたらココにこようかの……
美しき僕の生まれた世界」
光が一瞬大きく瞬いた。
次の瞬間には彼の姿はどこにもなく、やはりあの日と同じように一陣の風が吹くだけだった。