―2―カルスト
ユオンの部屋を出たマルタは、染料と、大きな桶を持って裏庭に出る。
自身の空間から先ほどの約四十着程の衣服を取り出し、風魔法で宙に浮かせる。
シャツや上着、ズボンなど種類は様々だ。
それらを、じーっと眺めるマルタ。
「よし!! イメージは大体固まりましたわ!」
そう言って、宙に舞う衣服から数十着を選び出し、残りは再び空間にしまう。
そして地面に座り、ボタンやビーズなどの染めない部分を取り除く作業にとりかかる。
「ふんふんふふふふ~ん」
鼻歌を歌いながら作業に熱中する。
ふと手を止めて、思い出すのは先ほどの可愛い息子。
(顔を真っ赤にして……わ…わたくしの事を……お……お母さん……って!!! 可愛い!! 可愛すぎですわ!!!)
「うふ…うふふふ……ふふ」
怪しげな声が裏庭から響く。
たまたま近くを通りかかったカルストは、その声を聞いて足を止めた。
(……裏庭に……誰かいる?)
そろ~っと建物の陰から裏庭をのぞくと、そこには楽しそうな表情で何かしている妻がいた。
(なんだ、マルタか。)
ほっとして、ゆっくり彼女に近づいていく。
「何やってんだ?」
「きゃっ!!」
マルタは驚き、すばやい動きで距離をとる。
一瞬殺気だったが、カルストを見て、ふーーーと長い息を吐く。
「……カルスト……。もうっ! びっくりさせないで下さい!!」
「気配を消したつもりはないんだけどな~」
ポリポリと頬を掻くカルスト。
いつも皆に、気配がない、驚かせるな、と言われるが、まったくそんな事をしている自覚はない。
……仕事の癖が身にしみついてんだよなぁ……。
「気配を絶って近づくなと、いつも言っていますのに! いつか、うっかり攻撃してしまっても知りませんわよ!」
マルタの長々とした説教が始まってしまった。
にしても、頬を膨らませる彼女はとても可愛いと思う。
「怒ったマルタもかわいいよ」
彼女の頬に手を添え、甘く囁く。
「いつもなら、長々しく説教しますが、今日の私はとてつもなく機嫌が良いので、許して差し上げますわ!!
それよりも!!さっき嬉しい事がありましたのよ!!!」
「スルー……」
カルストの甘い言葉にときめかない女性はいない。と言われていた時代が確かに存在した。
この鈍感娘と結婚を取り付けるまでには、彼の計り知れない、かつ涙ぐましい努力があった……というのは有名な話だ。
「カルスト? ねえカルスト、聞いていまして?」
「聞いているさ!」
ちなみに半泣きである。
「で? 何があったんだ?」
マルタは、うふふと先ほどの怪しい声を発し、両手を頬にあてる。
(この表情……どこか、すごい身近で見たことがあるような……?)
カルストはそう感じたが、どこで見たかは思い出せなかった。
「実はですね……先ほど、ユオンに『お母さん』って呼ばれてしまいましたわキャーーーー!!!」
奇声を発するマルタ。
(あぁ……そうか、どっかで見たことあると思ったら、親バカトークするアルスと同じ表情だ。
というか、えっ!!? いつの間に打ち解けたんだ!!? 俺をさしおいて!!)
「……マルタ」
ふにっと、彼女の頬を両手で挟む。
「ふぐっ! にゃにしゅましゅにょ、きゃりゅしゅと」
「俺に仕事を押し付けて……どこいったんだと思っていたら……なに抜け駆けしてんだ!!」
びよ~んと今度は横に引っ張る。
「ふにいっ!!」
ぺしぺしとマルタが腕を叩くのでしかたなく手をはなす。
開放された彼女はばつが悪そうに視線をさ迷わせた。
「えっと……その……ごめんなさいカルスト。私、どうしても我慢できなくって……」
マルタは、縮こまって見上げてくる。
「……いいよ。もう……」
上目遣いにやられました。
「で、これは何やってるんだ? レジェル様の昔の服?」
「あぁ。ユオンの部屋のクローゼットにしまわれていたものですわ。サイズは合っていたので、彼にあった色に染めようと思いますの」
なるほど。確かに、染料や桶などそれらしいものが置かれている。
「……ということは……まさかユオンに『着せ替え』……か?」
「そういうことになるのかしら~」
輝く笑顔のマルタ。
可愛い。
可愛い……のだが、これから『着せ替え』が行われるという恐怖にカルストの顔がひきつる。
(いやいやいやいや来てすぐにアレはきついだろう……。何とかして止めないと!)
「マルタ……
バァァン!!
「『着せ替え』と聞いて!!!」
突然屋敷の窓が勢いよく開き、そこから聞こえてきた大声に、カルストの言葉は掻き消された。
声がした方をみると、ルイーゼが仁王立ちしていた。後方では、メイドーズが控えている。彼女達も皆、輝かんばかりの笑顔である。
「うわあぁああ!! めんどくさいタイミングで、一番めんどくさい人達がでてきた!!!」
「めんどくさいとは何ですか! マルタに振り回されているような哀れな生物は去りなさい!!」
酷い言われようである。
ちなみに、アルス、カルスト、ルイーゼの三人は学園の同期で昔から仲がよく、公の場ではカルストがけじめをつけるが、普段はお互い上下関係なく振舞っている。
「つか、いつからそこにいた!?」
「マルタがここに来る前から、かしら?」
「つまり……最初からだな……」
「えぇ。最初っからす・べ・て拝聴していますよ?」
ふ~ふ~ふ~と不気味な笑みを浮かべるルイーゼ。
さっと手を振り、後ろのメイドーズに何かの合図をする。
……いやな予感しかしない。
メイドーズの一人が録音機を持ち出し、再生ボタンを押す。
そこから流れてきたのは……
『怒ったマルタもかわいいよ』
敗北の記録であった。
「!!??」
(なんでそこ録ってんだ!? 忘れたかったのに!!!)
『怒ったマルタもかわいいよ』
『怒ったマルタもかわいいよ』
『怒ったマルタもかわいいよ』
メイドーズの一人は、何度も巻き戻し再生を繰り返す。
『怒ったマルタもかわいいよ』
『怒ったマルタもかわいいよ』
「っ! も……もうやめてくれぇぇぇぇぇぇえ!!!」
カルストは羞恥のあまり、耳をふさいでしゃがみ込む。
「ふっ! ちょろいわ!!」
ルイーゼは髪をかきあげる。これは、彼女の癖だ。
「で! マルタ!! ユオンの『着せ替え』ですって!!? 私達もまぜなさい!!!」
「主任だけ、『着せ替え』なんてずるいですぅ~!!」
「ユオンってあの可愛い子よね!? レジェル様と違った雰囲気で新鮮!!」
マルタはルイーゼとメイドーズに取り囲まれ、どんどん話が弾んでいっている。
ユオンをターゲットに『着せ替え』をする、というのは決定事項のようだ。
「……はぁ……」
どさくさに紛れて例の録音機を回収したカルストは、ワイキャイ騒ぐ彼女達を置いて裏庭を後にした。