残されたふたりは
「今頃キョーカは幸せをつかんでいるんだろうか……」
寒い夜空を見上げて紀子は感慨深げに呟いた。という訳で、室内で騒いでいるのも次第に飽きてきたので私たちはベランダに出ている。さすがにミニスカサンタ姿では黒タイツは穿いていたとしても寒いので、私はその上にコートを着込んでいる。白い吐息をふたりして吐き。快晴の暗黒を見ながら、考えていることは共通していた。もちろん、京香のことである。
当日に、しかも夜に唐突な電話をしてきた蒔田氏を、紀子は「恋愛に慣れていない」と評した。恋愛をしたことのない彼女、そして私が言ってもまったく説得力がないのだが、そう間違ってもいないだろう。そしてそれはじつに地味同盟らしい話でもある。私はなんとなく口元が緩むのを抑えられなかった。愉快痛快ではないか。じつに地味な話。
「蒔田先輩には名誉地味同盟員の称号を与えようかね」
「それはいいね。でも向こうはそれを嬉しがるかなぁ」
ふたりで好き勝手なことを言っている。
さて、京香は上手くやっているだろうか。蒔田先輩も。このふたりが両想いなのはもはや間違いのない、世界の解答ですらあるのだが、それを現実のものにするのはまた別の問題が存在する。お互いを特別な存在とするためには――はて、なにが必要なのだろうか。恋愛をしたことがないから分からない。しかし恋人になるというのは一種の契約であるとも言えるだろう。そこにまつろう機微というものを、同じく恋愛をしたことがないであろうふたりは乗り越えられるのだろうか。
私は彼女たちを応援している。その気持ちに嘘はない。だがしかし嫉妬がないという訳でもなかった。恋人を手に入れることに対してではない。本気でひとを好きになれる情熱があることに対してだった。どうして私は男子を好きになれないんだろう、と思うと自分の性格に致命的な欠陥があるのではないか、と暗澹たる気持ちになるのである。
しかしこの世に幸せな人間が増えるのはとてもよろしい。それが友達ならなおさら。
「で、なんでベランダに出たがったの」
「そりゃ、きみィ。こういう時は無性に空を見上げたくなるものじゃないか」
もしかしたら――私とは対極にあるとしか思えない紀子が、もしかしたら同じような気持ちを抱えているのだろうか? そんな馬鹿な。
私は勇気を出して訊いてみた。
「ノリも嫉妬したりするの?」
「そりゃあ、女だもの。複雑な気持ちはあるにきまってんだろ。私をなんだと思っているのだ?」
「底抜けの楽天家」
「馬鹿とは思ってくれてなくてありがとう。阿呆ではあるけどね。とはいえ私が何も考えていない訳じゃないんだよ」
それから彼女は続けた。
「異性を好きになるって、どういうもんなんだろね。いや、漫画アニメゲームとかはナシだよ。あくまで生身の男を好きになるってこと。なにかね。みんなセックスしたいのか? それだけか? そんなはずはないぞ。なんかこう、もっと、崇高なものがあってしかるべきだ」
「あんまり夢見過ぎるのもよくないと思うけれど。恋愛なんて一種の麻薬に過ぎないんじゃないかな」
「だがしかし、そう切り捨ててしまっては同志佐倉京香があまりに不憫ではないか」
いままさに戦いに赴いている京香に思いを馳せる。彼女は偉大だった。ひとを好きになれるのは――それが一種の陶酔だったとしても――よいこと。
「セックスに結び付ける方が下品じゃない」
「まあそうだけどね。しかし恋愛に於いては避けて通れない話でもある」
話が変な方向に行きそうだった。
「ノリはセックスしたいと思うの?」
「いや、それは……分からん」
恥じらいを隠すようにして、紀子は私を「きっ」と睨み付けた。
「そういうカナちんはどうなのさ」
「……分からん」
「まあこの件については置いておこう。我々の問題は、そもそも恋人を欲しているかいないかだ! で、そこらへんどうなのよカナちん」
「分からん。ノリは?」
「分からん」
「分からんことだらけだなぁ」
そうこうしている内に、急に外が冷えてきたために私たちは再び室内に戻った。そうすると紀子はこれからカラオケをやろうと言いだし、スマホでアプリを起動させた。さっき散々クリスマスソングを歌ったのに、まだ歌い足りないのか。声の綺麗さを自慢したいのだろうか。多分違うだろうが。
ちなみに私は音痴である。音程を外すタイプの音痴ではなく、リズム感のないほうの音痴だった。しかし歌うのはそんなに嫌いではない。思いっきり歌った。
私の両親は半ばやけくそじみたから騒ぎをことのほか温かく見ていたようだ。茶目っ気はあるが基本的は穏やかな母と、のんびりした父。仲はとても良い。今でも結婚記念日にはふたりで旅行に行くくらいである。こんな優しい両親から私のような腐れ女が生まれてきたとは到底思えない。しかしそれが現実である。
「らーらーらー、らーらーらー、はっぴいはっぴーくりすます!」
「らーらーらー、くりすますばんざい!」
いつの間にか、私と紀子は歌いながら手を取りくるくると踊っていた。あんまり激しく踊ったせいでいつの間にか被っていたサンタ帽子が脱げていて、どこに行ったのかも分からない。別にお酒を飲んだ訳でもないのに酔っているような気持ちになる。いや、お酒を飲んだことがないから分からないけれど、本当に大人になって飲んだらこんな感じになるのだろうか。だとすればそれは楽しいような、怖いような。よく分からない。
「ホワイトクリスマス、とかよく言うけど、実際クリスマスが雪だったらいやだよねぇ」
「そうかなぁ」
とりとめもない話をしながら、私はいつの間にか訳の分からない境地に至っていた。ここまでバカ騒ぎをしたのは久し振り、いや、初めてかもしれない。異様に楽しく――そしてその楽しいのが、怖い。我を忘れて騒いでいる時はいいけれど、ふとした時、理性が戻って来た時にその阿呆ぶりを嘆いてしまう。これではまた、昔の失敗を繰り返してしまう。待て。私はそもそもそんなどうしようもない阿呆女であり、その呪いは一生解けないのではないのか。
「はぁ……」
私は素に戻り、ぐったりとしてソファに腰を下ろした。そうすると、今着ているサンタコスもなんだか非常に馬鹿馬鹿しいものに思えてくる。
「ん、どしたカナちん。疲れたかい?」
「いいや、そんなんじゃなくて……」
このようなことではいけない、と思ってしまう。調子に乗ってはしゃいで、自分の本当の姿を曝け出し、その調子に乗った罰を受ける。私はずっとそれを怖れて自分を封じ込め、いつしかそれが本当の自分になった。それでよかった、よかったはずだ。
私は昔の手痛いしっぺ返しを忘れていない。
でも、しかし、いや、ああもう、認めざるを得ないのだが、こうやってむりやり紀子に昔の自分を引き出されてしまうのは――存外悪い気分ではないのだ。
「ねえ、ノリ。ノリはなんでいつでもそんなに明るくいられるの?」
「そりゃもう、そっちのほうがおとくだからさ」
「お得……何かよく分からない」
それからさらに紀子は意味不明なことを言った。
「カナちんは優しいからね。ひとのことを気遣えるから、逆に自分の事を出すと悪いと思っちゃうんだ。それはそれでいいことではあるよ。でも本当の自分を、決して忘れてやんな。結局は自分の生きたいように生きた奴が勝ちさ。ひとに迷惑をかけない限りでね」
普段非常におちゃらけて生きている紀子が、そんな真面目なことを考えているとは思わなかった。私とは真逆だ。表面上深刻にしていながら、実際には何も考えていない。でもそれでいいのか? 浦部紀子は――私の師になりうるひとなのだろうか。
「約束したげるよ。私ぁ一生あんたの味方だ。世界の誰が否定しようとも、私ぁあんたを否定しない」
「ノリ……」
感極まって抱き着く、まではしなかったが。
いつの間にか夜も更けてきている。私は最初紀子に「泊っていけば?」と提案したのだが、「いや、そりゃ流石に悪い。親にも言ってないし」と返された、そういう訳で終バスを逃さない内に家を出て、彼女を送ることにした。もちろんミニスカサンタからは着替えた。
「キョーカはどうなってるかね。それが気になって気になって仕方ないよ。わちゃわちゃやって、しっぽりやって……りゃあいいんだけどね」
「しっぽりとか、いやらしい……あのね、京香の恋路はもっと真面目に見守ってあげないと行けないと思うよ」
「もちろん、分かってるさ」
そうこうしている内にバスもやって来て、紀子はそのまま乗り込んだ。私はそのバスが道路の向こう、坂の上に消えるまで見送り、それからすぐに帰る気にもならず、そのままバス停のベンチに座った。郊外のクリスマス。たまにカップルらしき男女も見かけるのだが、基本的には淋しい光景が続いている。しかしその侘しさが胸に沁みるようで、悪くはなかった、決して、悪くはなかった。
果たして今年のクリスマスイヴはいいものだったのだろうか。
「まぁ……こんなのも、悪くないか」
しっとりとした余韻を噛み締めながら、私はゆっくりと帰路に着いた。




