n歩進んでn歩下がる
この女の思考回路はどうなっているのか、と考えざるを得ない。阿呆、という単純な言葉で切って捨てるのは簡単だ。しかしここにはそれ以上の偉大さ、あるいは無気味さが漂っているように見える。
「おお! カナちんもついに吹っ切れたんだね! いいぞいいぞもっとやれ!」
深く考えない紀子はミニスカサンタ姿の佳奈を見て単純にはしゃいでいる。こういうのが好きなのは分かる。佳奈が「目覚める」ことを前々からずっと望んでいる彼女からすればこれは好ましい光景なのだろう。でもそれでいいのか。
佳奈はどうだと言わんばかりに傲然と胸を張っていた。異様にその巨乳が強調される。もしかしたら挑発のつもりなのか。しかしその勢いも最初だけで、しばらく私たちがぽかんと眺めていると、彼女は次第に顔を真っ赤にして、いたたまれないというような感じで俯き。背中を丸めてしまった。まだ完全に吹っ切れてはいないようだ。このような方向性での吹っ切れはあまりよろしくないので、それはいいことだと思う。彼女にも理性はあるということだ。
「こ、こういうのは今日だけだからね……」
「それでもいいさ。今日と言う日はあんたにとって偉大な一歩となるのだ」
一体こんな衣装をいつ買ったのだろうか。地味同盟でクリスマスパーティーをしよう、と決めたのは昨日だったはずだ。まさかその話が終わったあとすぐに、ドンキにでも行って買ってきたのだろうか。とすれば恐るべき行動力と衝動性である。もしくはこうなることを予想して予め買っていたという想像もある。しかしそれはそれで異様な感性だと言える。きっと前者なのだろうけれど、いずれにしてもこいつは私が思っていた以上に器の大きい女なのかもしれない。
「しかしその乳、そのケツ、その脚! うひょひょえっちだねぇ」
しかし一番のド阿呆はやはり紀子なのだった。いやまあ、冗談で言っているのは間違いないのだが、冗談にしても品と言うものを考えなければならない。彼女のエロオヤジじみたフリはいささか下品だ。
「助平爺かあんたは。ていうか友達をエロ目線で見るな!」
「エロは世界を救うぜ。えっちなのはいいことだ」
もうひとつ、私がこの冗談を看過できなかった理由がある。それは――本当に、見事に佳奈がセクシーだったからだ。超高校生級だと言っていい。普段は大きなサイズの制服、そして私服もだぼっとしたのを好み、体のラインを出すのを怖れているようだった佳奈が、こうしてセックスアピール満々の衣装を着ると、なんだか、危険である。髪と顔はぼさぼさと眼鏡でなお地味なのだが、それがむしろいやらしさを助長している。
つまり私は惑ってしまったのだ。
「カナちん……あんたねぇ……あんたには中間ってものがないの?」
「ど、どういう意味」
「沈むかはっちゃけるかのふたつしかないのか、ってこと。もっとバランスというものを考えなさいよ。世界には調和が一番必要なんだよ」
「あうう」
私は冷静に述べたつもりだったのだけれど、なぜか紀子は私のこめかみを軽くゲンコツを作って小突いてきた。
「なにするのよ」
「正論ビームはやめろ! ここはカナちんを諭すフェーズじゃないのだ!」
などと玄関でウダウダやっていていて、心配したのか呆れたのか、リビングのほうから佳奈のお母様がやってきた。もちろん拝見するのは初めてである。のんびりしていそうな穏やかな美人さんで、佳奈とはあんまり似ていない。背も低い。ただし例外はその胸だった。
彼女は橘佳代と名乗った。訊いてもいないのに45歳と年齢までバラした。
「まぁまぁまぁ、うちの佳奈をよくお世話していただきありがとうございますわぁ」
しかし大きなローストチキンを乗せた皿を持ち、妙にくねくねするお母様を見て、このひとも一筋縄ではいかないひとだと直感した。このひとの遺伝子を受け継いでいるとすれば、佳奈はもしや――
「最近の佳奈はだいぶん明るくなってきて、きっと皆さんのおかげなんですね。私はうれしくてうれしくて……うっうっ」
「やめてよお母さん。ていうかそれ嘘泣きでしょ」
「バレた?」
紀子は感心したように「ほぅ」と息を吐いた。
「中々やりますねぇ、お母様」
「そうでしょ」
この世界にはひょっとして阿呆女しか生息していないのではないのだろうか、と私は暗澹たる気持ちになった。なぜ暗澹たる気持ちになったかと言うと、その阿呆女の中に私も含まれるからだった。なんともはや。
◇
地味同盟のパーティーらしくそれからは大人しい進行が続いた。その中でミニスカサンタ佳奈は妙に浮いていたのだが、それはいいだろう。しかし佳奈も紀子もよく食べる。高校生のなけなしのお小遣いで買ったチキンとケーキはあっという間に消費されてしまった。その他にも佳代さんが作ってくれたご馳走もあったのだが、それもどんどん彼女たちの胃袋に吸い込まれていく。食にがめつい私じゃないけれど、これだけ自分だけ少なく食べているとなんだか勿体ないような気がしてくる。
「ほれほれ、もっと騒げ騒げ」
「うおお」
それはなんだかちゃんちゃらおかしいから騒ぎのようにも思えた。しかし素直に認めよう。この時間は楽しかった。考えてみれば友達とクリスマスパーティーをするなんて久し振りのこと。童心に返るような気がして、なんだか胸がドキドキする。冷静であることが人生にとって一番重要と考える私にしても、今日くらいは良いかと思ってしまう。
そして徒然なるままにみんなで色々なクリスマスソングを歌う。最初は普通の曲だったのだけれど、やがて紀子が謎の即興自作曲を歌い出して、訳が分からない空間になっていった。
「ふはは。私は歌が上手いのだ。小学校の頃には合唱団にスカウトされかかったこともあるんだぜ。断ったけど」
確かに紀子は歌が上手い。しかもその野暮ったい容姿に反して声が綺麗なのである。びっくりするほどの美人ボイス。もしかしたら顔出し無しでネットにゲーム実況動画なんかを上げたりしたら人気になるかもしれない。
「でもオリジナルソングはやりすぎ。酔ってんじゃないの?」
「シャンメリーで酔う訳なかろう。私らはまだ未成年だぜ」
「酔ってなくてそれなら、余計すごいんじゃないのだろうか、佳奈は訝しんだ」
食べ物は奴らに取られてしまったので、私は代わりにシャンメリーやカルピスをごくごく飲んでいた。そしてケーキも食べると気分も大きくなる。大きくなるのは地味同盟の面々といるからでもあろう。しかし気持ちは大きくなっても衆愚になってはいけない。
と、そんな時のことだった。私の携帯に着信があった。
「おいおい、こういう時くらい電源切っとけよ」
「ごめん。でも……」
どんな空気の読めない奴だ、と思って着信画面を見ると、私はぎょっとしてしまった。
それは良明先輩からの電話だったのである。
このことを……このふたりに正直に話していいものかと思った。しかし思い切って話すと、ふたりは案の定色めき立った。
「うおおおおお! 蒔田先輩からのラブコール! なんというメリークリスマス!」
「いいじゃんいいじゃん、出なよ」
ふたりに押される、というよりは半ば煽られる感じで、私は通話に出た。
「ごめん、こんな日に……佐倉さんがよければでいいんだけど、今から会えないかな?」
「え、その、あの、そのその」
クリスマスイヴの電話――私はまるで心の準備が出来ていなかった。
「あ、あのあの! 今友達といるんで、話してみますっ」
「いや、無理だったら無理でいいんだよ」
で、紀子と佳奈がどうするかというと、それはもう予想通りだった。
「いけいけ! どんどん攻めてしまえ!」
「幸せをつかんできなよ」
「あぅ……」
身体が火照っているのを自覚する。思いがけないチャンス、あるいは危機かもしれない。
「しかし当日になっていきなり電話してくるなんて、蒔田先輩も恋愛慣れしてないね」
「それ、あたしたちが言えること?」
しかしここまで煽られてしまえばもはや私にも逃げる場所はない。やるしかない――いや、なにをやるかは分からないけれど。
◇
待ち合わせ場所に向かうにつれ、歩みはゆっくりしているのだけれど、心拍数は上がっていった。胸が膨らむのをとめられない。馬鹿馬鹿しいロマンティシズムが私を支配していく。甘い妄想が止まらない。本当に馬鹿馬鹿しい。私はまだ蒔田先輩の何者でもないのに。
いっぽうで嫌な妄想もしてしまった。彼はこの時彩乃先生と一緒にいて、その仲を見せつけるように――といったような。
「ダメダメ。現実的思考を捨て去るな、佐倉京香」
こういう時こそ、努めて冷静でなくてはならない。私はそう思う。しかしもうひとりの私、甘ったるい恋愛小説を書いている私がこうも囁く――恋愛とはそもそもが狂気なのだ、と。それに飲まれてしまってそこで初めてひとは幸せをつかめるのだ、と。
到着すると、彼はすでに待っていた。ダウンコートの裾からパーカーのフードをはみ出させている。ズボンは濃紺のジーンズ。
「ごめんなさい! 待ちました?」
「いや、急に呼び出してゴメンね。でもなんとなく会いたくなったんだ」
私と会いたい? クリスマスイヴに? ロマンティックエンジンが止まらなくなっていく。こんな状況で冷静でいられるなら、それはよほどの恋愛強者か、不感症か、サイコパスかのどれかに違いない。そして私は呆れるくらいの小市民であり、その矮小な魂を世間に曝け出してしまったのだった。
「あ、あの……それで、今日はこれからどうするんです?」
まさか良明先輩ともあろうお方が、いかがわしいところに誘うとは思えない。でも彼とのデート――デート!――と相成ってどうなるのか全然想像が付かない。
「……うーん、どうしよう」
誘った張本人であるはずの先輩がなんだか困っている。彼が困っているのだから私のほうはなおさら困惑してしまう。はやる気持ちだけがあって、具体的になにをすればいいかがまったく分からない。
「……どうしましょう」
「と、取り敢えず隣に座りなよ」
そしてなにもないまま時間だけが過ぎて行った。彼からこれ以上のアクションがなければ、むしろこちらから仕掛けるべきなのか、どうか。ここまで彼に近付いたのは初めて。私は彼の手指に目を留めた。今なら彼の手を握れるのではないか、拒絶はされないのではないかだって誘ってきたのは彼のほうなのだからなにをしても問題はないはずでも本当にそうなのか彼は私のことを好きなのか私は彼を好きなのは違いないけどでもでもでも好き好き好き――
なんだかあったかい気持ちになっていたのは、私の頭が茹っていたからに過ぎない。では向こうはどうだったのだろうか? 表情に出ない飄々とした彼だけれど、きっと同じ感じじゃないかと思っている。きっと、そうだ。
「どうしましょう」
「どうしようかなあ」
「どうしましょう」
「うーん」
呆れる程の恋愛弱者ぶり。しかし救われたのは良明先輩も似たようなものだったからだ。でもそれでいいのだろうか。タイムリミットは着実に近付いている。本当に、どうしよう。
「……それじゃ、どうせなら近くのイルミネーションにでも見に行こうか」
「はい」
なにか進展があった訳じゃない。しかし、しかし――




