文芸部の京香・豪華版
紀子がその場の思い付きと勢いだけで物事を決めるのは今に始まったことじゃない。しかしそれでなにか物事がいい方向に行くことが多いのは彼女の人徳のなせる業なのか。それとも悪運が強いだけか。ともあれ、そのふとした思い付きが、今回は私のほうに向かってきた訳だ。
自分でも意外だけれど、べつにいいかと思ってしまっている。何でだろう。もしかしたら私も、文芸部でしか見せられない自分を見せたくなっているのかもしれない。そんな馬鹿なことがあるものか、とも感じたが、拒否の気持ちがないのは、そうとしか説明が付かない。
だがまずなんにせよ、彩乃先生の許可が得られないとどうにもならない。まあ、先生がどう答えるかは火を見るよりも明らかだったのだけれど。それでも一応話は通しておかねばならない。
「なんだかなぁ」
職員室の雰囲気というのはなんとなく独特である。整然と机と教壇が並んでいる教室とはちがって、乱雑な印象を受ける。先生たちの机に置かれている書類なんかがそんな印象を与えるんだろう。先生たちはいつもばたばたしているし、どことなく騒がしい。多く並べられた金属製のデスクの合間に狭い通路が出来ていて、迷宮的な印象も与える。じつのところ私はこの雰囲気が好きではない。空気が好きではないという訳であって、先生に教育的指導を受けるのを怖れている訳じゃないことは銘記しておきたい。
ちなみに奥には校長室もあるのだけれど、こちらには入ったことがない。なにか特別に表彰される事件がない限りはずっと無縁だろうし、その可能性は100%だと断言できる。品行方正かつ地味な私だから。それでいいのである。
しかし私はここで彩乃先生を探さなければならなかった。先生も文芸部活動に向けての準備を進めているだろう。それから色々な事務処理も。職員室に入ると、先生というのはとてもたいへんな仕事なんだな、というのがよく分かる。
で、私はさっそく忙しそうな彩乃先生を見つけた。先生は我がクラスの副担任でもあるから、生徒たちの素行も監督している。その評価も日報なんかに書いているのかもしれない。先生の仕事なんて分からないから完全に憶測で言っているけれど。
しかしそんな忙しい感じなのに、私が遠慮気味に「星崎先生」と呼び掛けるといつものように慈愛に満ちた微笑を浮かべ、振り向くのだった。
「あら、佐倉さん。あなたが職員室に来るなんて珍しいわね」
「まあ私は優等生ですから、呼び出されるなんてことはありませんからね」
私がやや冗談気味に言うと、彩乃先生はくすくすと笑った。
「それで、なんの用事なの?」
「ええと」
私が教室での顛末を話すと、先生はますますニッコリと笑った。じつを言えばこの反応は想定通りだった。美人がもっと美人になるのでそれを見られただけでも価値はある。
「それはとてもいいことね」
彩乃先生はそれからさらに続けた。
「それは佐倉さんの成長ね。前の佐倉さんなら、それは拒絶していただろうから」
「そうですかねぇ……」
「そうなのよ。それだけ仲良くしている仲間、友達が出来たってことね」
それはたしかにそうなのかもしれない。私が反対しなかったのは、まさにその相手が地味同盟の面々だったからだ。彼女たちになら見られてもいい、とまでになっている。しかしそれは絆と呼んでいいものなのだろうか?
なんにせよ、彩乃先生が禁止しないどころか歓迎するであろう、という推測は見事に当たり、私は一旦みんなが待つ教室に戻った。
「いいって」
「やったなぁ! 私ぁとても嬉しいぜ」
「まあ星崎先生ならそう言うだろうと思ってたけど」
「楽しみっすねぇ!」
私は美也ちゃんに向き合った。
「サッカー部のほうはいいの?」
「そりゃもう、こっちが優先っす。サッカー部は明日もありますけど、こんな機会は二度とないっすから」
「そういうもんかしら……」
地味同盟4人で渡り廊下を歩き、文化棟に向かうと妙に目立っているような気がする。地味同盟なのに。しかしここはあえて堂々としていよう。
――なんだか紀子のノリが伝染しているような気がする。
そうやって話をしていたため、いつもより部室に着くのが遅くなり、いつもは私が先に来ているのだが、今日は蒔田先輩のほうが先だった。なんだか妙に恥ずかしい。私が恥ずかしがる必要はどこにもないはずなのだが。
「やあ、今日はお友達を連れてきたんだね――地味同盟、だっけ?」
突然の闖入者に遭っても、蒔田先輩はいつも通り飄々としていた。このひとはなにをしても驚かないのではないか、という気がする。
「お初にお目に掛かり光栄です、蒔田先輩! 私が地味同盟の盟主、浦部紀子です!」
「なんで俺の名前を知ってるの?」
「そりゃもう、キョーカがいつも文芸部の話をするから」
「そうなんだ」
紀子め、いらんことを。
「橘佳奈です。なんとなく京香の友達やってます」
佳奈は素っ気なく言ったが、これは中々重要な場面だった。というのは、彼女が私を自分から友達と認めたのは初めてだったからだ。
「郡司美也っす! 文化系クラブは見たことないんで新鮮っす!」
それから彩乃先生がやって来て、文芸部の活動が始まった。さすがにこんな状況で小説は書けないので、のんびりと文芸誌を読んだりしていたのだが、妙にざわざわしていて落ち着かない。ここに至り、私は普段の文芸部がとても静かなこと、その静寂を愛していたことを実感した。
かといって別に今の状況が不快でもないのだ。これが常態化すればさすがに怒るが、たまにはこんな日があってもいいか、と思っている。それは同時に、私が地味同盟員に対して心を開いている証明でもあった。
とはいえむず痒い、違和感があるのもまた確か。この奇妙に肌がくすぐったい感覚はどこか昔に味わったことがあるなぁ、と思って記憶を遡ってみると、これは、小学校の時にあった父兄参観の感じに似ているのだった。それもまたヘンな話ではある。
「これだけ女の子がいたら華やかになるね。両手に花どころじゃない」
確かに、考えてみれば蒔田先輩以外は全員女である。まるでハーレムのようじゃないか。
「地味女の集まりですけどね。あっ。星崎先生は別ですよ!」
「そんなに気を遣ってもらわなくてもいいのよ」
「いやいや、先生はハイパー美人ですから」
調子のいい紀子である。まあこれはいつも通り。いっぽう佳奈はゆったりと文芸誌を読んでいる蒔田先輩の横から覗き込んでいる。
蒔田先輩はあからさまに鼻を伸ばしはしなかったものの、すこし浮かれているのは事実だった。あまり感情が顔に出て来ない先輩ではあるけれども、2年一緒にいればそのあたりの機微も分かってくる。しかしまあ、枯れたふりをしていても、彼も男ということか――
「橘さんも小説とかよく読むの?」
「けっこう、読みます」
「書いたりとかしないの? なんかそういうのに向いてそうな感じがあるけど」
「小学校の頃に……ちょっとだけ……」
ここで私はかなりおかしな状態になっていることに気付かねばならなかった。佳奈が妙に馴れ馴れしく蒔田先輩と絡んでいる。そして先輩もまんざらではなさそうだ。隠れ美人(なおかつ巨乳)の佳奈に迫られると彼もこうなってしまうのだろうか。
いや、蒔田先輩のほうはともかく、いやそっちも問題だけれど、重要なのは佳奈のほうだ。この人見知りが、なぜこうも簡単に蒔田先輩に懐いているのか。まあ、先輩にそういった度量の広さがあるのは間違いないにしても、早すぎる。なぜだろうか。まさかとは思うのだが――彼女は先輩に惚れてしまったのだろうか。そんな馬鹿な。しかしそれが真として、ここでいきなり私の恋敵が――
恋敵?
そう、それはもう認めざるを得ないことだった。私は彼が好きだった。良明先輩が佳奈と仲良くしている所が気に食わない。そこから帰納的に私の恋心が証明される。誤魔化せない。しかしそれに気付いたとして、何ができるというのだろうか。文芸部で一緒の時間、空間を共有できればそれでいい、と思っていた相手に対して。
文芸部の見学、とか言っていたはずの紀子は、特に見学もせず彩乃先生と談笑している。美也ちゃんは本棚をしげしげと見つめながら、本を取るとかはしない。はて、見学とはなんだったのだろうか。
むずむずはいや増してくる。地味な文芸部に地味女が乱入して、しかしなんだか、良明先輩の言う通りヘンに華やいでいるような気がする。おかしな話だ……
そしてぼーっとした顔をしながらも良明先輩にくっつく佳奈に嫉妬を覚えてしまう。こいついつもは、と思うが、怒りまではしない。誰が誰を好きになるのを禁止する権利は誰にもない。私にも好きになる権利はあるし、佳奈にもある。問題は良明先輩が誰を好きなのか、なのだけれど――私はそこでどうしても彩乃先生を見てしまう。もし良明先輩が先生を好きなのなら、私はとても太刀打ちできない。どうしようもない。でもその可能性が一番高いと思っている。
しかし残り時間は僅か。どうにかして、私の勝ち筋はないだろうかとも考えている。
などと悶々として座っていたら、いつの間にかすすすと佳奈がこちらのほうにやって来た。彼女はなんだかいやらしい笑みを浮かべている。そんな佳奈の顔を見るのは初めてだったから、呆れるよりもむしろ感心してしまった。
そしてその佳奈は私の傍に座り、そっと耳打ちした。
「嫉妬、した?」
なんということでしょう、すべては彼女の策略だったのです!
私は顔が熱くなるのを感じた。赤面していたら文字通り赤っ恥である。しかし策略とは言っても、この佳奈が、あの佳奈が、ここまで大胆になるとは。彼女も成長しているのだろうか、しかしその成長曲線はヘンな方向に行ってやしないか。
「蒔田先輩のことが好きなんでしょ? 誤魔化しても仕方ないよ」
「でも、だからって私がなにを出来るとか……」
「女には――戦うべき時はいつかやってくる――」
「なにそれ」
「いやまあ、言ってみただけだけど」
佳奈の本質はこのようなへんてこ女なのだろうか。いやそれはいい。しかしこの――大人しいというよりは暗かった佳奈にここまで煽られると、私も黙ってはいられない。火が点いてしまう。とは言っても、それはまだ燻ぶっている程度で、しかしすぐに延焼するだろうことも明らかなのだった。
しかし具体的にどうすれば? 恋愛経験値ゼロの私には、ここからことを進める方法が皆目見当つかなかったのだった。




