地味同盟の一里塚
激動の10月を無事乗り越え、我々は後顧の憂いなく11月に入ることができる。後輩ちゃん加入問題に関してはまだ宙づりになっているけれど、まあいいだろう。人生に襲い掛かる荒波に立ち向かうべく結成された地味同盟だが、平穏無事であるならそれに越したことはない。今月には私の誕生日が含まれているが、その時は彼女たちに色々奢って貰うようにしよう。持ちつ持たれつ。
そういう訳で文化の日を控えた火曜日、我々地味同盟は放課後の定例会合を行っている。特に議題がある訳ではない。しかしこの日はやや重要な意味を持っている。
「諸君!」
「なにが諸君よ」
「しょっぱなから冷たいなキョーカちゃんよう」
しばしば厳しい京香だが、それを私が疎ましく思っていると見られては困る。全然気にしていない。むしろ彼女の適切なツッコミ能力は我らが同盟に欠かせない能力としてじつに重宝している。というかツッコまれないと私が浮いてしまう。
今日は京香も部活はないらしい。そろそろ本格的に蒔田先輩も受験勉強モードに入って来たのだろう。よって時間は沢山ある。どうやら由美たちも今日は早くに帰ったようで、奴らに茶々をいれられる心配もない。
部活がない時の彼女はどこか退屈そうにしている。バレていないつもりなのだろうが私の目は誤魔化せない。でもまあそれは仕方ないことだろうと思う。京香にとって執筆活動は単なる趣味や興味を超えて、人生を懸けて取り組むべき事業なのだ。ゆえに文芸部は彼女の半身とも言えるだろう。そして彼女を支える蒔田先輩も、また。
「我々には小説読ませてくれないんかい?」
「別に読んでもらってもいいけど、あんた、長い文は苦手とか言ってなかったっけ?」
「そりゃまあそうだ。小説なんて滅多に読まん。でもキョーカが見せたいってんなら話は別だよ」
京香はしばし考え込むようにして腕を組み、目線をすこしだけ下げた。佳奈はボンヤリとそれを見つめている。京香は迷っているようである。小説家はどれだけ自分の作品を読んでもらいたいのか――ある程度の想像は出来る。しかしその奥底を完全に理解は出来ない。京香の惑いは私には窺い知れない類のものだ。
しばらく迷ってから、彼女は顔を上げた。
「やめとく」
「なんで?」
「なんか恥ずかしいし」
創作活動とは無縁の私たちに対して、京香はその創作者としての心、その繊細な一面を説く。
「そりゃまあ、せっかく書いたものなんだから読んで欲しいのは確かだよ。でもいっぽうじゃ、小説ってのは自分の精神的恥部を晒すことでもあるの。知り合いに読ませるのには、怖さもある訳」
「ふーん」
そこで当然私はひとつの疑問を持つ訳だが。同じような疑問を持ったらしい佳奈が先にそれを問うた。
「じゃあ……蒔田先輩とか星崎先生に読ませるのは恥ずかしくないの?」
「……あぅ」
そこは彼女の弱いところではあったようだ。すこし声を詰まらせる。しかし簡単にはへこたれないのも京香だった。とても素晴らしい。そういう訳で彼女はこう言った。
「恥ずかしいし怖いよ。でも私はそこから始めたの。もしそこから自信を持てば……まぁ、あんたたちに見せることもあるかもね」
「ふーん」
「さっきから反応薄くない?」
「いや、感心しているのだ」
創作者というのは多かれ少なかれそういった野心と怖れを同時に持ち合わせているものなのだろう。私はそう解釈した。
「幼稚園児が描いた絵を見せるようなもんじゃないだろうからね。でもそこを乗り越えないとプロにはなれないんじゃないの? 不特定多数に読まれるなんて、本当に怖そうだけど」
「私は必ずしもプロになりたい訳じゃないよ。でもまあ……そこは確かにノリの言う通りね」
お寿司を奢って貰う未来はまだまだ遠いようである。
「で、なんか話が逸れちゃったが改めて諸君! 今日はじつに特別な日である!」
「なにが」
今日はなんだか佳奈まで冷たい。しかし京香や佳奈からそんな冷ややかな視線を浴びて喜んでしまっている私には、もしかしたらマゾヒストの素養があるのかもしれない。まあそれはともかく。
「今日を以て、地味同盟は結成2ヶ月を達成しました! やっほう!」
そんなこと? とふたりの視線はますます冷ややかなものになっていく。だが私はへこたれない。むしろますます燃え上がる。
「この一歩は小さなものである、しかし我々地味女にとっては大きな一歩となろう!」
「月面有人飛行ってなんで止めちゃったんだろうね」
「知らんよ。なにもなかったんじゃない」
「2ヶ月程度で祝うことなの? 1周年とかならともかく」
佳奈は一時期に比べてはきはきと喋られるようになっている。発言機会も多くなっているようだ。でもまだまだ。彼女のポテンシャルはそんなものではないはずだ。だがまあ問いには答えなければならぬ。
「これはとても重要なことなのだよ」
「なにが」
「地味、という以外の接点がなかった我々が、一致団結してここまでやってきた。絆も深まった! もしかしたらすぐ飽きられるんじゃないかって心配だったのだよ私は。でもここまでやってこれた。2ヶ月も。そう、2ヶ月も! これはとても偉大なことだよ?」
「そうかなぁ。だらだら続いてきただけのような気もするけど」
京香は私の熱弁にもかかわらずなんの感銘を受けていないようである。冷ややかな視線は変わらず。しかし意外にも佳奈のほうが別の反応を見せた。
「……そうだね。たかが2ヶ月、されど2ヶ月。それはすごいことかも」
「ははははは。そうだろうそうだろう。諸君、継続は力なり、だよ」
佳奈にとってはしばらくいなかった友人が出来て、それが続いていることへの驚きもあるんだろう。ずっとひとりだった彼女が――だが私は二度と彼女をひとりにしない。
しかしなぜ私が佳奈にここまで入れ込んでいるのか、それは自分でもよく分からない。
「地味同盟って永遠に続くんじゃなかったの」
「だからこそだよキョーカ。この最初の一歩こそが重要だったのだ」
「じゃあ1ヶ月目はなんでなにも言わなかったの?」
「先月は色々忙しかったじゃん」
まぁ、そんなものかもね……と京香は呟いた。冷ややかではあるけれど、すくなくとも私の言葉を否定するものでもなかったようで、それはとてもよろしい。
「記念パーティーとか、するの?」
佳奈は訊いた。
「いんや。なにも考えていない」
私は答えた。
「なんだそりゃ」
「なんのために言ったのよ」
いつものように会話はグダグダになっていく。しかしグダグダではあるが、そこには一種の音楽的グルーヴが存在している。思考を言葉に乗せているはずのところが、いつのまにか言葉が思考を紡いでいく奇妙な変換に酔っていき、それは止まらない。それはなにも私たちだけに限るものではない。そもそも女子高生というのはそういう集合生命体と言えよう。それは大きな力を生む。そこにはひとつの宇宙が存在する。
そんな聖域に無遠慮に踏み込んでくる男子高校生などというのは、とても無粋だ。助平とも言う。
だがそんな男子は確かに存在して、この記念すべき日にどかどかと割って入って来た。
「よう、地味同盟。今日もなんだか楽しそうだな」
忌むべき相手、あのチャラ男、桐生洋二だった。相変わらず軽薄な雰囲気を纏わせて、途端に私を苛立たせる。
「なんだい、なんか用。女子高生の会話に割って入ろうだなんて、あんたも中々勇気あんね」
あの時ほど激昂はしていないが(私もあとでそれは反省したのだ)、心を許すべき存在ではないのは間違いない。彼はそれに気付いているのやら、いないのやら。どちらにしても無神経であることには変わりない。
「俺は大物だからな」
「恥知らずのことを大物と勘違いするたぁ、あんたもお目出度いね」
「ちょっとノリ。あんまり言い過ぎるのもよくないよ」
「こういう手合いには、言い過ぎるくらいで丁度いいのさ」
「ま、俺もあんまり気にしてないしな」
ちったあ気にしろよ、とは思うもののそれを実際に口にしてしまうと前のように泥沼になってしまうのでなんとか我慢した。私にも自制心はあるのだ。今考えているのはいかに迅速にこの男をこの場から排除できるか、だった。
「で、はっきりなんの用事か言いなよ。つまらんことだったらケツバットだかんな!」
「バットどこにあるの」
佳奈の鋭すぎる指摘は無視する。桐生くんも無視したようだ。
「だから言っただろ。俺の恋路に協力してくれよ」
「まだ諦めてなかったの?」
呆れたように京香が言った。呆れられてしかるべきだろう。私も呆れていた。
「私らになにが出来るってのさ」
「もちろんお前達だけに言ってるんじゃないぜ。布石はそこかしこに打ってある」
「多分それ無駄になるよ」
「いやいや。恋愛ってのは一筋縄では行かないんだ。やれることはなんでもやる。俺はもう負けを味わいたくない」
男なら潔く正面から、一億総火の玉万歳玉砕しろよと言いたくなったが、その寸前に私はふと気付いたことがあった。
彼は軽い。きっと私が気に食わないのはそこだ。本当に真剣ならば、それを感じられれば、前もあそこまでキレなかったと思う。
つまり――
「あのさあ、桐生くん。あんた、本当に由美のこと好きなの?」
「えっ!?」
「ちょっと顔がいいから狙ってやろうか、ってくらいの気持ちしかないんじゃないのホントは」
確かに由美はモテる。そして桐生くんもそれなりにイケメンだ。あまり認めたくはないけれど、彼と彼女が並んでいればお似合いには見えるかもしれない。すくなくともビジュアル的には。しかしそこにはあるべき「熱」が感じられない。
「な、なななななな、なにを根拠にッ! 俺は本気だぞおお本気だともおお」
「どうかねぇ。チャラい気持ちでツッコんでも火傷するだけだぞぉ」
「そんなことはないッ!」
「今一度自分の胸に手を当てて考えてみるがいい。自分の本当の気持ちを」
「なんかいやに辛辣ね、ノリ。桐生くんを相手にすると」
京香の指摘は、私も気付いていなかったことだった。確かにここまで言ってしまう必要はない。いってやる必要もない。放っておけばいいのだ。しかし彼にはどこか放っておけない雰囲気もまた、確かに存在するのである。それがなにか――
答えは意外なところに、実際本当に意外なところにあった。私にボロクソ言われ、桐生くんは男らしくもなく顔を真っ赤にしている。怒っているのではなく、恥ずかしがっているのだ。で、不意に私は――ああもう、自分で認めるのも癪なのだが、その姿を見て、私は迂闊にもそれをかわいいと思ってしまったのだった。
そんな馬鹿なことを。
「しっしっ。とっとと失せな。ここは地味女の巣窟。男が下手に踏み込んでいいところじゃないぜ」
「わ……分かったよ。でもそうつっけんどんにしないでくれよ」
桐生くんは首を捻りつつも、ともあれ私の言葉を受け入れ、その場を去ろうとした。いや、去ったのだが、教室を去る前、扉の前に立って叫んだ。
「俺は諦めてないからなー! 頼むから協力してくれよなー!」
捨て台詞にしては妙に健気だった。にもかかわらず本気感がないのは、彼の性格ゆえなのか、それとも私の指摘が正しいからなのか、それはまだ分からない。
「……ああいう手合い、由美が一番嫌いなんだけどね」
「そうなの?」
「真面目で誠実な男が好きなんだとさ。前にゲロったことあるよ。でもあいつはああだからああいうチャラ男しか寄ってこないんだよねぁ。悲劇と言えば悲劇だね。自業自得だけど」
「どこまで辛辣なのよ。ちょっと可哀想になってきた」
京香の同情を、私は気にしなかった。
地味同盟に、できるだけ敵は作りたくない。しかし――




