追い掛けてくるもの
何故体育の日ではなく、3連休の中日になる日曜日に体育祭が行われるのかはまったくの不明である。もしかしたら近隣の学校との調整があるのかもしれないが、すくなくともただの高校生である私たちには知りようがない。知る必要もなかろう。なんにせよ、それによって代休が火曜日に設定され、2連休を得られるのは中々に有難いとも言える。と言って、私がいつも有意義な休日を過ごしている訳ではないのだが、それはいいだろう。
体育祭そのものは憂鬱である。しかし京香に言わせれば、「参加するだけでも意義がある」ということになるのだろう。私はそれに有効な反論を見つけられないので、そうしてここにいる。
「ああ、始まっちまったよ」
校長先生の訓示があり、体育教師のまとめ役である金城先生のありがたいのかそうでもないのかよく分からないお話があり、そして生徒代表による選手宣誓がある。私は整列しながらそれを聴いていた。聴いてはいたが頭には入っていなかった。早く終わらないかな、としか考えていなかった。
それから土のグラウンドに白線で引かれた200メートルトラックを取り巻くようにして、それぞれのクラスで固まり座る。小学校の体育大会であるような飾り付けはまったくない。もしかしたら教師陣も体育祭はやる気がないのかもしれない。
私が体育祭、ひいては体育そのものを嫌っているのは運動が苦手であるのと、もうひとつ理由がある。体操服があまり好きではないのだ。機能的ではあるのだろうが、なんとも頼りない、無防備な感じがしてしまう。昔はあったとされるブルマーではなくハーフパンツなのがまだしも救いなのかもしれないが、性的に見られているような気がして気が気でない。それは自意識過剰なのだろうか。
ならばジャージを着ればいいではないか、と言う方もおられるかもしれない。しかし何故か舞坂高校では体育祭の時はジャージは禁止なのだった。理由は分からない。まさかいやらしい理由ではないだろうが……
「いよいよいやんなってくるね」
「うん……早く帰りたい」
「のんびり見てればいいのよ。自分の出る競技はテキトーで」
クラスに割り当てられた場所から離れない限りは自由に座ってよかったので。私たち地味同盟は固まって体育座りをしていた。もしかしたら、この時初めて私は地味同盟を有難いと思ったかもしれない。去年の体育祭は友達もおらず、話し掛けてくる子もおらず、独りでこの憂鬱な時間を耐えねばならなかった。それに比べれば今年は天国――とまでは言わないが、かなりマシであると言わざるを得ない。
とすれば、私は孤独を気取りながら、じつは仲間を欲していたのだろうか?
いつもはグラウンドを広いとは思わないが、1000人近い生徒のいる舞坂高校の有象無象(私たちを含む)が全員外に出ていると、逆説的ではあるがその広さを実感する。逆説的、と言ったのは客観的にはその広さを認識しながら、主観的にはひとが多すぎて狭苦しい、息がつまると思っていたからである。さらには父兄も参観に来ている。昨今の事情から一般には開放されていないが、それも私にはプレッシャーになる。そういう訳で、私の両親は観に来たがったが、私は強力に「来るな」とふたりに言った。私のことなど忘れ、たまには夫婦水入らずで休日を過ごすのもよかろう。
「お酒って旨いのかな……」
唐突に、脈絡なく紀子が呟いた。一体何を言っているのだろうか。
「なによ、藪から棒に」
「確かに訳が分からない」
紀子はこちらを見ず、なんだか天を仰ぐような感じで虚空を見つめている。
「いやさ。私のオトン大酒呑みでさ。日曜の昼間なんか、まだ明るいのにビールを煽ってんのよ」
「それがなによ。今となんか関係ある?」
怪訝そうな京香の言葉はもっともである。しかし紀子はそれを無視して話を続けた。場を盛り上げようという感じはまったくない。
「でさ、なにを肴にして飲んでるかってーと、ヤキトリとスポーツ中継なんよ。野球が一番多いけど、ゴルフとか競馬の時もあるかな。サッカーは見てなかったかなぁ。ま、それはさておき、スポーツ観ながら飲む酒って旨いんかな、ってふと思った訳よ、この体育祭を見ていて」
「だからなに」
「うっ、冷たいなカナちん。ホント、ふと思っただけで意味は特にないよ」
「暇なの?」
「なんでちょっと随想しただけで総攻撃を受けにゃならんのだ」
紀子はそんなに堪えていないようだった。それくらいの表情は私も読めるようになっていた。彼女の場合は分かり易すぎるというのもあるが。しかしそこが私の問題でもあった。昔の自分は自分が楽しければよく、遊んで、暴れて、そしてある日それを白い目で見られていたことに気付いて、精神的に引き籠り始めたのである。
要するに人の目を気にする、言い換えれば他人の心を鑑みるというのが私には無かった。周りが見えていなかったのだ。思えば気遣いの出来ない子供だった。それは今も変わらないが。しかしそれは今から変革できるのだろうか。紀子はそれを望んでいる風なことを度々言う。社会不適合者が適合する為の訓練を――
「お酒なんて駄目よ。私のお父さん、普段は優しいけどお酒飲むとちょっと乱暴になるもの。DVとまでは行かないけれど」
「あたしの両親はそもそもお酒が弱いから、全然飲まない」
「じゃ、お酒で憂さ晴らしってのは地味同盟的に禁止ということにしよう。これも綱領に付け加えるぞ」
こいつはなにを言っているのだ、という顔を京香はしていた。かく言う私もきっと同じような顔をしていただろう。
「なにを訳分からないことを言ってるの。そもそも私たちは未成年でしょ」
「ふっふっふ。分かってないなぁキョーカは。これは未来への伏線なのだよ」
「はぁ?」
「つまりだな、地味同盟は高校だけで時限しないのだ。一度契ったからにはこの同盟は一生有効である。だから今の内に二十歳以降のことも決めておかなきゃならんのさ」
「なにソレ。初めて聞いたんだけど」
「抜けられないの……?」
そりゃそうだろう、と紀子は顎を上げた。体育座りをしていて胸を張れないから、その代わりだったのだろう。
「この同盟は魂の同盟、血の同盟なのだ。私たちの魂はもう、一蓮托生になっているのだ」
「いや私、そこまで覚悟してないんだけど」
「あたしがみんなを嫌いになったらどうするの……?」
「そんな淋しいこと言うなよカナちん~」
私はちょうど真ん中に座っていたので、右側に座っていた紀子が肩を抱いてゆらゆらさせた。私は特に拒絶しなかった。
「卒業する頃には分かるさ、この同盟がじつにかけがえのないものなんだと。一生を懸けて守りたいものになると」
紀子はいつになく真剣な声をしている。それに連れて、私も神妙な気持ちになった。薄々感じていたが、この浦部紀子というひとは人心を掌握する術に長けている。それも天性のものだろう。生まれた時からなるべくしてリーダーになる存在――そんな感じがする。しかし地味だから地味同盟のリーダーにしかなれないのは残念、と言うべきなのだろうか。
「私は、みんなと一生友達でいたいよ?」
「あぅ……」
一生の友、か。それは現状の私にとっては重すぎるテーマのように思えた。確かに今は拒絶していないが、これからどう転ぶかは不明だと思っている。みんなに裏切られる――あるいは自分が裏切る怖れをまだ捨てきれない。そういった不幸を蒙るなら、また陰鬱かつ安寧の孤独に戻りたい、という気持ちはまだどこかにあるのである。
私はとんでもない我が儘なのかもしれない。
そうこうしている内にプログラムは進んでいく。私が陰鬱になっているさらにもう一つの理由が近付いて来る。2年生はダンスがあるのだ。ちなみに私にはリズム感が絶望なほどにない。何度か練習はあったが、私は決して合わせることができなかった。つまり恥をかくのは確定という訳である。
「だいじょぶ、死ぬ時は一緒だ」
同じくリズム感のない紀子はそう言ってくれるが、雀の涙ほどの慰めにしかならない。
そしてその時間がやって来た。踊っている間はイヤなことは全部忘れられる、という子もいたが私には信じられない。そもそもこの時間がイヤなことなのだから。
だからこのダンスに関しては詳しく述べない。
「あぁ……人生終わった……」
「こんな程度で終わるほど人生は軽くないさ」
「さっきと言ってること違うじゃない!」
「それはそれ、これはこれ」
「熱血漫画家みたいなこといって誤魔化すんじゃないわよ」
それに比べれば競技に関してはまだマシではあった。私は出たのは200メートル走で、あえなくビリだったのだが、恥は一瞬で済んだ。ひとつ気付いたのは、私のことを見ているひとはそんなに多くないことだった。やはり私には自意識過剰の気があり、それが心を縛っているのである。しかしそれに気付けたとして、すぐに捨てられる訳でもない。そして後述するが、私を見ていた奴も確かにいたのである。
ほかのふたりの参加競技も無事終わった。
「怪我がなかっただけでもめっけもんだと思いなよ」
「まぁ、それは確かにね」
あとはフィナーレまで待つだけだった。私たちの参加競技は午前中に集中していたから、昼食のあとはただ見ているだけでいい。幾らか気分は楽になった。退屈でもあるが、それは愛すべき退屈である。それに今は時間を潰せる相手がいる。あんまり私語をしていると注意が飛んでくるだろうが、そうならない程度に私たちは駄弁っていた。
「運動が得意だと、好きにもなるのかな」
「プロスポーツ選手がみんな好きでやってると思うかい? 案外金になるからやってるだけって奴もいるかもよ」
「逆に怖いくらいの使命感でやってる選手もいるけどね」
「スポーツってなんだろう……」
運動音痴女3人が集まっても、その哲学的命題に解答が得られはしまい。
そうしてあとは何事もなく終わりを待つだけ――という時に事件は起こった。私にとっては大事件だった。
なにか先程から目線を感じると、むずむずした気持ちになって、しかし気のせい気のせいと思ってやり過ごしていたのだが、やがてその違和感が無視できないものにまで膨れ上がり、私は周りを見た。
すると、私を狙って何度もカメラで撮影している男がいたのである。
「盗撮だ!」
同じタイミングで気付いたのは――紀子でもなく京香でもなく、知らない大きな女の子だった。
「やべぇ!」
「逃がすな、捕まえろ!」
盗撮などと。関係者以外入れない筈の体育祭なのに、その父兄の中にそんないかがわしいことをする者が混ざっているとは。私は怒るよりも前にいたたまれなくなった、恥ずかしくなった。写真に収められる羞恥に耐えられなかった。
しかし、その犯人はすぐに取り押さえられる。金星を挙げたのは、その最初に気付いた女の子だった。どうやら1年生らしい。どこかで見たような気もするのだが、どうしても思い出せない。そもそも同学年に友達もいなかった私が、1年生に接点があるとは思えなかった。しかし違和感は膨らむ。
ともあれ男はそのまま運営本部に突き出された。ついでに対象になった私まで出頭する羽目になった。デジカメのデータは消すことを約束し、警察には突き出さないという方向で話はまとまる。学校側も出来れば騒ぎにはしたくないらしい。いささかしこりは残るが、私も大きな話にはなって欲しくなかったのでそれを承諾した。
そして、その場には捕まえた女子もいた。最初から大きいと思っていたが、近くで見るとかなり背が高い170センチ後半はあるのではないか。そして身体もがっしりしている。なんだか頼もしい。髪はショートカットにしていて、そばかすのある顔はどこか野暮ったい。多分運動部に所属しているだろう。高身長だからバスケ部かバレー部かと、その時の私は当たりを付けた。
「でも助かった。ありがとう」
「へへっ、こんなのなんでもないっすよ」
「でもなんで気付いたの?」
私がその謎を訊くと、彼女はちょっとだけ気まずそうに答えた。
「それはそのぅ。恥ずかしいっすけど、私も先輩のことを見てたからっす……こりゃ盗撮犯のこと、悪く言えませんね」
「なんであたしを?」
「ええと、それは……」
ばつが悪そうな彼女だった。責めるつもりはなかったので、私は謝る。そして関係が出来てしまったので私は彼女の名前を訊いた。
「郡司美也、1年生! 所属は女子サッカー部っす!」
「そうなの。じゃああたしも答えるね、あたしは橘佳奈」
「橘先輩っすね! いやっほう! ようやく憧れの先輩の名前知れた!」
「あたしが、憧れ……?」
「そうっす。1学期の学祭でクレープ屋やってたっすよね? その時にあたしが地面の落としちゃったのを、優しくしてタダでもう一枚くれて、それで恥ずかしいっすけどずっと気になってたんっす。でも教室に行くのも気が引けて……」
そんなことあったっけ? と思い出そうとしたが、不幸にも私はそういう出来事をすぐに忘れる体質なのだった。
そしてそんな話をしている内に、気になったのか紀子と京香もやって来た。
「でもなんであたしなんか盗撮したんだろう」
「そりゃあんたぁ、そのムチムチのカラダ、デカパイを見りゃあ分かるだろ」
「やめてよ!」
確かに私の胸は大きい。体操服はそれが目立つから嫌いでもある。そう、私は性的な目線で見られるのが恥ずかしく、嫌になる。しかし盗撮までされるとは、そこまで目立っているとは思わなかった。基本的には地味なのに……地味にしているのに……
「うわぁ、地味同盟が揃った! やったやった!」
美也ちゃんはその大きな体躯に反して小動物のようにぴょんぴょん跳ねる。
「は? なんで1年のあんたが地味同盟のこと知ってんのよ。いや、地味同盟はいずれ世界に轟く名前になるんだけど、今はまだ雌伏の時だと思ってたのに」
「学食でそういう話してるのを何度も聞いてるっす」
「カナちんを追って? 呆れた。ストーカー一歩手前じゃない」
「ま、まあいいじゃないっすか」
それよりも、と言って、美也ちゃんは背筋を正し、45度畳む本気の礼を見せて、そして私たち地味同盟をびっくりさせた。
それは。
「ここで会ったもなにかのご縁、どうか私を地味同盟に入れてくださいッ!」




