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ジミ地味アライアンス 〜舞坂高校のおばか女子高生三羽烏〜  作者: 塩屋去来


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恋という毒





 自分でもなぜあそこまで居心地が悪くなったのか分からない。自分で自分を理解できないというのは気持ち悪いものがある。しかし感情はしばしば思考を先行し、支配さえする。私は私でさえ把握できないものに駆られ、あの場所を険悪に汚し、そして今ここにいる。


「はぁ……」


 自動的に出るため息にすら怒りが込み上げるのだから、私はもうどうしようもない。どうして私はこうなのか、そんな呪詛が頭の中を支配して止まらない。澱んだ感情を炉として、それがどんどん精製される。そしてさらに沈んでいく。それで無情動にでもなればまだ気が楽になったかもしれないが、生憎そこまで器用に出来てもいないのが私の頭であり、精神であり、そうごうすれば魂と呼べるものだ。


 そんな時はいつでも高校の中庭に来てしまう。いくつか木のベンチが設置されていて、しかし舞坂高校の生徒はそんなにこの味わい深い光景を気に入らないのか、ひとが多くいる時はあまりない。今のように昼休憩の終わり際ではさらにである。真ん中に欅がそびえていて、私の悩み、懊悩などごく小さなものなのだよ、と語りかけているような気がする。それで幾分か気は楽になるのだが、根本的な解決にはならず、ひとときの気休めにしかならない。


 理由もなく陰鬱になる事態はこれまでも何回かあった。しかし今回の気持ち悪さは、理由がないようなあるような、その中間に心が揺蕩っている所にある。紀子がうるさかったのもある。あの桐生くんがなんとなく気に食わなかったのもある。しかしどれも決定的ではない。


 私はどういう訳か――なにかに見捨てられるような不安と不快を覚えていたのだった。


「なんでなのかなぁ」


 こういう時はここでぼーっとするに限るのだが、今日はそれで心が休まることもない。陰鬱は我が友と言ったが、友とは言っても離れたい時はある。何も考えないで済む時間が良い時もある。しかしながら彼はなまはげのように追い掛けてくる。そう、執拗にだ。そして私が悪い子であるのは言うまでもない。私の人生はいつからか、その永遠の逃避行になっていた。


 ことが恋愛だったから、私はここまでくさくさしてしまったのかと思った。しかし私は他人の恋愛などに嫉妬するような女ではなかったはずだ。地味同盟綱領を定めた時の、恋愛についての項目にも反対はしなかった。自分が恋愛とは無縁だと思っているからこそ、それを憎悪する事はない筈だった。


「分からん……分からんッ」


 紀子があそこまで激昂したこともだ。桐生くんをどうでもいい男だと思っているのなら、そこまで怒る必要はないのではないか。いや、怒るのは分かるけれども、あそこまであからさまに露わにする事はない。すくなくとも私はそうだった。


 果たして恋愛とは何なのか?


 どうやら女は恋愛をしなければならない生き物らしい。私がひとり孤独にそれに反旗を翻しても、世の中には恋愛小説、ドラマ、アニメ、ラブコメが溢れ、創作という場から離れて現実でも、恋愛に勝利する為のテクニックがあちらこちらで紹介され、商材となり、消費され、日本経済を回している。私も完全に無縁になっている訳ではない。絶望的な趣味を持ってはいるが、かといって男に対して完全に無関心という訳でもない。


 しかし恋とはいつしか毒になるものである。心を馬鹿にする。明朗快活、冷静沈着な善人でいるべき文明人を簡単に破壊してしまう。そうではないか。見よ、世の中に蔓延る痴情のもつれによる不幸の数々を。当人たちだけの不幸ならまだいいのかもしれないが、それはともすれば犯罪行為にまで及び、新聞の三面記事を飾る。テレビでニュースを見て、不幸をおかずにして相対的に幸せになろうとする人々の格好のタネになる。


 ゆえに私は恋愛は紙上かモニター上のものかに収めている。


 だからなのだ。私のメンタルが揺らいでしまったのは。遠い世界にある筈の、恋愛という概念が急に現実面に現れたので、どうしていいか分からず、しかし憂鬱にはなって飛び出してしまった。そしてどうしてなのだろうとまた自己嫌悪に陥る。私はどうしてこうなのか。感情を揺さぶられることにここまで弱いのは、何故か。分からないしどうしようもない。


 今日は憎らしい位の秋晴れで、すこし涼やかでもありながら日光は温かい。それがまだしも救いだったのかもしれない。これが曇っていたりしていたら、陰鬱の度合はよりひどいことになっていただろう。雨が降っていたら――飛び出しはしなかったのかもしれないが、このもやもやを逃がす手段はなかっただろう。


 休憩はもう終わろうとしている。人通りはすくなくなっている。5限目の授業に向かって教室に行こうとする教師も通り過ぎる。しかし私には声を掛けられない。


「早く……帰らなきゃ……」


 5限目の授業は……生物だったか。理系は苦手であり、それがまた帰りたくない気持ちを加速させる。足が動かなくなる。しかし戻らないと自己嫌悪がさらに深まるのも分かっている。


 どうして人間は自分を嫌いになれるのだろうか。誰だって自分は大事な筈である。私も、自分を大事にしたい。自暴自棄にはなっていないつもりだ。しかしそれこそが私を苦しめる原因なのかもしれない。自分を棄てられる覚悟があれば、話は簡単だが、そこまでではない。私は陰キャとしても中途半端なのだと思える。


 予鈴が鳴った。もう考えている暇は無い。どれだけつらくとも、私はひとりで高校生活を全うする。不良にはならない。品行方正に生きていく。それは最低限の誇りを保つための意識だった。


 その筈だった。


 しかし、私がその危うい線の間で綱渡りしている所に、やってきたのは京香だった。


「ここにいたんだね。結構探したよ」

「、京香……」

「ほら、コーヒー。これで落ち着くでしょ。ホントに落ち着かなきゃいけないのは紀子だけどね」


 彼女は紙コップになみなみと注がれたコーヒーを持っている。私はぼうっとしながら、しかし、好意を無下にも出来ず、それを受け取った。ちなみにブラック無糖だった。私の好みに合っている。しかし京香はどうして私の好みを知っているのだろうか。それだけ観察されていたということか。


 そのコーヒーは、飲むと喉に沁み、胃に沁み、血管に沁み、心に沁みた。


「あんたがなんで凹んだのかは知らない。そして知る気もない」


 京香はそのまま私の隣に座る。彼女はレモンティーを飲んでいた。


 どこまでも冷静な彼女が羨ましい。佐倉京香は私には超人に思える。浦部紀子がそうであるようにだ。そんなふたりに構われていることが、私はいたたまれない。私のようななにもない、つまらない女に彼女たちはなにを求めているのだろう? しかし、嗚呼、しかしと言うべきなのだが、彼女たちの好意を私は完全に拒絶は出来ず、地味同盟などというよく分からない組織に所属している。所属しているらしい。


「……5限、始まるよ。早く教室に戻らないと」

「いいでしょ。あんたもつらいんでしょ。ならサボっちゃおうよ」


 優等生の京香がそんなことを言う。私はそれを意外だと思った。しかしその提案は蜂蜜のようなとろとろさを感じる誘惑だった。


「でも生活指導の先生に見つかったら……」

「その時はその時」


 京香が私を気遣っているのは分かる。しかしこんなしょうもないことで凹んでいる私を気遣う必要なんかどこにもないんじゃないかと思って、そしてさらに凹む。


「なんなら学校からも出ちゃおうか。私、そういうのしたことないからちょっとワクワクするな」

「京香、あたしのことはそんなに構わなくても……」

「放っておいてほしいの? ならそうするけど」


 京香は優しくも辛辣で、辛辣ながらも優しかった。


「……放って欲しくはない」

「うん。佳奈はすこしずつ素直になり始めているよ」


 京香はくすくす笑い、そしてこういう時は共通の敵を見出すことが有効だと分かっていた。つまり、彼女は紀子と桐生くんを悪し様に言い始めたのである。


「ああいうのって馬鹿だよね。桐生くんが馬鹿なのはもちろんだけど、ノリだってあんなに真に受けて怒らなくてもいいのに。あいつもまだまだ修行が足りないね。あの場所にいたくなかった佳奈の気持ち、私は分かるよ」

「あたしは、その……」

「細かいことは言いっこなし」


 飲み物はホットであり、まだまだ残暑と言ってもいい(しかし、残暑が年々長くなっているのはどういうことなのだろう)この時期で飲むには本来あまり合っていない。しかしこの時間ではその温かさが助けにもなった。


 すでに5限目は始まっている。つまり私のサボりは確定してしまった。それは無遅刻無欠席を、小学校の頃から常に続けてきた私の、初めてのサボタージュだった。しかしそれで陰鬱になると思いきや、意外にも爽快な気分になったのである。その理由は考える前に京香が説明してくれた。


「ちょっと悪いことしてると、なんか嬉しくなるでしょ?」

「そう……だね」


 彼女はなおも柔らかく笑みを投げ掛ける。私の気持ちもすこしずつ綻んでいく。見つかるのだけが怖かったが、幸いにも中庭には誰も訪れなかった。なんだか奇妙なほどに静かだった。


「佳奈はもうちょっと息抜きを覚えるべきだよ。まあ……授業サボりを常習化しちゃいけないけど」

「息抜き? あたしは、そんな」

「何事も深刻に考えすぎなの、あんたは。それで自分を苦しめてる」


 私はなにも言い返せなかった。それで満足したのか、京香はこちらから目線を外した。


 それからはしばらく無言の時間が続いた。前とは違ってそれは苦にはならなかった。しかし何故かそういった時、私は自然と口を開いていた。


「恋愛ってなんなんだろう。あたしには分かんないよ」

「そりゃお互い様ね」


 彼女には好きなひとがいるのではないか――だが私はそれには触れなかった。そのくらいのデリカシーは持っている。


「恋をするっていうのは、毒を飲むようなものなのよ」


 京香はそう言ったが、その言葉が彼女オリジナルのものではないのを私は知っていた。


「児島修一郎の『蟲毒の愛』じゃない、それ」

「知ってたか。児島修一郎なんてマイナーもいいところだからバレないと思ったんだけどなぁ」


 京香はいやに嬉しそうだった。そして私もなんだか嬉しかった。その解答は簡単である。ひとは同じ趣味を持つひとと出会ったら無闇に嬉しくなるものだ。しかし私たちは地味なのでそこでキャピキャピはしない。そもそも流行らない文学でキャピキャピ盛り上がれる訳がない。児島修一郎先生には悪いが。


 だがそれは私が先程思っていたことと一致していた。私自身その作品に無意識に影響されていたと言えば、確かにそうなのだが。


「恋をすればひとは駄目になる。男も女も同じ」

「京香は恋をしたことないの」

「ないなぁ……あったらこんなこと言ってないと思う」

「でも『恋は毒』って、恋をしたからこそ言える言葉にも思えるんだけど」

「ま、それはそうね」


 悪ガキのように授業をサボっていることも忘れて、私は京香と話し続けていた。こんなに長時間だれかとお喋りしたのも久し振りかもしれない。


 しかし、変わる為にはその毒を飲まねばならないのだろうか?


 しかし、私は本当に変わりたいと思っているのか?


 分からない、分からない、全然分からない。


「ま、私たちは桐生くんの恋路が上手く行かないように全力で願うだけね。願わなくても叶わないだろうけど」

「京香って結構辛辣だね」


 彼女は冷静な笑みを崩さない。


 そうしている内にチャイムが鳴った。いつの間にか5限は終わってしまったようだ。しかしこの中庭は時が止まったように静かであり、ようやくチャイムによって静寂が破られたのだった。


「あたし、気分が悪くなるといつもここに来るの」

「そうなんだ、じゃあ次はもっと早くに見つけられるね」

「次は無いようにするよ……」


 しかしさすがに2限続けてサボる訳にも行かない。私たちは教室に戻ることにした――といったところに現れたのが紀子だった。彼女と桐生くんの確執がその後どうなったのかは知らない。瀬島さんたちに関してはもっと知らない。


「こぉらッ! ここにいたかこの不良娘どもがッ!」

「なんであんたが先生より厳しいのよ」

「そんなことは言いっこなし! そら、キリキリ帰る!」


 そうして紀子はかなり強引に私のブラウスの裾を引っ張る。


「ちょ、ちょ、ちょっと……そんな無理矢理」

「ふへへへへへよいではないかよいではないかぁ」

「二番煎じのネタには乗らない! ていうかホント放して! 帰るから、素直に帰るからぁ!」

「それでいいのじゃ」


 そうしてなんだか甘い罪悪感に満ちた時間は終わった。そして私は紀子の顔を見た時――いや、その。


「……ひょっとしてあんた、ノリに構われなくて拗ねてただけなんじゃないの?」


 その後ろで京香がそう言った。

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