結成、地味同盟
男子校出身の作者がこんな話を書いていいのかなって。
なにかを始めるのに遅すぎることはない、という言葉がある。
それに異を唱えるつもりはない。とても含蓄のある言葉だと思う。しかし高校3年間でなにをなし得るか、という問題にぶちあった時、この言葉はあんまり意味をなさないんじゃないかと私は考えていた。
私は浦部紀子。うら若き、と自分で言わせてもらうが花の高校2年女子高生。ちなみにまだ今年の誕生日は迎えていないから16歳である。若いのはとてもいい。これが17歳になるとなんだか年寄りになったような気がするのであんまり誕生日は来て欲しくない。とはいってももう2ヶ月後には否応なく迎えてしまうのだけれど。
さて、私はこの高校2年生、その2学期を迎えるに当たってある野望を抱いていた。そんなに大それたものじゃない。私如きの小娘がなにを企んだところで、大宇宙には大した影響を及ばせはしない。しかし私にとっては重要な一歩となろう。
その前に私の情けないスペックを記しておく、身長は159センチ、体重は57キロ。今笑った奴はあとで校舎裏に来るように。だがまあ自分で公表した通りちょっと小太りであり、スタイルもよくない。不細工じゃないとは思うけれど、なんだか地味である。
地味。
このキーワードがすべてだと言っていいだろう。私は押しも押されもせぬ地味女だ。モテたことなんか一度もない。男子と付き合った経験もない。くすぶった青春生活はこれから劇的に改善する気配もない――
だがそれでいいのか!
断固として否、と私は唱える。世界を変えるのはいつだっておのれの意志、それ次第。こんなところで燻ぶっていて堪るか、という思いは募り、ずっとずっと考えていた計画を、この2学期始業式に動かそうと思ったのである。
「えー、今日から2学期ですが、まだまだ暑いので皆体調を崩さず、水分はこまめにとるように、もちろんその上で学業、部活には全力で取り組み、この二度と来ない青春を後悔することないよう努力するように!」
暑苦しい金城先生の訓示は誰も聴いていないだろう。聴いたそばから耳から耳へと抜けていく。それなりに示唆的な言葉ではあったのだが、私も大して変わらない。金城先生はそこそこ尊敬を集めている担任だが、かと言ってHR後の楽しみを待ち侘びているおばか高校生には教師の訓示など滅多に響くものではないのだった。可哀想だけど。
そして私は心震えながらその楽しみを待ち侘びていた。とはいってもそれは普通の女子高生のそれじゃない。いや、そうかもしれないけれど、違うのだ。私の野心はもっと遠いところにある。
この高校生時代、部活や恋愛などでキラキラ青春を謳歌している者は、オトナの勝手な期待に反して一握りしかいない。ほとんどの者は雌伏の時を過ごしているか、あるいはなにも考えていないだけである。かく言う私自身、1年生の頃はそうだった。地味女には地味女なりの生活しか存在しない。それで満足すべき、足るを知る――イジメに遭わないだけでもマシ(ありがたいことに我がH県立舞坂高等学校はそういうじめじめした風潮のない至って平和な校風だった)だと思わねばならない。
だが私はいっぽうで孤独な戦いを強いられてきた。いや、それを「戦い」と表現するのは烏滸がましい、という意見は分かる。だがくすんだ自分が、まるで周りから空気のように評価されている中、とくに親友と呼べる者もいなく、どこかには存在するらしいバラ色の青春を目の当たりにすることもなく、ひとりひっそりと生存しているのがこれまでの高校生活、その約1年半だった。これではいかん。キラキラした青春なんか送れるはずもないが、それでもなにか、大きなものを打ち立てたいと熱病に浮かされて盛り上がってきたのがこの2年生の頃からだった。
友達が欲しいだけなんじゃないのか?――その意見はごもっとも。その側面があるのは否定しないでおこう。だが私はもっと遠くを見据えている。
私が求めているのは友達とか、そんなものじゃない。ただの友達ならそれなりにいる。だが魂を共有している者はひとりもいない。私は――どういう言葉を使えばいいのか――そう――同志。同志を求めている。
2‐D組に編入されての1学期は、その選定に費やした。私と志を共にし、共鳴しうる者――一応最初に言っておくけれども、この同志にはハナから男子は勘定に入れていない。恋愛とかいう甘酸っぱい麻薬に飲まれるようではこの計画は成り立たない。私はあくまで女子のみによる連帯を考えていた。その上でなお恋愛が生じるとなれば……まぁ。
私は気を窺っていた。HRも終わってめいめい散らばっていくおばか高校生の中、ひとりずぅんと廊下側の席に座って動かないままの女子を見る。
私が最初からターゲットにしていた子。名前を橘佳奈という。分厚い眼鏡を掛けて髪はぼさぼさ、自分を磨くという概念をどこか銀河系の遠くに置いてけぼりにして孤独の道を歩んでいる。私調べだが彼女には友達もいない。作ろうという気配すらなかった。その陰気なオーラは誰をも遠ざけている。
しんどくないのかなぁ、と私などは思う。
しかし目立っていないが、その肉体は中々である。どうやら男子は気付いてないらしいのだけれど、彼女のおっぱいは現状クラスで一番大きい。学年全体でも上位に入るだろう。これは秘密にして貰いたいが、それが気になって、1学期のとある体育の時間に、彼女のブラサイズを盗み見したことがある。Fカップだった。しかもそれでもかなり張り裂けそうな感じだったので、もうちょっと成長すればGカップになるのではないかというほどの巨乳の持ち主。しかしこのままでは宝の持ち腐れとしか言いようがない。自己弁護しておくと私は別にレズじゃない。ただ気になっただけだ。
そのおっぱいをぶにゅりと潰し、今は机に突っ伏している。その心の中は誰にも見ることはできない。だが私は今からそこに踏み込もうとしているのだ。
「やぁ、カナちん」
いささか危険な仕掛けだったかもしれない。これまで彼女、橘さんとはそんなに話したことはない。しかもすべてがつっけんどんな姿勢だった。自分に立ち入らせない、という頑なな気持ちが感じられた。だから私は飛び道具を使わざるを得なかった。
「……は?」
橘さんはのっそりを顔を上げ、私を見る。私は私史上最高とも評されて然るべき笑顔で以て答えた。彼女の分厚い眼鏡の奥に、意外とつぶらな瞳が見える。しかし異様なほど度が入っている眼鏡なのか、残念ながらその目は小さく見えている。眼鏡っ子好きには申し訳ないが、彼女に眼鏡は似合っていないと評してよかろう。
「だから、カナちん」
「いや、浦部、さん……? あなたにそんな呼び方される筋合いなんてないんだけど」
彼女の声は非常に暗い、が、綺麗でもある。もっと意識すれば透明感のある声になるだろう。しかし彼女は意識しない。
私にもそういう時期はあった――中学生の頃だが。自分はイケてない。もっさり。煌びやかな青春は約束されていない。そう気付いた時陰鬱になったものだった。まだまだ自意識過剰なその時期、多感な時期、私はそうやって沈んでいた。しかし高校生になるととっくに開き直ってしまった。それから今。
「いいじゃん。カナちんって呼ばせてよ。私も気軽にノリって呼んでもらっていいからさ」
「距離感が間違っている……」
やつれたような目線で見る彼女。なんだかぼやっとしている。しかし私は手応えを感じていた。予想よりもきつく拒絶はされていない。きっと押しには弱いタイプなんだろうと思う。まだまだ断言する訳にはいかないけれど。
「それであたしになんか用なの? お金なら貸さないよ。あたしビンボだから」
「タカるならもっと相手を選ぶさ」
「じゃあなんで」
橘さんの警戒はまだ解けていない、とは言ってもなにがなんでも跳ね除けるといった感じでもない。いいぞいいぞ、イイ感じ。私の野望がすこしずつ現実味を帯びてくる。
「簡単に言おうか。あんた、私と同盟組まない?」
「……どうめいぃ?」
彼女は怪訝な顔をする。まあ当たり前だろうと言っている私本人が思っているのだから、橘さんにとってはなおさら不思議に思えるだろう。だがここは勢いに乗らせてもらう。
「そう、私はあんたと――あとひとり目を付けてるんだけど、みんなでこの高校生活をすこやか健康明るく過ごす為の同盟を組もうと企んでいるのさ」
自信満々な顔を作り、むんと胸を張る。橘さんに比べてたいして物量も存在しない乳なのが残念だけれども、女は、だからこそ胸を張らねばならない。
「地味同盟」
私がそう宣言すると、彼女はぽかんと口を開けた。嫌われてはいないようなのでなんの問題もない。ここから自分のペースに持ち込んでいくだけだ。
橘さんは呆気にとられたような顔をして、それから怪訝そうに眉をひそめた。意外とかわいい。だがそれはすべて想定の範囲内。
「はぁ? じみどうめい? なにソレ」
「私もあんたも押しも押されもせぬ地味女っしょ? だから地味女なりの高校生活を充実させようという遠大な計画な訳よ。これは」
「言っていい」
「どうぞ」
「あなた、アホでしょ」
そう真正面に言われると――私は照れ臭くなってしまう。
「そんなに褒めるな」
「褒めてない」
「まあいいじゃん。それにあんただって必死に隠してるけど、その本質はアホだってことを、私はつかんでいるんだからね」
「なにを証拠に」
「私のカン」
私はますます胸を張る。仁王立ちになって腰に手を当てる。こういうのはハッタリが重要なのだ。私の目論見通り、橘さんは圧倒されている。もしくは呆れているのかもしれないが、この際そこにはさほどの違いはない。
「馬鹿にしてるの?」
「そういう訳じゃないよ。むしろリスペクトしてるんだよ」
「アホって言われてそう思うのは無理がある」
「まぁまぁ」
「……あたしが地味だってのは認めざるを得ないけど」
これはいい感触でないかい? と私は思った。素直に受け入れている訳ではないが――きっと橘さんも淋しいのだそうに決まっている。私はそう決め付けてぐいぐいと迫った。
「いいっしょカナちん。野暮ったくてもいい、たくましく育って欲しいと親御さんも思っているはずだ」
「わんぱくでもいい、でしょそれ」
「わんぱくなのも否定しないよん」
会話をするというのは大事だ。そうしている内に橘さんの警戒もすこしずつ緩んでいるように感じられた。コイツ、本当は人懐っこい性格なんじゃ? と疑い始めたのは秘密。それは追々分かっていくことだろう。
そして私はもうひとりの女を巻き込まねばならない。橘さんよりはまだ友達と言ってもいい程度の関係は築いている相手。その彼女は反対側、窓側の席に座って、冷静にこちらを観察するように頬杖を突いて目線を向けている。私はその彼女に呼び掛けた。
「ほれキョーカ。あんたもこっちゃおいで」
ポーカーフェイスを崩さないまま彼女は素直にやってきた。
地味という点では彼女が一番なのかもしれない。よく言えば透明感があり、悪く言えば無色。顔立ちはよくよく見れば整っているが強烈に印象に残るモノがない。身体つきもごく普通。ちょっと細めであるしスタイルも決して悪くはないのだがやはり目立たない。おっぱいも普通。なんというか、F-22もかくやというほどのステルス性を持ち合わせた、地味オブ地味、それが彼女、佐倉京香だった。
「文芸部の活動も明日からなんっしょ?」
「そうね。私も暇だよ」
冷静沈着なポーズを崩さない京香。なんと言うかクールである。常に物事を一歩引いた目線から見ている感じがある。作家志望というから、そういう視点も必要なのかもしれない。よく分からないけれど。
新しい女が加わって、再び橘さんの警戒レベルが上がったような気がする。
「そんなに怯えるない。取って食う訳じゃないからさ」
「……別に怯えてないけど」
「私も佳奈さんとは仲良くしたいな。なんとなく趣味合いそうな気がするし」
「キョーカ、あんたもカナちんって呼んでもいいんだぞ」
「それはあなたが決めることじゃない……って言うかあなたにも認めてないし……」
「うれしいくせにぃ」
とにかくこの鉄壁の要塞を崩さないことには始まらない。それは出来るだろうと思っていたし、彼女を巻き込まねばこの計画は意味がなくなる。なんとしても崩す。
端的に言えば、地味同盟第一の目的は橘さんの更生にある。
「しかし地味同盟って、自分で言ってて虚しくならないの?」
言ったのは京香だった。
「全然ならない。むしろ誇らしいね!」
「はぁ……」
橘さんと京香が同時に溜息を吐いた。しかし強力に否定しないのであれば、すでに私のペースに入っていると言っていい。ここは一気に決めるところである。
「とにかく、諸君! 我々はひとりひとりでは無力な地味女である! しかしそれゆえにこそ我々は連帯しなければならない! 一度しかない高校生活、その青春――我々はその半分をすでに無為に過ごしてきたが、しかし!」
「私は別に無為には過ごしてきてないけど」
「そりゃあんたには文芸部があるもんね。しかしそれはともかく!」
「青春なんて……」
「決して諦めるな! 今からでも遅くはない……我々は我々の人生、その誇りを今こそ取り戻す! それが為の――私はここに地味同盟宣言を打ち立てるものである!」
私があらんかぎりの大声で叫んでいる為、場の目線がこちらに集中している。しかし気にしない。むしろ好都合である。奴等に我々の存在を周知させる為に!
「で、どないでしょ。参加してみようよ。楽しいよ」
「まぁ紀子がそうしたいなら、別に反対する気もないけれど」
「ひゃっほうキョーカちゃん超クール。で、カナちんはどうするの?」
橘さん――いやもうここは佳奈と呼ぶことにするが、彼女はかなり迷っているようである、ぐらついている。ここまでくれば彼女に断る理由もないだろう。佳奈だって――本当は友達が欲しいはずなのだから。
「……その、地味同盟ってやつ? なんか拘束することとかあるの?」
「別にないよ。たまに会合するだけでいいさ。これは魂の同盟なんだから」
私は嘘を吐いていない。神に誓って真実を述べている。地味女がゆえの誇り、魂を保ち、磨くための同盟である。
「……勝手にすれば」
「それは同盟に参加するという意思表示でよろしいね?」
「だから勝手にすればって言ってるでしょ! あたしからは以上!」
佳奈の大きな声は初めて聴いたような気がする。それを引き出しただけでも私は充分――いやいや、これだけで終わらせる気は毛頭ない。
なぜなら、これこそが我らが偉大な地味同盟の始まりだからである。




