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第7話 マリー、告白を始める

 何の因果か、息は細くてもコメルソンの頭はずっと明晰だった。

「お前のクリュニーの家だが、女の身でどうやって得たんだ」


 マリーは本来の喋り方に戻った。瀕死の男に何を隠す必要があるだろう。

「私はラテン語教師が出来ましたので、息子に官職を与えたい貴族やブルジョアの家で個人教授をしましたの。それに薬草師の腕で病人や怪我人を治療して信頼を得たら、小ぶりな土地と家くらいは手に入りましたわ」

「ずっと女ひとりだったと? 信じられん、誰の愛人にもならず、結婚もせずに?」


 彼女に薄い笑みが浮かんだ。

「師匠はジャンヌ・バレを妻にしなかった。ま、そうでしょうね。あなたは裕福な公証人の息子で、奥さまも公証人の娘でした。ジャンヌは貧しい自営農家の子だくさんのひとり、父親は署名ができない男。結婚しなくて当然ですわ」


「当たり前だ……同じ身分の同じ職業で結びつく。皆、そうやって生きている。ジャンヌは一度たりと私との結婚を考えなかったはずだ。

 ジャンヌ・バレはいい娘で、家政婦にすぎなかった……最初は……。

 だが、私の植物標本に興味を示した彼女は薬草のラテン語名を読んだ。それからだ、私は彼女を仕事の助手に育てた。素直な娘だった。農民の出らしく辛抱強く従順で、心根は純真……やがて私を慕うようになった。愛人にして何の問題がある……」

「あなたは私から彼女を奪いました!」


 コメルソンに微かな嫌悪の色が浮かんだ。

「お前はジャンヌとどういう関係だったのだ。まさか神の教えに背くような……」

「安心なさって。ジャンヌと私はレスボス島の住人ではありません。

 彼女は素直で辛抱強くて従順で、本当に良い娘でしたのに、あなたの愛人になって私との約束を破ったのです。私の一族に加わる約束を!」

「お前は弟子に裏切られたわけか。ならば、なぜ私と行動を共にした……」

「ジャンヌの願いだからです。彼女は船に乗りたかったのです」

 コメルソンはよく分からないと言いたげに首を振り、再び咳込んだ。

 マリーは薬瓶を手にした。

「お飲みになった方が楽でしょう」


 潮騒が鳴り、海が荒れ始めた。マリーは窓を閉じようとした。コメルソンは遮った。

「お前は給金をはたいてこの家を買った。海の見えるこの家を。ポート・ルイから離れたこの場所を何のために……」


「美しかったからですわ。あなたと離れ、この美しさを独りで愉しむためですわ。

 師匠、ジャンヌの心もこのように美しかったのです。無垢な少女だった彼女は無垢なまま乙女になりました。あなたの愛人になっても、あなたの子を産んで、その子を亡くしても、彼女の心は無垢でした。

 彼女を早く一族に加えておくべきでした。素直な彼女はあなたを忘れ、私との静かな暮らしを受入れたでしょうに」


「馬鹿なことを……。ジャンヌ・バレが私を忘れるわけがない。お前が彼女の親友であってもだ。

 そろそろ、自分について語るべきではないか。お前の言う一族とは何だ。借金逃れにブードゥーズ号に乗ったナッソウ・ジーゲン大公のような貴族かね」

 マリーは嘲笑した。

「師匠! あの口先だけの放蕩青年ですか! ナッソウ公爵家の嫡子でもない男! おお、嫌だこと。ヴェルサイユ宮殿の博打うちと一緒にされてはたまりませんわ!」


 このような態度は初めてだった。元気なコメルソンなら癇癪を起すところだ。

「お前は死を前にした人間をおびやかすのか……いや、それが本当の姿か」

「人間。先生のいう人間とは男のみであり、女は人間に含まれない。少なくとも男と同等の存在ではありませんね」

「お前は何の話をしているのだ。さっきからどうでもいいことで話の腰を折らないでくれ。男と女は役割が違う。女は男に従うのが世の理だ。さっさと名を明かせ」


 潮騒が激しく鳴った。高波が珊瑚礁に砕けていた。

「その前に申し上げておきます。私は無垢なジャンヌ・バレの心になって、あなたの従者を務めたました。地獄のような6年間でしたわ」

「地獄だと?」

 コメルソンは眼を剥いた。

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