第4話 病人、熱弁を振るう
箱の中身は膨大な量の植物標本だった。
「師匠、これはブラジル産ブーゲンビリアの標本箱です」
「分かっている。ブーガンヴィル大佐の名をいただいた蔓草だ」
コメルソンは足を引きずり、並んだ箱に手を置きつつ歩いた。箱の感触を冥途の土産にしたいのだろうとマリーは邪推した。
彼が狂喜した南米大陸の多様な植物、フランス島とセーシェル諸島の椰子類と香辛料と爬虫類、マダガスカル島の珍しい植物、ブルボン島(現レユニオン島)の溶岩と昆虫と貝殻、甲殻類。
それらは主従が必死で採取し、睡眠を削って最高の標本にしたものだった。
最後の箱はコメルソンが描いた緻密な図版と論文が納めてあったが、本を編む時間は残ってなかった。
彼の息が急に荒くなった。
「私の論文がパリの科学アカデミーで有効活用されるのを願うしかない……。ジャンヌ、もういい。胸が痛い」
彼女は「だから申しましたのに」のひとことを喉に引っ込めた。
ああ、もう!
助手の言い分など意に介さない師匠に付き合って6年。ロシュフォールを出航し、大西洋と太平洋を渡り、このフランス島で船を降りた。師匠はそれからもポワブル殿の支援を元に、セーシェル諸島とマダガスカル島で採集三昧。フランス島知事がデュ・スメルに代わればたちまち路頭に迷って体を壊し、このありさま!
何て難儀な男なの、コメルソン!
寝台に戻ったコメルソンの関心事は己の葬儀だった。
「司祭に告解して逝きたい。私を海の近くに葬ってほしい」
「フラック教区の司祭に頼みます。ポート・ルイ教区の司祭なら顔なじみですけど無理でしょう」
「仕方ない、哲学者ピエールは国に戻った。ポート・ルイは後任知事の眼がある。頼むだけ無駄だ」
哲学者ピエールは前任のフランス島知事ピエール・ポワブルの愛称だ。
マリーは彼を懐かしく思い出した。
「ポワブル殿があなたと旧知の仲で、ずいぶん助かりましたね」
「そうとも。彼はこの島に東インド会社の中継基地を作ったうえ、知事別邸に植物園と博物学センターを設けて香辛料と熱帯植物を栽培した。すばらしい業績だ。
何と幸運だったことか。私が『王の博物学者』として世界周航探検隊に参加した時に彼がここにいたのは神の救けだった」
マリーはコメルソンが熱弁をふるう機会を与えてしまったと後悔した。予想通り、彼は情熱的に語った。
「5年前、我々はこの島で船を降りた。ピエールは心から我々を迎えてくれた。植物園の知事別邸を住まいとして提供し、私のコレクションの保管室まで整えてくれた。彼の後押しがあればこそ、セーシェルやマダガスカルへ探検に行けた。その間もパリの科学アカデミーと連絡を絶やさず、私の給金を都合してくれた。彼も博物学のなんたるかを知る男だ。そうだろう、ジャンヌ!」
マリーは無言で肯いた。彼はさらに続けた。
「それにブーガンヴィル殿は素晴らしい指揮官だったな」
マリーは鎮痛効果を期待せず、麻布に薄めたベルガモットとラベンダーの精油をたらし、師匠の胸に当てた。
「はい、ポワブル殿もブーガンヴィル大佐も懐の広い方です。それにエトワール号のジロデ船長も。私は彼らが大好きでした。尊敬に値する方々です」
精油の香りが効いたのか、コメルソンは珍しく同意した。
「そうだ、ジロデ殿は広い船長室を私に明け渡してくれた!」




