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才能がない私の結論

作者: まうにはす

「私に才能はあるのか」

私には才能がない。


「…先輩は才能があるからわからないかもしれないんですけど…」


後輩が言ったその言葉が私の心臓に深く突き刺さった。


どんな話の最中だったかわからない。覚えていないというより、その言葉を言われた瞬間世界が一瞬真っ黒に染まったかのように話が耳に入ってこなかったのだ。


そこで私は疑問に思った。



「私には才能があるのか」



高校3年生の夏。


吹奏楽部に所属している私は大学受験のため、夏の定期演奏会を最後として部活を引退する。その1週間前、私は後輩と少し喧嘩をし言い合いになった。


私のパートはフルート。1つ上の先輩が多かった影響か、現在3年は私1人、2年2人、1年2人の計5人だ。


結局その喧嘩は互いの思い違いだったことが判明し解決している。…しかし冒頭の言葉が頭にこびりついて離れなかったのだ。




さて本題に戻ろう。「私には才能があるのか。」


私は「ない」と考える。


確かに私は中学の頃からフルートを続けており、去年、県のソロコンテストで最優秀賞を貰ったことがある。


…ただそれを才能というのは如何なものか。



ないと言い切れる理由はふたつ思いつく。



1つ目は''私がずっと努力をし続けたから''だ。


高校1年生の頃。


私は部員の誰よりも早く学校に来て自主練習をしていた。学校が開く前に来たことだってある。それは3年生になってからも続いている。…まあ、練習というより楽しいから好きで吹いているというほうが正しいのだが。それをほぼ毎日行い、時には家で吹く時もあった。


…それが続いた理由?まあそれも「好きだから」に全て集約される。好きだからたくさん吹いた。




もう一つの理由は''私が後輩に教えることができているから''だ。


私が考える才能はやれと言われたことが少しの苦労もなく一瞬で難なくできることだ。すなわち、私は才能がある者は教えるという行為ができないと考える。なぜなら、どうやればできるか考える間もなくわかるからだ。


しかし私は自分なりに教えてきた。何をどうやればできるか教えることができた。


…なぜそんなに考えたか?


…。


…それも…「好きだから」だから…だな。フルートが好きだから上手くなりたいと思った…。


ああ、そうか。


確かに''私の思う''才能はなかったんだ。


─────────────────────


拍手が聞こえる。次は私の番だ。


毎年恒例の卒部する3年生によるソロ演奏。私はその最後を飾る。


私を背後から応援してくれる後輩達。


私に才能はない。


…でも、


私には『好き』という原動力があった。


それに気づく機会をくれた後輩には感謝している。それが今の自信に繋がるのだから。


人はこれを才能と呼ぶのだろうか。

「あなたには才能がありますか?」

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