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沈みゆく怪異

 三日間の合宿から帰ってきた古谷(ふるや)弘人(ひろと)は「疲れた」と呟きながらベッドに倒れ込む。

 高校入学して初の夏合宿。それは彼にとって、とても過酷なものだったらしい。


 うつらうつらしていると、弘人のスマホが鳴る。

 新着メッセージには池尻(いけじり)直哉(なおや)の名前。彼は弘人の幼馴染であり、同じ部活の仲間である。


 メッセージを開くと『確かめに行こうぜ』と一言。弘人は「この体力バカが」と呟きつつシカトを決め込む。

 そこへ直哉から電話が掛かってきた。



 鳴り止まないそれに無言で出る。


「おい、シカトすんなよ! どうせ明日は予定ないんだろ?」


 身体を休めるために予定を入れてなかっただけで、直哉に付き合うためではない。

 怒り半分、呆れ半分で弘人は答える。


「お前どんだけ元気なんだよ」

「いやだって気になるだろ」

「そりゃ気になるけど、別に明日じゃなくても良くね?」

「今日行くんだよ!」

「は? じゃ明日はなんなんだよ」

「そりゃお前、明日は先輩に何もなかったって言いに行くんだよ」

「何のためだよ!?」

「ビビってる先輩チーッスって言うために決まってんだろ」


 直哉には悪癖がある。

 それは、人をからかうためなら努力を惜しまないということ。

 見ていて飽きないのだが、ヒヤッとすることも多い。


 そしてその悪癖は弘人にも向けられることがある。

 疲れたから行きたくないと答えると、「ヒロトさんビビってるぅー」と煽ってくる姿が容易に想像できる。

 それはそれで癇に障るので、弘人は断ることができなかった。


「ったく、何時集合だよ?」


 その声は少し愉悦を含んでいた。

 しごかれ続けて鬱憤が溜まっていたので、溜飲が下がることに期待が持てる。

 弘人も似たような性格をしていた。いわゆる、類友である。


「21時半、現地集合な?」

「少し早いな。まぁ下見してからのがいいか」

「おう、そういうこった。また家出るとき連絡するわ」


 電話を切った弘人は先輩から聞いたうわさ話を思い出す。


 それは合宿初日でのこと。

 先輩が夜に1年を集め、怪談話を披露した。




「お前ら知ってるか? 杉沼公園の池に沈む幽霊の話」

「なんすかそれ?」

「幽霊なんているわけないじゃないっすか」

「まぁ聞けって。22時ごろになるとな、そこには白い服を着た髪の長い女が現れんだよ」

「沈んでないじゃないっすか」

「バッカお前、これから沈むんだよ」

「殺人事件っすか?」


 先程から事あるごとに茶々を入れる直哉。

 面白いので好きにさせているが、度を超すようなら注意しなければと弘人は彼の隣に座る。


「ちげーよ。そいつがよ、独りで池に入ってくんだよ。そんでいつまで経っても浮かんでこねえんだ」

「潜水っすよそれ。向こう岸ちゃんと見たんすか?」

「……まぁええわ。続けるぞ?」


 先輩は諦めて最後まで話すことにしたらしい。


「それでよ、その幽霊が池に沈むまでの間にやっちゃいけねえことがあってよ。声を出してはいけない。大きな音を立ててはいけない――」

「それ、破ったらどうなるんすか」

「――その場から離れてはいけない。それを破ると呪われるらしい」


 どうやら先輩は直哉の茶々には反応しないことにしたらしい。


「俺の先輩の知り合いが実際に見たってよ。んで、大きな音出しちまったらしいんだが、先輩の知り合いと一緒に見てた奴が言うには、こっちを睨んでたんだってよ」

「そのあとどうなったんすか? 追いかけ回されたんすか?」

「でよ、先輩の知り合いはそれに気付かなかったらしい。まぁ気のせいだろってことでその場はお開きになったんだが……」

「呪われたんすね」

「そう、呪われたんだよ。先輩の知り合いと一緒に見てた奴だけが」


 先輩の顔は深刻なものだが空気が軽い。

 とても怪談話とは思えない雰囲気の中、ようやく核心に入った。


「ひと月前だったか? 杉沼公園の池で水死体が発見されたろ? あれ、その呪われた奴だったんだよ」

「やっぱり殺人事件じゃないっすか。全然怖くないっすね」

「お前のせいだろ!」

「いてっ」


 頭をはたかれる直哉。

 パワハラっすよと言い返すが、どう考えても直哉が悪い。




 この時の恨みを晴らそうとしているのかは定かではないが、先輩を小馬鹿にする気なのは間違いない。

 それに便乗することにした弘人は時間通りに杉沼公園に到着した。


「おう、やっと来たか」

「時間通りだろ」

「もう下見は済ませたぞ。こっちだ」

「はえぇな、おい」


 そうして案内されるがまま池から少し離れた藪の中までついていく。


「ここなら池全体見れるし、向こうからこっちは見えない。ほら、あの右側のベンチの辺りから出てくるはずだ」


 茶化していた割りに話はしっかりと聞いていたらしい。

 全力でからかうためには相手の話をちゃんと聞くことが重要だと直哉は言っていた。努力の方向性が残念だと呆れるばかりの弘人であった。




「そろそろだな」


 そうして待つこと20分。

 いつ出てきてもいいようにと静かに待つ。

 暫くそうしていると、それはやって来た。



 白いワンピースを着た、項垂れたままゆっくりと歩く女性。

 腰ほどまでに伸びた長い黒髪を前に垂らしている。


 弘人は思わず直哉の顔を見るが、彼は前を向いたままであった。

 まだ幽霊と決まったわけではないので、それを見極めるつもりなのだろう。


 次に弘人が目にした時は、それは池の手前まで進んでいた。

 ゆらりゆらりと小さく揺れているような、輪郭がぼやけているような――どこか覚束ない足取りの女に目を凝らす。


 よく観察すると、靴を履いていなかった。

 服も、長い黒髪も、少し濡れているように見える。

 それはどこか人とは違ったものだと感じ始めたとき――。


「ヒエッ」


 垂れる黒髪の隙間から眼だけがこちらを見ているような気がした。

 それに反応して声が漏れてしまった弘人。

 息を吸い込んだときに発せられた、声にならない声。

 しかしそれは、確実に女の耳に届けられた。


(おい、どうするよこれ)


 直哉を見ると、彼も弘人のほうを向いていた。


(あいつ、こっち見た!)


 目で伝えるが、それが直哉に届いているのかはわからない。




――チャポン



 池のほうから小さな音がした。

 そちらを見やると既に女は居なくなっていた。


 顔を見合わせる弘人と直哉。

 二人は一斉に駆け出した。




 暫く無言で走り、直哉が後ろを確認してから口を開く。


「お前なに声出してんだよ」

「仕方ねーだろ! あいつこっち見てたんだからよ!」


 弘人に振り向く勇気はなかった。


「そりゃ声出すからだろ!」

「その前の話だよ! それよりお前信じてなかったんじゃねーのかよ」

「あんなもん見せられたら信じるしかねぇだろ!」




 5分ほど走った辺りで止まる。


「はぁはぁ……部活より、キツイ」

「止まってねぇでさっさと行くぞ」

「……どこに、だよ?」

「こういう時は寺だろ」

「ちょっと、休憩……させろよ」

「クールダウンさせるときは歩けって言われただろ」


 そうして疲れた体に鞭を打って、近くの寺まで歩いていく。

 心拍数が落ち着いてきたころに先程の恐怖心が蘇り、駆け足で向かうことにした。




 インターホンを鳴らし、軽く事情を説明。すぐに住職が出迎え、部屋へ案内する。


「夜分遅くにすみません。杉沼公園で――」

「池に沈む女性、ですか?」

「知ってるんですか!?」

「はい、存じておりますよ」


 優しく微笑む住職に安堵する二人。

 どうすればいいのかを問う。


「二人とも、目が合ったのですか?」

「いえ、俺だけです」

「ならば、そちらの方は今すぐに帰りなさい。帰りが遅くなると、件の女性と鉢合わせをするかもしれません」


 その時に目が合ってしまうと池に沈められる。もし出遭ってしまっても目を合わせず、通り過ぎるまで待ちなさいと住職は告げる。


「分かりました。ヒロトをお願いします。ヒロト、明日迎えにいくからな」


 そうして直哉は帰っていった。




「では、ついてきてください」


 向かった先は離れの二階。襖引き戸の和室。

 その押し入れを開け、住職は告げる。


「この中に明日の朝まで隠れていなさい」

「それだけで大丈夫なんですか?」

「約束事を守れば無事に解放されますよ」


 住職と交わした約束は3つ。

 声を出さない。

 大きな物音を立てない。

 決して扉を開けてはいけない。


 それさえ守れば中で何をしていても問題ないのだと言う。


「件の女性は恐らく、私の声を真似して探しに来るでしょう。先日、あなたと同じ目に遇われた方がそうおっしゃっていました」

「俺と同じ? その人はどうなったんですか!?」

「念の為、2日間隠れてもらいましたが、2日目には現れることはなかったそうです。今では無事、普段通りに過ごされておいでですよ」


 どうやら助かったようだと一安心する弘人。

 そんな彼に、住職は念を押すように諭す。


「いいですか? 誰が来ても絶対に開けてはなりません。私も件の女性に見付かると危険なので、離れには近付くことはできません。部屋に入れないようお札で結界を張りますが、それすら超えてくるほどに恐ろしい相手なのです」


 そう言って住職は1枚のお札を弘人に渡す。


「扉を閉めたら必ず貼ってください。これを貼った者以外、何人たりとも開けることができなくなります」

「分かりました。何時まで隠れていればいいですか?」

「では、朝7時きっかりに迎えにきます。それ以外の時間で私の声を聞いても信じてはいけません。では、中へ」


 そうして弘人は中へ入り、扉を閉めてからお札を貼る。

 住職は部屋中を一通り歩き回ったあと、何かを呟き退出した。


(結界を張るとか言ってたし、それだろうな)


 音を出さなければ何をしてもいいと言われた弘人は暇つぶしにスマホゲームを始める。

 寝ているときに物音を立ててしまうことを避けるため、朝まで時間を潰さなければならなかった。


(人生で一番長い夜になりそうだ)





 どれくらい経っただろうか。



――ギィィ――ギィィ



 階段をゆっくりと上る音が聞こえ始める。

 最初は家鳴りかと思った弘人だが、どうやら聞き間違いではなさそうだった。

 その音は部屋の前までやって来ると、ピタリと治まった。


(大丈夫。前の人は助かったんだ)




――ガタッ



 引き戸を開けようとしてつっかえた音。

 何度か同じ音を鳴らし、それは次第に爪で引っ掻いたような音も混じりだす。


(あの女だ)


 心のどこかでは信じきれていない弘人であったが、ここにきて確信する。

 心拍数が上昇していくのを自覚した弘人は、目を閉じて心を落ち着かせるよう努めた。

 余計な事は考えず、口に手を当て鳴り止むのを待った。



 願いが届いたのか、その音はパタリと止まった。


 暫くの静寂。




――バンッ!!


 襖が勢いよく開かれる大きな音。

 驚きのあまりに体が飛び跳ねそうになる。


 グッと堪えて息を潜める。




――ザァァ――ザァァ



 床を這うような音を立て、それは押し入れの前で止まった。



(ヤバイヤバイヤバイ)


 物音を立ててしまったのではないかと弘人は焦る。

 襖のすぐ向こう、そこに奴が居るのは間違いない。


 心臓の音が聞こえてしまうのではないかというほど大きくなる。

 気付けば冷や汗も止まらなくなっていた。




――ガリッ



(襖を引っ掛かれた!!)


 既にこちらの隠れている場所は把握しているのだと言われている気がした。


(そうだ、前回の奴もここに隠れてたんだから、最初からバレてたんだ)


 逃げ道はない。

 ここで息を潜めることしかできない。

 あと、どれくらい耐えればいいのか。




――ドンッ



 音が遠くなった。




――ザザァ――ドンッ



 それは天井からだった。

 天井裏を這いずり回るような音。

 それは少しずつ近づき、やがて真上までやって来た。


(和室の押し入れって、確か……)


 弘人は気付く。

 天井裏へと上がれるようになっていたはずであると。



 お札のお陰で扉は開けられない。

 しかし、天井はどうなのか。

 押し入れは2段になっているため、確認することができない。




 弘人は気が気では無かった。

 どちらにせよ、確認できるような精神状態ではなかった。


 もうすぐそこまで迫っている。

 中に入られるのではないか。

 いっその事、扉から走って逃げてしまえばいいのではないか。




 様々な思考が頭の中でぐちゃぐちゃになる。

 耳鳴りが酷くなり、感覚のすべてが遠のいていく。

 心臓の音だけが確かに体を伝い、それ以外の何もかもが薄れていくような感覚にとらわれる。




 そんな時、階段を駆け上がる音が響く。


 音が部屋に入るや否や、住職の鬼気迫る声が弘人に届く。


「弘人くん! 無事ですか!?」


 意識がふっと蘇る。

 助かったと心の中で叫ぶ。


 襖を開けようとしたとき、住職の言葉を思い出す。


(そうだ、開けちゃダメだったんだ)


 なんとか理性を取り戻し、これは住職ではないと言い聞かせる。


「すみません、私の手違いです! 既に中に入られている可能性があります! そこはもう安全ではないので、私と一緒に来てください」


 揺れる心を必死に押さえつける。


 これは奴の罠であると。

 住職の声で騙しているのだと。

 狂乱しそうな頭で必死に堪える。




――ガタッ



 また、天井からの音。


「やはり、そこに入り込んでいるのですね!? 弘人くん! 私ではその扉は開けられません! 既に結界は破られているはずです!」


 震えるその手でスマホを握り、音を立てないよう貼ったお札に光を当てる。

 それを見た弘人は声を上げそうになった。



 焼け焦げ、書いてある文字は認識できないほどにボロボロになっていた。




――ガタガタガタッ



 天井からの音が激しくなる。

 弘人はもうどうしていいのか解らなくなっていた。



 そもそも、この住職は本当に信用できる人物なのか。

 貼ったお札は既にボロボロ。

 中に入り込まれていると言っている。

 しかし、絶対に開けるなとも言われている。


 何が正解で、何が不正解なのか。

 正気を失った弘人は矛盾に気付かぬほどに錯乱していた。




 目を瞑り、必死に念仏を唱える最中、弘人の頭にこちらを睨む女の顔が浮かんだ。


「ヒエッ」




 声を上げてしまった。

 息を吸い込む音にまぎれた微かな、しかし、確かに聞こえる小さな悲鳴。


「弘人くん!? もうダメです、私と一緒に逃げましょう!」


 約束を破ってしまった。

 これではもう助かる道はない。

 ならばせめて、住職と一緒に逃げるべきではないのか。

 結界の破られた押し入れの中に居ては退路すらない。




 必死に答えを探す彼は、その声に救いを求めた。

 襖に手を掛け、勢いよく開けた。






「――イッショニ、イコウ?」

連載中の『底無し魔力の召喚士』も本日(2024/07/13)更新予定です。そちらもよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 外に出ても問題無いという確証を得る手段が実質無いというのはこの手の話にはよくあることだけれども、お坊さんの色々と説明不足なところが、お約束的なものなのか、わざとなのかなど、など、色々後に効…
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