第97話 「二階だし死にゃしないだろ……たぶん、きっと」
円形テーブルの縁が床を叩き、アイスコーヒーは『赤い塔』を茶色に変える。
ナポリタンは窓にベッタリと貼り付き、ステンレス皿が本体より先に落下。
その皿が「くわぁーん」と間抜けな音を立てると、バカネコ――たぶん、水津が言ってた『犬猫コンビ』のネコの方が、助走をつけて頭から飛び込んできた。
着地のことを考えていない、勢い任せのダイビングヘッドバットだ。
「くぁっ――フッ!」
顔面を狙った頭突きを仰け反って回避し、ネコの腹に膝を突き込む。
「おっとぉ、おぁああぁあんっ!?」
咄嗟に体を丸めて腹を守ったネコだが、体が軽すぎるせいか俺の反撃の勢いを殺せず、変な声を発しながら数メートルを横転。
しかし、そこからすぐに起き上がって、サッと背中に右手を回す。
次の瞬間、ネコの手には短めのバールのようなものが握られていた。
長さや形状からして釘締め、だろうか――まさにバールのようなものだ。
「ワンちゃーん! コイツ強ぇんだが!?」
「だなぁっ!」
いらんことを考えていると、ネコが怒鳴ってイヌが吠える。
イヌの様子を確認すれば、鉄製の椅子を引きずっているのが見えた。
二人とも、多対一の戦闘にも凶器攻撃にも迷いがない。
中坊の不良といえば、一対一とか素手喧嘩に幻想を抱いてる年頃なのに、嫌な感じの現実主義者だ。
ネコが武器をクルッと手の中で一回転させ、握り直すと同時にスタートを切った。
体は小さいが一歩が大きく、軌道が読みづらい走りをする。
ネコが攪乱して隙を作りイヌが痛撃を入れてくる、みたいな連携かな――
その予測を裏付けるように、ネコは椅子を経由してテーブルの上に乗る、トリッキーな挙動を披露。
それに視線を奪われたのを見越して、イヌが鉄の椅子をアンダースローで投げてきた。
ダーンッ――ガンッ、ゴトッ――
大きな音の後に、硬質な音が二つ続く。
椅子は伏せた俺の頭上を通過し、背後のガラスに衝突して全面にヒビを入れた。
反動のついたそれは、床を滑ってコチラの至近までやってくる。
椅子の脚を掴んで身を起こし、テーブルを経由して宙を舞っているネコに向けて横殴り。
狙いをつけない雑な一閃が、振り下ろされたバールのようなものを弾く。
バランスを崩したネコは、コケずに着地したがノーガードで棒立ちだ。
「ホラ、返すぞっ!」
引き戻した椅子を正面に突き出し、背もたれでネコの首を刈る。
しかし野生の勘が仕事したのか、後ろに跳ばれてしまい威力が足りない。
「んぐっ――ブォエッ、ゲヒュ――」
手応えはイマイチだが、ある程度は効いたらしくネコは激しく咽せる。
店内で進行中の乱闘に、三人の客は急ぎ足で退散し、ウェイトレスも姿を消す。
マスターは通報するでもなく、腕組みして推移を見守っているようだ。
場所が場所だけに、こういう喧嘩騒ぎなども日常茶飯事なのか。
悶絶する相棒から凶器を受け取ったイヌは、ブリーチしすぎの髪をザッと掻き上げ、外見に似合わぬ慎重さでジリジリ距離を詰めてきた。
「おい、お前らの飼い主は雪枩か?」
「違ぇよ……ただのバイトだ、バイト」
律儀に答えながらも、イヌは俺から目を離さない。
位置取りの上手さといい、この歳で随分と喧嘩慣れしている。
おそらくは、大輔の取り巻きの大部分より経験豊富だ。
環境がそうさせたのか、自ら望んでそうなろうとしたのか。
どちらにせよ、速やかに人を狩る戦法が確立されている様子から、二人の荒んだ生活が想像できてしまう。
「バイト、ねぇ……俺に賞金が懸かってるっていう、アレか」
「ソレだ。怪我したくねぇなら、大人しく捕まんな」
「そっちこそ、ここで引くなら軽い火傷で済むぞ」
「ハァ? 火でも噴くのか――よっ!」
顰めっ面で言い捨てた後、イヌがバールのようなものを振りかぶる。
もしかして比喩表現が伝わってないのか、と思いつつ進むか退くか迷う。
攻撃の予備動作にしては、動き始めるタイミングが早すぎるな。
その違和感が生じると同時に、視界に多数の夾雑物が出現。
イヌは手にした工具で、傍らのテーブルの上を薙ぎ払っていた。
塩や砂糖の瓶、ナプキン立てやプラ製マドラーなどが、無秩序に飛んでくる。
「狙いはいいが、ヌルいっ!」
飛んでくるモノが当たりそうになれば、人は反射的に回避か防御を試みる。
とにかく避ける、顔などを庇う、慌てて後退する、停まって受け流す、みたいな反応が一般的だ。
なので、戦闘時の投擲は直接的なダメージを与えるだけでなく、相手の動きをコントロールする手段としても効く。
だが、反射行動を抑制する訓練を飽きるほど重ねてきた俺には効かない。
「おおぉおぅっ!?」
当たっても問題ない、と強引に前へ出て間合いを潰すと、イヌが疑問符のついた呻きを漏らす。
こちらを足止めした状態で、奇襲に近い一撃を入れる作戦だったのだろう。
イヌの恨みがましい表情を無視し、バールのようなものを持った手を捻ると、足払いをかけて床へ俯せに押し倒した。
「ふぉべっ――ぁじゃななななななっ!」
極めた右腕を更に捻って、肩関節への負荷を高めていく。
するとイヌは、壊れる二歩手前くらいで武器を手放した。
無駄な我慢強さは意味がない、というのを本能的に理解しているようだ。
安全策を採るなら、このまま利き腕を使用不能にした後、どちらかの膝を砕いておくべきだが――
「ワンちゃんから離れろっ、ヤブガミッ!」
呼吸困難から回復したネコが、喚きながら疾駆してきた。
こういう場合、黙って仕掛けないと相手に余裕を与えちまうぞ――
ついそんなアドバイスをしたくなる、感情任せにしか見えない突撃。
イヌの手を離し、右脇腹に一発叩き込んで、素早く腰を上げる。
直進していたネコの姿が消え――いや違う、また上からだな。
「どぅらぁああああっ!」
「落ち着きがないって通知表に――」
低い位置まで吊り下がった照明を足場に、ターザン風味に空を切るネコ。
バキブチブチバリッ――と天井の方から不吉な音がする。
そして照明のケーブルを手放し、ミサイルキックの如く急降下。
「――毎回書かれるタイプだろっ!」
言いながら一歩だけ横に移動し、直撃を避ける場所に立つ。
「あゃっ? ちょっ、まっ――」
体重が軽すぎるから、命中しても然程ダメージはなさそうだ。
というか、空中からの攻撃は隙が大きくなりすぎるな。
そんなことを考えつつ、降ってきたネコの胴体をキャッチした。
「ふんんっ!」
「ぬぁ……んっぷぁ!」
タイルの床に脳天から落とすと、暴れネコはやっと大人しくなった。
この犬猫コンビ、体格が「細い」と「小さい」なんで単純な戦闘力は脅威とは言い難い。
たぶんコイツらの本領は、攻撃の際に手加減ゼロだったり、自身の安全を考慮しなかったり、周辺の被害を気にしなかったりの、通常は減点対象な部分にあるのだろう。
要するに、狂犬キャラとかバーサーカーとか、そういう感じのアレだ。
俺のそんな分析は間違ってないようで、痛烈な肝臓打ちをブチ込んでおいたイヌが、バールのようなものを手にコチラに接近してくる。
「バカネコに、触んじゃねぇ……」
「なら最初から修羅場に連れてくんな。そんで武器を捨てろ」
ついでに、大事な相手だったらバカ呼ばわりはやめろ――
と、続けて注意しようとするが、額に脂汗を浮かせたイヌは止まらない。
「何が砂場だ……遊びじゃ、ねんだよっ!」
いかん、イヌの語彙が貧弱で「修羅場」が伝わってない。
仰向けで意識を喪失したネコが邪魔なので、窓際まで退いてスペースを確保。
さて、イヌはどう出るかと待ち構えるが、俺を睨んで歩を進めている。
どうやら今回は、正面切っての勝負を希望しているようだ。
八回分の呼吸の後、互いが一歩を踏み込めば届く距離まで到達。
何をしてくるかは三択だろう……普通に武器で攻撃か、武器に意識を向けさせて足技、そうでなければ――
「すあぁっ!」
気合の声と同時に、至近距離からバールのようなものを横投げ。
どうやら、三つ目の選択肢が正解だったようだ。
回転しながら飛んでくる金属棒を屈んで遣り過ごせば、どこからかナイフを取り出したイヌが迫ってくる。
やっぱり、さっき折るか壊すかしておくべきだったな――
そんな反省をしながら、突き出される腕を取ってアーム・ホイップでイヌを浮かせた。
「なっ――ぼぁあああああああああああああっ!」
ガラスの割れる騒々しさに、窓を突き破ったイヌの絶叫が重なる。
そこまでやるつもりはなかったが、椅子に直撃されてヒビが入った状態では、二度目の衝突を受け止められなかったらしい。
イヌの姿が消えた後、「ドンッ」と鈍く大きな音が響いて、叫び声は途絶えた。
「二階だし死にゃしないだろ……たぶん、きっと」
花粉と多忙に負けて更新ペース乱れ気味で申し訳ありません……




