第96話 「は? 誰? 何?」
「じゃあ、姉さんと綾子をよろしくな」
「おう……ケイの方は、迎えはいいのか?」
「話の終わる時間が読めないし、気にせんでいい」
簡単な連絡手段がないってのは、やっぱり不便だな。
改めてそう思いつつ、駅前のロータリーから走り去る芦名のラルゴを見送る。
桐子に面会の仲介を頼んだ、綾子と同じ事務所のタレント蓼下。
すぐに時間を作ってくれたのはいいが、夕方以降って条件を無視して三時を指定してきたり、俺の自宅の最寄りではなく高校の最寄り駅がいいと主張したりと、微妙に引っかかるムーブを披露してくるのは何なんだ。
そこまで無理のない注文だし、俺の方が合わせるのは別に構わない。
だが些細な変更すぎて、ワザワザ言ってくる必要あるのか、との疑問は残る。
もし何の理由もなく、交渉の主導権を握れるかどうかの様子見だとすれば、蓼下ってのはやや面倒な性格の持ち主なのかも。
ギャラも出すのに、意味わからん敵愾心を発揮されるのは勘弁してもらいたいが――
「駅周辺だと、学校関係者に遭遇する可能性がな」
遅刻したのか早退したのか、神楠の制服を着た男子生徒が歩いている。
蓼下とは、駅で落ち合った後で適当な店に入る予定になっていた。
見られても特に問題はないだろうが、避けられるリスクなら避けておこう。
周囲に人が多いと、変に聞き耳を立てられたりの危険もある。
なので、駅周辺や駅前商店街ではない場所が良さそうだ。
となると、商店街を抜けた先の『赤地蔵エリア』手前で店を探すべきか。
こっちの方まで来るのは、様子のおかしい瑠佳を追跡して以来だな。
まずないだろうが、『赤地蔵連合』を名乗っていたアホ共が戻ってきている可能性もあるから、あのビリヤード場も確認しておくか。
そう考えながら赤茶けた地蔵の前を通り過ぎ、相変わらず落ち着かない雰囲気に満ちた地域へと足を踏み入れる。
やたらアチコチからの視線を感じるのは、俺に絡んでカモれるか、カツアゲできるかなどの値踏みをしているのだろう。
「もうちょいラフな格好の方が良かったか」
作業服から着替えているが、人と会うのを考えてアイボリーのシャツに黒のチノパンという、だいぶ落ち着いた組み合わせだ。
こんな格好で夜にココを歩いたら、五十メートル進む間に三回はトラブる。
昼から無茶をしてくるヤツはそうそういない、と思いたいがこの辺を徘徊してる連中に常識は通用しない。
来たら来たで撃退するだけだが、返り血を気にしながらの殴る蹴るは面倒だ。
「看板はそのままだな」
ドアの上には『ライクライブ』と相変わらず盾を食われそうな店名が。
一方で、ドアの前にはゴチャッとゴミが積まれ、荒れた気配を感じさせる。
古タイヤや塗料の一斗缶など、ビリヤードと関係なさそうなものも目立つ。
そして壁には『嶷災同盟』という文字が赤と黒のスプレーで大書されている。
ぎょくさいどうめい、と読むのだろうか……野々村たちの敵対集団の名だとすると、もうココはあいつらの拠点ではないのだろう。
ともあれ、俺や瑠佳を狙ってきそうな連中が消えたのは喜ばしい。
しばらくその場にいたが、視線が刺さってくるだけで、誰も接触してこなかった。
店の前を離れて駅方面に歩き始めると、だいぶ離れて尾けてくる気配が。
隠密行動している様子もないので、単に進行方向が同じなだけか。
一応、確認のためポケットを探るふりをして立ち止まり、路上駐車された錆だらけな軽トラの、サイドミラーに目を遣った。
コチラに合わせて小柄な人影も立ち止まり、電柱の貼り紙を見ていた。
誤魔化し方が下手だが、接近しすぎて俺に警戒されるよりはマシ、と判断したならそこそこな頭の回転だ。
オーバーサイズの変なTシャツと、砂漠用っぽい迷彩のハーフパンツ。
体格からして、小学生か中学生だな――単体での危険度は低そうだ。
しかし、監視や偵察が目的ならコイツを送り込んだヤツがいる。
赤地蔵エリアの自警団的な存在なのか、或いは俺を標的にしているのか。
「不安要素は潰しておくべき、かな……」
口の中で呟いて歩き出し、周囲をそれとなく観察する。
何か起きるか試してみるのに、適当な場所はないかどうか。
営業しているようだが、何屋なのかわからん窓のない店。
シャッターが半開きの、落書きとポスターに塗れたセミ廃屋。
看板全体が黒テープで消された、壁がヒビだらけのビル。
どこもかしこも、人が立ち入るのを全力で拒絶しているようだ。
地蔵の近くまで戻ったら『喫茶 ラージュドール 2F』の看板が。
一階が質屋だな、とは認識していたが喫茶店には気付かなかった。
道端に看板を出しておいて、破壊されてないのはここらじゃ稀だ。
ということは恐らく、近隣から特別視されている店なのだろう。
ならば、赤地蔵エリアの住人もそこまで無茶はしてこないはず。
そんな推測に従って、ビルの二階に通じる階段を上っていく。
「……お好きな席へ」
黒いガラスドアを押し開けると、愛想のない男の声に出迎えられた。
初老と呼ぶには若干早い感じのマスターと、年齢不詳のウェイトレス。
マスターの坊主頭は七割方が白髪、ウェイトレスはツインテールで咥え煙草だ。
店に入ってすぐの壁に、ダリの代表作であるトロけた時計のアレ――『記憶の固執』の複製画が飾られている。
ということは、店名もブニュエルの映画『黄金時代』からか。
四人掛けのテーブルが三、二人掛けのテーブルが六、それとカウンターに六席。
合計三十人が収容できる店内の客は、ランチタイムなのに俺を含めて四人のみ。
四人席を一人で使い、スポーツ新聞と野球雑誌を豪快に広げている中年男。
二人席に向かい合って座り、顔を寄せて小声で語り合っている若い男女。
あまり景気がいい雰囲気はないが、ビルの持ち主が採算度外視でやっているとか、そういうタイプなのだろう。
「イラっしゃいマセー」
入口が視界に入る二人席を選ぶと、不思議なアクセントのウェイトレスが氷水とメニューを持ってくる。
外国人なのか訛りが強いだけなのか、化粧の濃すぎる外見からは判別不能。
やけに立派な作りのメニューだけど、品数はそんなでもない。
コーヒーはブレンドとアイスと本日のオススメのみ、他は紅茶やココアなどだが、値段からしてこだわりの逸品が出てくる可能性は皆無だろう。
食事系はトーストにピラフにナポリタンと、いかにも喫茶店らしい品揃え。
ココで昼食も済ませるか、と決めてメニューを閉じ、横の壁に並んだ小さな額を見る。
くの字に配置された三点の絵は、それぞれ『ユビュ王』『赤い塔』『不許複製』とシュルレアリスムの有名作のポストカードだ。
色々と拗らせてそうなマスターだな、と思いつつウェイトレスを呼び、アイスコーヒーとナポリタンを注文する。
トイレに行った後、カウンター脇に置かれたマガジンラックから、見たことない雑誌を抜き出して席に戻る。
ちなみに、トイレには案の定デュシャンの『泉』の写真が貼ってあった。
適当に選んだ薄い雑誌は、不定期刊行されているミニコミ誌のようだ。
アートや演劇について、展覧会の案内やら作品の評論やらが載っている。
書き手は知らない名前ばかりだが、俺の知識がないのでそもそもの知名度がわからん。
読者投稿欄では、ココでしか通用しないであろう、暗号めいた言葉が飛び交う。
そういえば飴降の家で見つけたのも、こんな感じのミニコミだったな――
「おまタセしまシター」
そんなに待たされることなく、コーヒーとナポリタンが運ばれてくる。
コーヒーを飲んでみると、可もなく不可もない、ごく普通な感じだ。
というか記憶にある味なので、パック入りのをグラスに注いだだけだな。
ナポリタンは無駄に大盛りだが、僅かな千切りピーマンと数個の輪切りソーセージが見えるだけで、具の自己主張に乏しすぎる。
フォークで巻き取って口に入れると、想像した通りの味が舌を染め上げた。
タバスコや粉チーズを駆使してケチャップ味の暴力と格闘していると、半分ほど消化した頃に二人連れが店内に入ってきた。
こんな喫茶店が俺以上に似合わない、中学生くらいの子供らだ。
マスターも客として扱うべきか迷ったのか、案内の言葉を口にしない。
男二人か男女か不明だが、片方は服装からして俺を追っていたヤツと思われる。
トラブルへの発展を予感して、食事を中断して口の周りを紙ナプキンで拭く。
「あっ、いた! アイツだよワンちゃん!」
「ワンちゃんって言うな、バカネコ」
バカ呼ばわりされた、背の低い方――俺の監視をしていた方でもあるが、そいつが小走りに近付いてくる。
髪が長めの男子か、髪が短めの女子かわからんが、あまり健康そうな雰囲気ではない。
「あんた、ヤブガミケイト……だよね?」
「は? 誰? 何?」
何だこのガキは、感を全力で放出してトボケれば、質問してきた子供は首を傾げながら相棒の所に戻る。
そして、写真と俺とを何度か見比べてから「やっぱヤブガミじゃん!」と声を荒らげ、さっきより高速でコチラに駆けてきた。
相手の表情から「攻撃前の助走」と判断し、床を蹴るようにして席から離脱。
俺が左に跳んでから半秒後、バスケットシューズの靴底がテーブルを引っくり返し、派手に騒音を撒き散らす――
とうとう5桁の大台、1万ポイントを突破しました!
今後も5万・10万・1億と2000を目指してやっていく所存なので、引き続き応援のほどを!
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