第95話 「いっぺんに6リットル以上は命に関わるらしい」
富田の懇願は一旦シカトし、芦名に拘束させたまま尋問の準備に入る。
血や糞尿で汚すと綾子がブチキレそうだが、どうしたものか。
そういう空気になったら風呂場に移動するか――と考えつつ数枚のフェイスタオル、数本のボールペン、盗聴器探しに使ったラジカセなどをリビングに持ち込む。
それらをテーブルに置いた後、工具箱からペンチやハンマーや半田ごてを選び出して並べると、富田の顔は真っ白になっていた。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ! 何する気だよっ!?」
「……何をされるんだろうなぁ」
「ぜっ、全部説明するっ! 訊きたいことあれば、それも全部答えるし!」
軽めの脅しをかけただけで、富田は必死の形相で言い募った。
訊いてもない秘密まで白状してきそうな、怒涛の前のめり感だ。
芦名の眉根が寄っているのは、富田の醜態に対してなのか、それとも俺の演技に対してなのか。
手振りで富田を下ろすよう指示し、タオルで両足首をキツめに縛る。
「絶対逃げないから、縛ったりはナシにできません?」
「一回逃げようとしたヤツが言うと、説得力がある」
「いや、あれは自分でも……ぅぬぁ!? やめやめ、やめてって!」
富田の抗議を流し、もう一本のタオルで目隠しをする。
床に転がすとジタバタもがくので、腹に加減した蹴りを入れた。
「んぉっ――」
「今のお前に大切なのは、正直になることだけだ」
そう告げれば、細かく頭を縦に振って応じてくる。
やはり、察しの悪いアホに道理を教えるには体罰が一番だ。
未使用のテープをラジカセにセットしていると、いつの間にかリビングの外に出た芦名が手招きするので、作業を中断してそちらに向かう。
引き戸を閉めた芦名は顔を寄せ、小声でもって質問を投げてきた。
「あいつ、放っといてもベラベラ喋るだろ?」
「だろうな」
「なら拷問とかそんなん、する必要なくねぇか」
「実際にやるかどうかは二の次で、されるかもって恐怖で舌が滑らかになる。目隠しするのも、不安感を増大させるための仕掛けだな」
「おぉ……そういう感じか」
簡単に説明してやると、芦名は納得した様子でゆっくり頷いた。
実際に暴力を行使しなくても、態度と外見の圧で物事を解決できた経験があるからか、芦名の理解は意外と早い。
「ただ、簡単に喋るけど内容がデタラメなパターンもある。これが地味に厄介なんで、全面降伏した相手の言葉でも鵜吞みにはできない。意図的に嘘を混ぜることもあれば、そいつが与えられてるのが偽情報ってことも」
「完全に追い詰めた状態でも、予想外の反撃をされる危険は残るって話か」
「だな。トドメの一撃を入れたつもりが、脛に短刀を刺されるとか」
俺との勝負を引き合いに出せば、返事に窮した芦名が顔を皺だらけにする。
そんな芦名の肩をパンッと叩き、引き戸の先を指差しながら言う。
「まぁ、今回は血が出ない尋問のやり方のレクチャーだと思ってくれ」
二人分の足音で俺らが戻ったと察知した富田が、ビクッと大きく身を捩る。
パーカーのフードを掴んで上体を起こすと、コチラから命じる前に素早く正座の姿勢を取った。
ワリと余裕あるのか、と思ったが全身は震え、歯がカチカチ鳴っている。
どうやら、完全にテンパッて本能で動いているようだ。
俺はラジカセの録音ボタンを押し、静かな声で富田に問う。
「さて、と……じゃあ一通りの説明を頼む。ココで何をしてたのか、今までに何をしたのか、誰に頼まれたのか、報酬に何を得たのか……片っ端から全部だ」
「は、はいっ! 今日この場に来たのは、珠萌――いや、武谷さんの私物を持ち出すのが目的、でしたっ」
「パンツ盗むために、ワザワザ合鍵まで作ったのか?」
「じゃなくて……ここ来たのも指示に従っただけ、なんですよ」
一問一答をやってると、無駄に時間がかかる気配があった。
なので、発端から現在に至るまでの流れを語らせることに。
そもそもは半年ほど前、TV局の楽屋で有名女優の私物を漁っている姿を盗撮され、それをネタに脅迫されて相手の言いなりになっていた、のだそうだ。
脅迫者の要求は、基本的に綾子に関するアイテムや情報の収集。
テールラリウムを脱退する直前くらいから、脅迫者から手紙で指示が届けられるようになり、富田はそれに従って色々とやってきたと語る。
具体的には、仕事の一環で撮ったポラロイド写真の、メイク前だったり下着が見えていたりのNGショットの入手。
楽屋や事務所で誰かと一緒の綾子が、愚痴やら文句やら言う様子の録音。
そんな写真やテープの他に、細々した私物や個人情報なども、求められるまま脅迫者に指定された私書箱に宛てて送った……という具合に富田の自白は続く。
「盗聴器を仕掛けたのも、お前なのか」
「はい……引っ越しの手伝いをしてた最中、部屋に誰もいなくなるタイミングがあったから、留守番するって名目で残ってチャチャッと」
「合鍵はいつ作ったんだ」
「それは……わかりません。半月くらい前に送られてきて、侵入は今回が初なんで……」
そこから、綾子の他のテールラリウムのメンバーについてや、OTRエンターテイメントの内情などへの質問を投げるが、事件と関係しそうな話は出てこなかった。
どうやら富田は、ストーカーの黒幕ではなく、黒幕に使われる雑魚のようだ。
説明に違和感はないし、口調や態度も演技して怯えている雰囲気はない。
なので、ここで切り上げても99%問題ないと思われる。
だが、僅かでも破滅の可能性を残すよりは、完璧を期するべきだろう。
「とりあえず、知ってることは全部話した感じ、なんですけど……」
「そうか。でも、コッチは本当に全部かどうか、判別できん」
「それは……そうでしょうけど、そこは信じてもらうしか……」
「お前の信用度、ねずみ男とか呂布とかと同レベルだぞ」
そう告げると、富田は「そんなバカな」と言いたげに愕然とする。
ナチュラルで悪党な疑惑が高まったので、もうちょい締め上げておくか。
「風呂場まで運んでくれ」
「えっ、風呂? 何でっ? 何すんでっハゥん――」
芦名に抱え上げられ、懲りずにジタバタともがく富田の顎に一発、無言で右フックを入れて黙らせる。
バスタブには湯が残っている――当然ながら既に冷め切っているが。
そこにシャワーで水を足しつつ、意識を飛ばしてタイルの床に転がる富田の鼻の穴に、シェービングクリームをガッツリ流し込む。
数秒後、鼻と口から濃い泡を吹いて意識を取り戻した。
「ぬぅっぷぁ!? ぅげっぽ、ぶぇひんっ!」
「俺が納得するまで、知ってる情報を喋り続けろ」
「だばっ、だからっ、もう全部話したって――ぁうぐぅうううっ!」
またフードを掴んで起こした富田をバスタブに寄り掛からせ、指の間にボールペンを挿んで指先を強めに握る。
地味で古典的な拷問法だが、古典になるだけあって威力は保証済みだ。
十数秒続けた後で握った力を緩めたが、富田は喚いたり喘いだりするばかりなので、ボールペンを一本増量して再開した。
「んぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
シャワーの水音が、汚い悲鳴に掻き消される。
こういう光景に慣れているのか、脱衣場にいる芦名は無表情だ。
同じ手順を繰り返しながら、合間合間に「どうだ?」と一言だけ問う。
何度かやっていると、富田は細々とした無駄情報を吐き散らかした。
隠し事があってこれなら、中々に優秀な秘密保持能力と言えるが。
バスタブが満杯に近付いたので、水を停めてシャワーヘッドを取り出す。
「これ以上は無意味か」
「だっ、だからもう……知ってることはぜっ、全部っ……」
「いっぺんに6リットル以上は命に関わるらしい。だから、あんま飲むなよ」
「なっ、やめっ――ぉごぼぼぼぼぼっ、ぼぶぼぼぼっぶぇ、ぐぃべべべっ」
富田の足を抱え、頭からバスタブに突っ込んで放置。
二十秒ほどで引き上げ、新情報が出てくるのを待つ。
しかし、咳込むばかりで何も言わないので、再びバスタブに沈めた。
三回目に引き上げると、嗚咽混じりに秘密の暴露を始める。
残念ながら、コチラが知りたい秘密ではないのでまた水中に逆戻りだ。
そんな質疑応答を三十分ほど繰り返すと、白目を剥いた富田は鼻血を垂れ流し、ピクリとも動かなくなってしまう。
「血が出ないやり方、じゃなかったのか」
「コイツが貧弱なボウヤなだけだ……しかし、ロクな情報が引き出せなかったな」
「脅迫のネタは、女優の口紅を乳首に塗りたくったり、肛門に突っ込んだりしてる最中の写真だった、とか知りたくねぇにも程があるんだがよ」
ウンザリしながら言う芦名に、俺としても同意するしかない。
意味がありそうな話といえば、正マネージャーの米丸と事務所の社長が、アイドルの扱いを巡り対立状態になってるとか、綾子から容疑者の一人に挙げられたカメラマンの下浦に、何かやらかしたとの噂が流れているとか、そんな辺りか。
「この変態はどうするんだ?」
「もう使い道がないな……合鍵を没収して、事務所に回収させよう」
「不祥事になるから、警察にも通報できないか」
「まぁ、上手いこと業界の闇が包んでくれるだろ」
そんな話をしながら、俺と芦名は撤収の準備にかかる。
にしても、今日はやることが多い……次に控えている蓼下との面談の前に、一休みしたい気分だな。




