第94話 「選択の余地なしの二択やめろ」
芦名の待つコンビニまで戻り、ラルゴの後部座席へ乗り込む。
スライドドアを開けた瞬間、溶けたチーズの匂いがムワッと漂う。
運転席から振り返った芦名が、ブリトーを片手に訊いてきた。
「早かったじゃねえの、ケイ……飴降は不在か」
「ああ。しょうがないから、使えそうなモンだけ盗ってきた」
持ち出した諸々を詰めた箱を振れば、ガチャガチャ音が鳴る。
どこまで役立つかわからないが、自分の勘を信じるとしよう。
「次に行くのは、佐久真珠萌のマンションだったな」
「珠萌――綾子が何日か留守にしてるから、ストーカーの方で動きがあるかもしれん。むしろ、何かやらかしてんのを期待したい」
「ボロアパートよりも、侵入の難易度は数ランク高そうだが?」
「何で違法行為が前提なんだよ。鍵を預かってるから問題ない」
芦名の話に応じながら、薄緑の作業着から灰色の作業着にチェンジ。
今まで着ていたのは宅配便っぽいデザインで、替えたのは水道や電気の工事をしそうな雰囲気のものだ。
デザインは大差ないが、色の違いでだいぶ印象は変わってくる。
着替え終えて助手席に回ると、芦名が午後の紅茶を二本見せながら言う。
「どっちにする? ミルクティーだと俺の飲みかけだが」
「選択の余地なしの二択やめろ」
そういえば、この頃はまだ500ミリのペットはなかったか、と思いつつ黄色の缶を受け取った。
駐車場から出た車は、ナビをしなくても問題なくルートを選んでいく。
目的地までの道すがら、飴降の部屋への侵入方法や部屋の様子を語る。
ついでに『焼き破り』や『打ち破り』といった、オーソドックスなガラスの割り方も伝授しておいたが、芦名の体格だと活用できる場面は少なそうだ。
「そろそろ着きそうだが……車はどうする」
「来客用の駐車スペースがあったはずだから、そこに」
「俺はまた、車内で留守番コースか」
「いや、今回は一緒に来てくれ」
芦名の暴力が必要になる場面はないだろうが、色々な状況に放り込んで経験値を上げておきたい。
マンションの駐車場に着くと、二台分ある来客枠は一台分が空いていた。
隣に停めてあるチョロQみたいな軽は、ホンダのトゥデイだったか。
カモフラ用の工具箱を提げ、芦名と共に綾子の部屋がある五階に向かう。
「ぬぉ、これは……」
「住人も管理人も不在だから、もうメチャクチャだな」
505号室の周辺環境は、前回見た時よりも爆裂に悪化している。
ドアの横に置かれた花束は半ば枯れ、事故現場に供えられたものをパクってきたような雰囲気。
壁の落書きは雑に書き殴られたのではなく、わざわざ文字を切り抜いた紙とか板を用意して、そこにスプレーを吹き付けてある丁寧な仕事ぶり。
書いてあるのが『死』『呪』『殺』とかの禍々しさでなければ、その芸の細かさを評価したいところだ。
ドアにはまた貼り紙が復活しており、糊でベッタリとくっついている。
内容はラブレターなのか恨み言なのか判別不能で、真剣に読んでいると脳が何かに侵蝕されそうだ。
床の赤インクのシミは、前より広く鮮やかに――なっているような。
そして、ドアを開けるとすぐ目に入る場所には、首をもがれ服を剥かれたリカちゃん人形が二体、ビニール紐で括られブラ下げられていた。
「こんだけグチャグチャだと、他の部屋から通報されたりしないのか」
「被害者本人が警察に相談しても雑に流されたし、言っても無駄なんだろ」
俺からの冷めた返事に、芦名は腕組みして吊られた人形を睨む。
その人形はわかりやすく異様だが、注目すべき点は別にありそうだ。
ドア周辺に散らばった、いくつかの封筒――宛名がなく切手もない。
これらは、絶え間なく送られてくるストーカーの手紙だろう。
俺が犯人の立場なら、たぶんドアの隙間に挿む程度の工夫はする。
予感を確かめるためノブを握り、ゆっくり回してからそっと引く。
カッ、チャ――
まったく抵抗なく、ドアが開いてしまった。
鍵のかけ忘れ、ってことは流石にないだろう。
細い隙間に耳を近づけ様子を窺うと、確実に誰かいる感じの物音が。
もう少し開いて中を覗けば、廊下の奥にあるリビングに繋がる引き戸のガラスに、人影がチラチラと透けていた。
そして玄関には、男物らしい黒が基調のスニーカーが雑に脱いである。
俺の表情で状況を察した芦名が、ジェスチャーで「突っ込むか?」と訊いてくる。
何だかんだ手っ取り早い手段だが、もし相手が手練れだった場合、突入時の足音で人数を察知されたり、迎撃態勢を整えられる危険が。
なのでコチラからは「玄関で待て」と無言で指示し、静かに屋内へ侵入。
リビングに接近すると、部屋の中から下手糞な口笛が聞こえてきた。
完全に油断してるな――そう判断した俺は、勢いよく引き戸を開け放つ。
「プュピェ――」
口笛を途切れさせた男が、あり得ないものを見た表情で俺を凝視する。
黒いパーカーとジーンズを着用し、二十代前半から中盤といった年齢。
中肉中背、短めで暗めの茶髪、一重で薄い眉と低い鼻、顎の左に大きなホクロ。
屈んだ男の前に置かれているのは、口を開けたドラムバッグ。
中身はよく見えないが、花柄のブラがハミ出している時点で有罪確定だ。
男が硬直したまま微動だにしないので、仕方なく俺から状況を進める。
「何してんだ、お前」
「なっ、何もかもっ……」
「いや、何もかもってホント何なんだ。下着泥棒か」
「泥っ、違っ――つうか、お前こそ誰だよっ! 不法侵入だろっ!?」
「新日本電気保安協会の方から、本日この時間に漏電検査に伺います、とお伝えしてあるはずですが」
言葉遣いを少しばかり丁寧にし、適当な社名を述べながら工具箱を突き出すと、男は戸惑った様子を強める。
俺の言葉や態度を不審に思いつつも、自分も怪しさ加減ではいい勝負なので、切り抜け方に悩んでいる様子だ。
「どこの協会か知らんけど、普通はチャイムとかノックとか、すんだろが! いきなり上がり込んでくるって、常識的にありえねぇだろ!」
「何度もしたし、呼び掛けたんですが反応がなかったので……それにしても、こちらの契約者は武谷綾子さま、と聞いていたのですけど、アナタは?」
「オレは、その……そう! しばらく家を空ける綾子に頼まれて、私物を取りに来ただけなんだ。検査とかはよくわからんから、後日改めて来てくれるか」
「なるほど……綾子からそんな話聞いてねぇけど、お前マジで誰だ」
ポケットから出した鍵を指先で回しながら言えば、男の顔がぶにょっと歪む。
特徴的すぎる、キラキラしたタコのキーホルダーに反応したので、多分コイツはこの鍵が綾子のものだと知っている。
思いがけない外道が釣れたな、と思っていると男が不意に跳ねる。
そして俺の横を擦り抜け、猛スピードでリビングから飛び出した。
あまり機敏に動く印象はなかったが、火事場の馬鹿力的なアレか。
「うぉごっ!?」
数秒すると、玄関の方から短い悲鳴が響く。
「ぼぁ、ふぐっ、にんっ――」
続いて、呻き声と喚き声を足して二で割ったような奇声が。
見れば、首を鷲掴みにされた男が宙に浮いている。
芦名に捕獲され、致命的な「高い高い」を堪能している状況だ。
「それ、こっちに運んでくれ。首は折るなよ」
そう告げると、芦名は男を羽交い絞めにしてリビングに連れ戻した。
吊られ続け抵抗する気力も失ったのか、されるがまま項垂れている。
俺はそんな相手のポケットを漁り、持ち物をテーブルに並べていく。
ジッポライター、ケントマイルド、数本の鍵、二つ折りの財布。
鍵の一本は真新しくて、俺が綾子から預かっているものと瓜二つだ。
財布の中にある免許証を抜き出せば、見覚えある苗字が記されていた。
「富田隆之……『テールラリウム』のマネージャーが、元メンバーの部屋で何してんだ」
正体を見破られたショックなのか、富田はブルッと全身を大きく震わせた。
ゆっくり顔を上げた富田は、俺を数秒ほど見据えた後で目を瞑り、長い溜息を吐いてから言う。
「説明、させてくれ……ください。とりあえず、下ろしてもらえると……」
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