第83話 「わかってる、ケツを拭く手の方だろ」
「お出口は左側だぜ、薮上ぃ!」
ピアス野郎が声を張り上げると、十人ほどの乗客が何事かとコチラを見た。
迷惑そうだったり、怯えていたり、不快げだったり。
反応は千差万別だが、ネガティブな感情のみで構成されている。
「わかってる、ケツを拭く手の方だろ」
俺がインド式の左右確認法で答えれば、ドアから蹴り出そうと左脚が飛んでくる。
いや、飛んでくると表現するのは烏滸がましい、何とも緩い一撃。
躱すのも簡単だが、相手の数が不明なのでまずは一つ減らしておこう。
「とっ、おゎんっ――」
細い体格から繰り出された軽いミドルキックを、左足首を捉えて阻止。
そのまま右腕を跳ね上げると、呆気なくバランスを崩したピアス野郎は、尻から床に転がって背中も打ち付ける。
受け身すらまともに取れないのに、どういうつもりで喧嘩を吹っ掛けてくるのか。
そんな質問をぶつける代わりに、右の靴底を顔の中心を狙ってぶつけた。
「にゃんっ!」
可愛げゼロの鳴き声を発したピアス野郎は、ぐにゃりと脱力して動かない。
乗客たちは、数秒間で起きて終わった出来事を理解できていない様子だ。
理解されて非常ボタンを押されても困るので、発車ベルに合わせてホームに出る。
先程の大声で召喚された二人との距離は、目測で十メートルと十五メートル。
「ホームに落とすのと、車両にぶつけるのはナシだ」
やったら大騒動になるので、リマインドのため自分に言い聞かせた。
単純に戦闘不能にするなら、そこらへんが最適解ではあるのだが。
左前方から走ってくるのは、タイダイ染めのシャツを着た茶髪。
それに右後ろから続く、開襟シャツを着た肩までの長髪。
巻き込まれそうな通行人はいない――と確認してバッグを手放し、地面を蹴って左に向かって駆ける。
「はぁああんっ!?」
予想と違う反応だったのか、俺のダッシュに抗議の声を上げるタイダイ。
そのままか一時停止するかを迷って、半端な速度にスローダウンする。
まったく身構えず、息を切らしながら、隙だらけの姿を晒して。
こんな絶好のシチュを提供されたら、コチラとしてもやるしかないだろ。
「ウィィィィィッ!」
「ふんぐっ――」
完璧な形でもって、首を刈り取るラリアットが決まった。
思わず雄叫びが出てしまう、クリティカルが約束されたタイミング。
モロに食らったタイダイの両足は宙に浮き、体を半回転させてマット――もとい、ホームに沈んだ。
今の俺じゃあ『ブレーキの壊れた軽トラ』程度の威力だろうか。
そんなことを思いつつ、足を止めずに次の目標へと移る。
「ちょっ……待て、待てっ!」
「待たん」
「だから、おいっ――」
両手の平を前方に突き出し、突撃を制止しようとするロン毛。
どんな事情があるにせよ、人は一発入れてからの方が素直になる。
なので、まずは殴るか蹴るかして大人しくさせるべき、だな。
「おまっ、とまっ!」
俺に無視されたロン毛は、肩を押さえての強制停止を試みる。
呆れるほどモッサリした動作で、緊張感ってものがまるでない。
「シッ――フンッ!」
伸びてきた右手を取って引き倒せば、ロン毛はバランスを崩して前のめりに。
そしてガラ空きになった腹へ、走ってきた勢いを乗せて膝を突き上げる。
「んぎっ」
短く呻き、腹を抱えて蹲ったので、しばらく行動不能だろう。
そう判断した俺は、小走りで戻って放置したバッグを回収。
タイダイが白目を剥いているのを確認し、悶えてるロン毛の髪を掴んで顔をコチラに向けさせる。
「で? 何の用だってんだ、お前ら」
「だっ、だからっ……ぶふっ、げぁ……それを伝っ、えにっ……」
「随分と荒っぽいエスコートだったが、何様のお呼びだよ」
「……うぅ、うぶっ」
最低限の話は通じるタイプなのか、ロン毛は無駄な反論をしてこない。
掴んだ髪を手放すと、嗚咽のような咳を何度か繰り返し、呼吸を整えた後で話を続ける。
「お前に話がある、と……ぼぇっ……二年の、水津さん、がっふ」
「駅のホームで待ち伏せて『オハナシ』でもないだろ」
「とにかく、見つけたら……連れてこいって、言われてっ」
ここでバックレると、毎日こんな騒動になりそうな予感がする。
面倒クサいにも限度があるが、クサい臭いは元から断たねば。
「どこに来いって?」
「改札前に、行けば……わがっ、おぶぅろろぅえっ!」
「おっ、と……掃除する駅員の気持ちも考えろ」
ロン毛が吐き出した汁気の多い吐瀉物を跳んで避け、階段を上がって改札のあるフロアに向かう。
わざわざ探すまでもなく、独特の気配を放っている集団が確認できた。
神楠の生徒らしいのが五人――いや、他校の制服を着た女子もいる。
だいぶチビっこい雰囲気だが、メンバーの誰かの恋人だろうか。
「あっ! います、あそこっ!」
周囲に視線を巡らせていたヤツが、俺に気付いて指差してきた。
くすんだ金髪で、リアルなカエルがプリントされたTシャツを着用。
そんなピョン吉の声に反応し、周りの連中もコチラに目を向ける。
バットを担いで肩をポンポン叩いてる坊主頭……野球部か。
柔道とかラグビーとかやってそうなガタイの、イカツい筋肉デブ。
その中心にいるのが、前髪だけ立たせた懐かしい髪型のニヤついた男だ。
「あー、ったく……エラい待たせてくれんじゃないの」
水津らしきそいつは、俯いている女生徒を片手で抱き寄せ、短い葉巻の煙を吹きながら言う。
「学校で待ってろよ、先輩。出席日数足りねぇと、来年は俺からクン付けで呼ばれるぞ」
「噂にゃ聞いてたが、マジでムカつくガキだなぁ、オイ……」
俺がガキならお前らもだろ、と定番の反論をカマしたくなる。
それはさて措き、水津の抱えた三つ編みのチビッ子は何だ。
デカめの小学生か小さめの中学生にしか見えないが、こんなのも関係者か。
しばらく眺めていると三つ編みのチビッ子、略してミツコがチラッと俺を見る。
その潤んだ瞳からは、明確に「助けて」のメッセージが伝わってきた。
事情はよくわからんが、とりあえず確認しておいた方がいいだろう。
「ところで、そこのはアンタの彼女なのか?」
「あぁ? んなワケねぇだろ、寝惚けてんのか」
「じゃあ、どこの誰だよ」
「知らん。ただ、テメェをボコるのに、使えるだろってな」
人質にして俺を無抵抗にする、とかそういう目的か。
しかし、まったく知らんのを連れて来てどうする。
汐璃と間違えて攫ったとも考え難いし、何なんだ。
「そっちこそボケてんのか。まったく知らん相手だぞ」
「だろうな……でもなぁ、コレが誰だろうが関係ねぇ」
「俺はもっと関係ないだろ。煙草じゃないハッパでもやってんのか?」
「赤の他人でも何でも、お前が逃げたり逆らったりしたら……この女をボコる。鼻を潰して、前歯は全部折って、頭は丸坊主だぁ。そんで額にナイフで『肉』って刻んで捨てる」
「ウヒヒヒヒッ、チビスケだからそこは平仮名で『にく』だろ」
下っ端っぽく笑いながら、野球部はしょうもない提案を口にした。
水津はつまらなそうな表情でシガリロを吸い、斜め下に向かって煙を吐く。
甘ったるい煙を吹きかけられ、ミツコがゲフゲフと苦しげに咽る。
動揺が表に出ないように注意しつつ、なるべく冷たい調子で訊き返す。
「……意味あんのか、それ」
「さぁて、な……だけどなぁ、お前が逃げたら明日もまた別のがボコボコだ。そんで、哀れな犠牲者にこう告げんだよ。『こんな目に遭ったのは、神楠高校一年三組、薮上荊斗ってヤツのせいだ』ってな。明日も逃げたら、明後日も同じことをやる。ずっと繰り返し繰り返し、犠牲者は増え続ける」
キメ顔の水津は、準備していたらしい長台詞をスラスラと述べる。
理不尽極まりないカスの理屈だが、困ったことに今の俺には効果的だ。
にしても、朝から散々ストーカーの対処してきたのに、昼になったら自分のストーカーと対峙するハメになるとは。
夜にはまた別のストーカーに遭遇しかねんな、と思いつつ問い返す。
「……それで、俺にどうしろってんだ」
「最後には病院の手術台か霊安室に行ってもらうが……おい、連れてけ」
水津の指示で筋肉デブが俺の背後に回り、ピョン吉と野球部は左右の斜め前方に陣取る。
そんな三人に囲まれて連行されていると、前から中年の駅員が歩いてきた。
だがそいつは、俺と目が合うとサッと顔を背け、不自然な早足で擦れ違って消える。
なるほど、雪枩の威光はまだ残っていて、手下として知られているコイツらも野放しか。
「残念だなぁ、薮上……駅員サンにゃ、お前が見えないらしい」
振り返って水津に応じようとするが、筋肉デブが顔芸で威嚇してくる。
心配事は色々あるが、まずは昼休みまでに登校できるか、だな……
ネット小説大賞で本作は2次選考を通過……できませんでした!
そんなこんなで若干ヘコんでいる私を元気づけたいと思ってくださる方は、評価やブックマークでの応援をよろしくお願いします!
レビューや感想もお待ちしておりますので、こちらもお気軽に!