第82話 「尋ね人は俺なんだろうなぁ、やっぱり」
とにかくもう、このマンションに残るのは危険しかない。
居場所がわかっているのだから、ストーカーの監視は続く。
盗聴器が見つかったと知れば、間違いなく次の手を打ってくる。
そこで犯人が選ぶのは、直で乗り込んでの実力行使な可能性も。
だから一刻も早く、貴重品だけ持って安全な場所に隠れるべき――
危機感を煽る文言を混ぜながら、逃走と避難の計画を進める。
「――というワケで、まずは荷物をまとめてくれ。現金と貴重品、通帳と印鑑、それと身分証明書。あとは最低限の着替えとか化粧品……ああ、仕事道具もいるか」
「うっ、うん」
「移動のことも考えて、荷物は旅行用の鞄かトランク一つに収める感じに」
「んー……難しそうだけど、頑張ってみる」
事態の深刻さを飲み込んだようで、綾子は緊張の面持ちだ。
リビングを出て行く綾子を見送った鵄夜子が、俺の方へと向き直って言う。
「ありがとね、荊斗……絶対ヤバいからってあたしも説得してたんだけど、あの子まるで聞いてくれなくて」
「アイドルやってるにしては、色々と心配になる警戒心のなさだな」
「そうなの……善意を信じすぎてるっていうか、悪意に鈍すぎるっていうか」
「環境が良かったのか運が良かったのか、芸能人にしちゃ珍しいタイプだ」
俺の言葉に、姉さんは長々と溜息を吐く。
「事務所が、アヤちゃんたちテールラリウムのこと、かなり大事にしてたみたいで。広告戦略をシッカリ練って、アイドルとして格を落とす下品な仕事は避けて、メンバーそれぞれに合わせた企画で売っていこう、って手間隙かけてくれてた、って」
「そんだけ大事にされて、どうしてグループを抜けるオチに?」
「どうもねぇ、事務所なのか出資者なのか、どっちが原因かは不明だけど、いきなり方針が変わったらしくて。キャラに合わないバラエティにバンバン出したり、めっちゃ胡散臭い企業のCMに出演させたり、ライブツアーを中止して映画を撮ろうとしたりで、だいぶ迷走してたみたい。でもって、その映画もエッチぃシーンが売りの小説が原作だとか」
「そいつはまた……」
ありがちではあるが、何ともやりきれない話だ。
アイドルに限らず、無理解な方針転換や無神経なテコ入れによって、それなりの人気や売上のあったアーティストやクリエイターの仕事をブチ壊し、回復不能のダメージを与えて潰した例は枚挙に暇がない。
恩義を優先して従っても、自分を守るため逆らっても、傷や溝が深々と残る。
なのに、そんな悲劇が繰り返される理由の最たるものは、横から手出し口出しをしてプラスの結果になれば、それが手柄として評価されるから。
他人の才能をチップにギャンブルしてるような連中には、それが意識的にせよ無意識にせよ救い難い邪悪さを感じてしまう。
その昔――いや今からすると未来だが、好きだったバンドが珍妙なコンセプトでのアルバム作りを強いられ、キレた主要メンバーが脱退して解散に至った、という個人的な恨みもある。
「アヤちゃんがもう無理だと思ったのは、妹分的なグループを作って、その子たちを争わせる企画が進んでるのを知ったから、なんだって」
「それは、わざわざ仲悪い演技させる筋書きがある、とかそういう?」
「じゃなくて。新グループの方はとにかく大勢いて、メンバー間でランキングを決めるようなシステム、だったかな? まぁそんな感じの」
「つまり、人気投票をやるのか」
「そうそう。CDに投票ハガキをつけて、ファンが名前書いて送るの」
なるほど、これは引いてしまうのも無理はない。
一見すると、人気を可視化して内部で対立させるシステムがシビアすぎる、って点だけが問題のように思えるが、もっとデカいのが潜んでる。
「推しのために大量買いを推奨してるんだな」
「えっ? おしん?」
「いや……一押しのメンバーに投票するために、CDを何枚も買わせたいんだろ」
「おっ、よくわかったね。アヤちゃんもそこに気付いて、この企画を担当するプロデューサーを問い詰めたんだけど、テキトーに誤魔化されて……そこでプッツンと」
「リングシューズのヒモが切れた?」
「テリーマンはどうでもよくて。まぁ、アレだね……不信感が高まってたところに、トドメの一撃が来たってこと。悪意に慣れてないから、阿漕な商売が異様にドギツく思えたのかも」
数十年後に猛威を振るう手法の亜種を閃くとは、この二周目には中々のアイデアマンがいるようだ。
もしかすると、一周目でも似たような先行企画は存在していたけど、特に話題にならなかっただけかもしれないが。
ともあれ、脱退を巡ってのゴタゴタが想像よりマズいようなので、ストーキングの事務所関与説は更に濃厚になった。
「綾子さんから、もっと詳しい話を訊いといた方がよさそうだ」
「うー……ぅん? 話って、何の」
荷物選びに悩んでいるのか、綾子が唸りながら隣室から出てくる。
小脇にゴツいノートPCを抱えて――いや、年代的にラップトップのワープロか。
「仕事関連のことを色々と。他のメンバーとか別のグループとかも含めて、現状に関わりそうな情報がもっと欲しい。たぶんだけど、ストーカー本人かその協力者は、綾子さんにかなり近い立場の人間だ」
「やっぱり、そうなんだ……そんな気はしてたけど」
「独断と偏見でいいから、現時点で犯人になりそうな人はいる?」
直感というのも馬鹿にならないので、一応は確かめておこうと訊く。
綾子は視線を宙に彷徨わせ、アイドルにあるまじきシワシワの顔面を形作った。
「アヤちゃんヤバい、その顔はヤバいって」
「んー……そんなことする人はいない、って思いたい……でも怪しもうとすると、誰も彼もが怪しく思えてくるなぁ」
鵄夜子のツッコミをものともせず、険しすぎる表情で綾子は悩む。
放って置いても答えは出なそうなので、軽めの助け舟を出すとしよう。
「なら重要参考人は後回しにして、容疑者になりそうなのを三人、選んでみるのはどうかな。あくまでも仮で、深く考えずに」
「あ、それなら……うん。そうだなぁ、やりそうかどうかより、やれるって意味だとアシマネの富田くん。カメラマンのシモさん――下浦さんは、事務所を通さない仕事とか、業界の大物が来るお酒の席とか、そういうのにしつこく誘ってきてイヤだったな……あとは、違うとは思うんだけど、もしかするとって意味で、みんみん」
「同じグループの人だっけ。フルネームは?」
「守鶴麻実。守る鶴に、麻の実」
分福茶釜の守鶴和尚に、狸穴のマミか。
「いかにもタヌキっぽいな……それはそれとして、どうして容疑者に?」
「偶然とか、気のせいかもなんだけど……みんみんにしか言ってないはずの話が、何でか他のメンバーに伝わってたり、ファンの人たちがネタにしてたり、みたいなことが何度かあって……確かめてないから、実際どうだったかはわかんないよ?」
「まぁ、現状ならその程度でも疑うには十分だ」
その後、俺たちも手伝って脱出用の荷物をまとめさせ、電話で呼んだタクシーに綾子と鵄夜子を乗せて送り出した。
安全な避難場所を用意できるか問題があったが「いくつか心当たりがある」と姉さんが言うので、ここは任せてみる。
精神的には疲れているが、体力的には大丈夫そうなので、シャツだけ着替えると大遅刻しての登校のため駅へと向かう。
都心と逆方向に向かう電車は乗客も少なく、着いた先の駅も昼前の時間帯だし人影は疎ら――なハズが、やけに神楠の制服姿が目立つ。
その制服は改造されていたり着崩していたりの、独特な気配を纏っているのが殆どで、髪型も含めたコーディネートは確実に不良テイスト。
そんな連中が五人ほど、見張るように探るようにホームをウロウロしている。
「尋ね人は俺なんだろうなぁ、やっぱり」
雪枩の手下の二年……羽瀬だったか。
アイツを便所でブチのめした時、取り巻きにいたヤツの顔がチラッと見えた。
電車から降りずにスルーして、次の駅で折り返してバックレる手もある。
どうするか迷っていると、車内に乗り込んできたピアスだらけの金髪が、俺に気付いてホームに向かって叫ぶ。
「いたぁっ! 薮上、いぃましたぁっ!」
声に反応して、少し離れた場所にいる二人が走ってきた。
選択の余地が失われたのを悟り、席を立ってピアス野郎との距離を詰めていく。
コイツも、体育館裏で俺を囲んでいた中にいた覚えがある。
どう転んでも厄介事だが、何はともあれ回避は不可能らしい。