第81話 「夜道でウェディングドレス姿のおじさんに遭遇」
あっという間に遠ざかっていくハイゼット。
その後ろ姿を睨んでいると、入れ替わるようにゴミ収集車がやってきた。
車体を横目で見つつ屈伸運動してみるが、膝に痛みは残っていない。
足首を回したり、小さくジャンプしても違和感は出ないようだ。
逃げられはしたが、無駄な怪我を負わなかっただけでもヨシとしよう。
「まったく……もうちょい頑張れっての」
収集車から降りてきた中年の作業員は、道の真ん中に転がるゴミ袋を拾うと、ブツクサ文句を言いながら荷台に放り込んだ。
すまんな――と思いつつも余計なことは言わず、作業員に綾子の部屋から持ってきたゴミを手渡した。
念のため、袋が回転板に飲み込まれるのを確認して、収集車から離れる。
「さて、戻る前に……」
車内から何で撃たれたのか、何を射たれたのか、それを調べておかねば。
飛翔体の着弾したと思しきブロック塀を観察すると、くすんだ表面に一か所だけ真新しい欠損が。
その下を見れば、コンクリート片に混ざって鈍い金色の何かが転がっている。
菱型というか、鋭角なフォルムの八面体だ。
「こりゃ金……じゃないよな。真鍮か」
ゲームで使う八面ダイスより一回り大きいくらいの、金属製の塊。
爪で擦り、手の中で転がして、重さや材質を推測する。
銃弾という雰囲気でもないので、これを何らかの道具で飛ばしてきたようだ。
撃たれる前にギュッとかギッみたいな音を耳にしたから、おそらくはスリングショットの類か。
「地味な武器だが、侮れないんだよなぁ」
投げナイフやブーメランを使うヤツは流石にいなかったが、スリングショットや吹き矢、それに投げ矢を使うヤツとは時々カチ合った。
音が殆どしない、持ち運びがラク、偽装が簡単などの利点もあるが、威力や効力も中々どうして油断ならない。
毒を仕込んでくるパターンも多くて、とにかく厄介との印象が残っている。
その金属弾を回収し、綾子の部屋に戻るためエレベーターへと向かった。
「ストーカー犯は、少なくとも三人はいる集団……でもって盗聴器を仕掛けた犯人が、あいつらと別にいる可能性、か」
ゴチャついた状況を整理しようと、疑問点や不審点を声に出していく。
エレベーターに同乗者がいれば奇行すぎるが、今は俺だけなので問題ない。
撃退したオタクから強奪した財布を取り出し、中身を素早く確認する。
現金が一万七千円、身分証明書は見当たらず、レンタルビデオの会員証、ゲームショップのポイントカード、ラーメン屋の煮卵無料サービス券などしか出てこない。
それでも、会員証から『飴降毅』という氏名は判明した。
「アメフリ……アメフル? 名前はタケシかツヨシか、どっちだ」
仮に飴降としておくが、珍しい苗字だから特定しやすいだろう。
個人情報の管理が甘いこの時代なら、電話帳から辿り着くのも簡単だ。
世間全体の危機感の足りなさが、この面倒な事態を呼び込んだ元凶でもあるが。
それはさておき、別ラインのストーカーの存在はどうしたものか。
あの部屋に盗聴器を仕掛けられる人間、となると――
「外部からの侵入者じゃなくて、関係者だろうなぁ……」
よくあるパターンではあるが、身内の犯行を暴くのはいつも気が重くなる。
依頼されて調査し、犯人を特定したのに恨まれる、ってオチも何度もあった。
引っ越しを手伝った事務所のスタッフや、合鍵を持っているであろう不動産屋や管理人が犯人なら、動機もわかりやすくて話も簡単なんだが。
「悪意ベースじゃなくても、それはそれでメンドくせぇ」
マネージャーの仕業なら、言い方は悪いが「商品管理」の一環かもしれない。
アイドルの恋愛発覚は、タレント生命を即死させかねないイベントだ。
なので素行を探るための監視は、倫理的な部分を無視すれば合理的と言える。
事務所が用意した寮から強引に抜けてきたようだし、会社としては綾子を野放しにしたくないのが正直なところだろう。
長い溜息を吐きながら五階に着いたエレベーターを降り、505号室の前へ。
トッ、タンッ、トットッ、タンッ――トッ、タンッ、トットッ、タンッ――
ノックでさっきと同じビートを刻むと、今度は四ループ目の途中でドアが開く。
チェーンのかかった隙間の向こうに、早朝よりだいぶマシな顔色になった鵄夜子が現れ、数秒後に鍵が外された。
「御苦労御苦労。何も、変なことなかった?」
「ああ、特に問題はない……ゴミも回収された」
仲間の車に轢かれていた、飴降の姿を思い出しながら答える。
襲撃については、不安を過剰に煽る予感もあるので、伝えるのは後回しにするべきだろう。
危機感が少なすぎるのも問題だが、多すぎても判断を誤らせかねない。
姉さんの後についてリビングに入ると、綾子がラジオを高く掲げてウロウロしていた。
寝不足と興奮で目がバキバキなのもあって、絵面がだいぶヤバい感じだ。
「あー……とりあえず、休憩しながら作戦会議しとこうか」
「んんっ!? そんな悠長なこと言ってる場合じゃ――」
「いいから、ストップだよ。うるせぇラジオ止めて、頭のネジを締め直して」
「緩んでないっ! これがいつも通りっ!」
「いつもそれはマズいでしょ……アヤちゃん、ちょっと一息入れよ」
乱れた髪を鵄夜子に軽く掻き回され、綾子はストンとソファに腰を下ろす。
俺はノイズを垂れ流すラジオのスイッチを切り、さっきと同じ位置に。
冷蔵庫をゴソゴソやっていた姉さんは、また飲み物を用意しているようだ。
程なくして、ポストウォーター、スプライト、午後ティーと統一感のない三本を抱えて戻り、ラジオの横に置いた。
懐かしのポストウォーターを選び、俺は冷えた缶を額に当てながら言う。
「かなり危険だってのは理解してるだろうけど……ぶっちゃけ、どの辺だと思ってる? 一が昼間の歌舞伎町、十が斧もったピエロが襲ってくるとして、十段階で」
「基準がわかりづらい! ねぇ荊斗、危険度が五だとどんな感じなの」
「夜道でウェディングドレス姿のおじさんに遭遇」
「それは七ぐらいあるでしょ」
「七は高速を走ってたら隣車線のリアカーに抜かれる、だな」
「それはアラレちゃんでしょ」
姉弟でディスカッションしていると、そもそもの質問対象だった綾子が答える。
「四、いや……五かな」
「いやいやアヤちゃん、ウェディングおじさんの方がヤバいって」
「甘い。綾子さんも姉さんも、事態を甘く見すぎ。現状の危険度は、八か九だ」
「そっ、そんなに? でも、直接に何かされたりもないん、だし……」
俺の人相が悪くなっているのに気付いたのか、綾子はトーンダウンする。
アイドルのファンだと、ライブやイベントで狂った距離感や愛情表現をしてくる連中も少なからずいるだろうし、綾子は色々と麻痺してそうだ。
感覚をリセットしないとマズい気がするので、ここは丁寧に説明するか。
「まず一つ、デカい勘違いがある。直接的な接触や攻撃がないのは、それを『できない』んじゃなくて『やらない』ってだけだ。相手は綾子さんの住所も電話番号も知っていて、玄関のドアをノックまでしてる。その気なら放火でも、誘拐でも、殺害でも、たぶん軽々と成功する……これは大袈裟に言ってるワケじゃない」
「だけど、やれるのにやらないのは『できない』と一緒なんじゃ?」
「全然違うって、姉さん。犯人は、綾子さんの生殺与奪の権を手にした状況を楽しんでる。感情を混乱させ思考を操縦して、自分の思い通りに翻弄するのを。で、対象を支配下に置いたと確信したら、ストーカーの行動や要求は大抵エスカレートする」
更に悪化した状況を思い浮かべたのか、綾子がブルッと全身を震わせる。
同じような想像をしたであろう鵄夜子は、両の蟀谷を揉みながら言う。
「このままだと、遠からず最悪の事態まで辿り着く、ってことね」
「ああ。いくつか分岐はあるが全部バッドエンドだ。しかも、コチラは反抗の意志を明確にするつもりだから、犯人が攻撃を仕掛けてくるのは不可避。そんなこんなで、解決するまではちょっとばかり刺激的な毎日になるかも」
既に攻撃と反撃で一ターン目が終了しているのだが、それを伏せて告げる。
すると綾子が、意を決したように深く頷いて答えた。
「どんなにドタバタしても、今よりはマシだよね」
それはどうかな――と言いかけたのを飲み込んで、インチキくさい笑顔で応じる。
俺の表情から色々と読み取ったらしい鵄夜子は、やんわり肩パンを入れてきた。
何はともあれ、まずは安全から程遠いこの部屋からの移動計画だな。