第8話 「死んだ方がいいけど、死んでない」
「ともあれ、一人でこんな場所に来るのは、ちょっと無謀がすぎるな」
「それは、その通りなんだけどさ……でも、私が逃げちゃったら妹が……」
「ああ、プチサメ子が標的にされる、って展開もありえるな」
「汐璃ね、汐璃。プチサメ子いうな」
言われてみれば、そんな名前だった気がする。
最後に会った頃が四歳か五歳だから、今は小学三年か四年くらいか。
名前的には、コッチの方がピンク髪っぽいな。
「しかしなぁ……小学生の誘拐はリスク高すぎてヤクザも避けるんじゃないか」
「私もそう思ってたんだけど……もう半分くらい誘拐されてる感じ、なんだよね」
「んん? 半分誘拐ってのは、よくわからん。どういう状況だ?」
俺の質問に、瑠佳は唇を引き結んでギリッと歯軋りをする。
言いたくない――いや、言葉にするのも不快、とかそんな感情か。
「あの元チチオヤ……私に連絡してくる前から、こっそり汐璃に会ってたみたいで。ファミレスなんかで食事しながら『離婚はママの浮気のせい』とか『家族を忘れたことはない』とか『また一緒にみんなで暮らしたい』とか、あの子にデタラメ吹き込んでたの」
「それは、本人から聞いたのか」
「ううん……汐璃の日記を読んだら、書いてあった」
まぁまぁの蛮行を平然と告白する瑠佳に、思わず視線の温度が下がる。
「だって、いきなり『パパと一緒に行く』なんてメモを残して姿を消したら、調べられるトコは全部調べるでしょ、そりゃあ!」
コチラが引いているのを察してか、両手を振りながら言い訳する瑠佳。
「確かにそうだな。昨日から帰ってないのか、ひょっとして」
「そうなの……ママは夜勤だったから、まだ気付いてない……もし知ったら間違いなくパニック起こすよね。警察に連絡しても、汐璃が父親と一緒とわかったら……」
「事件にならない、だろうな」
ここから二十年くらい経つと世間の意識も変わるが、この頃はまだ「家族間の誘拐」という案件の認知度は無きに等しい。
いくら危険を訴えたところで、家庭内のトラブルとして事件未満で処理されるのが精々で、大半は「お互い、ちゃんと話し合って」と諭されて終わりだろう。
瑠佳の表情が、泣きそうな感じに歪んでいく。
デキる男なら、こういうタイミングで優しく抱きしめたりするのだろうか。
埒もないことが思い浮かぶが、軽く頭を振ってから話を進める。
「で、この店に来た理由は、プチサメ子の日記情報?」
「じゃなくて、あいつ――元チチオヤから、昨日の深夜に電話があって。クドクドと事情説明をしてきたけど、早い話が『汐璃を無事に返してほしければ、お前が俺の借金返済を手伝え』って内容だったの」
「人質を取っての脅迫、か……確かに、誘拐みたいなモンだな」
親の借金で身売りされる状況も、住み込みの仕事のように偽装されてしまえば、実態はどうあれ外から手出しするのは難しい。
技能実習生という名の奴隷制度のように、どんなデタラメだろうと法的な辻褄さえ合っていれば無理が通るのが、この世界のフザケたカラクリだ。
「はぁあああああぁ……」
父親の畜生ぶりに改めてウンザリしたのか、瑠佳が俯き加減に大きく長く溜息を吐く。
そのまま十秒くらい固まった後、床で間欠的に痙攣している野々村を指差しながら話を続ける。
「そこの人と話がついてるから、今日の放課後ここに来い、って言われ……本当にイヤだったけど、汐璃のためには言われた通りにするしかない、って思ったのに」
「覚悟を決めて来てみたら、クソ親父もプチサメ子もいなかった、と」
「しかも、検査をするから服を全部脱げ! とかキモいこと言ってくるし」
「なるほど、さっき全力でブチキレてたのはそれか」
「キレるとか、そんな……ちょっと大声で抵抗しただけ、だよ?」
俺には「フザケんじゃねえ!」とか「触んなブッ殺すぞ!」とか、そんな発言が聞こえた気がしなくもないが、忘れることにしよう。
それはそれとして、ちょっとカス共への制裁がヌルい気がしてきた。
なので店員が使っていたバットで、両ヒジに一発ずつフルスイングを追加。
順番にヒジの骨を砕いていくと、野々村以外の三人から濁った悲鳴が上がる。
顔面をグルグル巻きにしたテープのお陰で、ボリュームは控えめだ。
最後にバットの持ち主にも食らわそうとしたが、そこで問題点に気が付いた。
「なぁ、サメ子。例のクズ親父は、この店に迎えに来るって言ってたか?」
「えぇと……私がここに来たら、あいつのいる場所まで送る、だったかな」
「てことは、コイツまで行動不能にしたら、案内するヤツがいなくなるな……」
しょうがないので店員の顔に巻いたテープを剥がし、頭を平手でベチベチ叩く。
そのモーニングコールを続けると、呻きながら薄っすらと目を開いた。
瑠佳は少し心配そうな素振りをしているが、大丈夫だから任せておけ、と目顔で伝える。
「う……うぁ……」
「おいオッサン。この子を連れていく場所、わかってるか?」
「お? あ、あぁ……知ってる、が」
「よし、じゃあそこまで案内しろ」
「チッ! 誰が、そんな……」
髪を掴んで頭を持ち上げながら命じると、店員は舌打ちして顔を背ける。
何故にコイツは、自分の危機的状況を無視して太々しさを発揮してしまうのか。
ちょっとばかり躾が必要らしいので、ショック療法で立場をわからせておこう。
「えぇと……コイツでいいか。しっかり見とけよ」
俺は動かない小太りを引きずり、手近なビリヤード台の脚に凭れさせる。
そして再びバットを握ると、ガムテープで覆われた頭を打ち飛ばした。
絵面的には「カキーン」とか「パカーン」とか聞こえてきそうなのに、響いたのは「ゴズッ」という鈍い打撃音。
左側頭部を殴打されて倒れた小太りの鼻からは、黒ずんだ濃い血が滾々と湧き出て、周囲に不格好な網目を描く。
バットを肩に担いで振り返ると、黒焼きにした苦虫を嚙まされたような顔の店員と目が合った。
「次はお前だけど……どうする?」
「あっ、案内ですね。目的地まで運ばせてもらいます、ハイ」
命の危機を認識したらしい店員は、ようやく態度が改まった。
タクシーを使うつもりだったが、コイツに運転させた方が色々と面倒がなさそうだ。
後々使えそうな酒を何本か瑠佳のカバンに詰め込むと、俺たちは店員に先導させて近場にあるという駐車場に向かう。
その道中、憂い顔の瑠佳が小声で訊いてくる。
「ねぇ……あいつら、死んでないよね……?」
「死んだ方がいいけど、死んでない。まぁ、あんな連中のことは気にすんな」
「ううん、あいつらはどうでもいいの。でも、私のせいで……ケイちゃんが人殺しになっちゃうのは、イヤだなって」
「あんな連中を人としてカウントするとは、サメ子は優しいな」
「一応、生物学上は人間ってことになってるから……あのクソ親父も」
だから、どんな状況でも誰が相手でも殺すな、という話だろうか。
元より、その辺りの匙加減には細心の注意を払うつもりだが、コチラを心配した幼馴染の言葉は素直に聞いておこう。